六、夕映えの下の約束
転送魔法陣を出た俺は、静かに『フローラ城』の郊外へと戻ってきた。
夕陽が斜めに差し込み、道を黄金色に照らし出す。
今日もまた、俺はあの『地下城』へ行ってきた。そう、アリシアと最後にパーティを組んで探索した、あの場所へ。
『地下城』……閉鎖型の迷宮で、ソロ探索に向いている。ランダムエンカウントの魔物に囲まれる心配もないし、中層の魔物たちの特性はもう把握済みだ。素材集めや依頼達成──金稼ぎにはもってこいの場所だ。
道を歩いていくと、前方には城東の農地が広がっている。青々とした作物が畑一面に実り、風にそよいでいた。来月にはもう収穫の季節だろう。
収穫……あの「農作業が趣味」だって言っていた彼女、どれほど嬉しそうな顔をするんだろうな……。
…
…
…
あの死闘から、もう三週間ほど経った。
その後、『領主クエスト』の呼び出しは一度もなかった。だから俺は、再び一人で迷宮に潜る日々を過ごしている。
けれどこの二ヶ月間の特訓で、俺は戦闘技術も、判断力も、洞察力も磨かれた。迷宮の知識も蓄え、探索の深度は格段に増した。今では中層の魔物を狩って魔晶石や素材を集め、十分な報酬を得られるようになった。貧乏暮らしともおさらばだ。──これも全部、アリシアのおかげだ。
……でも。
『……あ、あなたが悪いのよ! 力不足のくせに勝手に死のうとして! 誰が許したっていうの!』
冗談だとわかっていても、あの言葉が頭の中で何度も響く。あのときのアリシアの顔を思い出すたび、胸の奥がざわめく。
──もう二度と、あんな顔をさせたくない。
「慎重に……もっと慎重に戦う。今の俺に必要なのは、無茶な特攻じゃない。」
だが……もう、関係ないのかもしれない。『領主クエスト』の通知が来ない──それが何を意味するのか、俺はもう理解している。
もしも……なんて言葉は通じない。これが現実なら、受け入れるしかないんだ。
…
…
…
この農地──初めてあの少女と出会った場所だ。
歩きながら畑を眺めると、懐かしさが胸をくすぐる。この頃、彼女は何をしているんだろう?畑に姿がないってことは、領主としての書類仕事でもしているのかもしれない。あの子、よく「書類仕事なんてもういや〜!」って愚痴ってたっけ。
あの子が──もし本当にただの農家の娘だったなら……。
「アリシア……」
心の中で思っていたはずが、つい口に出してしまった。
幸い、周囲には誰もいなかったけれど……
「えっ!?」
聞き覚えのある声が、視界の端から聞こえた!?慌てて振り向くと、そこには背中を向けて
こっそり立ち去ろうとする少女の姿があった。
「久しぶりだな──って、えぇ!?」
少女がいきなり全力疾走!?しかもスキル全開!?おいおい、それ本気の逃走じゃねぇか!なんで逃げる!? 意味が分からない!?……よし、いいだろう、挑発と受け取った!勝負だッ!
「《超‧自己加速》!」
《超‧自己加速》──その名の通り、行動速度・敏捷・思考速度を一時的に極限まで高める、最近習得した上級戦士スキル。俺にとって三つ目の覚醒上級スキルだ。
「索敵!──足跡追跡!」
全スキル展開だ!……自分でも笑えるくらい必死だ。でも仕方ないだろ? 相手はあのアリシアなんだから!
……
……
……
城外の湖畔。浅瀬で走り続けていた少女がようやく足を止めた。頬を赤らめ、汗を伝わせ、荒い息を整える。その姿が「逃げ切る」という決意を雄弁に物語っている。
「な、なんで!? あの人……どうしてあたしを見つけられたの!?ちゃんと認知妨害魔法をかけてたのに!それなのに、まるで当たり前みたいに名前呼んできて……!」
《認知妨害魔法》──他者の認識を阻害し、対象を「見えない」「聞こえない」状態にする魔法。術者が自ら応答しない限り、存在を感知されない。
「うぅ……違うでしょ!? なんであたし、あの人を避けて逃げてるの!? 逃げる必要なんてないのに……! あああ……あたし、何やってるのよぉ! これじゃ変な人みたいじゃない!!」
ドクン、ドクンと心臓が高鳴る。……はぁ、走りすぎた……。
…
…
…
少女は湖面に映る自分を見つめ、静かに息をつく。
「この場所……前回もここだったね。あたし、また……ここに来ちゃったの? えっ!?」
「はぁ……はぁ……勝負するなら、ルールくらい教えてくださいよ、お嬢様。」
息を切らせながら、俺はゆっくりと彼女に近づく。あの日と同じだ。でも今の俺は知っている。──あの日、彼女は最初から俺に気づいていたってことを。ちくしょう、あのとき“守る”なんて言ってた自分が恥ずかしい……。
「どうして……どうしてあたしを見つけられたの?」
「すぐに追いつけなかったけど、スキル全開で足跡を追ったんだよ。 君を見つけるために、全力で、ね。」
「な、な、な、な、何言ってるのよっ!!!」
少女の顔が真っ赤に染まる。
「どの部分? 『君を見つけるために、全力で』ってところ?」
「はぁ……はぁ……」
まだ息が整っていない──本当に全力で逃げたんだな。
「それにしても、久しぶりだね。いきなり姿を消したと思ったら、再会して早々、俺の実力テストか?」
「そ、そうよっ!そういうことにしておくわ!でも驚いたわ、冒険者くん。たった三週間で、また強くなったのね?」
三週間──記憶力抜群のお嬢様らしい。彼女はいつだって、細かいことまで正確に覚えている。……いや、それだけじゃない。
今こそ、あの“件”をはっきりさせるときだ。
「最近、全然一緒に探索に行かなくなったけど……文書仕事が忙しいの?」
「うん……忙しさはいつも通りなんだけど……そういう理由じゃなくて……」
「じゃあ、何?」
「……」
この子、何をそんなにもじもじしてるんだ……見てるだけで落ち着かない。……いや、もういい。代わりに俺が言ってやろう。
「つまり、俺がちからぶそくだからだよね?」
「えっ?」
この数日、ずっと考えていた。高難度の迷宮じゃ、俺は彼女の足手まといになる──それは揺るぎない事実。
なら、この関係はいずれ終わるもの。今回の件がちょうどいい区切りになるだろう。
「わかってるさ。俺にその資格はない。君は気を遣って距離を置いてるんだろ?でも、そんなことしなくていい。君の教えには心から感謝してる。その恩は、一生忘れない。いつか必ず返すから。」
「そ、それは……どういう意味?」
「ほら、俺はもう“ボロボロ冒険者”じゃない。だから、これからは自分のやり方で進んでいくさ。君も、もっと優秀な協力者を探した方がいい。」
「……何を……言ってるの……?」
「言っただろ?俺はもう──」
「ちがうっ!ちがうよ……!」
少女の瞳が潤み、震える声が漏れた。左手は胸元をぎゅっと掴み、感情のままに叫ぶ。
「そんなつもりじゃないのっ!!たしかに……あなたの力は足りなかった!そう、最初からずっと!だからあたしが鍛えてきたんじゃない!……でもね!あたしは一度も、あなたを嫌いになったことなんてない!!そんなわけないじゃない!!あたしは、ただ……!」
「……俺がまた傷ついて、死ぬのが怖い。そうだろ?」
俺にはわかる。無能や軽率さを責めるよりも、彼女は自分を責める。勝ち気だったとか、警戒心が足りなかったとか……そうやって全部を自分の責任にしてしまう。
──それが、アリシアという少女の本質だ。
「う、うん……」
「だからもう大丈夫。これからは自分の力で進んでいくよ。君の世話には十分すぎるほどなった。いつか君の隣に立てる資格を得て、恩を返す。そのために努力する。」
きっと彼女は、「悪いのは自分なのに、結局は彼を手放すしかないのか」と苦しむだろう。でも俺は、彼女にそんな負担をかけたくなかった。だから、自分の口で終わらせるんだ。
「うぅ……」
アリシアは黙り込んだ。俯いたまま、頬を伝う涙が見えた。両手はスカートの裾を強く握り、体は小刻みに震えている。……でも、これが彼女が俺のせいで最後に流す涙になるなら、それでいい。
「……」
──言ってしまったな。
よし、こんな大口を叩いたからには、強くならないといけない理由がまたひとつ増えたな。それに、少し悲しいけど、アリシアとの短い関係もここで終わりにすべきだろうな…最初から私たちは別の世界の人間だったし。
さよならだ。
俺の人生を一瞬でも照らしてくれた、あの“農家の少女”。
…
…
…
「ちがう……」
少女が小さく呟いた。
……
……
……
「ちがうよ……」
少女は再び低く呟いた。
……
……
……
「ちがうって言ってるでしょ!!!」
少女は叫びました。
「ちがうの!!そんなの嫌だ!あなたが欲しい!あなたはあたしを足手まといにするって思ってるんでしょ?なら、責任を取って!あたしの教えに感謝してるって言ったよね?責任を取って!あたしのそばにいて!あたしと同じ高さになるまで、それから、あたしのパートナーになって!!!!」
その声にはもう、迷いも震えもなかった。ただまっすぐな、少女の本心だけが響いていた。
「な、なんだって!?」
「もちろん、あたしも責任を取るわ!もっと慎重に行動する!もう失敗しない!」
「責任を……取る、って……?」
まさか…これがアリシアの本当の気持ちだったのか?あり得ないだろう?!俺、俺…もし彼女が直接言ってくれなかったら、俺が彼女の心の中でこんな位置にいるなんて、全く想像できなかった!それなら!俺、さっき彼女に何て言ったんだ!?俺が!?
アリシアは俺に近づき、拳を握って、胸の前で軽く叩いた。
「返事して!」
この衝動、この涙、この気持ち──応えないわけにはいかない!!
「わかった!ずっと君のそばにいる!そして、もっと慎重に戦う!もう絶対、無茶はしない!」
「う、うぅ……よ、よかったぁ……」
彼女はまた泣いた。でも、それはきっと──喜びの涙だった。
…
…
…
しばらくして、俺たちは静かに湖のほとりに腰を下ろした。アリシアはそっと、俺の肩にもたれかかってくる。
「……落ち着いた?」
俺が湖畔で少し休もうと提案すると、彼女は自然に俺の右肩に寄りかかった。どうやら、言い争いで疲れたらしい。まあ、今はこのままでいいか。
「うん……ねえ……」
「どうした?」
「さっき……あなた、自分のこと“ボロボロ冒険者”って言ってなかった?」
「言ったかな?君がそう呼んでただろ?」
「え? あ、あたしそんなこと言った!? 変ね? そんなはずないけど!? いつの間に!?」
「えっ?」
おかしいな……君が呼んでなかったら、俺が自分でそんな呼び名つけるわけないだろ?……でも、たしかに君が言いそうな言葉でもない……いつの間に?
「……それと……あなた、さっき……『ずっと君のそばにいる』って言った……よね?」
アリシアは顔を伏せ、右手でスカートの裾を何度もいじっている。生地にしわが寄るほどに。……どうしたんだ、ほんとに。
「あるよ?なにか問題でも?……うん……だって、それは君のお願いだったでしょ?」
「あ、あたし!? あ、あたし、そんなこと言ったっけ?!」
彼女は目を見開き、顔には明らかに混乱と羞恥が入り混じった表情が浮かんでいた。
「でしょ?ほら……さっき……そう、さっき君、自分で言ってたじゃないか。『あたしのそばにいて!あたしと同じ高さになるまで』って。十年や二十年はかかるだろうし、それってつまり“ずっとそばにいる”って意味じゃない?」
「な、な……ち、ちがっ……違わないけど! ちがっ、ちがうのっ! あぁもう、やめてよそんなこと言わないでぇっ!」
「それに、『あたしのパートナーになって』って言葉も、あったよね?」
「うぅ……」
――どうしてこんなに可愛いんだ。
「そうだ、ひとつ聞いていい? 逃げないでね?」
「うぅ……いいけど……何を聞きたいの?」
少女の瞳には少しの戸惑いと、それに混じる期待の光があった。
「その、あの赤い『手』の魔法って、どうやって――」
「ダメっ! その魔法のことだけは聞かないでっ!……お願い、思い出させないで! 他のことなら、なんでも教えてあげるから! ね、だから――あっ!?」
……なるほど。これがアリシアをここまで慌てさせる話題か。まったく、こんなに慌てるなんて……可愛すぎるだろ。ちょっとからかってやりたくなるじゃないか。
「そう? じゃあ、他の質問は今度にするよ。質問する権利は残しておくから、覚悟しておいてね。」
「ひ、ひどいっ! もうっ……! あぁ~!」
出たな、そのトマトみたいに真っ赤な可愛い顔。
「それじゃあ、アリシアさん。今度また一緒に冒険しようか?」
「うんっ!❤」
――どうやら、俺たちの冒険はもうしばらく続きそうだ……少なくとも、俺が彼女に追いつくその日までは。
「……あ、あたしのこと、『アリシア』って呼んでよ。」




