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二、領主の令嬢

「注目! 緊急討伐依頼! 街郊外の森に出現した魔物群の討伐! 対象:大魔狼、Cランク! 数:三十以上! 参加人数制限なし……!」


迷宮探索から戻ってきた俺がギルドのホールに入ると、受付嬢が緊急討伐の告知をしていた。


──大魔狼の討伐だと!?


大魔狼デアウルフ』──あの“黒豺狼”の上位種。行動パターンは似ているが、それでも、過去に何体か倒した経験はある。しかも、ついこの前買った新しい両手剣がある……!


群れに囲まれさえしなければ、十分やれる!他の冒険者より先に討伐できれば、報酬も多くなる!緊急討伐の報酬は通常の倍──逃す手はない!!


……装備、よし! 道具、よし!体の調子も悪くない。体力ポーション一本飲めば十分だ!


「この依頼、俺が受ける!」


受付嬢にそう告げて、俺は飛び出した。目的はただ一つ──誰よりも早く現場に着いて、少しでも多く討伐して報酬を稼ぐ!


俺にとって“強くなる”とは、戦い続けることそのものだ。魔物と戦い、技を磨き、金を稼ぎ、より強い装備を手に入れる。それだけが、俺の唯一の道。


すでに何組かのパーティーが出発準備をしているのが見えた。ソロで動ける時間は、長くない。今のうちに稼げるだけ稼ぐ!


森の中へ入ると、すぐに“戦いの気配”を感じた。……誰かがもう先に戦っている!?くそっ、急がないと!


……な、なんだ!?


赤い閃光が木々の間を貫いた。魔法……?距離はある。だが急げ!


数分走って──たどり着いた戦場で、俺が見たのは……ひとり、たった一人で、大魔狼の群れと戦う少女だった。


我は呆然と立ち尽くした。


な、なんだこれは……!?あんな動き、人間業じゃないだろ……!?


その少女は、戦闘には到底不向きな真紅の礼装ドレスを纏いながらも、まるで舞を踊るような滑らかさで紅の長剣を振るっていた。――紅の刃はまるで意思を持つ炎のように魔物の群れを貫き、横薙ぎ、突き、あるいは足運びひとつ取っても、一切の無駄がない。何百、何千という鍛錬を重ねて磨かれた、完璧な剣技。少女がひと振りするたび、魔物が倒れていく。地には、すでに数十体もの死骸が転がっていた。


……強すぎる。完全に上級冒険者の領域じゃないか。だが、問題はそこじゃない──!!


俺は、自分の目を疑った。


戦っているその少女……雰囲気も佇まいもまるで違うけど、あの、陽光に輝くような茶金の髪……


『冒険者さんですか? お疲れさまです。 このトマト、さっき収穫したばかりなんです。甘味と酸味のバランスが絶妙な一級品ですよ。一つ、いかがですか?』


整った顔立ち……


『ええっ?どうしたの?冒険者さん?この湖の水、冷たくて気持ちいいですよ?一緒に休憩しませんか?』


そして、真紅の瞳……


『ふふ、大丈夫ですよ。あなた、あたしに何もできないでしょう?』



ま、まさか……まさかあの子!?


そうだ、街で何度か顔を合わせたあの『トマトの少女』──いや、『アリシア』じゃないか!?


な、なんで!?どうしてあんな剣技を……!?彼女、ただの農家の娘じゃなかったのか!?


胸の奥に、何とも言えない無力感が広がっていく。いや、今はそんなこと考えてる場合じゃない!!


「ちっ……冒険者さんですか? では、残りはお任せしますね。」


気づかれた!? 彼女は動きを止め、軽く息を整えるとそう言った。少し怒っているようにも聞こえたけれど……俺が邪魔をしたからか? それとも戦闘の緊張が解けたからか?


まあ、細かいことはいい。彼女が「任せる」と言うなら、遠慮する理由なんてない!


「了解っ!!」


俺は即座に武器を構え、全スキルを発動させて戦闘態勢に入る。


スキル──それは、幾度も死線をくぐり抜ける中で目覚める、身体の極限能力。この三ヶ月、命懸けの戦いを重ねて、ようやくいくつかの強化スキルを身につけた。


周囲を確認……残りの大魔狼は五体。複数同時に相手取るのは危険、まずは一体ずつ確実に仕留める!


「はあああああっ!!!」


咆哮とともに、大魔狼が角突進を仕掛けてくる!


上等だ、来い!! その動きはもう見切っている!!


「そこだっ!!!」


突進の瞬間、双剣で角を弾き飛ばし、そのまま流れるように『弧月斬』を発動!弧を描く刃が閃き、魔狼の首を一閃した。


「ぐ、ぐぅぅぅ……!」


「よしっ、一体目撃破! 残り四!!」


残りの群れが動く。二体が警戒を続け、二体が同時に飛びかかってきた!


「うおおっ!!」


一匹は牙で噛みつき、一匹は角突撃か!ても、大丈夫!


咄嗟に腕を盾にして咬撃を受け止める。牙が手甲を貫き、前腕にまで刺さる。鋭い痛み――だが、手甲がある分まだ耐えられる! 骨まではいってない!


「ぐっ……!」


噛みついたまま離れない……よし、そのままでいい!


「うおおおおっ!!」


全身の力で魔狼を右へ引き倒す――!


「ガゥッ!?」


そのまま、もう一匹の角突撃を噛みつかせた魔狼の身体で受け止める!

突き刺さった魔狼が呻き声を上げる。咬まれていた腕も、ようやく自由になった!


絡み合った二頭の魔物を振り払い、左手から溢れ出る血を無視して、両手剣を振り下ろした……


戦闘の最中、少女の視線を感じる。だが今は構っていられない。


残りの二匹が、すでに後方へ回り込もうとしている……!


……


……


……


歯を食いしばり必死に戦い、ダメージを受けながらも攻撃のチャンスを得ようとした。少し噛まれてしまったが、何とかぎりぎり達成できた。


「はぁ、はぁっ……終わり、か……?」


周囲を見回す。気配は、もうない。


「全部倒したみたいですね。……冒険者さん、ひどい怪我……血が、まだ止まってませんよ?」


「大丈夫。回復できる。『ロウ・ヒール』!」


回復魔法を唱えると、少女は少し安心したように息をついた。


「そう……よかった。あたしはあまり時間がないんです。よかったら、この素材の回収、手伝ってもらえませんか? もちろん、報酬はきちんと払います。」


「……あ、ああ。できるけど……あなた、もしかして……」


口に出しかけて、言葉を飲み込む。――A級、いやそれ以上の腕前。でも、あの“トマト少女”がこんな戦闘を……?


少女は唇に指をあて、静かに微笑んだ。……それは、「聞かないで」という合図だった。


……


……


……


素材を集め終えると、彼女は俺の渡した袋ごと、まるごと胸元に押し返してきた。


「あたしはもう行きますね。手伝ってくれて、ありがとう。……お礼に、明日もし時間があれば――夕食でもご一緒しませんか? その時に、報酬の話もしましょう。」


……


……


……


その十数分前。


街外れの森で異変を察知した一人の少女が、誰よりも早く駆け出していた。

――魔物の群れ。溢れ出たのは、『東の森』の迷宮から漏れたC級魔物『大魔狼』。


「二十……三十……四十……四十二匹。」


公会でもすぐに緊急討伐が出されるだろう。けれど、この数は……あの冒険者たちには少し荷が重いかもしれない。もし統率が取れなければ、犠牲は避けられない。


「……」


――第一陣の討伐隊が到着するまで……まだ少し時間がある。なら、ここはあたしが片付ける番ね。


「魔装解放──《紅刃》(クリムゾン‧ブレード)!」


その瞬間、少女の赤いドレスが眩く輝き、無数の破片となって空中に散り――やがて紅い破片が集まり、十数匹のコウモリの姿を形作った。


「殲滅しなさい。」


紅のコウモリたちは矢のように飛び出し、鮮血のような軌跡を描きながら魔物の群れへ突進する。その刃の翼が一閃するたびに、魔物たちは断ち裂かれ、悲鳴を上げる暇もなく倒れていく。


コウモリを自在に操りながら、少女自身もまた舞うように剣を振るい、迫る魔物を次々と斬り伏せていった。


わずか数分のうちに――数十体を相手取った死闘が、ほぼ終息を迎えようとしていた。


だが、その時。少女の動きがピタリと止まる。


「……え?」


――誰か、来る?


冒険者の気配!? どうしてもう!?第一陣の冒険者が到着するにはまだ早いはず……どこの無謀者よ!? 一人でこの魔狼の群れに突っ込むつもり!?


「まったく……こっちの方が早く片付くのに。――戻りなさい!」


その声に応じて、紅の蝙蝠たちは一斉に彼女のもとへ舞い戻り、再びドレスの形を取り戻した。


少女は長剣を構え直し、再び戦いの中へ――そして、駆けつけてきた冒険者と遭遇する。


「……冒険者さんですか? では、残りはお任せしますね。」





ギルドからの転送通知を受け、指定された場所へと向かう。『フロ―ラの街』の中心街を抜け、北西へ――喧騒の遠ざかる並木道を歩き続けた先に現れたのは、まさかの……大きな邸宅だった。


……えっ、邸宅? ど、どこの貴族の家!?


恐る恐る門の横にあったベルのようなものを揺らしてみる。


ちょっと触れただけなのに、チリィィン……と不思議な音が響く。大きくはないのに、妙に透き通って、耳に残る……これ、魔道具か!?


しばらくして、扉の向こうから一人の女性が現れた――完璧な身のこなしの、メイドだ。


「こんばんは。お客様、どのようなご用件でいらっしゃいましたか?」


ご、ご用件!? な、なんだその貴族邸宅みたいな言い方は!? いや、実際そうなんだけど!


「え、えっと……」


やばい、何を言えばいいんだ!?そもそも、なんで俺ここに来たんだっけ!? これ場所、合ってるのか!?


「お客様、どなたかにご用でしょうか?」


「は、はいっ! あのっ……その……えっと、『アリシア』って女の子を……探してるんですけど……たぶん、間違ってなければ……」


「かしこまりました。」


か、かしこまりました!? てことは……間違ってない!? マジでここなの!?


「こちらへどうぞ、お客様。」


「は、はいっ!」


案内されるまま屋敷に足を踏み入れる。通されたのは、豪華絢爛な大広間――そして、その奥の食堂。そこでようやく、彼女――『アリシア』が微笑みながら立っていた。


「ようこそいらっしゃいました、冒険者さん。わたくしは『アリシア‧エレナガード』。この領の領主の娘であり、現在は代理領主を務めています。」


……え?なんだって!?農家の娘でも、単なる高階冒険者でもない!?


まさか……結果的に領主の令嬢だったのか!?


ここでの領主──『エレナガード』伯爵の娘!?

なるほど、そういうことか!!だからか! あの姿勢、あの雰囲気、話し方と優雅な仕草、どう見ても平民の農家の娘には似合わないものだったからな!」


そ、そんな……どうりで!あの立ち居振る舞い、品のある口調、そしてどこか漂う気品……どう見ても普通の農家の娘じゃなかった!


……いや、待て!?じゃあなんで!? なんで毎日農地で働いてたんだよ!?


…ちょ、ちょっと待って!!!おかしいじゃないか!どうして彼女はよく農地で働いているんだ? 高貴な伯爵令嬢のはずじゃないのか? どうしてわざわざ農地であんな汗だくの仕事をして、しかもトマト哲学なんて口にしてるんだ!?


それに村人たちの態度も普通に優しくて、全然階級意識なんて感じられないじゃないか!どう見てもただの普通の農家の娘にしか見えない!


頭がその衝撃を受け入れられなくて、この数ヶ月間のことを思い返し始めた──農地で働く少女、灰だらけのエプロン、湖で遊んでいる時の無邪気な笑顔……これが目の前にいる、気品高く優雅に座っている令嬢と結びつかないんだ!?


まずい、もしかして俺、ちょっと失礼なことをしたのか!?貴族を冒涜した罪で追及されるんじゃないか!?


「どうかしましたか、冒険者さん? 何か、気になることでも?」


「い、いえっ! べ、別に! ちょっと……その、今までずっと農家の娘さんだと思ってたもので……!」


令嬢の目が少し真剣そうで、もしかして心配しているのか? 俺の態度が失礼だったのか? もしかして、うっかり貴族を怒らせて牢屋に入れられるんじゃないか? だめだ、疑いを晴らすために、すぐに自分の考えを簡単に打ち明けた。


「ふふっ、ああ、そのこと? あれは趣味なんです。耕作って、とても意義のあることですから。」


令嬢はどうやら安心したようだ。うーん…趣味が農業? 貴族の考え方って、どうやら俺たち一般の平民には理解できないものらしい。


「さて、まずは昨日の協力にお礼を。どうぞ、おかけください。お食事をしながらお話ししましょう。この紅茶、とっても香りがいいんですよ? それに、このメイン料理――新鮮なトマトを使ってるんです。はい、どうぞ遠慮なく召し上がって!」


「は、はいっ……!」


俺は緊張しながら席に着き、テーブルの上の料理を見つめた…まったく手をつけられない…心の中では、噂に聞いた『貴族の食事作法』を思い出していた…まずい、あれはどうすればいいんだ?下手にやったらまた貴族を怒らせるんじゃないか?


「そんなに緊張しないでくださいね。今日はあなたが客人です。楽しく食べてくれることが一番大事なんですよ。」


……や、優しい。でも、無理だよ……こんな状況で「楽しく」なんて……!


「どうぞ。」


メイド服の女性が、温かいタオルを差し出してくる。……え、これ何用!? 顔? 手? どっち!?


「お客様、それはお手拭きでございます。」


メイドさんですか? そういえば、人生で本物のメイドさんを見たのは初めてだ。鋭い視線と隙のない真っ直ぐな立ち姿が、敬意を感じさせる雰囲気を放っていた。


「ありがとう、ございます。」


貴族にはこんな習慣があるのだろうか? 礼儀として従わなければならないだろうか? 俺はその熱いタオルで手を拭きながら…ほんのり温かい感触が心地よく、タオル自体も…なんだか少し清々しい香りが漂っている? いい香りだ、これはアロマとかの香りなのか? なんだか全身がリラックスした気分だ。


「本当に気にせず。……あ、食器の使い方は外側から順に…いや、あなたの好きなように使ってくださいね。」


……あれ?

思ったより、全然怖くない。

むしろ、この伯爵令嬢……めちゃくちゃ優しい人なのかもしれない。


もしかして、考えすぎだったのかもしれない?領主の令嬢――いや、伯爵令嬢の態度は、本当に穏やかで優しい。もしかして、本当に彼女の言う通りにして大丈夫なのかも?……試してみようか。


「そ、それじゃ……遠慮なく、いただきます。」


震える手でナイフとフォークを取り、そっとひと口……。


――なっ!? こ、これは……!?


やっぱり、さすがは領主家の晩餐! もう「極上」という言葉しか出てこない……。どう違うのか説明できないけど、とにかくどの食材も「こんな味があったのか!?」って驚かされる。そう、それはまるで――まったく新しい世界の扉が開いたみたいな感覚だ!


「お口に合いましたか?」


「はい! すっごく美味しいです! 特にこの料理……トマトの、この……」


「そうっ! わかってくれるのね! このトマトはね――」


そこから、俺たちの会話が始まった。


話の流れで、彼女の個人的な好み――主にトマトへの深い愛情――を知ったほか、冒険者ギルドが領主家の支援で運営されていることもわかった。つまり、彼女が俺のことを知っていたのも当然というわけだ。農地で働くときに、迷宮帰りの俺を何度か見かけていたらしい。


「だから、あの日あなたがギルドの裏口から出てくるのを見たの。トマトを届けに行くんだと思ってたけど……違ったのね。」


「はい。トマトは慰労品で、その日は別件がありまして。」


「ふふっ、なるほどね。」


それからは、俺の最近の活躍を評価するような話や、形式的なお礼の言葉が続き――そして昨夜の魔狼討伐の件に話が及んだ。


「昨日の大魔狼討伐、本当に助かりました。改めてお礼を言わせてください。」


彼女の丁寧で上品な話し方は、まさに貴族の令嬢そのもの。以前に農地や町で出会ったときの砕けた印象とはまるで違っていて、今はどこか遠い存在のように感じられた。


「いやいや、俺が着いたときには、すでにほとんどの魔物が倒れてましたよ。どうやって……? あれ、C級の魔物が四十体くらいいたはずですが?」


「えっ? どうやってって? うーん……たまたまよ、たまたま! もう少し遅かったら、わたくしの方が倒れてたかも? あはは……。でもあなたが来てくれて本当に助かったわ!」


たまたま、なんてことあるか? ……まあ、彼女が言いたくないなら深く詮索するのはやめよう。冒険者の切り札は秘密にしておくものだし、相手はただの冒険者じゃない。領主の娘、いや――伯爵令嬢なのだから。


「それとね、昨日の大魔狼の報酬は全部あなたの分にしておいたわ。後でギルドで受け取って、装備を新調するといいわ。」


「えっ!? そ、そんな……!」


な、なんてことを!? 四十体分の魔晶石と素材……! 何か月分もの稼ぎになる額だぞ!?


「いいのよ。これは“前払い”ってことで。――明日から、あなたに『領主クエスト』を転送させてもらうわ。」


『領主クエスト』? そんな任務、聞いたこともないんだけど!?


「わたくしに力を貸してくれる?」


まさか、領主の娘――『アリシア』が、こんなにも親しみやすく、そして柔らかい笑みで頼んでくるなんて。


……そして、俺は『領主クエスト』を受け入れることになった。



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