17話 『レオ』から『レオナ』へ
まだ残っている夏と歩みの遅い秋が行ったり来たりする時期、少女は初めて着る服に悪戦苦闘していた。
「手伝いましょうか?」
「大じょ、いや、お願いしますっ」
スカートやエプロンはもう着られた。髪の長さも誤魔化せた。でもヘッドドレスの調整がちょっと難しい。
(やっぱり慣れてないと駄目ね。でも、なんでこんなややこしい事になったのか)
メイド姿の少女に手伝ってもらいながら、レオディーナはそう思った後内心苦笑いした。
(いや、自業自得なんだけどね)
「誉め言葉に聞こえないかもしれませんが、よくお似合いですよ、『レオナ』ちゃん」
「あはは、ありがとうございます」
男装して『レオ』になっていたレオディーナは、その後何故かメイド服を着て女装して『レオナ』になっていた。
手紙で指定されていた日の深夜。レオディーナがいつもの場所に行くと、やはりいつになく深刻な顔つきをしたギルとテッドが待っていた。
「久しぶり、坊ちゃん」
「レオ、俺と初めて会った時の事を覚えているか?」
挨拶もなく質問してくるギルに困惑するが、自分に頼みたい仕事に関係するのだろうと予想して答えていく。
「ん? ああ、俺が手紙を渡しに行ったことなら覚えてるけど、それがどうかしたのかい?」
「お前、その手紙を読んだな?」
「そりゃあ、あのおっさんがむき出しの状態で渡して来たからね。嫌でも目に入ったよ」
「その時、気分が悪くならなかったか? 幻覚を見たとか、熱が出たとか?」
「うん、倒れるかと思った。自分に魔法をかけて何とかしたけどさ」
「その魔法だ! その魔法、今でも使えるか!?」
「使える、使えるよ。多分、今の方が簡単に使えると思うっ」
当時は全て独学自力だった。しかし、バンクレットの指導で螺旋訓練法を習得した今では魔力量も、そして制御力も格段に進歩している。
「よしっ! レオ、その魔法を母さんに……母上にかけてくれっ!」
「坊ちゃん、一旦落ち着きましょう。レオ、順を追って説明します。でも、その前に答えてください。あなたが当時自分にかけたという魔法、どんなものだか分かっていますか?」
今度はテッドが問いかけてきた。困惑したまま、レオディーナは首を横に振る。
「さぁ。回復魔法だとしか。あの時は急に気分が悪くなって、それを治す魔法を編み出すのに必死で、何も考えてなかったから」
「……何も考えなくても魔法って編み出せるものなんですか?」
「うん。それに、結局あれから一度も同じことが起きてないから、あの時の魔法の検証もできてないんだよね」
思わずと言った様子で呟いたテッドに頷き返すレオディーナ。結局あれは何だったのだろうと、改めて当時を思い出して首をかしげる。やはり、心因性の体調不良だったのだろうか?
「レオ……あの時のあなたは呪詛を受け、呪われていたのです」
「へ~呪詛かぁ……って、呪われてたの!? 俺が!? なんで!?」
魔法が存在するこの世界には、呪詛も同様に存在する。黒魔法に分類され、ゲーム的に説明すると儀式的な手順を踏み、対象に長期間様々なデバフを与える魔法だ。
魔道士ギルドで禁術に指定されており、ラドグリン王国では無許可での使用は最悪死罪になる。ただ、殺人が禁じられていても殺し屋がいるように、黒魔法を専門に使う違法魔道士も存在する。
「確かだ。俺の目が、お前から受け取った手紙に呪いの残滓を認めた」
テッドとレオディーナが話している間に冷静になったのか、ギルの口調は落ち着いていた。
「後で調べたが、あの文面を最初に読んだ者に呪いをかける仕組みだったようだ。お前に手紙を渡した男が白状した。スラムの子供が文字の読み書きなんて出来るはずがない。そう思ったそうだ」
「そうだったんだ。じゃあ、俺があの時呪われたのは、事故みたいなもん?」
「ええ、君は不幸にも巻き込まれただけです。もっとも、僕達にとっては二重の意味で幸運でしたけど」
呪詛の解除は、解毒や一時的な状態異常を解くよりもずっと難易度が高い。浄化の魔法を唱えられる者の数が少ないからだ。それ以外の方法で解こうとすると、複雑な手順を踏んで呪詛の儀式を無効化しなければならない。
もしあの時、手紙をギルに届けたのがレオディーナでなければ彼は呪いを受けて未だに解呪できていなかったかもしれない。
「俺があの時に唱えたのって、ただの回復魔法じゃなくて浄化の類だったの?」
「だと思います。浄化の魔法以外で呪いを解くことは出来ないはずですから」
「その浄化が必要なんだ。おそらく、母上は呪われている」
ギルの母親は、しばらく前に突然倒れた。最初はただの夏風邪だと当人も思っていた。処方された薬を飲んで、安静にしていれば治ると。
しかし薬は何の効果もなく、ポーションや回復魔法を使えば一時的に体調は回復するが完治には至らない。そしてついには昏睡状態になってしまった。
「病ではなく毒も疑ったが、解毒用の魔法も効果が無かった。母上を診た魔道士は『大病だ』としか診断できず、神官は祈るだけで役に立たない」
「だから、呪われていると?」
「それだけじゃない。母上から常に魔力が見えるんだ」
レオディーナは詳しくは知らないが、ギルは「視界内のものが発している魔力が見える」魔法を使える。最初は魔法を使ったかが分かるのかと思っていたが、彼の口ぶりを聞くとそのようだ。
(だからあたしが使っている魔法が『変色』だって気づかないのかな)
そう納得している間も、ギルは話し続けていた。
「最初は母上自身の魔力かと思っていた。体調不良の時に、無意識に魔力を使って回復を図ることは珍しくないからな。だが、看病をしているうちに気が付いた。魔力の色合い……雰囲気のようなものが、母上とは違うと」
「そんな事も分かるの?」
「螺旋訓練法の効果で、魔力制御が上がったからです。つまり、あなたのおかげです」
そうテッドが補足した。
「だからまず毒を疑った。魔法の毒薬なら、調合した錬金術師の魔力を纏っているはずだからな。だが、そうでないのなら呪詛しか考えられない。
しかし、全て俺の推測だ。俺の目に映っているものを、他人に証明する手段が無い」
そこまで語ると、ギルはレオディーナに向き直った。
「改めて頼む、レオ。母上に浄化の魔法をかけてくれ。母上を助けたいんだ」
「うん、わかった」
「あの家と何の関わりもないお前に頼むのは――いいのかっ!? そんな簡単に決めて!? ちゃんと考えたのか!?」
「考えたよ、坊ちゃんの事情を聞いている間に色々と」
約半年前、テッドからギルが「とある貴族の後継者の有力候補になった」と聞いた。「なった」ということは、それまでは違ったということだろう。
そうなると、ギルはその貴族家の嫡男や次男ではない。三男以降か、当主の兄弟姉妹の子。庶子の可能性だってある。
そんな立場と推測されるギルが、有力な後継者候補になるということは、関わるとややこしいことになる……場合によっては身が危険になる事情があるはずだ。
確実に、ギルを次期当主にしたくない勢力がいる。ギル本人ではなくその母親を呪う動機は不明だが、レオディーナがその邪魔をすれば、彼女も敵とみなされる可能性が高い。
「なら、何故助けてくれるんだ? 情けないが、母上を助けてもらっても今の俺に相応の報酬を払う力は無いぞ」
不安に揺れる瞳で問われたレオディーナは、考えて捻りだした口実を口にした。
「そりゃあ、もちろん欲得ずくだよ。ギル坊ちゃんって、貴族の後継者の有力候補なんだろ? だったら、今恩を売っておけばお得じゃん」
頼られたとき、考える前に応えたいと思った。助けたいと感じた。ただそのまま口に出すのが何故か照れくさくて、何故そう思ったのか不思議で、理由を考えずにはいられなかった。
「……分かりやすい嘘だな」
何故か嘘扱いされたが。
「う、嘘じゃないってっ! ちゃんと出世払いしてもらうから!」
「分かった分かった。俺が爵位を継いだ暁には、お前を家の筆頭お抱え魔道士にしてやる。一生世話をしてやるから期待していろ」
早口でまくし立てるが、ギルはやはりレオディーナが言った口実を信じていない様子だった。しかし、嬉しそうに笑っていた。
「はぁ、まあいいや。それじゃあさっそくギル坊ちゃんのお母さんの呪いを解きに行こうか」
「いえ、日を改めましょう」
しかし、事はそう早く進まなかった。
「なんで? 夜の間にやっちゃったほうが良くない?」
「坊ちゃんの母君、ガラリア様は今寝たきりで昼夜侍女が交代で看病しています。その侍女にあなたの事を説明することが出来ません」
「母上に呪いをかけたのが誰なのか分からない以上、信頼できる相手は限られる。……元々、信頼できない奴もいる」
テッドの意見に頷き溜息を吐き、一転して暗い顔つきになるギル。彼の家も色々あるのだろう。
(パパの愛人との間に出来た隠し子のあたしよりギル坊ちゃんの方が大変そう)
会ったばかりの頃、彼をちょっと事情あるだけの金持ちのボンボンだと思っていたレオディーナは内心反省した。
「じゃあ、どうすればいいのさ?」
「信頼できる侍女が二人いる。テッドの母親と姉だ」
女性嫌いらしい坊ちゃんが二人も? そう思っていたら納得の理由だった。
「なるほど、それは信頼できるね。ところでお父さんは?」
「父は今王都にいないんですよ。それともちろん侍女ではありません」
「テッド、冗談はよせ。二人に手引きさせるから、屋敷の裏口から入って来い」
「屋敷の中では使用人見習いに変装してもらいましょう」
「俺みたいな子供の使用人っているの?」
「僕みたいな子供の使用人もいますよ。臨時で雇うこともあるので、仕着せの予備があったはずです」
レオディーナは言われて思い出したが、テッドも使用人だった。この世界には児童労働を禁じる法律は無い。
「これから屋敷に帰って、二人に話を通して準備する。また明日ここに来られるか?」
「大丈夫だよ。じゃあ、また明日ね」
それから日程を合わせて、後日レオディーナはギルの屋敷へ赴いた。もちろんナタリー達にも秘密で。
(丁度地下室を増築した後でよかった)
バンクレットを始めとした家庭教師の授業も入っていない日を選び、ナタリーには地下五階で空間を操作する魔法の研究に集中すると言っておいた。
集中したいから出てくるまでそっとしておいてほしい。弁当と飲み物持参で籠るから、差し入れも大丈夫と。
(ええっと、地図によるとギル坊ちゃんのお屋敷は……)
いつもの場所とギルの屋敷との道順を描いた地図を頼りに進むと、そこは旧貴族街の中でも広い方の屋敷だった。
「あなたがレオ君ね? 小さな魔法使いさん、坊ちゃんがお世話になっています」
「こんにちわ、タニアさん、クロエさん。今日はよろしくお願いします」
そこでテッドの母のタニアと姉のクロエと合流。事前に教えられていた通り、テッドと同じ緑色の髪をしているのがタニア、金と言うよりカスタードクリームに近い色合いの髪をしているのがクロエ。
「では、私の後をついてきてください。それが当然だという態度で」
そのままタニア達はレオディーナを連れて、屋敷の裏門を開けて屋敷に入った。その間裏門の警備員や他の大人の使用人とすれ違ったが、誰も彼女に注意を払わない。
子供を臨時で雇うことが多いのか、タニアが上手く話を通したのか、どちらかだろう。
「レオ君、残念なお知らせがあります」
そしてそのままタニア達一家が使っている部屋に連れていかれ、そこで強張った表情をした彼女にそう告げられた。
いったい何が起こったのだろう? そう緊張して彼女の言葉の続きを待つと――。
「残念だけど、子供用のボーイの服が用意できなかったの。あなたにはメイド用の服……女装をしてもらうわ」
「嫌だと思うけど、お願いします」
「あ、うん。じゃなくて、仕方ないなー。でも分かったよ」
拍子抜けて頷いてから、(そうだ、今のあたしは『レオ』少年だった!)と思い出したレオディーナは、取り繕うようにそう言うと、渡されたメイド服に着替えだした。
会ったばかりの友達の母と姉の前で着替えるのも少年としてはあれだが、今は非常時だ。時間をかけて演技に力を入れる余裕は、流石に無い。
タニア達はほっと安堵した後、すぐに動き出した。
「クロエ、私は奥様の看病を交代してきます。あなたはレオ君を……ああ、メイド見習いにレオ君は拙いわね」
「じゃあ、『レオナ』でどう?」
そう新たな偽名を提案する。レオディーナからレオ、そしてレオからレオナ。本名に近づいているが、呼びかけられた時に咄嗟に反応できなくなったら拙いので、これぐらいでいいだろう。
「そうしましょう。じゃあクロエ、『レオナ』ちゃんを連れて坊ちゃんと合流してから来なさい」
「はい、母さん。あら、その髪はどうしたの? あなたの髪の色のかつらは無かったはずだけど」
「魔法で伸ばしたっ!」
二人が話している間に、素早く自分に魔法をかけて帽子を脱いだ。『変色』で銀色になっている髪が広がるが、そう誤魔化す。クロエは「そんなことも出来るの」と驚かれたが、聞き返されはしなかった。
(かけたのはただの『ケア』だけどね)
ギルは魔力を見る魔法を使うことが出来るから、念のために必要のない魔法を使った。ちなみに、予定通りボーイに変装する場合は幻覚を帽子にかけて、被っていないよう見せかける予定だった。
「手伝いましょうか?」
「大じょ、いや、お願いしますっ」
「よく似合っているわ。とても可愛いわよ」
「ありがとう、ございます」
ヘッドドレスやエプロンを整え、髪を三つ編みにしてもらった『レオナ』はクロエに続いて歩いた。
メイド服の着心地は……とてもいい。
(普段のワンピースより動きやすい。流石作業着。帰ったらパウルさんに頼んでみようかな?)
何せ普段からワンピースを着て過ごしているので、スカートに脚を取られるようなこともない。約一年受けてきた礼儀作法の授業のおかげもあって、危なげなく歩くことが出来る。
口調が固いことを除けば、今のレオディーナはメイド見習いの少女にしか見えない。
(問題は坊ちゃんとテッドか。男じゃないってこのタイミングではばれたくないんだけど)
粗相をしないせいで女だとばれるかもしれない。考えすぎかもしれないが、そんな思いが脳裏をよぎる。しかし、自然な仕草で故意に粗相をするなんて器用なことが出来るわけがない。
「坊ちゃん、クロエです」
『入れ』
そして扉をノックしたクロエに続いてギルの部屋に入る。
「予定通りだな。レオは――!?」
部屋の中でクロエと『レオ』との合流を今か今かと待っていただろうギルが、動きを止めた。
「メイド見習いの『レオナ』です。よろしくお願いいたします、ギル坊ちゃん」
どうするか迷った挙句、冗談っぽくして誤魔化そうと思ったレオディーナ。しかし、ギルは硬直したまま何も言わない。
「あはは、俺だよ、坊ちゃん。どう? 可愛い?」
反応の無さに焦り、さらに可愛い子ぶって見せるレオディーナ。何とか誤魔化そうと、久しぶりにナタリー直伝のポーズまで取ってしまった。
「……クロエ、どういうことだ?」
「予想外のトラブルで、ボーイの『レオ』ではなくメイド見習いの『レオナ』を連れてくることになりました」
顔を赤くして視線を逸らし、クロエとしか話さないギル。
(ヤバイ、怒らせちゃった)
考えてみれば、今は坊ちゃんにとって母親が呪われている非常時だ。冗談に付き合っている場合じゃないと、気分を害してしまったとレオディーナは内心青くなった。
「今は、そんな場合じゃない。行くぞ」
そしてレオディーナと視線を合わせないまま、ギルは彼女の横を通り過ぎる。
「可愛すぎて直視できない、だそうですよ」
「あはは、ありがとうございます……」
やっちまった。クロエのフォローにも乾いた声しか出せず、レオディーナは再び彼女の後ろに続く。
「テッドは部屋の外で見張りについてくれる。誰かが近付けば知らせる手はずだ。その間に頼んだぞ、レオ……ナ」
「うん、任せてよ、坊ちゃん」
しかし、何時までも落ち込んではいられない。強引に気を取り直して、レオディーナは廊下を進んだ。
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