7話 『レオ』と『ギル』、お付きのテッド
彼らと初めて会ったのは、一年と数か月前。レオディーナが七歳になって数日後のことだった。
「神々の祝福がありますように」
略式の祈りを口にしながら、炊き出しの列に並んだ人々にパンとスープを配る神官やそれを手伝う信者たち。その中の一人に黒い髪の少年がいた。
レオディーナより一つか二つ年上に見える、黒い髪にこの世界でも珍しい金色の瞳をした美少年。彼はどこか退屈そうに周りの人々に倣って平坦な口調で祈りを口にし、パンを渡していく。
望んでやっているのではなく、親に言われて仕方なく神殿の仕事を手伝っているのだろう。
「あの……」
「神々の祝福がありますように」
「ちょっといいかい? あんたにこの手紙を渡すよう言われたんだけど」
その黒髪の少年に小さく畳んだ紙を差し出した人物。それが少年に変装しているレオディーナだった。
「手紙だって?」
幼い顔に胡乱気な表情を浮かべる少年。彼に聞き返され。レオディーナは後ろめたさから思わず一歩後ろに下がった。
「そ、そう、手紙だよ。言っておくけど、俺は何も知らないよ。文字とか読めないし、変なおっさんに銅貨と一緒に渡されただけだから」
そう、後ろめたかった。何故なら、彼女はその手紙に書かれていることを見てしまったから。
彼女に手紙を渡した怪しい男は、スラムの子供が文字を読めるわけがないと思っていたのだろう。封もせず、むき出しの状態で手紙を彼女に渡した。しかし、当時のレオディーナは既に文字の読み書きを習得していた。
手紙には、これを受け取る相手に対してだろう罵詈雑言が紙面いっぱいに書かれていた。聞くに……いや、読むに堪えない内容で、しかも何故か凝ったデザインで文字が配置されている。まるで悪趣味な絵だ。
それを見た瞬間、レオディーナは吐き気を覚えその激しさのあまり倒れるかと思った。怪しい男が彼女からさっさと離れたことを幸いに、ありったけの回復魔法を自分にかけた。それでも体調が完全に回復しなかったので、『この体調不良を治すための魔法』をその場で編み出し、唱えなければならなかったほどだ。
そんな気持ちの悪い呪物のような手紙だったので、子供に渡すのは気が引けたのだ。
「それで、この手紙を渡したら銀貨がもらえるって言われたんだけど……」
それなのに手紙を黒髪の少年に渡そうとしているのは、金目当てだからだ。彼女は当時、焦っていた。
祖母が亡くなったから。
前触れは何もなかった。ピンピンコロリというやつだろう。祖母はまだ五十代という若さだったことを除けば。
まともな医療を受けられないスラムでは、長生きした方かもしれない。しかし、前世の記憶を――現代日本での生活を思い出したレオディーナにはとてもそうは思えなかった。
それに、レオディーナは祖母に母と同じように回復魔法をかけていた。この頃すでに、彼女は生活に必要な魔法を編み出しており、食べられる雑草やキノコも安定して収穫できるようになっていたのだ。
つまり、スラムで出来ることは全て行っていた。なのに、祖母は死んでしまった。
だから、一日でも早くここから出ていかないと。普通の住宅街に引っ越して普通の生活をしないと、母まで死んでしまう。
焦燥にかられたレオディーナは、普段は耳を貸さないような怪しい男の誘いに乗ってしまったのだ。
「……ちょっとこっちへ来い」
黒髪の少年は険しい目つきでレオディーナにそう言うと、周囲にいたほかの子供に担当を代わってもらった。そして彼女についてくるよう手招きする。
「だけど、この手紙は――」
「いいから見せろ」
銀貨は欲しいけど、何の恨みもない子供にこんな呪物を見せていいものか。そう躊躇うレオディーナから、黒髪の少年は手紙を奪い取った。その背後には、白い髪の柔和そうな顔つきの少年がいつの間にか立っていた。
「これはっ!」
「ずいぶんデザイン性のある罵詈雑言ですね。坊ちゃん、何かわかりますか?」
「ああ、多分――だが――」
「それは脅しにしても――この子は――」
奪い取った手紙を広げて、声を潜めて囁き合う二人。特に黒髪の少年は険しくはなくなったが、胡乱気な視線をレオディーナに向けている。
「あのさ、俺はそろそろパンとスープを貰って帰っていいかな? 銀貨は……もらえたら嬉しいけど、その様子じゃ難しそうだし」
それで怖気づいた彼女は、二人から距離を取って逃げに入った。遅ればせながら、二人が大人を呼んだら拙いことになるのではないかと不安になったのだ。
しかし、何故か二人に大人を呼ぶ様子はなかった。何故だろう? もし自分が彼らの立場で、怪しい手紙を渡されたらすぐに大人に助けを求めるのに。
(いやいや、そんなこと考えている場合じゃない。この隙に逃げ――)
「おい、銀貨はくれてやる」
「えっ、本当?」
不意に少年の口から飛び出した言葉に、思わず声を弾ませて立ち止まるレオディーナ。
「ああ。それにこの手紙をお前に渡した奴の事を教えてくれたら、もう一枚銀貨をやるぞ。どうだ?」
「もう一枚? つまり、二枚もくれるの!?」
百グリン銀貨が二枚で、二百グリン。当時のレオディーナにとってかなりの大金だ。
「分かったっ。でもちょっと待って、顔を見たのは一瞬なんだ。何とか思い出すからさ。うーん、うーんっ!」
銀貨二枚に目の色を変えたレオディーナは、魔法を使うことにした。両手で頭を抱えて唸り、思い出そうとしている演技をしながら少年達に背を向ける。
「うーん……『想起』」
そして、口の中で呪文を唱え記憶を思い出す『想起』の魔法を自分にかける。
人間は意外と過去の出来事を記憶している。ただ、自力では思い出せないだけだ。それを魔法で思い出せるようにするのが、この『想起』である。前世の記憶を思い出したレオディーナがその記憶を忘れないため、そしてより詳細に思い出すために編み出した魔法だ。
「えーっと、あのおっさんは……」
レオディーナは、鮮明に思い出せるようになった怪しい男の特徴を少年達に問われるままに答えた。顔にあった黒子の数と位置まで詳細に。
「念のために聞くが、似顔絵に出来るか?」
「いや、それはちょっと。絵なんて描いたことないから、どうせ手掛かりにはならないと思うよ」
「似顔絵での出来次第でさらに銀貨をくれてやる」
「分かったっ! 紙とペンを貸してっ。あ、それと描いているところを見られると緊張するから、後ろ向いててっ!」
銀貨に目が眩んだレオディーナは、白髪の少年がすっと取り出した紙とペンを受け取る。そして少年たちが素直に後ろを向くと、『転写』の魔法を素早く唱えた。
(お祖母ちゃんの絵みたいカラーじゃなくて、白黒で!)
とっさに加えたアドリブも上手く働き、レオディーナの記憶にある怪しい男の姿が紙に印刷される。あとは、しばらく絵を描いている演技をしてから「描けたよ!」と言ってそれを差し出した。
「……描いたことがないわりに上手いじゃないか」
「あはは、生まれつき器用なんだよ。それより銀貨はもらえるのかい?」
「手を出せ」
やったっ! そう喜んで手を出すと、黒髪の少年はなんとその手首を掴んでレオディーナを引き寄せた。
「いいか、このことは黙っていろ。それと、一週間後の今頃にまたここに来い。お前に頼みたい事がある」
頼みごとをする人間の態度じゃないが、驚いて目を丸くしているレオディーナにそれを指摘する余裕はない。
「わ、分かった。分かったから放してくれよ、痛いって」
「いいだろう。似顔絵と口止め料、それに手付金だ」
納得した黒髪の少年は、彼女の銀貨を五枚握らせると手を離した。
「こんなに!? やったっ」
最初に期待していた五倍の報酬に、レオディーナの胸は躍った。落とさないよう、それと他の大人に目を付けられないよう服の内側に作ってあるポケットに大事にしまい込む。
「お前、名前は?」
「レ、レオ。そういう坊ちゃんは?」
「俺は――」
「彼はギル。僕は彼の友人のテッドです」
浮かれて思わず本名を答えそうになったが、無事に偽名を名乗ったレオディーナ。対して、聞き返された黒髪の少年の代わりに白髪の少年、テッドが彼の言葉を遮って答えた。
テッドはともかく、ギルというのは明らかに偽名だった。それに、二人がただの友人ではないのは挙動を見れば明らかだ。
「ギル坊ちゃんとテッドだね。じゃあ、一週間後にまた来るよ」
それがレオディーナ、ギルとそのお付きのテッドとの出会いだった。その後彼女は、度々二人から妙な仕事を依頼されるようになる。
ギルが持ってきた菓子に妙な物が入っていないか調べたり、「なくした大事な物がどこにあるのか、占え」と要求されたり。スラム暮らしの少年に頼む仕事ではない気がしたが、レオディーナが断ろうとするたびにギルは銀貨をチラつかせてくる。そのため、ついつい引き受けてしまった。
そして、そのたびに隠れて魔法を唱えて達成して報酬を受け受け取る。
「余り物だ。やる」
ついでに飴や焼き菓子もくれるので、レオディーナはすっかりギルに餌付けされていた。それが去年の夏の終わり頃まで続き、その年の秋の始め頃。アルベルトがナタリーを迎えに来て、彼女はスラム街から去った。
そして現在。真冬の深夜の寒さにも負けず、ギルはテッドを連れて待ち合わせ場所にいた。
「ま、待った?」
ギルはレオディーナに答えず、無言のまま彼女に詰め寄ると左右の肩を掴んだ。
「な、なに? 別に何も隠してないよ?」
驚くレオディーナに構わず、ギルは彼女の肩から腕、胴体、脚とボディーチェックでもしているかのように手で何かを確かめていく。
さらには顎を両手で掴んで目を覗き込む。顎クイではなく顎ガシだ。
助けを求めてテッドに視線を向けると、彼は首を横に振ってため息を吐いた。「諦めろ」ということらしい。
(いや、ギル坊ちゃんを止めてよ! 帽子が、帽子が脱げる!)
髪や肌の色は『変色』の魔法が解けない限り問題ないが、帽子がずれたら髪の長さがばれてしまう。
「よし、異常は無いな」
しかし、ギルは帽子には触れず、激しく揺さぶるようなこともせずにレオディーナを解放した。お陰で髪の長さは無事に隠し通せた。
「ふう……異常ってどういうこと?」
「痣や怪我を隠していないか、ちゃんと食事をとれているか確かめてやったんだ。
お前は前からチビで痩せっぽちだからな。健康そうに見えたとテッドから聞いていたが、俺自身が確かめるまで納得できなかった」
「いや、なんで俺の健康状態をギル坊ちゃんが気にするんだよ? それとチビは余計だい」
「俺が何を気にしようが、俺の勝手だ」
ふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向くギルの背後で、テッドが再びため息を吐いた。
「この前、坊ちゃんが心配していたと言ったでしょう? 僕が報告した後も、あなたが虐待されているんじゃないかと不安だったそうです」
「虐待って、なんでそうなるんだ?」
話が飛躍している。訳が分からないと目を瞬かせると、ギルはそっぽを向いたまま答えた。
「養子にした魔力を持つ孤児を逆らえないように虐待して、搾取する。よくある話らしい。
お前がそんな目に遭っていないか気になっただけだ」
「そうなんだ。って、魔力って何のことだい? 俺はそんなもの持ってないよ」
「嘘はつかなくていい。お前が魔法を使えることは、初めて会った時から分かっていた」
「……マジで?」
そうギルに言われ、思わずテッドに聞き返す。すると、彼はため息を履いた時の表情のまま頷いた。
「僕は初めて会ったときは気づきませんでしたけどね。あなたみたいなスラムの子供が魔法を使えるわけがないと、思い込んでいたので」
「地味にひどい」
「はい、当時の僕は視野の狭いバカな子供でした。すみません」
「うん、いいよ。でも、それじゃあ気が付いたのはギル坊ちゃんだったんだ。どうして?」
「魔法を使えるのはお前やテッドだけじゃない。俺は、他人の魔力を感知する魔法が使えるんだ」
ギルはそう得意気に告白した。
初めて会った時、レオディーナの様子が変だったので念のためにその魔法を使っていたそうだ。
「それじゃあ、銀貨で釣って俺に変なおっさんの特徴を聞いたり似顔絵を描かせたりしたのは、魔法を使わせるため?」
「それだけじゃない。あの手紙をお前に渡した奴の手掛かりが欲しかったのは、事実だ。まあ、途中からお前の方が重要になったが。
たった銀貨一枚でいうことを聞かせられる便利な奴、お前以外にはいないからな」
「だから坊ちゃんがくれる仕事は妙なのばっかりだったのか」
あの仕事は、レオディーナが魔法を使えること前提だったのだ。そう考えると納得がいく。ただ、ギルの魔法は魔力を感知するだけで、使っている魔法を見抜くことは出来ないようだ。
その証拠に、レオディーナが肌、そして髪や瞳の色を変えていることに彼は気が付いていないようだ。
(それに、あたしが『レオ少年』じゃなくて女だってことはばれてないみたい)
そっちの嘘は見破られていないようだと、そう内心安堵する。
(あれ? でも、あたしが女だってことまで隠す必要はもうないんじゃない?)
そしてふとそう思った。彼女が性別を偽っていたのは、安全のためだ。スラムに限らず、一人で外を出歩く際に少女より少年の方が危険は少ない。それに、変装していた方が万が一魔法を使える事がばれた時に逃げやすい。
だが、今やレオディーナの置かれている環境は変わった。
相変わらず本名は隠さなければならないし、両親の素性も話せない。しかし、ギルとテッドには魔法が使える事はもうばれている。なら、性別だけなら明かしても構わないはずだ。
(いつまでも隠しておけるもんじゃないしね。うん、ばれる前に自分から打ち明けよう)
そうレオディーナが考えている間に、不意にギルが懐から紙袋に入った何かを取りだした。
「レオ、その妙な仕事だ。この飴に何が仕込まれているか調べられないか?」
「坊ちゃん、また毒でも仕込まれたの?」
「毒じゃない、魔法薬だ。毒と違って無味無臭、調べても薬師では分からない。俺の魔法で飴に魔力が混じっているのは分かるが、どんな効果があるのかまでは分からない」
以前も、レオディーナはギルから彼が持ってきた菓子を調べるよう依頼されたことがあった。
「もう毒見する演技はしなくていいですからね」
「分かってるって」
その時は臭いを嗅ぎ、菓子を削って採取した僅かな粉を舐める演技をしたが、今回は素直に魔法を使う。
「毒と言えば毒かな? 酒に近いかも。少しなら気分が盛り上がるけど、食べ過ぎると眠くなるか気分が悪くなると思う」
「そうか、つまり毒だな。クソ、これだから女は」
魔法で調べて分かったことを聞いたギルの言葉に、思わずレオディーナは硬直した。
「特に貴族の夫人や令嬢、それに関わっている奴は信用できない。この菓子を出した奴は、俺に笑顔で『娘の手作りです』とのたまったんだぞ」
「それは、大変だったね」
半年ほど会わない間に、ギルはすっかり女性不信になってしまっていた。いや、もしかしたら以前菓子を調べるよう言われた時から、そうだったのかもしれない。
「あなたと会っていない間に、坊ちゃんを取り巻く環境も大きく変わりました。詳しくは話せませんが、とある貴族の跡取り候補になったんです。それで……色々トラブルが起こりまして」
「トラブルは前からあったけどな。嫌がらせをする動機が変化して、そこに俺に取り入ろうとする奴が加わっただけだ」
テッドの説明にギルがさらにそう被せる。貴族社会の洗礼を受けて、よほど不満が溜まっているようだ。
「このあたりで暮らす事になったのなら、お前も貴族の女に関わることもあるだろう。その時は気を付けろよ。
あいつら、淑女教育とやらで感情を顔に出さないよう教え込まされている。優し気に微笑んでいても、腹の底では何を考えているか分からない」
「うん、そうするよ」
そう力説するギルに、まさかその淑女教育をしばらく前から受けているなんて言えない。レオディーナは強張った表情のまま頷いた。
「坊ちゃん、あなたもこれから同じことを習うんですよ。貴族ならそのあたりは男女共通ですから。レオも、あまり気にしないでください」
テッドはそう言ったが、やはり自分が女であることを打ち明ける気にはなれなかった。
(とりあえず、打ち明けるにしても今じゃない。ギル坊ちゃんの女性不信が落ち着くまで待とう)
そう思いなおしたレオディーナに、毒入り菓子をしまったギルは別の紙袋を取り出して渡した。
「報酬の銀貨と菓子だ。菓子の方は、もう必要ないかもしれないが」
「いやいや、ありがたく頂くよ。毎度あり」
旧貴族街に引っ越して生活レベルは格段に上昇したが、それはそれ。人から貰える菓子は美味しいものだ。
「そうか。お前は俺より年上のくせに、相変わらずチビで痩せっぽちだからな。しっかり食べろ」
「ギル坊ちゃんって俺より年下だったの? 俺、まだ八歳だけど」
「何!? お前、俺の一つ下じゃないか。てっきり年上だと……」
「驚きました。じゃあ。初めて会ったときは七歳ですか。その時には文字が読めていたなんて」
「あ、それもばれてたんだ」
結局何も打ち明けられなかったが、お互いの環境が大きく変わったこと。そして年齢だけは分かった。そんな再会だった。
もし面白いなと思っていただけたら、ブクマや評価、いいねで応援していただけたら幸いです。よろしくお願いいたします。