十六、英雄の帰還
なんとか昨日の夜の気まずい時間を乗り越え、今朝は皆、普段通りに戻っていたようだ。
俺はルミを邸宅に残してアリシアのそばにいさせ、自分は再びギルドの大広間へ向かった。
広間の一角に立ち、こっそりとあの徽章を袖口に取り付けた。するとすぐに誰かが俺に接触してきて、俺はギルド内の会議室の一つへと案内された。
「どうした? お客さん、ちょっと気が早すぎないか? 中間報告は三日目、最終報告は五日目って約束だったよね? 忘れたのか? それとも何か状況が変わった?」
そこにいたのはホリーの兄で情報員のバンナだった。どうやら今日はちょうどギルドの近くにいたようだ。以前、彼が忙しい場合は部下が代わりに対応すると言っていた。
「いや、そういうわけじゃない。ちょっと新しいことを知りたくなってね、新しい仕事って感じかな? でも情報を集めるんじゃなくて、知識だけ欲しいんだ。君が提供できるかどうか分からないけど。」
「は? 面白いな。で、何を知りたいんだ?」
「うーん……友達が大きな邸宅を持ってて、悪党の侵入を効果的に防ぐ方法が知りたいんだ。たとえば、探知用の魔導具を使った防御システムとかね。」
「セキュリティシステムの設計か。どの程度の仕様が欲しいんだ?」
「最高レベルのやつ……その子が言ってたんだけど、王宮のやり方が知りたいって。」
「王宮か……」
バンナは一瞬眉をひそめ、重々しい表情を浮かべたが、すぐに平然とした顔に戻り、答えた。
「……それなら簡単さ。公開されてる情報だからな。自分で集めたくないなら、50銀貨で教えてやるよ。」
50銀貨……随分といい稼ぎだが、これは専門知識へのコンサル料だ。悪くない取引だ。
「いいだろう、払うよ。」
「快くていいね。じゃあ王宮の侵入防止設計について教えてやる。」
王都の中央に位置する王宮は、当然ながら現皇帝陛下とその家族の住居であり、領主たちが皇帝に謁見する場でもある。
王宮の中央には住居区域と行政区域があり、中庭、外庭を経て外壁へと続く構造になっている。基本的に衛兵が交代で巡回しており、定位置の哨所も存在する。しかし、これらは俺が知りたい核心ではない。
「今のは背景説明だ。君が気にしているのは、魔導具を使った侵入防止システムだろう?」
「そう。」
「実のところ、大したものじゃない。監視用の魔導具で王宮を囲っているだけさ。」
「うんうん、それそれ。口で言うのは簡単だけど、監視台をいくつ設置すればいいかとか、どうやって距離を調整するかが肝心なんだろう?」
「もちろん。じゃあ今から、その監視台の設置原則を説明しよう。」
監視装置は王宮の外壁に設置されており、半径150メートルの円形範囲を探知できる。発せられる気配、動作、魔力のいずれも監視装置の目から逃れることはできず、すべて警報を発して衛兵に現場へ向かわせる仕組みだ。
そのため、外壁の150メートル外には柵が設けられ、人々に王宮エリアへの立ち入りを警告している。
そして、監視装置はおよそ150メートル間隔で配置されており、正門の大通り以外は王宮の外周全体が監視範囲内にある。
「なるほど、これが監視装置の配置方法か。じゃあ、こういう配置でも、潜伏系スキルを持っている者が侵入できる隙間ってできるのか?」
「『潜行』のことだな? ちょうど説明しようと思ってた。」
バンナは素早く紙に二つの円を描き、それぞれの監視範囲を示した。そしてそこに一直線を引き、最短の侵入ルートを示した。
「『潜行』は確かに監視装置の探知を回避できるが、この設計における最短侵入距離は……『潜行』の有効時間が最大3秒だとしても、突破は不可能だ。」
「それは無理じゃない? その間に『潜伏』を使ってスキルのクールダウンを待てばどう?」
「『潜伏』は直視に弱い。だからこそ、外壁の周りは花壇で、高い木を植えてないんだ。加えて、たとえ哨兵がたまたま居眠りしてたとしても、二段階で突破できる奴なんて滅多にいない。」
「なるほど! そういうことか……って、待てよ。半径150メートルの範囲? それって王宮の規模だからこそ可能なんじゃ? 普通の邸宅じゃ真似できないよね?」
「その通り。」
「じゃあもう一つ質問。一般的な住宅では『潜行』による侵入を防ぐことはできないのか?」
「何言ってんだ? まず、『潜行』は希少スキルで、この世に数えるほどしかいない。それに『潜行』の持続時間は2〜3秒程度だ。ちゃんと戸締りしていれば防げるよ。それに、君の友達の家がそんなに広くないなら、魔法障壁を張ればいいだけじゃないか?」
「魔法障壁? あ、そうだ! じゃあなんで王宮は魔法障壁を設置しないの? 広すぎるから?」
「そういうことだな。魔法障壁は監視装置に比べて魔晶石の消費が桁違いに多い。王宮みたいな規模じゃ、常設は無理ってもんさ。」
「へぇ~、なるほどね。王宮の情報をありがとう。これで友達には監視装置を諦めさせて、魔法障壁にするように勧められる。」
「問題ない。さっきのは公開情報に基づいた通常サービスだからな。コンサル料はもう受け取ったし、いつでも歓迎するよ。……入ってこい。」
会議室のドアが開き、さっき俺に接触してきた人物が書類を持って入ってきて、バンナに渡してすぐに退出した。
「本来これは明日渡す予定の進捗報告だったんだが、今日はこうして会ったから、部下に頼んで前倒しでまとめさせた。見てくれ、大体の報告の構成はもう固まってる。対象の基本情報に加えて、いくつかの重要な関連事件もリストアップ済みだ。証拠や証言はまだ収集中だが、最終報告の日には揃うはずだ。」
俺は進捗報告にざっと目を通した。まさかたった一日でここまでまとめてあるとは思わなかった。バンナの言うとおり、多くの「事件」が列挙されており、最終報告が楽しみだ。本当に役立つかどうかはまだ分からないが、手持ちの情報が多ければ多いほど、活路を見出せる可能性も高まるのだ。
……
……
……
邸宅の魔法の呼び鈴が鳴るのを待つまでもなく、アリシアはすでにダイニングルームの椅子から勢いよく立ち上がり、応接間へと飛び出そうとしていた。
「アリネー!?何があったの?」
俺はバンナとの面会を終え、早めに邸宅へ戻ってきていた。ちょうど三人で昼食を終えたところで、午後はどこかへアリシアを気分転換に連れていこうかと話していたところだった。そんなとき、アリシアの様子が急に変わった。
「お、お父様とお母様が!やっとお戻りになられたの!」
「本当!?よかったね、アリネー!」
アリシアの目にはすでに涙が溢れていた。戦争孤児である俺やルミには、その気持ちが痛いほど分かるし、ようやく家族が再会できることを心から嬉しく思った。
俺たちはアリシアに付き添って応接間へ向かい、扉が開くその瞬間を待った──
「お父様!お母様!お帰りなさいませ!!!」
「ご主人様、ご夫人様、お帰りなさいませ。」
いつの間にか邸宅のメイドや使用人たちも応接間に集まっており、主たちの帰還を迎えていた。
「ふふ、アリシア、ただいま。」
伯爵夫人は満面の笑みを浮かべ、アリシアに応えた。伯爵もまた、微笑みと優しい眼差しを娘に向けていた。
伯爵夫人──『アンジェリーナ・エレナガード』は、アリシアと同じくらいの身長で、太ももまである淡い金髪を持っていた……って、見た目がアリシアにそっくりすぎるでしょ?
伯爵夫人──『アンジェリーナ・エレナガード』は、アリシアとほぼ同じくらいの身長で、太ももまで届く淡い金色の長髪を持っていた……顔立ちも、アリシアとそっくりすぎるのでは?
夫人の若々しい顔立ちは、とても十代の少女の母親には見えず、二十五、六歳といった印象だ。母親というより、少し年上の姉といった方がしっくりくる。
アリシアのあどけなさの残る顔立ちに比べて、夫人にはやや大人の女性としての色香が漂っている。これが、アリシアが成長したあとの姿なのだろうか……?
そして服装についてだが……アリシアのファッションセンスがどこから来たのか、すぐに納得した。まさに、夫人譲りだとしか言いようがない。
「お母様!ううっ……」
アリシアは伯爵夫人の胸に飛び込んでいた。涙でいっぱいの顔には幸福の笑みが浮かんでおり、少し離れたところから見ていた俺の目にも思わず涙が滲んだ。よかったな、本当に。
「うううっ……」
「気持ちは分かるけど、ルミ、泣くのは我慢しよう。少しだけ。」
「うんうん……」
「ふふ、アリシア、ちょっと顔を見せて? 半年ぶりなのに、また大きくなったんじゃない? ますます可愛くなったわね〜」
「うん!ちょっとだけ背が伸びたの!」
あの端麗で優雅な領主令嬢が、両親の前では素直に子どもらしさを見せて……なんて可愛いんだ……いや、お嬢様、大きくなったのは身長だけじゃないよな、どう考えても。
「この間に起こったことはすでにヴィルマの報告から聞いている。よく頑張ったな、アリシア。お前は俺の誇りだ。」
伯爵様──『アンドレ・エレナガード』。アリシアたちより少し背が高く、特に筋骨隆々というわけではないが、服越しでも山のように揺るがぬ鍛え上げられた身体が感じられる。見た目も若く、まさに壮年という印象の人物だ。
「お父様!!」
伯爵様はアリシアの頭をそっと撫で、アリシアも彼に抱きついた──その瞬間、俺の心に妙な違和感が湧き上がった……なんだこれ……まあ、今は彼女たち家族の再会の時間だ。
「もう俺たちは戻ってきた。すべて俺たちに任せて、お前はもう無理をする必要はないのだよ、アリシア。」
「うんうん……あたしは無理なんてしてない。お父様があたしに領地を託した、それはつまり責任。全力でやるのは当然のことです。」
「だからこそ、お前はもう十分頑張った。領地の運営も、ギルドのことも、そして『縁談』の件もな。お前が攻勢を食い止めてくれたおかげで、我々は『皇命』から戻って来ることができた。」
「うんうん!でも、あたし一人の力じゃないよ!」
「それは分かっている。そして『縁談』の件についても、もう心配しなくてよい。解決策はすでにある。」
解決策?!本当か?
「解決策?お父様!?」
「簡単に言えば、今回王都で人脈を広げて、その中で我が家に婿養子として迎えられる人物を見つけたのだ。『中立派』に属する『フランクリン男爵家』の次男だ。」
「ほ、本当ですか?!」
アリシアは目を大きく見開き、安堵の表情を見せたが、その中に何とも言えぬ複雑な感情が混じっているのが俺には見えた。
「すでに『フランクリン男爵』とは初歩的な話をしてあり、向こうも概ね同意している。彼の次男はまだ十歳と幼いが、それがむしろ好都合だ。我々は今のうちに婚約だけしておいて、しっかりと感情を育てて、彼が成人したら正式に婚姻する予定だ。それでも『ヴァンダーホルト家』に対抗する盾としては十分だ。」
十歳?アリシアより六歳も年下じゃないか?
「よかったね……」
「アリネー……」
やっぱりルミは黙っていられないと思った。彼女が声を出す前に、俺はそっとその肩を押さえた。
「ちょっと、待て。落ち着いて。」
俺は小声でルミに言った。
「お兄ちゃん……」
「やあ?そちらがルミナスちゃんかしら?お目にかかれてうれしいわ!」
さっきの声を聞いていたのか、伯爵夫人が俺たちの方を見た。じゃあ、ちゃんと挨拶しに行くしかないか。
「はい、私はルミナスです。伯爵夫人、お目にかかれて光栄です!」
「わあ〜ヴィルマちゃんからすでに聞いていたわ。あなたが我が家の新しい娘なのね?本人もとっても可愛い〜、抱きしめてもいいかしら?」
「うぅ…いいですよ!」
ルミは即座に飛びついた。ほんと遠慮がない。伯爵夫人も、ルミとアリシアが姉妹のように仲がいいのは分かるけど、『我が家の新しい娘』ってさすがにちょっと……いや、もしかしてヴィルマさんがすでに俺たちの関係を完全に報告しているのか?
「伯爵様、伯爵夫人、お目にかかれて光栄です。私は──」
「君があの『流星』か。今までご苦労だったな……」
伯爵の口からは「ご苦労だった」と出たけど、その口調がまったく労っているようには聞こえない……
「もうここに君の役目はない。ゆっくり休むといい。帰りたまえ。見送りは不要だ。」
えっ?うん……まあ、そうだよね……ここはこの第宅の主──伯爵大人のご意向なら、従わない理由もないし。それに、今はアリシアのご両親も戻ってきたんだから、俺が“心の支え”としてここにいる必要もなくなったってことか。一昨日は一緒にいるって約束したばかりだけど、そばにいるにしても、話し合ったり支えたりするだけなら、宿から通うだけでも十分だよな。第宅に泊まらなければ、情報収集や準備作業なんかもむしろやりやすいかもしれない。
「わかりました、では俺は──」
「お父様!!!なぜそんな──あ、あたしは──!」
「あなた、何を言ってるの?」
「い、いや、その…こ、この『流星』くんには休んでもらおうと…ダメだったのかい?」
えっ?伯爵が奥様の前でしどろもどろに??あの大戦の英雄、『アンドレ・エレナガード伯爵』が…?
「流星君、この伯爵様はね、娘を溺愛してるだけなの。あなたに嫉妬してるだけよ、気にしなくていいわ。ここに残って、私たちの手助けを続けてちょうだい。」
「お、お、おれはこの小僧に嫉妬なんかしてないぞ!た、ただ巻き込まれて大変だっただろうと思っただけで…」
「あなた、本当に?」
「も、も、もちろん本当だ…」
「アリシア?」
「嘘です。お父様は嘘をついています。」
伯爵夫人、アリシアの『嘘見破り』を使って伯爵様を問い詰めたのか?
「嘘だって?あなた…」
「お、お、おれはさっき冗談を言っただけだ!今のは取り消す!こ、こほん。小僧よ、おまえはここに残って私たちを手伝え。」
この三人のやり取り、面白すぎるだろ…。
「はい!わかりました。ありがとうございます、伯爵様。」
ふう、ほんとにびっくりした。娘を持つ父親ってこんな感じなのか?娘の近くに男がいるだけで、こんなに警戒したり敵視したりするものなのか?…まあ、理解できなくもない。さっきの自分を思い返せば…いや、考えすぎるのはやめておこう。
でも、さっきの『解決方法』については、やっぱり気になる…。失礼になるかもしれないけど、聞いてみるか。
「伯爵様、失礼ですが、一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「チッ…まず質問してみろ。そのあとで答えるか考える。」
チッ、だと…?なるほど。アリシアのこの癖、父親譲りか。
「では、先ほど伯爵様が仰った『解決方法』──つまり、あの男爵家との婚約の件が、今回の事件の最終的な解決策なのですか?」
「おまえ、それはどういう意味だ?」
「文字通りの意味です。それが伯爵様が『採用した』『解決方法』なのですか?」
「……」
伯爵様は答えなかった。
「お兄ちゃん?それってどういう意味?」
「アス…流星君、どういうつもりなの?」
ルミとアリシアも、俺の質問に戸惑っているようだ。でも、伯爵様の反応を見る限り、俺の質問は決して的外れじゃなかった。
「答えるなんて言ってないだろ?おまえの腕前がそこそこあると聞いた。ついてこい。」
「お父様?」
「アリシア、おまえも来るのか?まあいい、見に来い。この小僧がどれほどのものか、確かめてやる。」
…
…
…
俺たちは邸宅の裏庭にやって来て、練習用の木剣を手に取った。伯爵様は片手剣と丸盾、俺は慣れ親しんだ両手剣を選んだ。
「小僧、全力でかかってこい。俺に一撃でも当てられたらおまえの勝ちだ。簡単だろう?」
そう言うけど、この庭を壊すわけにはいかないんだよな?でも伯爵様──アリシアの近接戦の師匠だろう?手を抜けば否定されるだけだ。アリシアを守るためにここに残るには、全力を尽くすしかない。
「お父様、流星君…」
傍らで見守るアリシア。彼女だけが、俺たちの力量差を知っている。一体、どれくらい違うのか…。まあいい、全力で行くだけだ。相手はかつての『神魔戦争』の英雄にして、アリシアに『闘気纏身』を教えた伝説の戦士。自分がどこまで通用するか、試してみたい。
「では、失礼いたします。伯爵様、よろしくお願いします!」
俺は全強化スキルを発動し、『闘気纏身』を展開。さらに『闘気精錬』で密度を最大限に高め、全力戦闘の状態を完成させた。
「ふふっ、かかってこい。」
伯爵様もすでに『闘気纏身』の状態。では、始めようか。
突進──水面斬!
俺は一気に踏み込み、盾を構える左手を避けて、右側から探るような斬撃を繰り出す。
「ふん。」
伯爵様は盾で突き出し、俺の剣の軌道に盾を差し入れて動きを止めつつ、右手の剣で攻撃を仕掛けてきた。
「ふっ…」
大丈夫だ。足を止め、手首の動きで斬撃を打撃に変えて伯爵様の剣を弾き、さらに体を沈めて回転し、下から上への斬り上げを放つ。
伯爵様は軽く後退し、円盾で斬撃を受け流しながら距離を取った。
本来、両手剣は攻撃範囲と爆発力に優れ、大型の魔物との戦いに適している。
一方、片手剣と盾の組み合わせは、攻撃の角度が柔軟で、防御力も高く、近距離戦に強い。対人の接近戦に向いているのだ。
だが、現代の俺は、接近戦の弱点を補う剣技と身のこなしを身につけている。
お互いに『自己加速』スキルを発動して剣を交え、『思考加速』で考えながらも、反応は本能頼り。剣筋を見極める余裕はほとんどない。
一連の打ち合いの末、腹に蹴りを一発もらってしまったが、体勢を崩さずに後退し、距離を保った。
やはり片手剣と盾の組み合わせに接近戦で挑むのは不利。アリシアとの戦いとは違う。彼女も両手を使うが、主に斬撃で、体格差もあって零距離での組み付きや体重を使った攻撃はしてこない。
だが、伯爵様は違う。剣と盾の連携に、圧倒的なパワーと蹴り技を組み合わせ、零距離戦で俺の両手剣を封じてきている。
あの円盾、本当に厄介だ…。
俺は高速移動を開始し、戦術を転換。定点からの剣技から、遊撃戦へ。
伯爵様は俺を追わず、迎え撃つ姿勢。
構わない。この程度の移動なら、何時間でも走り続けられる。
俺は全力で駆け、二段ジャンプや邸宅の壁、庭の樹を使って立体的に動く──まるでアリシアの戦法のように、何度も突進斬で伯爵様の死角を探すのだった。
「アスランくん……」
伯爵様は、いまだに悠然と俺の攻撃を捌いている。だが、それでいい。狙いは不意打ちではなく──
俺は左側から伯爵様の死角へ潜り込み、盾を構えた手に向かって斬撃を叩き込んだ!
ドンッ!
円盾はまるで鉄壁の如く、俺の斬撃を完全に防ぎきった。しかし──
シャアアアアアア!!!
一撃目、突進斬り! 二撃目、回転斬り! そして後ろに小さく跳ねて、三撃目、突き!
俺の動きの異常さに気付いた伯爵様も身のこなしを変えたが、俺の視線は、ただ一点、攻撃の急所から一度たりとも逸れていなかった!
「破甲三連撃!!!」
円盾が砕け散る瞬間、伯爵様は左手を大きく振って俺の突きを逸らした。盾は完全に壊れたが、左手にはかすり傷ひとつない! ……くそ、まだ当たらないか!
だが、構わない! 盾がなくなれば片手剣のみ! これなら、密着距離の接近戦に持ち込める自信がある!
「やるじゃねえか、小僧! かかってこい!」
至近距離での白兵戦、剣が激しく交錯し、攻守が目まぐるしく入れ替わる。そして──
「ふん……もしオレに勝てたら、さっきの質問に正直に答えてやるよ!」
な、なに?! それなら……『あの一手』を使うしかない!
俺は後ろに数歩跳び下がり、勢いをつけて突進する!
『潜行』
突進の最中、『潜行』スキルを発動! 一瞬でも伯爵様に隙が生まれれば……下に潜り込み、足に一撃さえ当てれば──
伯爵様が消えた!?
違う!!! 全力で跳躍して、空中に?!?
……構わない! 追いつくぞ!
「シャア──!!」
俺も全力で跳び上がり、足を狙おうとした瞬間──
また伯爵様が消えた!? いや、二段ジャンプ!? 邸宅の外壁側へ跳び移った?! 俺も追いかける!!!
「シャア────!!!!」
そして、彼は壁を踏み台にし、後庭の中央へと跳ね飛んだ!!!
対策か!!! 『潜行』スキルを知っていた!? 仕方ない、追い付くしかない!
「シャア──!!!!」
俺も壁を踏み台にして、全力で突撃! 『潜行』が切れる前に一撃だけでも……!
一撃だけでいい……それで……!!
「シャア────────」
……
……
……
気付けば、その片手剣の切っ先が、俺の首の動線上で静かに待ち構えていた。俺は体をねじってその致命的な一撃をかろうじて避けたが、バランスを崩して──
ドン!!!
轟音と共に、俺は地面に叩きつけられた。後頭部に鈍い眩暈と吐き気が走り、武器も手放してしまった。
「アスランくん! アスランくん! アスランくん!」
アリシアの声だ。
「お兄ちゃんっ!!『神聖治療』!」
ああ、ルミの声だ。
『神聖治療』の温かな光が俺の体を包み込む……ああ、そうだ、負けたんだ。くそ……惜しかったなんてレベルじゃない、技術も経験も完敗だ……伯爵様はまだ、本気を出していない……!
「うん、ルミありがとう。もう大丈夫だよ。」
地面から起き上がると、伯爵様は真剣な表情でこちらを見ていた。
「お父様っ!! 手加減なさすぎですっ!!! アスランくん……流星君は半年前まで初心者だったんですよ!? すごく努力してきたのに……どうしてそんなに容赦ないんですかっ! お父様のバカっ!!! 大嫌い!!!」
えっ? アリシアが泣きながら怒ってる!? しかも「大嫌い」って……!? なにこれ、すっごく面白い!! こんなアリシアも面白くて、かわいい!!!
「お、俺……アンジェ! アンジェも何か言ってよっ!」
「うふふ、アリシア。あなたのお父様は、流星君の実力を認めたからこそ、本気で戦ったのよ。それが男同士の戦いというもの。全力で向き合うことこそ、最大の敬意よ。」
「じゃあ……お父様は、アスラン……流星君の実力を認めたってこと?」
「アリシア、大丈夫だよ。俺はアスランだから、そのままアスランくんって呼んで。」
「う、うん……ごめんなさい……」
「ねえ、あなたは『アスラン』君なんでしょう? 本当に半年でここまで来たの? すごすぎるでしょ?」
伯爵夫人は場を和ませようとしてくれているが、伯爵様は沈黙のまま。……どうやら、本当に少し恥ずかしがっているようだ。
「ちょっと、あなた? 若者に何か励ましの言葉くらいかけてあげたら?」
「うーん……まあ、お前には多少の腕前があるのは確かだ。だがまだ未熟だな。よし、明日から毎日午後はここで修行をするんだ。」
……どういうこと?
「やったあっ! アスランくん! お父様が剣術を鍛えてくれるんだよっ!」
「本当ですか? ありがとうございます、伯爵様!」
「うんうん!!! お父様だいすきっ!」
アリシアはまた伯爵様に飛びついた。
……え? このアリシアの態度の落差すごくないか?
「いやはは、ははっ。さあ、みんな休もうか。ヴィルマ、後始末の手配を頼む。」
「かしこまりました。」
こうして、伯爵夫妻との『ご挨拶』はようやく幕を閉じた──
……
……
……
夜、『エレナガード伯爵家』邸宅・主寝室にて。
「アンジェ……聞き間違いじゃないと思うんだが、あの小僧の名前……なんだった?」
「『アスラン』。アリシアは確かにそう呼んでいたわ。ヴィルマの初期報告でも、彼がギルドで偽名を使っていたことは記録されているし、今の名前は最近になってアリシアに伝えた本名らしいわね。」
「本当に『アスラン』か……? 名前の一致、年齢の一致? 剣技も……あの『破甲三連撃』まで一致だと? さすがに、偶然が多すぎるだろ……」
「あなた? 剣技まで……?」
「ああ……でも、それでも決定的な証拠じゃない。これ以上の情報がなければ、今は保留だ。何より……今はアリシアの問題の方が重要だろう。」
「その……信じていいの? その『アスラン』という男。」
「俺にも分からん……だが、アリシアの今の状態、それにヴィルマの観察報告、そして今日の様子も見ただろう。結局、彼しかいない。アリシアの目を信じよう。俺たちが育てた、優秀な娘の選択なんだからな。」
「……ええ、そうね。それしかないわね。」




