21話 子爵夫婦の内緒話
その日、仕事から戻ったコルネオ・ラング子爵は、執事長のクレッツェンからピッタリア商会からやって来た魔導士達についての報告を受けた。
「バンクレット・ギュスタンと弟子の少女か。そのギュスタン氏がプラベリーを種から木にしたのか? 錬金術であの鉢を魔道具にして」
屋敷に入るまでの間に、コルネオは三本のプラベリーの若木を見ていた。専門家程の知識は無いが、彼も魔法使いの端くれだ。
「一日でそれを成し遂げるとは、大した魔道士だ」
そのコルネオの目には、自分の留守中に行われた魔道士の仕事は一流のものに見えた。しかも植物の生育に気候だけでなく土の性質まで関係していることに気づき、それも魔法で変化させるとは。少なくとも、彼の知識には無い魔法だ。
ケチをつけるとすれば、鉢植えに刻んだ魔法式の荒さぐらいしかない。
(本職の魔道士の知識と技術は計り知れないものだな。それとも、ギュスタン氏個人の見識か? 今まで無名だったことが信じ難い。いや、そう言えば最近聞いた覚えがあるな。あれは何だったか……)
コルネオが思い出そうと顎に手を当てて考え込んでいると、はっと閃いた。
「そうだ。ルーセント辺境伯家の子息のなんといったかな……ともかく、宮廷魔導士のヒルゼン殿の推薦で教師陣に加わった魔道士だ」
普段なら、いかに家格の高い大貴族家に関することでも、家庭教師のことまで話題にあがることはない。だが、ラドグリン王国の最北端を守るルーセント辺境伯家は、先代から現在に至るまで色々ある家だ。
それに合わせて、推薦されたのがそれまで無名の魔道士だったことが社交界の注目を集めた。
王都に各地の領主が集まる社交シーズンはまだ始まったばかりなので、バンクレットに関する話題はこれからも社交界をにぎわすだろう。
「家庭教師としてだけでなく魔法の実践でも確かな腕を持っているとは。大貴族の家臣や大商会の専属でもおかしくない。ピッタリア商会は良い縁に恵まれているな」
これは今後も取引を継続した方が得だなと、コルネオは今後もピッタリア商会を利用することを決めた。
「それが旦那様、魔法を使ったのは弟子の少女の方でございまして」
しかし、クレッツェンから想像していたのとは別のことを告げられ「なんだと?」と聞き返した。
「ギュスタン氏ではなく、彼の弟子が? 鉢に錬金術を施し、種を若木に成長させたのか? それも三つとも」
「はい、その通りでございます」
「お前が嘘を言っているとは思わないが……信じ難い。弟子の少女は、どれくらいの年齢だ? 少女と言うからには十代前半か?」
「つい先日九歳の誕生日を迎えたそうです」
「……クレッツェン、今は冗談をいうタイミングではないぞ」
「旦那様、誓って真実でございます」
錬金術を習得し、珍しい植物を急成長させる魔法を操る。ついでに、気温や湿度を維持する結界に土の性質を変化させる魔法も。
それらの技術に加えて、連続で魔法を行使することを可能にする魔力量。とても九歳になったばかりの子供のものとは思えない。
「奥様も一部始終を見ておりました。仕事を終えたギュスタン氏と弟子の少女をお茶に誘い、歓待しておられました」
「それはずいぶんと気に入ったようだな。分かった。あとはルクレツィアから詳しく話を聞こう。彼女は?」
「広間でハンニバル坊ちゃんと一緒に旦那様をお待ちです」
「分かった」
貴族の屋敷としてはそう広くない我が家をコルネオが進むと、クレッツェンの言った通り広間のソファに腰掛け、息子を抱いている妻の姿があった。
「お帰りなさい、あなた。でもハンニバルはもう眠ってしまったわよ」
「ただいま、ルクレツィア。なに、この天使のような寝顔を君と見られるだけで私は満足だよ」
可愛い息子の寝顔を眺め、家族の時間を過ごす。その後、ナニーメイド……子守り担当の使用人に息子を預けたルクレツィアとコルネオは、遅めの夕食を摂るために食堂へ足を運んだ。
「良いニュースと悪いニュース、そして面白いニュースがあるのだけど、どちらから聞きたい?」
その席でルクレツィアは楽しそうにそう切り出した。話題の魔道士とその弟子とのお茶で、よほど興味深い話を聞けたのだろう。
「ふむ? では悪いニュースから聞こうか」
「悪いニュースはね、夕食のデザートに料理長が用意していたあなたの好物のパイが無いことよ。魔道士さん達のお土産にしてしまったの。代わりに、プラベリーを用意してもらったわ」
「おや、そんなに魔道士殿達が気に入ったのか。では、良いニュースはそれかな?」
「ええ、そうなの。ギュスタン氏のお弟子さんのレオディーナ嬢は、優秀な魔道士でとても良い子だったのよ。可愛くて素直で、礼儀正しくて」
ルクレツィアは、レオディーナの魔法の腕だけでなく言動や性格を評価していた。
「九歳、それも学び始めてから約一年なのにマナーはまずまず。もうお茶会になら出られるわね。何を考えているのか分かりやすいけど、その分愛嬌があって可愛らしいわ」
レオディーナは自覚していなかったが、彼女は何を考えているのか見ていて分かりやすかった。
何を考えているか知られたくない時は、あいまいな微笑を浮かべる。だが、簡単に綻びる。
何か考えているときは、視線が上の方に逸れる。
喜怒哀楽の内、喜……口にした紅茶やお菓子が美味しかった時や、魔法の話をしていると瞳は輝き頬が緩む。
「オルフェ伯爵領で始まったキノコの栽培事業にも関わっているそうよ。今度栽培場に足を運ぶときは遊びに来てと誘ったから、来年にはあなたも同席して頂戴」
「分かった。君がそんなに気に入った魔道士少女がどんな子か、私も興味がある。来年と言わず、社交シーズン中に会えないか口実を作ってみよう」
「そうね、そうしたほうが良いわ」
「ん? 少し気になる言い回しだが……もしかして、『面白いニュース』に関係あるのかね?」
「ええ、そうなの。レオディーナ嬢は、アルベルト・オルフェ伯爵の隠し子よ」
「ほう、それは――なんだって!?」
驚きのあまりコルネオが手から落としたフォークが食器に当たり、ガチャンと音を立てた。
「レオディーナ嬢は、アルベルト・オルフェ伯爵の隠し子よ」
もう一度同じことを、とても楽しそうに繰り返したルクレツィアにコルネオは目を見開き……数秒押し黙った。
「君が彼女を『嬢』をつけて呼ぶから妙だとは思っていたが……そういうことか。しかし、確証はあるのかい? よほど顔が似ているとか、本人やギュスタン氏がそう告白したとか」
そして再び口を開いた時にはもう落ち着いていた。
「いいえ。容姿はアルベルト様にはあまり似ていないわ。小柄で可愛らしい顔つきの、赤毛に褐色の肌の女の子よ。共通点は紫色の瞳ぐらいね。
それに、母親については答えてくれたけど父親については、はぐらかされたわ」
「なら――」
「でも、アルベルト様の色のリボンをしていたわ。ブラウンと紫の。それにあなたの武勇伝を知っていたのよ。スタンプラビットを討伐した話を、父から聞いたんですって」
「なるほど」
あの話は、息子の誕生日パーティー以外でも聞かれれば積極的に語っていた。だから、アルベルト以外も知っている者は多い。
しかし、あの時のアルベルトの反応……コルネオが一人娘のはずのルナリア嬢の名前を出した時に、見せた顔付き。それが彼にルクレツィアの話が真実だと確信させた。
「以前から気にはなっていた。アルベルト殿が個人的な事業で稼いだ金は何処に行っているのかと。そうか、愛人と隠し子のために使っていたのか」
「一緒に暮らし始めたのは一年ぐらい前からだと思うわ。それ以前は母親と二人で暮らしていたみたい。ギュスタン氏に弟子入りしたのも、去年からだって」
「それも聞き出したのか。まあ、あの乞食伯爵が亡くなる前は思うように動けなかったのだろうな。妻の葬儀すら出さなかった輩が、入り婿の個人事業に金を出すはずがない」
「フフ、カタリナ様もお気の毒に」
コルネオが口にした乞食伯爵とは、前オルフェ伯爵のクラハドールに付けられた蔑称だ。そしてルクレツィアは口ではそう言うが、顔は「いい気味ね」と笑っている。
人の不幸は蜜の味で、ゴシップは娯楽の一つだ。それはこの世界でも変わらない。しかし、それ以上に前オルフェ伯爵のクラハドールとその一人娘のカタリナは、ラング子爵家を始めとした周辺の領主達から嫌われ侮蔑されていた。
その理由は明白だ。クラハドールが伯爵家を継いでから、彼は自領が災害や自軍で対応できない魔物に襲われるたび、周囲の領主達に援助を求めてきた。だが、逆に周囲の領主達に援助を求められてもそれには一切応じなかった。
援助への礼も、応じられなかった詫びも、全くしなかった。
先代が側近や将兵ごと討ち死にしてしまい、新伯爵も大変なのだろう。
庶子だったのに突然伯爵になったので、貴族の常識に疎いのだ。傾いた財政の立て直しに追われているのだ。
最初はコルネオの父や他の領主達もそう擁護していた。それは、先代以前のオルフェ伯爵家が寄り親として、周辺の小領主達寄子の世話を見てきたからだ。しかし、同じことが何度も続くと限界を迎えた。
『あの無能の乞食伯爵め! よいか、コルネオ!? 今後オルフェ伯爵家を寄親とは思うな!』
そう父が激高した姿をコルネオは今も覚えている。コルネオもおかしいとは思っていた。
度々自然災害には見舞われているが、伯爵領全体で見れば被害はどれも小規模。それからの復旧にかかる費用も、かつての寄子に乞食のような真似をしてまで抑えている。何より、領都を始めとした街はほぼ無傷だ。他にも出費を極限まで削っておいて、何十年経ってもオルフェ伯爵家の窮状が変わらないのは妙としか言えない。
仮にそこまでオルフェ伯爵家の財政の傾き具合が絶望的だったら、王国政府もクラハドールにそのまま継がせるようなことはしなかったはずだ。一旦王国直轄地にして負債を整理してから、改めて彼かその子息に爵位を与えて復活させる形をとっただろう。
もしくは、素直に潰すかだ。
もちろん、「無い袖は振れない」だろう。しかし領主である以上、領地を維持するために必要なら袖がないなら借りてくる……借金も必要だ。
その後、ラング子爵家はオルフェ伯爵の元寄子達と連名で王国政府に抗議文を提出した。「クラハドール・オルフェの領主としての資質に疑問在り」と。しかし、事態は改善されなかった。
そうしてオルフェ伯爵家との間に起きる諸問題や、子爵でありながら周囲の男爵達に対して寄り親の役割を負うことになり増えた苦労、さらに時世の悪さも相まってコルネオの婚期は遅れた。そのお陰で、たまたま出席したパーティーでルクレツィアと知り合ったのだが……感謝する気にはなれない。
「しかし、あのアルベルト殿がな。以前から強かな人物だとは思っていたが……」
そうコルネオは感心するように言った。今でも亡き前伯爵やその一人娘の伯爵夫人を嫌っている彼が、アルベルトに対してだけ対応を変え良好な関係を築いてきた。
それはアルベルトが入り婿であることや、同情や哀れみもあるが、彼が貴族としての礼節……常識を守っているからだ。
「正妻に無断で愛人を囲い、隠し子を作るとはアルベルト殿もやらかしたな」
とはいえ、この点は擁護できない。非難されるべきなのは間違いない。次に会ったら苦言を呈さなければならないだろう。
「そうね。褒められたことではないわ。同じ女として、母として、カタリナ様のことが心配だわ」
だが、それ以上のことをするつもりはラング子爵夫妻には無い。アルベルトがしたのは不貞だが、王国の法律に反していない。伯爵家の財産を使い込んでいるなら横領だが、全て自身の金で愛人と隠し子を養っているなら問題ない。
そしてアルベルトを糾弾する理由も夫妻には無い。
秘密裏に愛人を囲い、私生児を作っていたのを咎め訴える権利を持つのは夫人のカタリナで、伯爵家の家臣達だ。寄子寄親の関係でもなく、アルベルト以外と付き合いのないラング子爵家にとっては他人事。口出しするのは野暮というものだ。
そもそも、確証はあるが動かぬ証拠があるわけではない。それでアルベルトを非難するのは、誹謗中傷に等しい。
「それよりレオディーナ嬢についてだが、アルベルト殿との親子仲はどうなのかな?」
「とても良いみたいね。親密なのが伝わって来たわ」
二人の関心はすぐに推定アルベルトの隠し子である、レオディーナに移っていた。
「そうか。ルクレツィア、やはり君が勧める通り私も近いうちに是非レオディーナ嬢と顔を合わせておくことにしよう。アルベルト殿が遠回しに彼女を紹介したのは、何らかの根回しに違いない。自分の目で彼女を確認しておきたい」
「なら、アルベルト様に何を企んでいるのかも探りを入れておくべきじゃないかしら。協力をするかはともかく、全く知らないままと言うのは落ち着かないわ」
カタリナと有利な条件で離婚するために証言してほしいのなら、構わない。今後のアルベルト、そしてレオディーナとの付き合いを考えればプラスだ。
カタリナからは恨みを買うだろうが、自領から出てこない彼女を敵に回しても何も怖くない。
「そうだな。アルベルト殿とは同じパーティーに出席する予定がある。レオディーナ嬢には……ギュスタン氏に将来息子の家庭教師を依頼したいと、ピッタリア商会に話を持ち込んでみるか」
だが、もしアルベルトがオルフェ伯爵家の乗っ取り等の犯罪を企んでいるのなら危険だ。何も知らないまま手を貸してしまったら、家の存続にかかわる。
「それが良いわ。
それでカタリナ様の方だけど――証拠の無い話を手紙に残すのは問題よね。誤解だったら取り返しがつかないもの。会う機会があったら、それとなく伝えてみることにするわ」
そんな機会は無い。カタリナはパーティーやお茶会に出席しないし、催しもしないのだから。
「それぐらいが丁度いいだろう。デリケートな問題だから」
それが分かっていてクスクスと笑う妻に、頷くコルネオ。ちなみに、二人の脳裏にアルベルトのもう一人の娘で伯爵家の正当な血筋を受け継ぐルナリアの存在は浮かばなかった。
話したことも、顔を見たこともない。名前しか知らない少女。社交界においてルナリアは、存在していないも同然だったからだ。
カタリナは、金をかけてまで味方を作る必要はないとでも考えているのだろう。しかし、彼女は勘違いをしている。味方ではない者は、中立というわけではない。
自分達の損得や感情によって、簡単に敵側につく。何故なら、カタリナとルナリアの味方ではないのだから。
「アトリが伯爵家の家臣の方の入り婿? 伯爵ってあれよね? 国王陛下に直接上奏できる上位貴族よね?
どどどうしましょう、ディーナ。伯爵が殺し屋を雇って送り込んでくるかもしれないわっ」
ラング子爵邸から帰ったレオディーナに、キノコ栽培場がある領地を治めているのが、そしてアルベルトの正妻が関係する貴族がオルフェ伯爵だと知らされたナタリーは、真っ青になった。
「だ、大丈夫だよ。きっとそこまでしないよね?」
「ううむ、普通はしない……いや、出来ないと思うが」
声を震わす母を宥める途中で自分も不安になったのか、レオディーナはバンクレットにそう尋ねた。しかし、彼も確かなことは言えなかった。
「だが、パウル殿から警備の傭兵も派遣されている。そう不安にならなくても平気だと思うが」
「もしもの時は、アトリを連れて三人で外国に逃げましょう!」
「よし、レオディーナ嬢。警備用の結界を張るのだ。以前出来ると言っていたあれを」
大の上以上の魔力量を持つ天才をみすみす外国にやるなんて、国家的損失だ。そうでなくても、有望な弟子を手放すのは嫌だった。
「もう張ってるわ。侵入者が結界内に入ったら警報を鳴らす結界とか。でも、攻性結界も張り巡らせたほうが良いかな?」
「ほう、その攻性結界というのはどのような魔法なのかね?」
「触れた相手を跳ね返す結界だよ。あまり強く張ったことないけど、今なら馬車に突っ込まれても吹っ飛ばせると思う」
「止めておきなさい。侵入者がどうなろうが知ったことではないが、近所の壁を破ったら大問題になる」
バンクレットのお陰で近所に侵入者製の挽肉がぶちまけられる事態は、未然に防がれた。
そして結局、すでに張ってある警報付きの結界だけにしておくということで落ち着いた。
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