3話 取り上げられない財産をおねだりする隠し子
アトリがナタリーとレオディーナに打ち明けたのは、衝撃の真実だった。
「ナタリー、私の本名はアルベルト。アトリは、偽名だ。そして、私は君と出会った時にはもう結婚していた。黙っていてすまない」
罪悪感を滲ませた顔のアトリ……いや、アルベルト。ナタリーは自身の手をそんな彼の手に重ねた。
「アトリ……実はそんな気がしていたの。この人には奥さんがいるんだろうなって」
「ナタリー、私を許してくれるのか?」
「許すも許さないもないわ。あなたは私達を迎えに来てくれたじゃない。それで十分よ」
「ナタリーっ!」
広くない馬車の中で寄り添う両親を見ながら、レオディーナは思った。
(つまりあたしって不倫の末に生まれた娘、パパの奥さんから見ると隠し子か。そんな可能性もあるかなとは思っていたけど、いざ現実になるとちょっとショックかな?)
レオディーナは、ナタリーから実の父親について何も知らされていなかった。アトリという偽名も、ついさっき知ったばかりだ。
しかし、彼女なりに父親について思いを巡らせていた。父が母の客の一人だったのは確実。スラム暮らしの母が働く店に一定期間通い、後に姿を見せなくなった男。その時点で、色々な意味で期待していなかった。
「いつか迎えに来てくれる」と心の内では父の事を信じているらしい母に、その思いを口にすることは無かったが。
(でも、別にいいか)
そして、レオディーナはこの時点ではアトリ……アルベルトを責めるつもりにはなれなかった。
前世なら父の所業はとんでもないが、ここは現代日本ではない。そして、ラドグリン王国では一夫多妻が認められていた。王侯貴族だけでなく、平民でも正妻以外に第二夫人や側室、妾を持つ事が出来る。実際には平民が複数の妻を囲う例は殆どなく、王侯貴族でも配偶者は正妻ただ一人である場合も少なくない。だが、法的に禁じられてはいない。
何より、アルベルトは母を迎えに現れて自分を娘だと認めた。ナタリーも言ったが、レオディーナにとってもそれで十分だ。――今のところは。
(今後のママとあたしの扱い次第かな。正妻さんには悪いと思うけど。
ところで、その正妻さんについて今聞くのは拙いかな?)
レオディーナがそう思っていることを察した訳ではないだろうが、アルベルトが再び口を開いた。
「すまない、まだ悪い報せがある。ナタリー、君を第二夫人として公に迎えることも、レオディーナを娘として認知する事も今の私にはできない」
一夫多妻制が認められているが、それは正妻が他の妻を認めている場合だ。アルベルトの正妻がナタリーを認める旨を記した書類を提出できなければ、彼女もレオディーナも王国の法的には何の権利も持たない。ただの愛人とその娘でしかない。
もしアルベルトの身になにかあったとしても、二人には彼の財産を相続する権利は無い。そうなれば彼の正妻に追い出されても文句を言えない立場だ。
(あ、やっぱり)
とはいえ、アルベルトが既婚者だった事を知った時点でそれくらいは想定内だった。
(パパが着てきた服も、馬車も高そうだし。ママに身一つで来てくれなんて、お金が無いと言えないよね。
そんなお金を持っているなら、パパって結構いいところの人だよね。貴族かその家臣、そうでないにしても大きな商家のお偉いさんとか。そんな立場の人がママを第二夫人に迎えるのは、簡単じゃないよね)
ナタリーは曾祖父母が残した言葉が正しければ血筋は元貴族だが、今は平民。しかも、スラム街の娼婦である。平民でも妻として迎えるには躊躇う経歴だ。
アルベルトの正妻や身内がそんなナタリーを第二夫人として迎えるのを拒絶するのは、十分あり得る。
「出来れば今すぐ妻と離婚して、君と正式に結婚したい。だが、それが出来るまで何年もかかってしまう。君達には苦労をさせてしまうが……」
「心配しないで、アトリ。私はあなたとレオディーナさえいれば、いくらでも待てるわ。それに、私が妻としてあなたを支えるには力不足なのは事実だもの」
「そんなことはないっ! 君と再会する約束があったから、私はこれまでやってこられた! 君と出会っていなければ、今頃私は生きていられなかった!」
(ううん、居辛い。ママとパパの仲が良いのは嬉しいけど……)
両親の熱々っぷりを間近で見せられているレオディーナは、居心地の悪さに内心唸っていた。目を逸らしたいが、自分達に関する事を話しているので聞かないわけにいかない。
「せめて、君達が安心して暮らせる家を用意した。今、そこに向かっている。
だが、レオディーナには、まだしばらく不自由をさせてしまうだろう。すまない」
「パパ、それってどういう――」
『アルベルト様、着きました』
馬車がゆっくりと止まり、御者台からパウルが目的地に到着したことを告げた。
馬車が停まったのは、レオディーナの目には豪邸にしか見えない立派な屋敷ばかりが立ち並ぶ場所だった。
夕日の赤い光に照らされた高級住宅に、レオディーナもナタリーも言葉を失って見とれる。同じ王都の内にあるのに、スラム街とは別世界のようだ。
「ここは旧貴族街と呼ばれる地区です」
貴族達の屋敷が集まる地域でも、古い屋敷が立ち並ぶ地区のことらしい。伯爵以上の上級貴族は何十年も前に貴族街に移っている。今主に暮らしているのは子爵以下の下級貴族や、商人や貴族の家臣等裕福な平民だ。しかし、空き家になっている屋敷も多いらしい。
アルベルトはそんな空き家の一つをナタリーのために秘かに購入し、家具や日用品を揃えたのだとパウルは説明した。
「ナタリー様とお嬢様には今夜からここで暮らしていただきます。あまり、大きな家はご用意できず、申し訳ありません」
「十分大きくて広いと思うけど……?」
ナタリーの感想に、レオディーナは何度も頷いた。
「庭も入れると、あたし達が暮らしていたバラックが二ダース以上余裕で建てられそう」
「裏庭もあるので、四ダースは建てられるでしょう」
「わぁ、すごい」
「すごいわねぇ」
「もっとも、長らく空き家だった物件を購入したため、裏庭は荒れ放題ですが。後日業者に依頼して整えさせる予定です」
「二人とも、中を案内するよ。パウル、馬車を頼む」
すごいとしか言えなくなったレオディーナとナタリーを連れて、アルベルトが家の門まで生きノッカーを叩く。
「おかえりなさいませ、旦那様」
すると、内側から扉が開き壮年の女性が現れた。
「彼女はメアリー。パウルが手配してくれた使用人だ。ゆくゆくはもう何人か増員する予定だが、ひとまずは彼女が君たちの世話をしてくれる」
「よろしくお願いいたします、奥様」
メアリーは平坦な口調だが慇懃に一礼し……戸惑った様子でレオディーナに視線を向けた。
「ナタリーよ。この子はレオディーナ。娘共々お世話になります」
「そうでしたか。よろしくお願いいたします、お嬢様」
「こちらこそよろしくお願いします」
そう礼を返しながら、レオディーナは馬車でアルベルトが言ったことを察した。
(パパたち、ママに娘がいるって今日初めて気づいたんだ)
詳しい事情は後日知ったが……アルベルトはナタリーを探し出してほしいとだけパウルに依頼した。
アルベルトの抱えている事情から、出来るだけ秘密裏に動く必要がある。そこで彼は、自分が動かせる直属の部下にナタリーを探させることにした。
幸い、混沌としたスラムでもこの国で珍しい褐色の肌を持つナタリーを探し出すのは、そう難しいことではなかった。パウルの部下も、数日で彼女を探し出し暮らしているバラックを突き止めることに成功した。
だが、その調査の過程でパウルの部下はレオディーナの存在を見落とした。ナタリーの発見があまりに早く、パウルから報告を急かされていたため調査にあまり時間をかけなかったためだ。
それに、レオディーナのスラムでの活動範囲も限られていた。外に出るのは朝の水汲みや、中年女性たちから習い事をするときぐらい。それ以外は魔法で髪や瞳、肌の色まで変えて男装した『レオ』として出入りしている。
プロの調査員ではないパウルの部下が見過ごしても無理はない。
そのため、実の父のアルベルトはナタリーに娘がいることを知らないまま彼女を迎えに来た。もちろん、購入した家のリフォームや家財の購入、使用人の手配を行ったパウルもそうだ。
だから、アルベルトが用意した家の中にはレオディーナのための物は一切無かった。
家そのものは、十分すぎるものだった。二階建てで、スラムのバラック一棟丸ごとよりも広い部屋がいくつもあり、厨房や洗濯室には魔導オーブンやコンロ、洗濯機や乾燥機などの魔法が付与されたマジックアイテム……魔道具が導入されている。何より、前世の記憶があるレオディーナにとって嬉しいことに、浴室がある。
スラムでも『清潔』の魔法のおかげで衛生的には問題なく暮らしていたが、やはり湯船に入りたかった。
「アトリ、ありがとう。こんなに素敵な部屋や服、アクセサリーまで揃えてくれて本当にうれしいわ。まるでお姫様になったみたいよ」
そしてナタリーのために用意された部屋には平均的な収入の平民では手が出せない物が揃えられていた。
上質なベッドと寝具。大きな鏡が備え付けられた化粧台に、書き物をするための机。柔らかな敷物。品の良い花瓶等のインテリア。
クローゼットには既製品ではあるが何十着ものドレスやワンピースが納められている。ネックレスやブローチ等の装飾品だけでなく、下着類や手袋等も揃っていた。下級貴族の夫人や令嬢並みの充実度だ。
「でも――」
しかし、ナタリーが浮かない顔つきをしているのは、愛娘のレオディーナの部屋も何もないことだった。空き部屋はあるのだが、本当に何もない。もちろん、彼女が使う衣類も何も用意されていない。
ナタリーには「身一つで来てくれ」と言ったアルベルトが、レオディーナには身支度をするように指示したのはこのためだった。
「すまない、レオディーナ。すぐに君のための部屋や服を用意する」
「ええ、このパウルにお任せください。お嬢様の望むものをできる限り調達してみせます」
自分の機嫌を取ろうとするアルベルトとパウルに、レオディーナは気にしないでと頷いた。
「大丈夫よ、パパ、パウルさん。ちゃんと着替えは持ってきたし、しばらくはママと一緒に寝るから。いいよね、ママ?」
「ええ、ずっと一緒のベッドでもいいわよ。ふふ、昨日までそうだったんだし」
「寝る時間は別々だったけどね」
レオディーナはそう母と笑い合うと、あからさまにほっとした様子のアルベルトに視線を戻す。そして母直伝の上目遣いでお願いしてみた。
「その代わりにパパ、お願いが二つあるの」
「パパに任せなさい、レオディーナ。パパがなんでも手に入れてやるぞ」
部屋を準備できなかった罪悪感もあるのだろうが、レオディーナのおねだりはアルベルトに効果覿面だった。
さっそく親バカになりつつあるアルベルトの背後で、「この人大丈夫か?」とパウルが胡乱気な目つきをしている。しかし、彼が心配するようなものを強請るつもりはレオディーナにはなかった。
「この家の裏庭をあたしの自由にさせてほしいの」
「裏庭を? それは構わないが、どうするんだ?」
「畑にしたいの! スラムでしていたみたいに、食べられる草やキノコを魔法で育てたいのよ」
「畑!? 魔法で!?」
想定外のお願いをされたアルベルトは目を丸くすると、思わずナタリーを見る。
「そうよ、ディーナが魔法で育てる野菜やキノコはとっても美味しいの」
「魔法で育てられるのか、野菜やキノコが。そう言えば、スラムから出るときに事を言っていたが、それか」
「そうした魔法は、御伽噺の中にしか存在しないと思っていました」
味を思いうかべているのか、幸せそうに微笑むナタリーを見ても二人は半信半疑といった様子だった。しかし、前言を翻すような事はしなかった。
「分かった。庭師に頼むのは表だけにしよう。裏庭はディーナの好きにしなさい。ただ、あまり目立たないようにな」
「うん、ちゃんと魔法で結界を張るわ」
「結界も張れるのか……私と君の娘はもう立派な魔法使いだな」
アルベルトの視線が遠くなる。想定外の事が続いたせいで、現実から逃避してしまったようだ。
「アルベルト様」
「そ、そうだ。もう一つのお願いはなんだい?」
パウルに名を呼ばれて我に返ったアルベルトが尋ねると、レオディーナは二つ目の彼らが想定していなかったお願いを口にした。
「お勉強がしたいの。魔法もだけど、歴史や法律、あと外国の言葉にも挑戦してみたいわ」
予定よりずっと早くスラムから脱出できたが、勉強を止める理由にはならない。
今の立場は何の権利も持たない愛人と隠し子だ。頼りはアルベルトの愛情だけ。なら、得られるうちに父の正妻が取り上げられない財産……知識や技術が欲しい。
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