19話 隠し子の九才の誕生日
「ああ、毎夜のように君をこの腕に抱きしめる事を夢見てきたっ! これも夢ならば消えないでくれ、愛しい人よ!」
「私も空を見るたびにあなたの事を想っていたわ。でも寂しくなかった、私が見上げるこの空の元に、あなたもいるのだから」
「玄関ホールでやる分、春よりは進歩しましたか。それに奥方のあのセリフは、古典の引用ですか」
「うん、勉強熱心でしょ」
すっかり秋になったある日、帰って来たアルベルトは再会したナタリーと家の玄関ホールで情熱的な抱擁を交わしていた。それを眺めるパウルは、横で同じく見守っているレオディーナに視線を向ける。
「古典恋愛文学も読めるようになるとは、確かに大きな進歩ですが……アルベルト様の天使であるお嬢様は行かなくていいので?」
「タイミングを待ってるの」
そう彼女が言った数秒後、アルベルトが両腕を広げて「ディーナっ!」と彼女を愛称で呼んだ。
「パパっ、おかえり!」
その途端、アルベルトの胸に飛び込んでいくレオディーナ。
「なるほど、タイミングですか」
その後ろ姿を見送るパウルは、そう納得して頷いた。
レオディーナがガラテアの呪いを解いてから、一週間。手紙によると、彼女を呪った犯人はまだ大きな動きは見せていないようだ。
犯行がばれることはないと高を括っているのか、呪いが解かれたと気づいていないのかもしれない。
ガラテアの体調はあのグレンと言う魔道士の『快方』という回復魔法の効果もあって、文字通り快方に向かっているそうだ。
彼女がまた呪われないように、ギルが『魔力を見る魔法で』で彼女への手紙や贈り物、食事まで魔法がかけられていないか確認している。
手紙には、かけられている魔法が怪しいものではないか確認してほしいものがいくつか溜まったら、また来てくれと書かれていた。
レオディーナの方は、結局ギルの家の事は調べられずにいた。
(先延ばしにしているだけだって自覚はあるんだけどね)
パウルにあのマリンローズを納めたのは何処の貴族か聞くのは、都合が悪い。今までレオディーナはそうしたことを気にしなかった。なのに、何故急にそんなことを聞くのかと、不審に思われるのではないか。
ギル達が暮らしている屋敷の場所は、もう分っている。また夜に家を抜け出して、今度は正門まで行って家紋を見れば手掛かりなる。だけど、家を警備している傭兵達やギルの屋敷の警備兵に見つかったら大変だ。
そうしたことを言い訳に、レオディーナは調べるのを……ギルの家名を知るのを先延ばしにしていた。
(嫌な予感がするとか、知らないほうが良いとかじゃないんだけど。それともギル坊ちゃんの口から聞きたいのかな?)
何故なのかは、自分でも分からなかった。ひたすら不可解だ。
(まあ、ギル坊ちゃん達があたしの事を調べるのが先かもしれないけど)
今回の事で、ギルとテッドだけでなくガラテアと彼女の侍女のタニア、大人が『レオ』の存在を知った。彼女達が『レオ』の存在を調べるようとするのは、当然のことだろう。今の状況から考えると、人を使って大々的に調べるのは難しいだろうが。
(次にギル坊ちゃんと会った時に聞いてみる? でも、聞き返されたらどうする? あたしの方はパパに迷惑がかかるから打ち明けられないのに。 ……はぁ。どうしよう)
そう悩むばかりのレオディーナだが、それ以外は順調だった。家を抜け出ていたことはナタリーやメアリーだけでなく、警備の傭兵達にも気づかれておらず、実験の方も進めることが出来た。
「はい、パウルさん」
「どうも」
その実験の過程と結果を纏めたレポートを、レオディーナから受け取るパウル。彼が今日ここにいたのはこのためだった。
「なかなか興味深い結果ですな」
「そう? 傭兵さん達に味見してもらったけど、お酒の評判は散々だったよ」
パウルから依頼されていた実験とは、『成長促進』を使った酒を始めとした発酵食品作りだ。キノコ栽培場からの帰りの道中で、レオディーナは彼に「無理」と既に答えていた。
しかし、パウルは「失敗しても構わないので、試してみてください」と実験を依頼したのだ。酒造家からまだ寝かせていないワイン樽を、態々購入して。
結果は、失敗。時間とともに発生する化学変化現象は、レオディーナの魔法でも早めることは出来なかった。それどころか、樽に残っている微生物の活動が促進され、味のバランスが崩れてしまった。
そして出来上がったのは、ワインとも酢ともつかないものだった。
「とりあえず、これはこのまま酢にしちゃおうか?」
「ええ、ご自由に。他はどうです?」
「ワインほどじゃないけど、微妙だと思う。ザワークラウトやパン生地の熟成は問題なかったけど」
ハードチーズや酢漬け等、やはり上手くいっていない。熟成を促す微生物由来の酵素が、魔法の効果で出過ぎたことが原因だろうとレオディーナは考えている。
対して、数時間から数日で熟成できるザワークラウトやパン生地の熟成は『成長促進』でも上手くできた。特に、パン生地はふわふわのパンに仕上がって皆に大好評だった。
(前世だったら、天然酵母を使ったパンを簡単に作れて大助かりだったかも)
そう思うが、この世界だと「わざわざパンを作るのに魔法を使っては採算が取れない」と判断されそうだ。レオディーナ自身がパンを作るならともかく。
「そうなると発酵食品への応用は難しいですか」
「そのまま応用するのはね。だから、そのうち『高速で上手く熟成させる魔法』を作ろうと思うの」
「ほう、それはますます興味深い。しかし、時間は操れないのでは?」
「操るのは時間じゃなくて、熟成させる食品の方よ」
微生物の活動を促進させるだけでは、熟成が上手くいかない。なら、対象の全てを魔法で操って熟成を上手く進めればいいのでは? パウルに依頼された実験を行ううちにレオディーナはそう考えるようになった。
「『成長促進』より魔法の難易度も魔力の消費量も上がると思うし、食品ごとに別の魔法を作る必要があるけど」
「『ワイン熟成』や、『チーズ熟成』等、それぞれ専用の魔法になるわけですか。そうなると、コストがあがりますね」
一口に発酵食品と言っても、必要な工程や維持するべき環境、そして熟成に必要な期間はそれぞれ異なる。同じ魔法でそれらを加減するよりも、それぞれ専用の魔法を開発したほうが後々便利だろう。
「だとおもうわ。だから、これはあたしの趣味の範疇でやってみるつもり」
仕事でもないのにそこまでやるのには、極めて個人的な訳があった。
(今の内から手を付けておけば、大豆かそれに近い豆が手に入った時に味噌や醤油が作れるかもしれない!)
それはレオディーナの食欲と言う事情が。
前世の現代日本で生活していた頃、当時のレオディーナはそこまで和食に強いこだわりを持っていなかった。記憶によると朝食は米飯ではなくパンで済ませる方が多かったし、味噌汁も飲まない日の方が多かった気がする。
しかし異世界に転生し、前世では当たり前のように食べられたものが食べられなくなると、「いつかまた食べたい」という考えに変わった。
そして、今のように「手を伸ばせば届くかもしれない」となると、伸ばさずにはいられなくなってくる。
「トーラスさんに約束した、欠損部位を再生させる魔法の方優先だけどね」
とはいえ、それは「いつか」でいいのでトーラスの片目の再生や左脚の回復の方が大事だ。今後、彼以外にも知人や家族が重傷を負う可能性もあるので、回復魔法の向上は出来て損はない。
現代日本と違い、救急車が来てくれるわけでもなく、高度な医療を受けられる保証もない。しかも――。
(現状、最も高度な医療を提供できるのがあたし自身みたいだし)
なら、回復魔法の技術を高めておくに越したことはない。
「トーラスですか。……確認しますが、今の段階で欠損部位を再生可能な回復魔法の習得はどの程度の手応えですか? もちろんトカゲでの尻尾ではなく、人間のですよ」
「あと一歩から二歩って感じかな。野菜に、蝶の羽やカナブンの足でも成功したから」
「野菜に、虫ですか?」
「そう、半分に切ったジャガイモやダイコンに、羽がボロボロになった蝶に脚が一本無くなっていたカナブン。どれも元通りに出来たわ」
生きた鶏やウサギ、鳩を用意してもらうことも考えた。しかし、小動物で実験するのは……自分で小動物の四肢や目を欠損させるのは、想像すると精神衛生的に悪かったので断念した。
そのため、レオディーナの実験協力者はパウルの部下が配達してくれる野菜と、裏庭の菜園で見つけた昆虫だ。
「それは凄いとは思いますが、本当にあと一歩か二歩なのですか?」
「なのですわよ。特に虫の部位を再生させるのは難しいのよ。自然には絶対治癒しないから」
自切後、再生可能なトカゲの尻尾と違い、昆虫の足は生えてこない。蝶の羽なんて傷つけば傷つきっぱなしだ。
それを回復魔法で元通りに再生するのは、人間を含めた哺乳類の部位欠損を再生させるのと難易度的には変わらない。
「まあ、大きさと体のつくりが違うからそのまま人に転用は出来ないけど」
しかし、植物には神経細胞は無い。昆虫にはあるが構造が違うし、羽には通っていない。トーラスの眼球を再生しても、それで見えないのでは意味が無い。
「つまり実験が必要という訳ですか。では、目途がたったらトーラス本人に依頼するとしましょう」
そう考えていると、パウルがそんな事を言い出した。
「いやいや、トーラスさんを治療するための試みなのに、トーラスさんで実験するの? 何かおかしくない?」
「しかし、傭兵ギルドで障害を負った傭兵を募集するわけにはいきません。情報が洩れて神殿にでも知られたら大変です」
そう言われて、(そう言えば呪いの解呪についても、タニアさんに似たようなことを言われたな)とレオディーナは思い出した。
「神殿に知られたら大変って、どんな感じに? あたし、神殿ってどんなところかあまり知らない――」
「とても大変な事になります!」
思い出して尋ねてみると、その途端パウルは普段は細い目をカッと見開き、身を乗り出して語りだした。
「欠損部位の再生はラドグリン王国でも限られた魔道士、そして僅かな高司祭や神殿長しか使えません! 神殿がそんなことが出来る幼子の存在を知れば、全力で囲い込もうとするでしょう。
あなたを出家させるようアルベルト様に圧力をかけるに違いありません! そうなれば厳しい修行を強制され、敬虔な聖職者に仕立てあげられてしまいますよ!」
「わ、分かったわ。神殿には絶対近づかないっ!」
豹変したパウルの迫力に驚きつつも、頷くレオディーナ。これまで彼が声を荒げた事は過去無かったので、よほど神殿は怖いところなのだろう。
(スラム街にいた頃、炊き出しでご飯を貰っていた時はそんな感じじゃなかったけど……神殿って大きな組織らしいし、現場で活動している人と上層部では考え方が違って当たり前か)
「とはいえ、お嬢様は幸いなことに既に魔道士ギルドの正式な組合員です。神殿に知られた場合でも、強引な手段をとることは躊躇するはず」
落ち着きを取り戻した様子のパウルは、元の穏やかな口調でそう言った。しかし、その内容はレオディーナを落ち着かせるものではなかったが。
ただの平民、それも隠し子だった場合は神殿も躊躇わずに強引な手段に出た可能性があった。そういうことだからだ。
そう考えた時、ふと気が付いた。
「もしかして、あたしを魔道士ギルドに登録した理由ってそういう理由もあったの? 仕事の都合だけじゃなくて」
「ええ、『念のために』という程度でしたが」
「そうだったんだ。ありがとう、パウルさん」
「なんのなんの、金の……友人のお嬢さんの為ですから」
「金云々は聞かなかったことにするけど、トーラスさんの治療はやっていいの?」
「それは問題ありません。トーラス達には口止めしますし、私も色々と動きますので」
「色々と動いてくれるんだ」
「ええ、動きますとも」
そう頷くパウルだったが、具体的に何をするつもりなのかは口にしなかった。多分、頼りにして大丈夫なのだろうけれど。
(やっぱり、解呪できるようになったことは黙っていた方が良さそう)
欠損部位の再生だけでこれなのだ。解呪のことを打ち明けたら、パウルの目が見開かれ過ぎて戻らなくなってしまうかもしれない。
「さて、話を戻しますが……食品ごとに熟成させる魔法を開発するとの事ですが、いっそ時間の流れを操る魔法を一つ開発したほうが手間をかけずに済むのでは?」
「あ~、その話だったっけ? それは考えたんだけど、バンクレット先生から止められた。魔道士ギルドに第一種禁術指定されているからって」
「禁術指定ですか。事前にギルド及び王国政府の許可を取る必要がある、と言う規定でしたね」
禁術と言っても、許可があれば実験や実践が許される。もちろん、許可を得るには相応の手間と時間がかかる。レオディーナのように弟子の段階にある、しかも実績を知られていない魔道士に許可が下りる可能性はまずないだろう。
「では、今は仕方ありませんな。
そうそう、キノコ栽培場の運営状況の報告書です。顧問料は月末に振り込んでおきます」
「毎度あり。そうそう、新しいキノコの栽培に成功したの。エノキダケって名付けたんだけど、三日後のあたしの誕生日パーティーで出す予定なの」
「それは楽しみですな。当日はぜひ参加させていただきましょう」
一年が過ぎ、パウルにとってレオディーナとの関係は、アルベルトと同じ重要なビジネスパートナーへと変化していた。そんな人物との交流は深めておくに越したことはない。
「他にもパウルさんから貰った種や苗から収穫した野菜や果物をたくさん出すから、期待していて。きっと下手な貴族様のパーティーより豪華になるから」
パウルはここ一年ほどかけて、様々な種や苗を集めてここに持ち込んでいた。プラベリーだけでなく、バナナやコーヒー、カカオにゴマ、胡椒等様々な食材や香辛料が今では収穫されている。
(まあ、カカオは加工できないから豆じゃなくて実の方を食べてるんだけどね)
栽培と収穫が可能になっただけで、収穫物の加工技術までは持ち合わせていなかった。レオディーナが自家製チョコレートを作れるようになる目途は、現時点で立っていない。
他にもいくつかの果物とバニラを始めとした香辛料が収穫や加工できずにいる。ただ、コーヒーの自家焙煎には成功していた。
「それはますます期待させてもらいましょう。もちろん、贈り物も準備させていただきます」
その三日後開かれたレオディーナの九歳の誕生日パーティーは、彼女が言った通り豪華な料理が提供された。
そしてレオディーナに贈られたのは、ナタリーからは手作りのハンカチ、アルベルトからは最新の図鑑のセット。バンクレットからは見習い用の杖。
そして意外なことにパウルからはドレスが贈られた。
「ありがとう、とってもうれしいけど……なんで?」
「実は、これを着る必要がある仕事があるのです」
なんと、ドレスは仕事着だった。
「カタログからディーナに一番合うものを選んだのよ。アクセサリーはアトリと相談してね」
「私もナタリーもついていけないが、ギュスタン先生と頑張ってくるんだよ」
そして根回しも済んでいた。
「え~と、具体的には何をするの?」
「ラング子爵家のタウンハウスで、プラベリーの種を『成長促進』の魔法で成長させて実を収穫する仕事だ。ラング子爵は穏やかで寛大だと評判の人格者だから、そう気負わなくても大丈夫だよ」
もし面白いなと思っていただけたら、ブクマや評価、いいねで応援していただけたら幸いです。よろしくお願いいたします。
誤字報告ありがとうございます
2025/11/12(水) [日間]異世界転生/転移〔恋愛〕 - 連載中 3位! ありがとうございます!
2025/11/13(木) [日間]異世界転生/転移〔恋愛〕 - 連載中 3位! ありがとうございます!




