6話 サステナブルなビジネスを求める隠し子
スラム街での日々に比べると、レオディーナは格段に安定した生活を送れるようになった。しかし、結局前世の知識を活かしてチートは出来ていないと彼女は思っていた。
(パパと非公式愛人のママとの間に出来た隠し子のあたしが、目立つわけにはいかないもんね。
それにこの国の食文化は、当初想定していたものより進んでいた)
ラドグリン王国の食文化は、レオディーナが前世を過ごした地球で例えるとヨーロッパ、欧州に近かった。
マドレーヌやフィナンシェ、プティングが存在し、クレープやガレットも屋台やカフェで売られている。ホイップクリームでデコレーションされたケーキもある。
基本は紅茶文化だが、コーヒーも外国から輸入されているらしい。
調味料としてはマヨネーズも存在しているし、主食はパンが中心だがパスタもある。そして、ややマイナーな扱いだが米もある。品種は日本で食べられていたのとは異なるが、炒め物として食べられているそうだ。
(今の環境だと、美味しいものが食べられるから助かるけどね。パパ、本当にありがとう。
他にも色々あるんだろうな~。世界はあたしが思っているよりずっと広かった)
スラム街での生活では分からなかったことが、ここでは分かった。だが、この家も王都のほんの一部。そしてレオディーナは自由に行動することが出来ない。
この世界には地球には無かった魔法がある。調べればまだまだ地球に存在したのと同じものが、もしくは地球以上のものがあるはずだ。
(とりあえず、しばらくは勉強に専念かな。そもそも、このまま稼げるようになって生活が安定したら『知識チート』なんてしなくても別に構わないかも。メアリーが作ってくれるご飯、美味しいし)
ラドグリン王国の王都の四季の変化は、大陸中央の内陸に位置しているため穏やかだ。しかし、やはり秋は実りの季節であり、作付出来る作物の種類は限られる。
「魔法とは何でもありですな」
アルベルトの秘書や従者のように振舞う、彼の『友人』パウルは芽を出したトウモロコシに目にしてそう述べた。
「何でもって程じゃないわ。魔力の消費が激しいし、少しでもケチると味も触感もスカスカになるし」
そのトウモロコシを種から『成長促進』させながら、レオディーナはそう答えた。
「消費が激しいというと、どの程度ですか?」
「ん~、今の感覚だとトウモロコシの種十数個に『成長促進』をかけて、収穫できるまで育てたらその日は疲れちゃうかな。魔力を使い切るつもりなら、五十本ぐらいいけるかも」
「なるほど。トウモロコシ以外だと?」
「そうだな~。スラムで育てていた雑草やキノコは、今だと百以上いけるかな? パウルさんに種を貰った他の野菜はトウモロコシと同じくらい。果樹だと一本なら実を付けるまで行けると思う。
螺旋訓練法のおかげで、だいぶ魔力が増えたから」
バンクレット先生から教わった螺旋訓練法を始めて約一か月、やっと集中している間は常に維持できるようになったばかりだ。しかし、既に目覚ましい効果が出ていた。レオディーナの魔力は彼女が以前行っていた我流の訓練の何倍ものペースで増えている。
今の彼女の魔力量は、体感だがスラムで暮らしていた時の三割増しになっていた。
「それは魔力が増えたからだけで? 経験による慣れは関係ありませんか?」
「慣れも関係あると思うけど、それより魔力の扱い方……制御力が付いたおかげだと思う。これも先生が教えてくれた螺旋訓練法のおかげだよ」
体内の魔力を循環させ続ける螺旋訓練法は、魔力の制御力も鍛えることが出来る。
(今になって思い返すと、前のあたしの魔法って無駄が多かったのね。植木鉢に水をやるのに、いちいち水を満杯にしたバケツを振り回していたような感じ)
それが今では、必要な魔力を必要なだけ消費して魔法を発動できるようになった。レオディーナの魔法は以前とは別物のように洗練されていた。
「それ以外だと、成長させる作物が本来収穫できるまでにかかる期間と必要な栄養が関係していると思う。これまでの経験から考えると、必要な期間が長くて栄養が必要な作物程魔力が必要になるみたい」
レオディーナが栽培している食べられる雑草は、普通の作物と比べて収穫までにかかる期間が短く必要とする栄養も少ない。菌床栽培のキノコは、必要な栄養を補わなくていい。
逆に、果樹は種から育てると果実を収穫できるまで何年もかかる。
彼女の『成長促進』は、期間や栄養を魔力で補う魔法なので必要な分に比例して魔力がかかるようだ。
「果樹の場合でも、一度実を付けるまで成長させた後は魔力の消費量も抑えられるけど」
「他に注意する点はありますか?」
「他かぁ……芋みたいな根菜は植える前に土を耕しておかないといけないとか、栽培に必要な環境は整えておかないとダメとか」
(この世界にあるかは分からないけど、マツタケの場合は魔法をかける前に生きている松の根に菌を植えつけないといけない、とか)
そう考えていると、丁度パウルも彼女が地下に作ったキノコの栽培場にも興味を持ったようだった。
「ここはお嬢様が魔法をかけなくてもキノコの栽培が可能なのですか?」
「この地下室の環境、気温や湿度を維持できれば可能だと思う」
「なるほど。では植物以外、例えば家畜を急成長させることは可能ですか?」
「試したことないけど、無理だと思う。植物と違って動くし、必要なものが多いから。卵の孵化を速めるぐらいなら出来ると思うけど」
卵なら孵化するまでに必要な栄養は既にあるし、大きくは動かない。同じ理由で虫の蛹を羽化させることも可能だろう。
「そうなると……ふむ……ふむ……」
レオディーナの答えを手帳に書き留めながら、パウルはしばらく考え込んでいる様子だった。そして不意に顔を上げると、彼女に尋ねた。
「お嬢様、ビジネスにご興味は?」
「あるわ。長く、定期的に収入が得られる持続可能なビジネスなら特に」
レオディーナの返事にパウルはニヤリと笑う。そして二人はがっしりと握手を交わした。
(今のあたし達の生活は、パパに頼りきっている。普通の家庭ならそれでいいけど、あたし達は普通じゃないから不安がある)
スラムでの暮らしに比べればはるかに安定した生活だが、もしアルベルトの本妻が愛人とその隠し子の存在を知ったら。もし、アルベルトに対して早々に離婚と慰謝料を求めてきたら。そんな不安が拭えない。
この家も家財も、全てアルベルトが金を出している。本妻に離婚を迫られたら、きっと出ていかなくてはならなくなる。そうなったら、レオディーナとナタリーは身一つでスラムに逆戻りになりかねない。しかも、アルベルトを加えた三人で。
そうならなくても、結局アルベルトは時が来れば本妻と離婚する。レオディーナは父の置かれている状況を正確には知らないが、彼が離婚前と同じ収入額を維持できるか不安がある。
なので、早いうちに収入源を確保しておくに越したことはない。
「では、具体的な事はアルベルト様とも相談して決めましょう」
「あたしが準備しておくことってある?」
「当面はお勉強、特に魔法に励んでください」
「うん、分かった」
その日の夕食の席で、「欲しいものがあるなら、パパに遠慮なく言いなさい」というアルベルトに上記の説明をして理解してもらえた。
「伝手のある弁護士の先生にも相談して、ディーナに不利にならない形で話を進めよう。それにしても私の天使は逞しいな」
「ありがとう、パパ」
「魔法を使うお仕事になるそうだけど、無茶をしちゃだめよ」
「うん。気を付けるわね、ママ」
それからパウルはレオディーナに何度か種子や苗を持ち込み、急成長を依頼した。
「取引先が、この花をどうしても今夜開くパーティーで使いたいそうでして。球根ですが問題ありませんか?」
「うん、大丈夫だと思う」
「その次の仕事ですが、三日後にこの果樹の種を急成長させて果物を収穫したいのですが」
「収穫できるまで何年かかる木なの? それと原産地の環境は?」
「五年です。原産地は南の方で、乾期と雨季があるとか」
「それなら、キノコとは逆に高めの気温を維持する結界を張ればいいかな。うん、やってみる」
「お願いします。では、三日後に実を引き取りに行きます」
またある時は、パウルが個人的に実験のために種子や苗を持ち込むこともあった。
「こちらの種を収穫できるまで急成長させてみてください」
「いいけど、何の種なの?」
「香辛料や香草です。天然物と魔法で急成長させたものでは、香りや風味に違いがないか調べたいのです。後日、お茶の木もお願いします」
「了解。ところで、薬草とかはやらないの?」
「薬草の売買は薬師ギルドを通さなければならないので、私に旨味が少ないのです」
「そうなんだ」
既得権益の壁はパウルにとっても低くなかった。
「私が薬師ギルドに一噛み出来るようになったら、その時にお願いします」
その実験の結果はまちまちだった。問題なく収穫できた作物や果物もあれば、花が咲かなかったり咲いても収穫までいかなかったりしたものもあった。
「私の情報が間違っていて、適した気温や湿度が特定できなかったからでしょうか?」
「う~ん、土の問題もあるかも、後は……受粉が難しいのかな? 急成長させたから時間が足りなかったか、受粉を助ける虫がいなかったからか」
「残念な結果でしたが、『今はまだ収穫できない』ことが分かれば十分依頼達成です。あとは、収穫物と輸入品の出来を比べてみましょう」
そうした依頼を達成するたびに、レオディーナはパウルから報酬を受け取った。その額は彼女にとってはかなりの高額で、貯金は瞬く間にスラムで暮らしていた時の数倍に達した。
「こんなにもらっていいの? あたし、まだ八歳の子供なんだけど?」
「ギルドに無登録の魔法使いへの個人依頼の相場としては、こんなものです。お嬢様がプロの魔道士になったら、この十倍以上稼げるようになるでしょう」
「十倍……あたし、プロの魔道士になる!」
レオディーナの夢が決まった瞬間だった。
「ところで、魔法使いと魔道士って何が違うの? 呼び方?」
「それはギュスタン氏に聞くべきでは? ですが、たしか一般的には魔法使いは『魔法が使える人』を指し、魔道士は『魔法の研究実践を行う専門家』という意味で使われるはずです」
しかしパウルが持ち込むのは今のところどれも単発の仕事で、レオディーナが希望する持続可能な収入源にはなりえないものだった。それについて尋ねると、「来年の春ごろまでお待ちください」ということだった。
そして冬になるとアルベルトは仕事が忙しくなり、レオディーナたちの暮らす家に帰ってくる頻度は一週間に一度ほどになった。
「次の休みに三人で出かけないか?」
だが、それで最も寂しい思いをしていたのはレオディーナやナタリーではなく、アルベルト自身だったらしい。真冬のある日、そんなことを言い出した。
「いいの? 私とディーナの存在は秘密なんでしょう?」
「ディーナの魔法で変装すればきっと大丈夫だ」
「そっか。でもあたしの魔法は『変色』で、髪と瞳、あと肌の色を変えるだけよ。顔そのものは変えられないから、気を付けてね」
「なに、色が変えられるなら十分別人になれるさ。そうだ、どんな色でも自由に変えられるのかい?」
「ううん。あたしは銀髪青瞳で白い肌にしか変えられないから、ママとパパにかけた場合も選べないと思う」
『変色』を人に使う場合、変えられる色は限られていた。今までディーナ自身にしかかけたことがないので推測だが、体質によって決まっているのだろう。
「そうか。なら、服でも変装していこう。普通の平民の家族のふりをして、ディーナは男装もしてもらえるかな?」
「いいよ。じゃあ、男装している間はディーナじゃなくてレオって呼んでね」
そうして家族三人での初めての外出はレオディーナにとって楽しいものだった。
『変色』でナタリーは栗毛に翡翠色の瞳の白い肌に、アルベルトは肌の色は変わらず金髪碧眼に変わり、着ているものも普通の冬服。『レオ』と一緒に歩く姿は、少年とその両親に見えただろう。
そして劇場で庶民向けの短い演目を観劇し、やはり庶民向けの定食屋で食事を楽しんだ。
(前世も含めて観劇は初めてだったけど、意外と楽しめるものね。定食屋も、家で食べるのとは雰囲気が違って面白かった。たまにはいい……あれ?)
ふと違和感を覚えたレオディーナがポケットを探ると、そこに小さな紙片が入れられていた。
「レオ、どうしたの?」
「ううん、何でもない」
紙片をポケットに戻したレオディーナは、ナタリーにその事を黙ったまま家に帰った。そして、夜になると再び男装してこっそり家を抜け出す。
「よっ、久しぶり、テッド。半年ぶりくらい?」
そして紙片に書かれていた待ち合わせの場所にいた少年に声をかけた。
「七か月ぶりですよ、驚きました、てっきり死んだと思っていたあなたを町で偶然見かけたときは」
背の高い十歳ぐらいの、白い髪で細い目つきの少年は安堵した様子で笑みを浮かべた。
彼の名はテッド。レオディーナがスラムからの移住を目標に男装して小銭を稼いでいた頃、偶然知り合ったギル坊ちゃんのお付きの少年だ。
「死んだって、縁起でもないなぁ」
「スラム暮らしの子供が姿を消したら、だいたいそういうものです」
「それもそっか」
レオディーナは魔法のおかげで飢えることはなかったが、スラムでの子供の死亡率は高い。そして遺体が放置され、誰なのか分からいまま処理……埋葬されるのは日常茶飯事。テッドの言うことはもっともだった。
「お互いに連絡先を教えなかったことが仇になりましたね」
「あはは、もしかして心配してくれたとか?」
「ええ、坊ちゃんがかなり」
「仕事出来なかったもんね。ごめん、ごめん」
「いや、そういう訳では……まあ、いいです」
テッドの返事を社交辞令だと受け取ったレオディーナは、続く彼の様子を見て首を傾げた。彼女は彼らとの関係は――特にテッド達にとって――仕事上だけのドライなものだと考えていた。
おそらく貴族のギル坊ちゃんとそのお付きのテッドに、スラムで暮らす『レオ少年』。住む世界が違い過ぎる両者は、『レオ少年』が便利屋として使えるからという理由だけで繋がっている。だから、友情のようなものを感じて親しみを覚えているのは自分だけだと思っていた。
ギル坊ちゃんがよく菓子をくれるのも、餌付けに近い感覚で行っているのだと思った。
もしかして、そうでもなかったりするのだろうか?
「それで、スラムで暮らしていたはずのあなたが何故旧貴族街に? あの二人はあなたのご両親ですか?」
まさか本気で心配してくれたのかと聞き返す前に、テッドは事情の説明を求めてきた。
「あ、うん。実はね――」
なので、レオディーナはここに来るまでに考えていたカバーストーリー、それらしい嘘をついた。
母が今の義父に見初められ、結婚することになった。そして、義父が住み込みで働いている家に母と引っ越したのだと。
「俺も知ったのは引っ越し当日でさ、だから伝言も残せなかったんだよ」
母や義父の詳しい素性や、義父の雇い主の名前などは話さない。ギル坊ちゃんとテッドもレオディーナに素性を秘密にしているので、お互い様だ。
「……」
話を聞いている間、テッドはレオディーナを見つめていた。それこそ穴が開きそうなほどに。もしかして見抜かれたかと、彼女は内心冷や汗をかいた。
(男装するのは久しぶりだし、礼儀作法を習ったから前と挙動が変わっちゃったのかも)
「…………そうでしたか」
しかし、テッドは結局そう納得したように頷いた。
(よかった、信じてくれたのか、追及しないことにしたのかは分からないけど。前者なら、あたしがボロを出さなければいいだけ)
推定貴族の少年とそのお付きとは言え、レオディーナから見ると二人の立場はそう強くない。少なくとも、親に雇われている大人を動かす力はない。
そうでなければ態々『レオ少年』に何度も依頼しないし、こうして深夜にテッド自身が接触してくることはない。
だから、『レオ少年』やその両親について調査する大人はいない。
「それで、そっちの事情は教えてくれるの?」
「詳しくは言えませんが、僕とギル坊ちゃんもこの旧貴族街で暮らしています。ご近所さんって程じゃありませんが」
それはレオディーナも同じことだ。彼女にテッド、そしてギル坊ちゃんの素性を調べる力は無い。アルベルトやパウルに彼らの事を話せば可能だろうが、そこまでする気はなかった。
(あたしに秘密があるのにテッド達の秘密を探り出そうとするのは卑怯な気がするし、パパたちに調べてもらってギル坊ちゃんたちに迷惑が掛かったら嫌だし。
まあ、何かあったときに連絡が取れないのは不便だけど)
「でも、連絡方法は決めておきましょう」
そして、不便だと思っているのはテッドも同様だったようだ。彼はおもむろにフェンスの隙間に手を差し入れると、近くに植えられている木の幹に触れて呪文を唱える。そう、テッドも魔法が使えるのだ。
木の幹が歪み、小さな穴が出来る。しかし、すぐに消えて戻ってしまう。
「合言葉を言った時だけ、この木の幹に穴が開きます。用があるときはこの中に伝言を残すので、何日かに一度、確認してください。僕もそうします。
合言葉は僕とギル坊ちゃん、ついでにあなたの名前です」
「分かった。にしても、相変わらず便利な魔法だよな」
木を即席のメッセージボックスに出来る魔法なんてと、レオディーナは感心していた。彼女もテッドと同じ魔法が使えないか試しているのだが、今まで成功したことはなかった。
幹を歪め、穴を開けたままにするだけなら出来たのだが。
「たいしたものじゃありませんよ。では、またそのうち」
「うん、そのうち」
そう言ってテッドとの再会はあっさり終わった。そのあと、スラムを脱出してパウルから仕事も受けている今、ギル坊ちゃんから仕事を受ける必要はないことに気が付いた。
(でもまあ、別に仕事を断る理由が無かったらやってもいいかな)
だが、結局彼女は次の日の深夜には家を抜け出して伝言がないか確認していた。
(あ、伝言だ。ええっと……三日後にギル坊ちゃんが会いに来る? 直接? しかも『絶対来い』なんて書いてある。なんで?)
そしてギル坊ちゃんとの再会も決まったことにも、戸惑いはしたけれど悪い気はしなかった。
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