1話 転生者はスラム生まれスラム育ち
レオディーナには、物心ついた頃には前世の記憶があった。この国――ラドグリン王国ではない、「地球」という惑星の「日本」という国で生まれ、生きていた時の記憶だ。
前世での名前は――どうでもいいだろう。もう誰もその名でレオディーナを呼ばないのだから。性別は女で、だいたい四十代過ぎの頃まで思い出せる。その時期に突発的な事故にでも遭ったのか、急病で倒れたのか。それとも、記憶が定かでなくなるほど長く生きて老衰で亡くなったから、五十代以降の事は忘れてしまったのか。それは分からない。
(これって異世界転生? チートで無双しちゃう展開? だったら楽しそうだけど――)
当時のレオディーナはそう期待したが、無双は出来なかった。何故なら、彼女が生まれたのはスラム街だったから。
前世の記憶があったおかげか、五歳の時から知識と思考は大人に近かった。だが、母は場末の酒場で体を売る娼婦で、父親は顔も名前も知らない。社会的地位も、コネも、金も無い。立場はあらゆる面で弱者側。
そして、レオディーナは記憶を取り戻した当時はまだ五歳。そして今は七歳。この環境では、どれだけ前世の知識があっても無双するのは難しかった。せいぜい、近所の大人達に小銭や食料を引き換えに教えを乞うて勉強するぐらいだ。
そのおかげでレオディーナはスラムで生まれ生活しているのに、ラドグリン王国で使われている公用語の読み書きを習得することが出来た。スラム街の外で暮らす平民でも、それが出来ない者は多いのに、
(それに、魔法が使えて良かった。まあ、これも転生由来のチート能力って訳じゃないっぽいけど)
ラドグリン王国を含めたこの世界には、地球には存在しなかった魔力があり、それを扱う魔法と呼ばれる技術が存在した。
だが、多くの人々は魔道具の補助なしには指先程の火も出せない程、乏しい魔力しか持ち合わせていない。それに対してレオディーナは生まれつき強大な魔力を持っていた。
しかし、それは異世界転生の特典ではない。この世界で不自由せず魔法を唱えられる強大な魔力を持つのは一部の王侯貴族やその血統に連なる者。もしくは一握りの天才か、弛まぬ鍛錬と研鑽を積んだ秀才。レオディーナはそのうち前者、王侯貴族の血を引いているらしいのだ。
レオディーナが物心ついてすぐの頃亡くなった祖母、そして一緒に暮らす母ナタリーによると、彼女の曾祖父は上位貴族の令息で、曾祖母は外国から嫁入りしたご令嬢だったらしい。
そんな高貴な血筋を引いているなら、なぜ今レオディーナはスラムのバラックで暮らしているのか? それについては祖母も詳しい事情は聞かされていなかったそうだ。ただ、「陥れられたのだ」と曾祖父母は彼女に語ったらしい。
そうなるに至った経緯はともかく、お家を取り潰され爵位も領地も失った曾祖父母とその両親は、王都のスラム街に逃げ込んだ。当時から様々な出自の人間が大勢暮らしていたスラム街なら、自分達を逆恨みしている連中の目から逃れられると踏んだそうだ。そして、必ずやお家を再興し貴族に返り咲くのだと野心を燃やしていた。
しかし、曾祖父母の両親は慣れない生活で体が弱り早々に亡くなってしまう。曾祖父母もお家再興の機会を掴むことは出来なかった。それどころか持ち出した財産を切り売りする内に体を壊し、失意の内に亡くなった。
残されたのは生まれた時から貧民街で暮らす祖母一人。彼女は両親の「自分達は貴族だった」という言葉を信じず、場末の酒場で娼婦として生計を立てた。そして、若くして母ナタリーを出産。そのナタリーも祖母と同じようにスラムで暮らし……レオディーナが生まれた。
彼女が魔力を持っているのを知った当時の祖母は、「もしかしたら、あいつらが口にしていたのは世迷言ではなかったのかもしれないね」と言って目を細めていた。
「さて、今日もお仕事に行こうかな」
そんな理由で恵まれた魔力を活かしてレオディーナがするのは、血肉湧き踊る大冒険ではなく、日々の労働である。
ぼろぼろのシャツとズボンに着替えると、『変色』の魔法を唱える。髪の色は緋色から銀色に、瞳の色は紫からアイスブルーに、そしてこの国では珍しい褐色の肌は白に。
そしてくたびれた帽子で長い髪を隠すと、ちょっと珍しい色をしているスラムの少年の出来上がりだ。……本当は髪や瞳をもっとありふれた色に出来ればいいのだが、彼女の『変色』ではなぜかこの色にしか変えられない。問題が技量なのか、それとも彼女自身の体質によるものなのかは不明である。
「じゃあ、行ってきます」
母は仕事に出ているため無人のバラックにそう言うと、仕事道具を手に『施錠』の魔法で戸締りをして出かける。
「おい、手早くな」
「へい、旦那!」
そしてスラムの隣の歓楽街の片隅で、ここ最近は靴磨きをしていた。
「……『修理』、『清潔』」
布で靴を拭きながらこっそり魔法で修理して傷を消し、汚れを落とす。そして小銭をももらうのだ。
魔法まで使って何故こんな仕事をしているのかというと、それは彼女が魔法を使えることを隠すためだ。
スラムを根城にする犯罪組織にとって、魔力量の大きな少女は高値で売れる商品だ。母から引き離されてどこに売られるか、そして売られた先でどんな扱いを受けるか分かったもんじゃない。
魔力を持つ子を産ませるために日の目を見ない愛人として囲われ、用済みになったら口封じされる。それでもまだマシな方だ。最悪の場合は……とてもレオディーナには話せないと母達は教えてくれなかった。
スラム街で生まれ育った祖母と母は、ここを牛耳る犯罪組織の恐ろしさを知っていたのだ。
(それでも生活が苦しいから、こっそり使わないとやってられないんだけど)
靴磨きは儲けの少ない仕事で、その恐ろしい犯罪組織に場所代を払うと僅かな額しか残らない。正直、割に合わない。できれば、他の仕事がしたい。
しかし、スラムの子供が現金収入を得る方法は限られる。最も稼げるのは盗みだが、その分犯罪組織へ納める上納金は高くなるし、警備兵に捕まると子供でも半殺しにされるそうなのでリスクが高すぎる。
前世の記憶にあるサブカル作品のように冒険者ギルドでもあればよかったのだが、このラドグリン王国には存在しない。魔法だけじゃなく魔物も存在するらしいのに。不便なことだ。
(またギル坊ちゃん、あたしの事使い走りに来ないかな~。ギル坊ちゃんとそのお付きのテッドがくれる仕事は、実入りが良いんだよね)
そんな中でレオディーナにとって最も割の良い仕事は、ひょんな事から知り合った金持ちのボンボンとそのお付きの少年から言いつけられるお使いだった。
二人に言われるまま、レオディーナは似顔絵の作成や手紙の配達、失せ物探し等ちょっとした用をこっそりと魔法を使ってこなしてきた。それで得られるのはギル坊ちゃんの小遣いから出される報酬だが、それでも彼女が靴磨き一週間分の稼ぎを軽く上回る。
持つべきものは、小遣いを多くもらえる金持ちの知り合いである。
(でも、しばらく会えないって言っていたから、まだ来ないか。しばらくってどれくらいかな~)
そんな二人のことを思い出して寂しさにため息をついたレオディーナは、夜が更けてきたことに気が付いて帰り支度を始めた。
見せかけだけの商売道具を持ってバラックに帰った彼女が最初にするのは、食事の準備だ。
「今日の献立はパンと草のスープに、草と根っこソースのサラダ。メインはママのお土産の酒の摘みと、キノコの炒め物。そしてデザートは野イチゴ。うん、昨日と同じ」
レオディーナが暮らしている隣のバラックは、天井と床が抜けて壁だけになっている。彼女はそこを利用して、外から覗かれない菜園を魔法で営んでいた。
育てているのは、食べられる草や野イチゴとキノコ。正式な名称は知らない。この世界の植物の知識を持っていないレオディーナが魔法で食用が可能なものを判別し、魔法で栽培しているからだ。
(前世だったらスマホでパパっと調べられたんだけど。あ~、情報化社会って便利だったわ~)
「ホウレンソウモドキとレタスモドキに……ダイコンモドキはまだ早いかな?」
それぞれ適当に名付けた名前を口にして葉を千切り、根っこを引き抜く前にしばし逡巡する。魔法で成長を急促進させる事も出来るが、魔力を多く消費しないと味や香りが薄くなってしまうのが悩みどころだ。
「どうせすり潰すんだし、収穫しちゃえ。野イチゴは……今日は黄色いのにしようかな。キノコはまだか。よし、今日は干してある分ですませまちゃお」
結局やらずに収穫する。そして、干してあるキノコの中からシメジに似たものをいくつか手に取った。
「『焚火』……よし」
石のように固いパンと適当な大きさに切った野菜を鍋に入れ、魔法で起こした火にかける。その間に、干しキノコを水で戻し、サラダと野イチゴを準備。それが終わったらキノコと干し肉の切れ端を炒める。
このように魔法とナタリーが店から持ち帰る客の食べ残しのおかげで二人の食生活は、スラム街で暮らしている割には充実していた。
(この時間になってもママが帰ってこないってことは、お客さんと朝までコースかな? 酒に弱くてすぐに寝ちゃう、ついでにチップも弾んでくれる上客だといいんだけど)
そして、僅かずつでも金を貯めるのは二人でこのスラム街から出て人並みの暮らしをするためだった。それも、できるだけ早く。
(死んだお祖母ちゃんは、まだ四十代だった。ここは何もかも劣悪だ。このままだとママも、そしてあたしも早死しちゃう。それに、もっと豊かな暮らしをしたいし、させたい。
そのためにはお金が必要)
スラム街から出ること自体は自由だ。しかし、スラム街に落ちるのは簡単でも這い出て移住するには様々な障害がある。
その最たるものが、仕事だ。スラム街の住人は、信用が無い。だから、簡単には雇ってもらえない。
それでも、レオディーナの前世の記憶にある求人情報誌やサイトがあればどうにかなっただろう。しかし、少なくともラドグリン王国にはそんなサービスはない。
あるのは雇い主が書いてくれる紹介状だ。元雇い主と転職先に直接の面識が無くても、紹介状があれば一定の信用が得らえる。しかし、スラムで店を経営している人間や人間が書いた紹介状に信用があるはずがない。
(それに、あたしとママのこの肌の色はこの国ではちょっと不利っぽいんだよねー。前世の記憶にある程酷い差別をされている訳じゃないけど)
外国から嫁入りした曾祖母由来の褐色の肌。この肌はラドグリン王国では珍しく、少なくともスラム街では差別の対象になっていた。
レオディーナが仕事に行くとき、男装以外にも『変色』の魔法で髪や瞳だけでなく肌の色も変えるのはそうした理由からだった。
しかし、レオディーナには魔法という強みがある。それを活かせば職を見つけられるはずだ。だが、それがどの程度の強みなのか、彼女は測りかねている。
レオディーナは、誰かから魔法を習った経験が無い。『変色』も『修理』も、今料理に使っている『焚火』も、全て彼女が我流で編み出した魔法だ。だから、世間で自分の魔力と魔法がどの程度の位置づけなのか分からない。
そんなレオディーナとナタリーがスラム街の外に移住し、安定した仕事を見つけて生活を営むには当面の生活費……最低でも半年は暮らせる額が必要だろうと二人は目度を立てていた。
(生活が安定したら、魔法の勉強をして将来はもっと稼げる仕事に就きたいもんよね。ゆくゆくは曾お爺ちゃんや曾お祖母ちゃんの悲願だったらお家再興……までは無理だとしても)
一方、レオディーナは顔も見たことの無いご先祖様の悲願達成には熱心ではなかった。もし今は亡き祖母や、今は唯一の肉親であるナタリーがお家再興に執着していたら、彼女も少しは熱心に取り組んだかもしれない。
しかし、祖母はレオディーナが高い魔力を持っていることに気づくまで、曾祖父母のたわ言だと思い込んでいた。生活苦と安酒でおかしくなってしまったのだろうと。
そんな祖母に育てられたナタリーも、お店で客相手の話のネタ程度にしか思っていない。
そのため、彼女の中でお家再興は割とどうでもいいことに分類されていた。そもそも、家名も知らないし。
(まあ、家名についてはお金と時間をかけて調べればわかるだろうけど)
外国から嫁を貰って、没落した貴族の事は当時話題になったはずだ。約五十年前の出来事だが、貴族や貴族の家に出入りする商人の中には覚えている者もいるはずだ。
情報屋、いわゆる探偵に相応の金を払えばそうした情報を調べてくれるに違いない。
(でも、調べて分かったところでご先祖様の親類や友人を頼れるとは思えない。それどころか藪蛇になりかねないもんねー)
曾祖父母は、自分達が没落したのは陥れられたからだと常々祖母に語っていた。それが本当なら、曾祖父母達を陥れた敵がいるということ。嘘なら、家を取り潰されるような事を曾祖父母はやらかしてしまったということ。
約五十年前の出来事で、当時の当主である曾祖父母の両親も張本人の曾祖父母も、とうに亡くなっている。しかし、それで敵、もしくはやらかされた側が納得してくれているか分からない。
(少なくともお金に苦労していて、あたしが魔法を使えることも隠さなきゃならない弱い立場の今、知る必要はないよね)
とりあえず、普通の平民並みの生活を安定して営めるようになる目途が付くまで、ご先祖様のことは棚上げするのが妥当だろう。
(平民並みの生活か。異世界転生したのに、ずいぶん小さな目標だよね。とはいえ、大冒険も大恋愛も夢見る余裕も実力もない。けど、復讐劇を企てる動機もない。プラスマイナスゼロかな、今のところは)
「やっぱりママは朝帰りかな。じゃあ、先にいただきます」
自分の分を器に盛りつけると、鍋とフライパンに『保存』の魔法をかけて一人夕食をとる。その後は魔法で洗い物を済ませたら、自己流の魔法の練習をして適当な時間に眠りについた。
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