13話 キノコ栽培事業の始動と、正妻の苛立ち
初老の作業員――オランドが語った事情によると、一年前、彼の幼い孫が目を離している間に両手に重度のやけどを負ってしまった。命に別状はなかったが、両手の皮膚がくっついてしまい親指以外の指が離れなくなってしまったそうだ。
村はもちろん領都の薬師でも孫の指を治すことは出来ない。領主様御用達の商会に相談すると、王都の回復魔法専門の魔道士か、神殿を頼らなければならないという。
しかし、そのためにはかかる金はオランドと息子夫婦にとっては莫大な額だった。
幼い孫だけで王都までいかせるわけにはいかないので、最低でも息子夫婦の片方を付けなければならい。二人分の往復分の交通費、王都での滞在費。それはまだ何とかなる。
何とかならないのは、高度な回復魔法をかけてもらう施術料。そして何より紹介料だ。
「領主様御用達の商会も、神殿の神官様も、高名な魔道士様や司祭様と顔つなぎをしてねぇ。そんな方々に診てもらうには、金を積むしかないんだ。だから……」
「それで、家族の内働けるものは全員この現場で働いていると」
「そうです。冬の間は孫を婆さんに任せて、息子夫婦もここで。今は、畑の世話をするため息子は戻っているが、嫁はテント村で飯炊きや洗濯をして働いている」
そこまで語ったオランドは、再び手をついて頭を下げた。
「頼むっ! このままじゃ孫の将来に関わる! 畑を継げるか分からんし、嫁が来てくれるか……」
彼の孫は今、両手に野球のグローブをはめたような状態だ。直接命に係わることはないが、日常生活に出る支障は小さくない。元通り治せるなら、苦労したとしても治したいだろう。
そんな時に、雇い主が連れていた魔道士の弟子が回復魔法を使って見せた。なら、必死に頼み込むのはオランドにとって当然だった。
(ここで頼めれば、かかるのは施術料だけ。交通費や滞在費、そして問題の紹介料も払わずに済むものね)
「ここで稼いだ金全部っ! それに俺の寿命も魂も全部やっても構わない!」
「「いやいやいや、落ち着いて(くれ)」」
とんでもないことを言い出すオランドを、バンクレットとレオディーナは慌てて宥めにかかった。金はともかく、寿命や魂なんて差し出されても困る。そもそも受け取りようがない。御伽噺の魔女や悪魔じゃあるまいし。
何より外聞が悪すぎる。
(そもそも、私はそんな高度な回復魔法は唱えられん! パウル殿ーっ! どうにかしてくれ!)
そして、最も追い詰められていたのがバンクレットだ。彼も回復魔法は使えるが、初歩的なものばかり。浅い切り傷を塞ぐことは出来るが、重度の火傷痕の治療なんて無理だ。
「事情は分かりました。皆さん、先ほど発表した割引制度ですが、予定を早めて当商会で雇用している者の家族も対象に含めることにします」
「家族……ということは孫も!? 本当か!?」
そしてパウルがそんなことを言い出すので、バンクレットは胸の内で悲鳴をあげた。
「ええ、あなたのお孫さんの治療費も当商会の商品を利用、もしくは雇っている魔道士に依頼するのなら割り引きましょう。しかし、それでも高名な魔道士に高度な回復魔法の依頼料を払うとなると……割り引いてもあなたに払うことは出来ないでしょう」
だが、パウルがそう言いながら自分に目配せをしているのに気が付いて、彼の言わんとしていることを察した。
「どうにかなりませんか、ギュスタン殿」
「そうだな。オランド殿、貴殿には同情するが私も魔法を安売りするわけにはいかん。しかし、私ではなく未熟な弟子の練習台になるというのなら話は別だ。出来るかね、レオディーナ嬢?」
そう自然に、バンクレットではなく弟子のレオディーナが重度の火傷痕を治す流れを演出する二人。
バンクレットは体面を保てて、パウルはさらなるイメージアップを図ることが出来る。
「大丈夫だと思います、先生」
そしてレオディーナは回復魔法の練習が出来るし、報酬も手に入る。何より、彼女も鬼ではない。自分に対して良い印象を持っていなかっただろう相手でも、事情を聞くと同情するのを止められない。
「あなたのお孫さんは何処に? ほう、そこなら馬車で一時間もかかりませんね。では、治療は昼食を取った後で行いましょう。ギュスタン殿、お嬢様、午後の予定は変更ということで」
そして午後からレオディーナ達は馬車でオランドの孫がいる彼の村に向かった。
(傷跡の治療はお祖母ちゃんの小さな火傷痕を消した時以来だけど、今ならいける気がする)
螺旋訓練法を続けて半年以上。今のレオディーナの魔力量はスラムで暮らしていた時と比べて倍増し、魔力制御技術は圧倒的に向上している。当時は銅貨よりも小さな火傷痕を消すのも苦労したが、今ならもっと重い火傷痕も治療できる。
その確信は正しかった。
「……『再生』」
三歳くらいの幼児の両手に手をかざし、『治癒』よりも難しい魔法を唱える。魔力を注ぎ、爛れた火傷痕の下から正常な皮膚を再生させ、火傷痕をカサブタのように剥がす。
「あ……おてて……」
痛みもなく火傷痕が剥がれ、後には柔らかな皮膚に覆われた指を目にしたオランドの孫は目を丸くしていた。指が別々に動かせることに、驚いているようだった。
「ありがとうっ、本当にありがとう!」
「いろいろ言ってすまなかった! あんたは俺たち家族の恩人だ!」
「綺麗に治せてよかったよ。お大事にね」
オランドとその息子夫婦に感謝されたレオディーナは、(色々言われてたのか~)と思いつつも悪い気はしなかった。
それからオランド以外の作業員たちからの態度も緩和され、若干距離は取られつつも声をかけられることも多くなった。
「聞いた話によると、この辺りには魔法を使う者がほとんどいないらしい。だから偏見があったのだろう」
「そっちだったんだ」
人間は未知のものを怖がる。オランド達にとってレオディーナの肌の色より、魔法を使うことの方が偏見の対象だったようだ。彼らにとって見慣れない肌の色も、全く影響しなかったわけではないだろうけれど。
「何より、君が強化魔法をかけた拳で岩を殴り砕いたのが衝撃的だったそうだよ」
「あっ……それは怖がられても仕方ないかな」
その後、肝心のキノコ栽培場に錬金術を施す工事は簡単に終わった。量産した魔法式を書いた木のブロックを壁に埋め込み、魔力を込めて発動する。それはレオディーナにとって難しいことではなかった。
「この結界を家にも張れれば、夏でも快適に過ごせそうだ」
「このままだと一年中発動し続けるから、冬は困ると思うよ。暖炉を使ってもすぐ冷えちゃうだろうし。それと湿度が高いからカビるかも」
「何でもかんでも魔法でどうにかできるもんじゃないようですな」
作業員の中で最もレオディーナと距離が近いオランドは、なるほどと頷いた。
そのオランドは、ここの工事が終わっても孫の治療費の支払いのためにこのキノコ栽培場に就職することが決まった。
今までこの現場で働いて稼いだ金を全て払わせ、借金まで背負わせるのは外聞が悪い。何より、借金を回収できるか不安が大きい。なら、給料の三割を借金返済のために納める契約で雇用したほうがいい。
そう考えたパウルが提案し、オランドはその提案を喜んで受けた。
オランドはまだ五十代。健康面に不安はないので、借金を返し終わるまで働ける。それに、給料が七割でも息子夫婦が畑で働けば十分生活できる。畑が不作続きになるようなことがなければ、むしろ以前より収入が増えるぐらいだ。
「これでマッシュルーム棟、シメジ棟、シイタケ棟、マイタケ棟、全て完成です。あとは栽培できるか試すだけ。
では、お願いします」
そう言うパウルが、彼の部下が運んできたおが屑の塊を手で指す。
「任せて。『成長促進』!」
そしてレオディーナが魔法を使うと、おがくずの塊――菌床から、見る見るうちにキノコが顔出し、笠を開いた。
「おおっ! これでこの栽培場でキノコが育つことがはっきりしました! 栽培場の完成です!」
その日は栽培場の完成を祝って、宴会になった。もちろん酒はパウルの提供だ。そして主な食材はレオディーナが『成長促進』で育て収穫したばかりのキノコ。
「皆さ~ん、お料理ができましたわよ~」
そして調理担当の中にはナタリーもいた。半年前は野菜を切る事しかできなかった彼女だが、メアリーに教わってそれなりの料理が出来るまでになっていた。
「奥様、そこまで本格的に働かなくてもいいのですが……」
「あら、これも勉強よ、パウルさん。礼儀作法の先生に聞いたの、最近上流階級の奥様やお嬢様の間で夫や婚約者に手作りの菓子を贈るのが流行っているって」
自分も愛しいアルベルトに同じことをしたい。そうした理由でナタリーは手料理を習得していた。
「はぁ、妙なことが流行ってしまったものですな」
パウルからしてみると、貴族の夫人や令嬢がわざわざ手料理を作ること自体が理解できなかった。雇用しているプロの料理人に作らせたものの方が、よほど旨いだろうに。
「ほう、このシイタケのフリッター、付けるのが塩だけとは珍しい……いや、美味いっ! これはその先生のレシピですか? それともメアリーの?」
しかし、油で揚げたシイタケを食べるとその意見は変わった。フワっではなくサクっとした食感に、キノコの旨味。間に挟まれたひき肉の肉汁が口の中で溢れでる。あまりの美味さにパウルはすぐに一つ目を食べてしまい、二個目にフォークを伸ばしていた。
「それはね、ディーナがスラムで暮らしていた時に作ってくれた料理よ」
「スラムでこれを!?」
「ええ、滅多に作れなかったけど。あの時はお店から持ち帰ったオリーブオイルと、ベーコンやジャーキーを使ったのよね」
『空になった』壺から数滴ずつ集めたオリーブオイルに、客の残し物を刻んで作った干し挽肉で作る揚げ物はスラムではご馳走だった。
「メアリーも、フリッターより楽に作れるって喜んでくれているの。今度、息子夫婦と孫にも作ってあげるんだって言っていたわ」
フリッターは小麦粉を食用油、卵黄、白ワインを加えて混ぜ、メレンゲでフワっとさせたものにつけた食材を揚げる。しかし、レオディーナがスラムで作ったのは小麦粉に水しか加えていない。今は卵も加えているが、それだけでサクッと仕上げる。
「それで、この料理の名前はなんと?」
「ディーナは卵を使わないのはカラアゲ、使うのはテンプラって呼んでいたわ。由来は聞いてもよくわからなかったけど」
それは、レオディーナがスラムで生活の潤いになる料理を作ろうと前世の知識から作った料理だった。少ない油で炒め揚げにして、天つゆがないから塩で食べた。
魔法では食用油を作れないし、雑草の実から絞ろうにも当時の魔力量ではとても足りない。だから本当に滅多に作れないご馳走だった。
「ふぅむ。材料が足りないからなのか、それとも触感からか……そうした理由で『カラ』なのか? しかし『テンプラ』とは……」
「それと、これはシイタケの挟み揚げで、そっちのはシメジ、こっちはマッシュルームのかき揚げよ」
「ひき肉をキノコで挟んで揚げる料理と、かき集めるようにして揚げた料理、ということですか」
現時点で、知識チートをするつもりはない。レオディーナはそのつもりだった。この揚げ物も、スラムで自分と母だけで食べるための物の一つでしかない。旧貴族街の家に引っ越してから、メアリーにレシピを教えて作ってもらったのも、広めるためではなかった。
……っと、言うよりも広まってもそう注目を集められるものではないし、稼げもしないと思っていた。
地球で天ぷらが有名になったのは「和食」、もっと言えば「日本文化」が認知されていたからだ。この世界には、それはない。だから、カラアゲやテンプラが知られても「卵が手に入らないスラムの住人が、工夫して作った貧乏料理」や、「フリッターモドキ」としか認知されないだろうと。
「由来はともかく奥方、他にお嬢様が作った料理はありませんか?」
レオディーナだけならそうだった。しかし、パウルはやり手の商人で彼が経営するピッタリア商会は手広く商売をしていた。
「たくさんあるわよ。草の実のパスタとか。でも、ディーナに直接聞いたほうが良いんじゃない?」
「もちろんお嬢様にも聞きますが、今は忙しいようですから」
その頃、レオディーナはステーキにするためにマッシュルームを魔法で大きく成長させていた。
テント村の賑わいの届かない、領都にある領主の館。そこは閑静な、もしくは陰鬱な空気が漂っていた。
使用人の数を絞っているので、館の清掃や庭の手入れが行き届いていない。館内に置かれた芸術品も薄く埃をかぶっており、当主と家族の肖像画も先代夫婦の、それも若い頃までしかない。調度品のいくつかは平民の家にもある物で、使用人の制服はよく見れば修繕跡が幾つもある。
貴族としての体裁も、最低限保たれているか怪しい。しかし、ここ……オルフェ伯爵家の屋敷の人間はその事に誰一人として気づいていなかった。この屋敷では誰も他の貴族家に赴かず、客を招くこともないからだ。
長年この状態の館で暮らしているので、これで普通なのだと思い込んでしまっている。
この館とレオディーナ達が暮らす旧貴族街の家。どちらが貴族の住まいらしいかと聞かれたら、誰もが「広さ以外は後者」と答えるだろう。
その館の主にして実質的な領主の部屋の戸がノックされた。
「入りなさい」
「失礼します、カタリナ様」
現れたのは、快活さや柔和さをどこかに落としてきたような老家令だった。背はまっすぐ伸び、挙動も素早くきびきびとしている。だが、顔があまりに老け込んでいるため老人にしか見えない。
「どうしましたか、ライオット」
老家令のライオットを迎えたカタリナ・オルフェ伯爵夫人も、見る者に陰鬱とした印象を与える人物だった。貴族の夫人だというのに装飾品を付けず、着ているのはドレスだが色合いもデザインも地味。そして、修繕を繰り返していることが窺える。
もちろん、化粧は最低限。肌の不健康な白さを隠そうともしていない。
「お手紙が届いております。まず、商業ギルドからピッタリア商会からの報告書です」
「そう。判は押しておくから、後はお前の方で処理しておきなさい」
「畏まりました。次に、アルベルト様からです」
「……あの人もしつこいですね。無駄だということが分からないの?」
カタリナは苛立ちのあまり顔を顰めたまま、ライオットから手渡された分厚い封筒を受け取る。そして中に入っていた形だけの挨拶が書かれた便箋を見もせず脇にどけ、それ以外の書類を広げた。
まず、領内の街道の拡幅工事と整備の要望書。最低でも領都や町、他の領地との間を結ぶ街道は馬車が行き違える広さにするべきだと訴える内容だ。
次に、神殿と和解して布施をし、領内の神殿に正規の神官を派遣してもらうよう願い出るべきだと訴える要望書。紙面には神殿で行う初等教育、そして回復魔法の使い手の必要性について詳細に書かれている。
次に、御用商人のルルモンド商会以外の商会とも取引するよう訴える要望書。
その次は、魔道士を雇用するよう訴える要望書。
さらにその次に、カタリナに今年の社交シーズンに王都に来て自分と共にパーティーに参加するよう求める手紙。
そして最後は、カタリナに領地の境界を接する領主の夫人が開く茶会に娘を連れて出席するよう求める手紙。
「ルナリアを連れて出席するよう書かれている以外、前の書類と同じね」
アルベルトの手紙は、カタリナにとって浪費でしかなかった。書かれている内容も、手紙そのものも。
街道の拡幅工事にどれほどの予算が必要だと思っているのか? 整備だって、今まで行っていた頻度と規模で充分だ。
神殿に高い布施を払う必要はない。領民向けの教育は、領民自身がやっている。治療も、薬師がいればそれで済む。
父の代からの付き合いのルルモンド商会以外の商会と取引する必要も無い。オルフェ伯爵家名義の取引をルルモンド商会に独占させることで、経費を安く抑えられているのだから。
魔道士も警備兵の増員も、必要ない。魔法が無くても領地の運営は滞りなくできている。そしてオルフェ伯爵領は他国から距離があり、魔物の発生率も極端に低い。古くから伯爵家に仕えている今の兵と、領民で組織している自警団で事足りる。
何かあっても、ルルモンド商会を通じて傭兵ギルドの傭兵を臨時で雇えるから心配いらない。
社交なんて無駄の究極だ。見栄のために湯水のように金を使うなんて、正気の沙汰ではない。貴族でいる以上避けられない、必要最低限の社交はアルベルト自身がやっている。だから、これ以上は必要ない。
今までそれらのことはしないでも、問題は『起きていなかった』のだから。
そして、手紙を出すのも要望書を書くのもタダではない。カタリナもそこまで目くじらを立てなくないが、似たような内容が何度も続けば苛立ちも募る。
せめて暖炉の焚き付けにでもして有効活用したいところだが、それも出来ない。正式な書類には保管義務があるからだ。実態は伴っていなくても、内容は無駄でも、オルフェ伯爵家の現役当主が書いた書類だ。
そう、ラドグリン王国では貴族家の家督を女性が継ぐことはできない。オルフェ伯爵家の正当な血筋が流れているのはカタリナで、実権も彼女が握っている。だが、書類上の当主は彼女の夫であるアルベルトだ。そのため、彼の書いた書類は十年は保管しなければならない。
「ライオット、いつもの場所に」
「はっ。では三通目ですが――」
「まだあったの?」
「いえ、これはアルベルト様からではなく、ルルモンド商会からです」
受け取ると、確かに御用商人のルルモンド商会からだった。書かれていたのは、領地内でのピッタリア商会の活動をどうにか……つまり圧力をかけて妨害してほしいという要望だった。
「ライオット、これは暖炉の焚き付けにしなさい」
つまり、手紙は後々違法行為の証拠にされかねない危険なものだ。書類と違い、保管しておくわけにはいかない。
「ルルモンド商会の気に障るようなことが、最近起きたの?」
「しばらく前から領民達を雇って工事をしています。キノコの栽培事業を始めるそうです」
「そう……」
アルベルトとピッタリア商会が事業を起こすのは、以前からあった。それらの事業は商業ギルドの規則に則った合法なもの。資金も、アルベルトの私財とピッタリア商会の持ち出しで、オルフェ伯爵家の資産は使われていない。
それで事業が成功すれば、それは良し。領民の仕事と収入が増えれば、オルフェ伯爵家に入る税収も増える。
失敗したとしても負債を抱えるのはピッタリア商会、そしてアルベルト個人だ。彼とは、借金を抱えてもオルフェ伯爵家は払わない旨を契約書にして残している。
どちらにしても、オルフェ伯爵家に損はしない。
(お爺様の借金は完済したけれど、今は亡きお父様が目標にした金額まで蓄えは出来ていない。災害や戦争が起これば、オルフェ伯爵家は再び困窮してしまう。今は支出を減らし、蓄える時期。
そうすれば、ルナリアが成人して結婚する頃には――)
その結婚相手。未来の義息子もカタリナは気に入らなかった。敵国から寝返ったウェンディア伯爵家の次男、カルナス。信用の置けない家系出身者を身内、しかも次期当主にするなんて。
(あの男が纏めてきた縁談。正式な書類を交わす前に気が付いていれば、無効に出来たものを――う゛!?)
不意に胸の奥を襲った鈍痛に、カタリナはうめき声をあげた。
「カタリナ様!?」
「心配いらないわ。このところ仕事が忙しかったが、そのせいでしょう」
「お休みになられた方が……」
「いいえ、これからルナリアの勉強を見る予定があります。休むのはその後です」
しばらくすると、鈍痛は収まった。日頃の疲れが出ただけだと、カタリナは不調を無視すると椅子から立ち上がった。
「あの子には今から仕事の仕方を教えておかなければなりません。このオルフェ伯爵家をしっかり継げるように」
カタリナはルナリアを愛していた。彼女のために割く時間を惜しむつもりはない。……施している教育が伯爵令嬢や婦人ではなく、子飼いの部下を育てる類のものだとは自覚していなかったが。
「あの子は私の娘なのですから」
「勿論です、カタリナ様」
そして、そのルナリアの父であるアルベルトがここでどんな存在かは……二人が彼を「旦那様」と呼ばないことからも明らかだった。
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