二、天然少女
「数が多いわ。刺激しないで、撤退しましょう」
新人冒険者で組まれたこの急造の四人パーティーは、最年長である『エルフ』の弓使いが指揮を執り、『東の森』で初級討伐任務に当たっていた。
「……」
目の前には五頭の『ブラック・ジャッカル』。
「どうしたの? 下がるわよ」
「たかが五匹なら……」
「あんた!?」
俺は指示を無視し、両手剣を握りしめて一直線に突っ込んだ。
「はあああぁぁぁ!!」
間近の一頭に即座に剣技を叩き込み、一刀両断にする。
「ちょっと! 馬鹿なの!?」
「くそっ! 行くぞ、みんな! 前衛、彼を援護しろ!」
「嫌よ! 自業自得じゃない!」
「何だと!?」
エルフの弓使いは呆然とした。このままでは死人が出る、そう直感したのだ。
「ええい、なら私一人でも!」
彼女が背中の矢筒から矢を抜こうとした瞬間、その腕が強く引っ張られた。
「嫌! 嫌です! 私たちまで狙われちゃう! 撤退するって決めたじゃないですか! 怖い、怖いよぉ!」
それは冒険者になったばかりの治癒魔法師の少女。正真正銘の『完全な新人』だった。
「これじゃ……」
「おらぁぁ!!」
魔物の群れの中で、俺は猛然と剣を振るった。口端から泡が漏れるほどの衝撃も、革鎧越しに腕を噛みちぎられる激痛も、一切構わなかった。
「来いよ! 全員まとめてかかってこい! ぐっ……まだまだぁ!!」
シュッ――!!
「ガアァ……ッ」
誰のものかも分からぬ血飛沫が舞い、空気は俺の咆哮と『ブラック・ジャッカル』の悲鳴で満たされる。
──最後は、俺の勝利だった。伏せ勢の三頭を合わせた、計八頭の『ブラック・ジャッカル』の屍骸が、次々と灰に還り始めていた。
振り返れば、パーティーの面々はまだそこにいた。けれど……。
彼らの眼差しは――。
「来ないで! 怖い、怖い、怖いぃぃ!! 来ないでよぉぉ!!」
それは、涙を流し顔をぐしゃぐしゃにした少女の悲鳴だった。
…
…
…
毎日ひとりでギルドの魔物討伐クエストを受け、初心者にも比較的優しいとされる『東の森』の迷宮で採集や討伐を行う――それが、今のわたしの日常になっていた。
故郷を離れ、冒険者の温床と呼ばれる『フローラの街』へやって来て、もうすぐ三ヶ月になる。
平民の身で異国へとやってきたわたしが、宿代や生活費を賄うには、毎日ひたすらクエストをこなして報酬を得るしかない。
もちろん、それは誰も同じだ。ギルドの最低条件をなんとか満たしても、冒険者として生き残るのは容易なことではない。
生活のためだけじゃない。俺には「必死に強くならなければならない理由」がある。だから結論を言えば、今のやり方を変えるつもりはなかったし、ギルドの他の冒険者たちが何を噂していようと気にしている暇もない。
『ブラック・ジャッカル』に出会うたびに、あの時の治癒魔法師の少女を思い出す。
実のところ、彼女の顔はもう思い出せない。まともに顔を見たことなど、数えるほどしかなかったからだ。
噂では、彼女はあの後すぐに冒険者を辞めたらしい。もう二度と会うこともないだろう。たとえ街ですれ違ったとしても、彼女だと気づくことすら不可能なのだから。
「休みの日を決めなさい。一ヶ月に最低でも二回。でなければ、ギルドの権限であなたの冒険者資格を一時停止しますよ。」
受付嬢さんはきっぱりと言い放った。
「そ、そんなに大げさな話ですか?」
「この顔を見なさいよ。毎日ボロボロの傷だらけで帰ってきて……そのうち迷宮の中で倒れて、誰にも気づかれないまま終わるわよ?」
「……。」
ギルド――冒険者ギルドは、俺たち冒険者に多くの恩恵を与えてくれている。登録資格を失えば、クエストで報酬を得ることもできないし、個人で魔物を狩っても、戦利品をギルド外で売るとなれば買い取り価格は大幅に下がる。
「はあ……少しは人生を楽しむことも覚えなさい?」
彼女はため息をつき、少し柔らかい口調になった。
「……分かりました。」
これ以上反論しても意味はない。こうして、わたしは『強制休暇』を取ることになったのだった。
……
……
……
そして今日、その休みの日。はちゃんと受付嬢さんの言葉に従い、一日ゆっくり休むことにした。
クエストを受けられない以上、街の中をぶらぶらしてみよう。
思えばここに来てから、仕事ばかりで街のことなんてほとんど知らなかった。だから今日は、城下をのんびり散策することにした。
普段通り過ぎるだけの通りも、心持ちを変えて歩くだけでまるで違って見える。街には冒険者向けの店だけでなく、飲食や娯楽、さらには玩具店や子供服の店まで立ち並び、老若男女、家族連れや恋人たちが楽しげに行き交っていた。
――この時代に、こんなにも平和で賑やかな空気があるなんて。
『フローラの街』は、冒険者の中心地であると同時に、安らぎのある街でもあったのだ。
自分のことばかり考えて、目の前の景色を見ていなかった。けれど……もし『あの件』が起きたら、この光景はどう変わってしまうのだろう。
街の店々を一通り見終え、気づけば東門の方へと歩いていた。農地を抜けると、休みの日でも働く農民の姿がぽつぽつと見える。俺は無意識にその農地を見渡し……そのまま南へ進むと、噂に聞いた『フローリア湖』へと辿り着いた。
受付嬢さんの話では、この湖の景色は素晴らしいという。せっかくだから確かめてみよう。道を歩くことしばし、ようやく視界に現れた湖は、本当に美しかった。
鏡のように静かな水面が陽光を映し、そよ風が頬をなでる。それだけで、心が癒されるような心地よさがあった。
――少しの間だけでも、何もかも忘れていられる。ここはそんな場所だった。
俺は湖畔を歩くことにした。どこまで行けるか試してみよう。
やがて、小さな林を抜けた先の浅瀬にたどり着く。
「ふう……ふふっ……」
誰かの笑い声?休暇で観光に来た冒険者だろうか、それとも家族連れの市民だろうか。
「えっ!?」
湖のほとり――そこにいたのは、たったひとりの少女だった。
浅瀬に立つその少女の赤い瞳が水面に映え、無邪気な笑顔を浮かべている。腰まで届く茶金色の髪が夕陽を受けて淡い光を放ち、濡れたスカートが脚に張りついて、動くたびにしなやかに揺れる。
――『アリシア』。
清らかで、美しく、この湖の景色と溶け合うような少女。
特に気配を消したわけでもないが、彼女はまるでわたしの存在に気づいていない様子だった。いや、むしろこの距離で止まって正解だろう。美少女を眺めるにも、節度は大事だ。
「ええっ?どうしたの?冒険者さん?この湖の水、冷たくて気持ちいいですよ?一緒に休憩しませんか?」
え、この子は、突然現れた見知らぬ人に対して、驚きも警戒もしていない。……君みたいな可愛い子は、もう少し警戒心を持とうよ!?
「いや、その……少しは気をつけた方がいいんじゃない? この辺り、人も少ないし、何が起こるか分からないよ?」
ここには俺たち以外誰もいないんだし、少なくとも見知らぬ男には警戒してもいいんじゃないか……
「ふふ、大丈夫ですよ。あなた、あたしに何もできないでしょう?」
舐められたな、これ。
「ほら、こっち来て〜」
彼女は軽やかに手を振って、まるでお茶会にでも誘うような口調で言う。
その仕草があまりにも自然で――思わず逆らえなくなる。
なんだろう、この感覚……。言う通りにしないと、何か大切なものを逃す気がして。
靴を脱いで足を浸してみると、湖の水は本当に冷たくて心地よかった。
「気持ちいいでしょ?」
「うん。」
「休憩って大事だよ!ちゃんと心の疲れも癒さないと、もっと頑張れなくなるんだからね。分かった?」
「……まあ、確かに。」
なんでまたこの子に説教されてるんだろう?彼女にはどこか不思議な雰囲気があって、まるで俺のことを全部見透かしているような気がする……まあ、俺が分かりやすいだけだろうけど。
「それで、君も農作業を抜け出してきたのか?」
俺は話題を振ってみた。
「……ふふっ。」
少女は笑って答えない。ふん、やはり女の子だな。
俺は静かにその時間を楽しんだ。柔らかな風、冷たい水、そして――隣にいる美しい少女。
こんな時間、俺には似合わないと分かっていても、この一瞬だけは、夢のように心地よかった。
ただ、彼女の濡れたワンピース越しに透ける姿を直視できなくて、視線の置き場には困ったけど……。
やがて日が傾き、少女は岸を離れようとした。沈みゆく空を見上げながら、俺は思わず声をかけた。
「もう帰るの? 送っていこうか? 君みたいな女の子、気をつけないと危ないよ?」
「え? そうなの? ふふっ、いいかもね。あはは……」
驚いたように笑った彼女は、やはり『安全』という概念に無頓着なようだった。
――そうか。俺は外から来た旅人。けれど彼女は、この街の住民。だからこそ、怖いものなんて何ひとつないのかもしれない。
……
道の途中、俺は無言のまま、ただ彼女の隣を歩いていた……。
それは単に──彼女の安全のため、というだけの理由だった。話しかけるなんて……やめておこう。
「ねぇ、冒険者さん。お仕事のほうは順調?」
話しかけてきた……。
そういえば、彼女はいつも俺のことを『冒険者さん』と呼んでいたな。やっぱり、覚えていたのか。
「……あ、あぁ。まあ、それなりに。どうかしたのか?」
「ふふっ、別に。ただ、いつもひとりで依頼を受けて、ボロボロになって帰ってくるのを見てるからさ。」
「そ、そうなのか?まあ……慣れてるから、大丈夫だ。」
たぶん、あの農地で見かけてたんだろうな。毎日のようにあそこを通って帰ってたから、見られててもおかしくはない。
「うーん……あなた、この街に友達いないでしょ?」
なっ!?まるで、細い針が心の奥に突き刺さるような感覚だった。
「そ、それは……まあ、いないけど!そんなストレートに言われると傷つくだろ!俺は友達を作るために『フローラ』へ来たわけじゃない!」
「えぇ〜?じゃあ、友達ができないからパーティー組めないってこと?」
「ち、違う!むしろ逆だ!」
「逆?」
「パーティーを組んだからこそ、友達ができなかったんだよ……!」
「ぷっ……ははははっ! 何それ? パーティー組んだら友達できなくなるとか、あなた性格悪すぎない?」
彼女は笑いながら言う。きっと冗談だと思ってるんだろう。でも──お前は俺の事情を知らないだけだ。
「かもな。」
「少なくとも、あたしはそう思わないけど?」
「それは、お前が何も知らないからだ。」
「ふふっ、そうかもね。でも今のところ、あたしの目には『悪い人』には見えないけど?」
……この子、遠慮がないというか、無自覚に人の痛いところ突いてくるな。まあ、でもこうして誰かと普通に話すのは、ギルドの受付嬢や装備屋のオヤジ以外じゃ久しぶりかもしれない。可愛い子に少しからかわれるくらい、別に悪くない。
「ところで、今どこに住んでるの?城東の宿とか?」
「うん……ああ。よくわかったな?」
「なんとなく? だって一番安い宿でしょ?」
「貧乏くさいって顔に書いてあるんだろうな、俺……。」
……まったく、どうしてそこまで当てられるんだ?でも、真面目にやってる中級冒険者たちと比べれば、確かに俺はみすぼらしい見た目だ。
「ち、違うの! そういう意味じゃないの! ご、ごめんなさい!」
謝るのかよ……。いや、悪気はなさそうだな。たぶん、ちょっと天然なんだ。
「……許して、もらえる?」
彼女は小さく腰をかがめ、上目づかいで俺を見上げた。……やばい、可愛すぎる。
「別に怒ってないよ。」
「よかったぁ……。あのね、ギルドには新人支援制度があるでしょ? もうちょっといい宿に泊まれると思うけど?」
「あるけど、俺は武器と装備しかもらってない。」
「どうして?」
「んー……タダで世話になりたくなかったんだ。」
──自分を追い詰める理由が欲しかった。誰かの施しを受け続けていたら、きっと『必死に戦う理由』が薄れてしまう。そうなれば『強くなる』道は遠のくだろう。
「ふーん? そっか。」
……この子、本当に勘が鋭いな。
そのあとも彼女はいろいろと話しかけてくれて、俺の街での生活のこととか、慣れてるかとか、いろいろ聞いてきた。
そして、街外れの農地のあたりで別れた。
アリシア──本当に、優しくて可愛い、いい子だった。
…
…
…
「注目! 緊急討伐依頼! 街郊外の森に出現した魔物群の討伐! 対象:大魔狼、Cランク! 数:三十以上! 参加人数制限なし……!」
「この依頼、俺が受ける!」
真っ先にその森へと駆けつけたが、驚いたことに、そこでは既に戦闘が始まっていた。
「そんな、馬鹿な……!?」
信じられない光景だった。その人物は、たった一人で、あの大魔狼を次から次へと造作もなくなぎ倒していたのだ。
──あの、『アリシア』という少女。




