18話 初めての共同医療行為
ギルに続いて入った部屋は、レオディーナがイメージしていた貴族の夫人の部屋と比べると、簡素だった。ナタリーの部屋よりもずっと広いが、置かれている物が少なく感じる。
「母上の様子は?」
「変化在りません。テッド、手筈通り外で見張りをお願いね」
「っ、はい」
メイド姿の『レオナ』を見て硬直していたテッドが、タニアに促されてドアに向かう。
「ガラリア様をよろしくお願いします」
すれ違う際、そうレオディーナに言い残して。
「どうだ?」
ベッドに横になっているギルの母、ガラリアは一目でわかる程やつれていた。髪も肌も艶を失い、頬もこけて見える。レオディーナが枕元に立っても反応せず、苦しそうな息遣いを繰り返すだけだ。
「俺は魔力が見えないから何とも。坊ちゃんには見えるんだよね?」
「ああ、今も見える。母上に蜘蛛の巣のように絡みつく、嫌な魔力が」
「じゃあ、今から魔法を唱えるから、坊ちゃんはガラリアさんに絡みついている魔力の様子を教えて」
「分かった」
以前自分にかけた時を思い出して、魔法式を描いていく。
(正直、自信無いなぁ)
ギルに言われるまで、呪いを浄化していたことにも気が付かなかった。それ以来、呪いを解いた経験も無い。レアケースなのだから仕方ないが。
(でも……坊ちゃんの大切な人の生死がかかっているんだよね)
これまでレオディーナが回復魔法をかけてきたのは、緊急性の無い相手ばかりだった。
スラム街では、不健康な生活をしていたナタリーに。今の家に引っ越してからはメアリーの肌や髪、目のかすみ。アルベルトの腰痛。それらはレオディーナがすぐに回復魔法をかけなくても、症状が悪化して手遅れになるようなことはまずなかった。
オランドの孫の火傷痕や、まだ約束の段階だが傭兵のトーラスの片目と左脚もそうだ。回復魔法をかけるのが一週間や一か月遅れたからと言って、後の人生に大きな悪影響が及ぶ可能性は低い。
しかし、ガラリアは違う。今日、呪いを解除できなかったら一週間後には手遅れになっているかもしれない。そんな危機感があった。
(よし、やるぞっ!)
己を奮い立たせ、魔法式に魔力を流して魔法を発動。当時は『快癒』と名付けていたが、呪いの解除を願って名前を変えて。
「『解呪』」
レオディーナの手が淡く光り、ガラリアの息遣いが徐々に穏やかになる。
「まだだ。まだ、薄くなったが残っているっ!」
成功した。そう思って肩から力を抜きかけたレオディーナの耳朶を、ギルの鋭い声が打った。
「よし、じゃあもう一回。……『解呪』!」
最初よりも魔力を注ぎ、強い光をガラリアに浴びせる。しかし、ギルは悔しそうな声で「まだだ」と繰り返した。
「魔力……呪いがまるで生き物のように動き出して、レオの魔法を避けるようになった。薄くなっているし、縮んでいるから効いてはいるはずだが」
「避けるの? じゃあ、呪いがどこにいるのか教えて」
「任せろ」
三度『解呪』を唱える。ギルは「右胸、首から頭、いや腹に逃げたっ!」と懸命に呪いを追うが、レオディーナは追いきれなかった。
『解呪』で薄く小さくなっていくにしたがって呪いが逃げる速さが増しているのと、ギルからレオディーナに伝えるまでにどうしてもタイムラグが生まれるためだ。
「坊ちゃん、坊ちゃんの『魔力を見る魔法』を俺にかける事は無理なんだよね?」
「前も答えたが、無理だ」
こうなると、このまま呪いを削り切るまで何度でも『解呪』を唱えるか、膨大な魔力を注いでガラリアの全身を包む『解呪』と唱えるしかない。
しかし、どちらも呪いを解ききれない不安がある。どうすればいいのか? そうレオディーナが悩んでいるとふと閃いた。
「坊ちゃん、お互いに魔力を流した状態で、呪いを見て『解呪』を唱えるってのはどう?」
それは以前螺旋訓練法の感覚を伝えるためにやった、魔力をお互いに流しあうことだった。
「なんだとっ!? そんなことをして意味があるのか? 五感を共有できるわけじゃないんだぞ」
「それはそうだけど、以心伝心って言うじゃん? あれをすると感覚が伝わりやすくなる気がするんだよね」
「分かった。やってみよう」
背後でタニアが驚く気配と、クロエが息を呑んだのが分かったが振り向く時間は無い。レオディーナとギルは手を握り、魔力を流しあう。
互いの温もりが伝わり、混じり合っていく感覚。お互いが一つになったような高揚感に酔わないよう気を張りながら、呪文を唱える。
「呪いは――」
「ここだね。『解呪』!」
ギルと同じものは見られなかったが、レオディーナには彼が見ている場所がどこか即座に分かった。そこに、ガラリアの腹部に向けて『解呪』を放つ。
そのままギルの視線を追い、光る手を前後上下に動かして呪いを解いていく。
「よしっ! 消えたっ! もう残っていないっ!」
呪いの断末魔の代わりに、ギルの喝采が響いた。
「ぅ……ぁ……?」
呪いが消えたことを証明するように、ガラリアの口から初めて声が漏れ、薄く瞼を開く。
「母さんっ」
「ああ、ガラリア様……よかったっ」
感極まった様子で目に涙を浮かべるギル。タニアも、安堵のあまり涙ぐんでいる。レオディーナも、ほっと息を吐いて額に浮いていた汗をぬぐった。
(よかった。魔力にもまだ余裕があるから、念のために回復魔法をかけて……ん? あれは……)
張りつめていた糸が切れたからだろう。それまで視界に入っていても意識していなかったもの、花瓶に生けられたバラに気が付いた。
「あれって……」
「あれは、ガラリア様とギル坊ちゃんの生まれ故郷のバラで、マリンローズといいます」
珍しいでしょうと、クロエが教えてくれたのは青いバラだった。レオディーナが家の裏庭に作った地下室で、魔法で咲かしたバラだ。
「王都では育たないバラだけど、旦那様と……奥様が、ガラリア様を思って贈ってくれたの」
「そう、なんだ」
頷くが、疲れのせいか声に力が入らない。
(ギル坊ちゃんが後継者の有力候補になった家って、やっぱり貴族の中でも偉い家だったんだ。伯爵以上なのは確実だろうけど、もしかしたらもっと上かな?
裏口から入ったから、家紋は見ていない。旧貴族街に屋敷があるなら爵位はそう高くない? いや、ここが本宅とも限らない。ガラリアさん以外に『奥様』がいるみたいだし――いや、こんなこと考えている場合じゃなくない?)
「え~と……」
ごちゃごちゃと考えるのを止めて、やるべき事をやろうと思うが、何をすればいいのか思いつかない。
(あれ? あたし動揺してる? なんで? とっても良いことのはずなのに)
ギルが偉い家の後継者候補なのは、レオディーナにとって歓迎するべきことだ。彼に大きな恩を売ったのだから。
上位貴族のお抱え魔道士になれば、下手な下位貴族より豊かな暮らしができる。一生安泰だ。なのに……。
何故か寂しい。さっきまで手をつないでいた少年が、とても遠くに感じる。出会った時から、彼が良いところの坊ちゃんで自分とは別の世界に生きているだろうと、予想していたのに。
「レオナ?」
「……あっ、そうだ。回復魔法、回復魔法をかけよう」
立ち尽くしているのを不審に思ったクロエに偽名を呼ばれ、レオディーナは我に返った。
呪いが解け、目覚めたガラリアだったが起き上がるのはもちろん、声を出すのも辛い様子だった。
「そうだな、頼む。母さん、こいつが母さんの呪いを解いてくれたレオだ。今はメイドの格好をしているが――」
『アドニスさん、グレンさん、待ってください。誰にも邪魔をさせるなと――』
そのタイミングで、部屋の外からテッドの声が聞こえてきた。
「レオ、クロエと壁際に下がれ」
ギルの指示通り、レオディーナが下がってクロエと並んだ数秒後、「失礼します。グレン殿が治療のために参りました」と聞き覚えの無い声がした。
「入れ」
ギルが落ち着いた声で入室を許可すると、二人の男が入って来た。眼鏡をかけた四角い顔つきのスーツを着た中年の男と、こん棒を持った精悍な顔つきの大男だ。魔道士と護衛の傭兵だろうか?
扉が閉じる前、ちらりとテッドの姿が見えた。彼は引き続き部屋の外で控えているつもりらしい。
「ガラリア様の容態は?」
「相変わらず眠り続けていますが、今は少し体調が良いようです」
静かに眼鏡をかけた男が問うと、タニアがそう答える。クロエと並んでメイドを装っているレオディーナがこっそり見ると、ガラリアは目を閉じている。どうやら、呪いから回復したことを隠すため、寝たふりをしているようだ。
「確かに、今日は呼吸が安定しているようですね」
「お労しい。ですが坊ちゃん、ご安心ください。このグレン、ガラリア様の為古文書を紐解き、新たな回復魔法を習得してまいりました!」
そして、なんと大男の方が治療のために来た魔道士の方だったらしい。
「お、おいっ? ちょっと待――」
「おお、偉大なる聖霊よっ! このグレンの祈りと魔力に応えガラリア様を蝕む病魔を退散せしめたまえ!」
しかも、反射的に制止しようとするギルに構わず、グレンはこん棒を掲げて高らかに呪文を唱えだした。
(あのこん棒、杖だったの!?)
「『快方』!」
驚くレオディーの前で、こん棒……杖が輝き発動した回復魔法がガラリアに降り注ぐ。それは名称からして、対呪い用ではなく、症状からの回復を促すような魔法のようだったが――。
(あ、でもちょうどいいかも)
呪いによって衰弱していたガラリアの体には、グレンの回復魔法は効果的だった。やつれているのには変わりないが、目に見えて血行が良くなり、生気が戻った。
「おお、これは……!」
「効いた!?」
「…………うっ……」
アドニスが声を震わせ、回復魔法をかけたグレン自身も驚きの声をあげると、ガラリアがどこか諦めたように短いうめき声を発し、ゆっくり瞼を開く。
「母上っ! 母上が目を覚ました! よくやってくれた、グレン!」
その途端、ギルがことさら大声を出す。
「アドニス! 父上に使いを出せ、母上が目覚めたことを知らせるのだ! タニアは薬師を呼んで来いっ、母上を診せたい!」
「畏まりました! さっ、行きますよ、二人ともっ」
そのまま矢継ぎ早に指示を出す坊ちゃんと、クロエと一緒にレオディーナを部屋の外に連れ出すタニア。部屋から出ると、テッドが感謝するように頷きかけてくれた。
「ごめんなさい、しばらくここで待っていて。一時間はかからないと思うから」
「着替えておいたほうがいいですか?」
「念のためにまだそのままで。もしもの時は着て帰っても構わないから」
そしてタニア達の部屋に戻ると、レオディーナはクロエにそう言われて部屋で待機することになった。扉の外側からは、何人もの足音が繰り返し聞こえる。
それまで昏睡状態だったガラテアが目を覚ましたので、大騒ぎになっているようだ。目につくようなことをしなければ、クロエの後をついていた見慣れないメイド見習いのことなんて誰も気にしないだろう。
(これからどうなるかな? 坊ちゃんたちにとって、あのグレンって人に回復魔法をかけられたのはアクシデントだったみたいだけど)
だからギルはグレンをとっさに制止しようとしたし、その後大声を出しレオディーナの存在を彼らが意識しないように誤魔化したのだろう。
そう思っていると、考えていたよりも早くタニアが部屋に戻って来た。
「レオ君、坊ちゃんからお礼と言伝を預かってきました」
「うん、坊ちゃんはなんだって?」
やはり、ギルは忙しいようだ。呪いが解けたばかりで体調が回復しきっていない母親を一人に出来ないのだろう。
タニアはギルから感謝の言葉と、レオディーナが呪いを解いた功績を、もっと言えばガラテアが呪われていたこと自体秘密にすることを伝えた。
「ガラテア様は原因不明の病で伏せっていましたが、お抱え魔道士の回復魔法で目を覚ました。っと、いうことにします。あなたの働きに報いることが出来ないどころか、隠すことになってすまないと気に病んでいました」
「分かった。誰が呪いをかけたのか分かってないなら、そうしたほうが良いよ」
犯人が呪いを浄化できる魔道士の存在を知ったら、排除するためにその魔道士……レオディーナを捜そうとするかもしれない。もしくは、呪い以外のもっと直接的な手段でガラテアの命を狙う可能性もある。
「元々報酬は出世払いでって話だったから、構わない。……って言うか、秘密にしてもらわないと俺も困るし」
『レオ』がレオディーナであることがギルにばれてしまうかもしれない。それはまだいいが、アルベルトの正妻に愛人とその隠し子の存在が知られたら家族に累が及びかねない。
「そうね、ガラテア様も危惧していたわ。レオ君が呪いを解けることを神殿に知られたら、囲い込もうとするかもしれないって」
「神殿が? 俺なんかを?」
予想していなかったことを聞いて目を瞬かせるレオディーナに、「そうよ」とタニアは頷いた。
「呪いを解ける魔法の使い手は、あなたが思っているより少ないの。特に、あなたのように小さい子なら、引き取って司祭候補に教育出来ると考えるかもしれないわ。気を付けなさい」
「う、うん、気を付ける」
スラム街時代は炊き出しなどで世話になっていたので、レオディーナは神殿に対して悪い印象は持っていなかった。しかし、囲われるのは困る。
家族と引き離されるのは絶対嫌だし、日常生活に色々と教義的な制約を付けられるのも避けたい。
「それと、ガラテア様の侍女として長年仕えてきた者として心からお礼を。レオ君、小さな魔道士様、ガラテア様を救っていただき感謝します。
ありがとう」
レオディーナの手を取り、深々と頭を下げるタニア。大人にそんな丁寧に礼を言われると気恥ずかしいが、彼女が本当に感謝していることが伝わってくる。
「力になれて良かったよ。また、俺の魔法が必要だったら声をかけてって坊ちゃんに伝えて」
「では、今日は着替えて来た時と同じように裏口から帰りなさい。でもグレンさんには気を付けて。あの人の視界内で魔法を使うと、魔力を感知されてしまうから」
そしてレオディーナはギルの屋敷を後にした。
(よし、ばれてないみたい)
家を警備している傭兵達の目を魔法で掻い潜り、敷地内に入り込んだレオディーナ。秘密の外出に誰も気づいていないらしいことに、ほっと胸を撫で下ろす。
後は、地下五階で『ずっと取り組んでいた』実験に手を付けて、用意しておいた弁当を食べておくだけだ。
(呪いをかけた犯人捜しはどうするんだろう? その辺りはどうするのか聞くのを忘れていたけど、そもそもあたしには教えてくれないかな?)
感謝はされているが、今のレオディーナは臨時雇いの部外者だ。家の大事にかかわるので、詳しいことは明かせなくても当然だ。
「とりあえず、今は一仕事終えた自分を労おうかな。ご苦労様、あたし。いただきます」
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誤字報告ありがとうございます




