9話 宮廷魔道士から見た目立たない天才とその弟子
元同級生と予期せぬ再会を経たバンクレットは、レオディーナを連れて受付に到着した。これでやっと目的が果たせる。
「この子の登録を頼みたい。私の弟子だ」
「では、こちらに記入をお願いします」
書類には師匠の氏名、そして弟子の氏名を記入する。バンクレットはレオディーナが本名を書いていることを念のために確認後、事務員に返した。
男装しているレオディーナの名前を見ても、事務員は何も言わなかった。関心がないのか、あえて口に出さなかったのかは不明だ。
「では、魔力紋登録を行います」
魔力紋登録とは、指紋のように個人毎に異なる魔力紋を魔道具で鑑定し、それを書類と会員証に登録。以後、魔道士ギルドではそれで個人識別を行うことを指す。
「説明は必要ですか?」
「いえ、師匠に教えてもらいました。大丈夫です」
「では、こちらの魔道具に魔力を込めてください」
渡された板状の魔道具に言われた通り魔力を込める。すると、魔道具の表面に精緻な幾何学模様が浮かび出た。
その幾何学模様がレオディーナの魔力紋だ。
「はい、結構です。では、少々お待ちください」
そして数分と経たずに手続きは終わり、レオディーナの名が刻まれたタグが事務員から渡された。
「こちらが会員証です。紛失した際は再発行の手数料に銀貨三枚がかかりますので、ご注意ください。
登録時に無料で預金口座を開設することが出来ますが、どうしますか?」
「お願いします」
こうしてレオディーナは魔道士ギルドの組合員になった。彼女が公の身分を初めて手に入れた瞬間である。
今後はパウルからの報酬は魔道士ギルドの口座に振り込まれることになる。
「預金の振り込み、引き出しは魔道士ギルドの各支部及び、商業ギルドと提携銀行で行うことが出来ます。ただし、魔道士ギルド以外をご利用の場合は都度手数料が発生するのでご注意ください」
そしてレオディーナの手続きは終わった。ギルドには据え置き型の魔力量測定器もあったが、彼女は興味を示さなかった。それを幸いにバンクレットは彼女を連れて魔道士ギルドから立ち去った。
(八歳で大の中以上の魔力量だなんてことがばれたら、ギルド中が大騒ぎになってしまうからな)
帰りは、レスタトに呼び止められることはなかった。
「ヒルゼン殿、こちらが今年の新入生の資料です」
「拝見します」
魔道士ギルドのラドグリン王国本部長から渡された資料を開く。内容は他国のスパイが喉から手が出るほど欲しがる、魔道大学の生徒の個人情報。厳しい警備に守られた本部長室でなければ開けない、国家機密だ。
「――皆、優秀ですね。彼らと大学で会うのが楽しみです」
宮廷魔道士の仕事は多岐に渡る。その一つが、魔道大学での特別講師だ。レスタトがざっと目を通したのは、その際受け持つ生徒達。将来、王国の様々な分野の最前線での活躍を期待される若者たちだ。
彼らはほぼ全員上位貴族家の出身、もしくはその縁者。少なくとも、バンクレット・ギュスタンのように元は平民だった人物は一人もいない。
「そう言えばヒルゼン殿、当ギルドに相談したいことがあると伺いましたが?」
「ああ、それは解決の目途が立ちました。ギルドに手間をかけなくて済みそうです」
「それは、バンクレット・ギュスタンという魔道士と関係が?」
「耳が早いですね」
魔道士ギルドの上級幹部の選考は、魔道士としての技量や才覚よりも政治力が重視される。組織運営を司るのだから当然だ。
そして魔法の素質は遺伝の要素が強く、王族や高位の貴族程その素質が出やすい。レスタト、そして目の前の本部長も例外ではない。そのため、魔道士ギルドには血統を重視する者が多い。
「寡聞ながら、私は今まで彼の名を聞いた覚えがない。彼が本当に宮廷魔道士殿の抱えている問題解決の助けになるのですか?」
「ええ、彼の協力が得られれば必ず上手くいく。そう確信していますよ」
だからバンクレットのような平民出身の魔道士は下に見られやすい。ただ、彼が評価されないのは他にも理由がある。
「今の私があるのは、ギュスタン氏のおかげですから」
それはバンクレットの得意分野が地味で、注目を浴びにくいこと。そして何より、バンクレット自身ギルドで評価されるようなこと……論文の発表や執筆、実績のアピールなどをしていないからだ。
しかも、今彼が生業としているのは商会に斡旋された貴族の子女の家庭教師。ギルドにとっては「魔術師崩れ」の仕事だ。
これでは本部長や他の幹部たちがバンクレットの名を認知していなくても無理はない。
「それは冗談ではなく?」
「本当ですよ。彼の助けを得ていなかったら、私が螺旋訓練法を習得するのは三十路に入ってからだったでしょう」
そうなった原因のいくつかは、自分の不義理にあるのではないか? ここ十年、レスタトはそう思うようになっていた。
王立学園に入学した当時、レスタトは自分を優等生だと思っていた。侯爵家出身だが、三男で家督を継ぐ望みは薄い。しかし、魔法の才能が有り将来は宮廷魔道士の座も狙える。彼の家族や周囲、そして彼自身もそう思っていた。
そんなレスタトは自らの技術を磨くために、螺旋訓練法に挑戦していた。当時、既に螺旋訓練法の存在は公に発表されていた。その効果は従来の訓練法と比べて劇的であるため、魔道士やそれを目指す者はこぞって習得しようとしていた。
だが、その習得難易度は高く成功したのはごく一部の者達だけ。そして、レスタトはその中に含まれていなかった。
魔力を体内に止めたまま、循環させる。それだけなら出来た。だが、それを続けるとなると一分ももたなかった。持続的にやらなければ効果はほぼ出ないというのに。
だが、レスタトと同じ学生だったバンクレットは、螺旋訓練法を習得した。当時の――ラドグリン王国だけではなく、周辺国を含めて――最年少記録だ。
それまで名前と顔は覚えているだけのクラスメイトだった彼の存在を、レスタトは強く意識した。
いったいどんな秘訣があるのか。居ても立っても居られなくなったレスタトは、バンクレットに助言を求めて頼み込んだ。そんな彼に、バンクレットは時間を割いて訓練に付き合ってくれた。
そのおかげで、レスタトは一か月で螺旋訓練法を習得できた。
それからはより増えた魔力量と高まった制御力を存分に使い、魔法に熱中した。夢中で知識を高め、技量を磨いた。そして魔道大学に進み、魔法の道を邁進した。
その過程で、レスタトはいつの間にかバンクレットの事を忘れていた。彼はいつの間にか魔道大学を辞めてしまい、以後ギルドにほとんど顔を出さなかったので接点がなくなった。しかも、論文を発表することもなく話題にならなかったからだ。
そう言い訳はできるが、つまり自分は薄情で恩知らずだったのだ。何より、彼の優れた点に気が付けなかった。レスタトがそう自己を断ずるに至ったきっかけは、約十年前。彼が王国史上最年少で宮廷魔道士に就任し、弟子を指導する立場になった時のことだ。
弟子と言っても、何も分からない幼子ではない。十代後半、この国では成人して魔道大学に入学した新人魔道士達だ。
しかし、彼らはまだ螺旋訓練法を習得できていなかったので、レスタトはまずそれを教えることにした。だが、上手くいかなかった。最終的には全員習得できたが、それまでに一年以上かかってしまった。
自分には教える側に立つ技術がないのか? そう疑問を覚えたレスタトだったが、そうではなかった。調べてみると、彼の弟子以外の学生も螺旋訓練法の習得に約一年かかっていた。
さらに、ノウハウの蓄積や習得のためのマニュアル作成など、魔道士達の努力の結果螺旋訓練法の習得までにかかる時間は、これでも短くなっていることが分かった。
では、自分が一か月で習得できたのはまぐれなのか? それも違った。当時の王立学校では、学生でありながら螺旋訓練法の習得に成功した生徒達がレスタト以外にも何人もいた。彼らは、全員レスタトのようにバンクレットから助言を受けていた、
極め付きは、魔法の研究を趣味にしている貴婦人だ。彼女達が論文を発表することは以前からあったが、近年はその精度が目に見えて高まっている。プロの魔道士とは違う角度の研究は、レスタトも目を見張るものがあった。
その貴婦人たちが出席する茶会に出て話を聞いてみると、彼女達はなんと全員螺旋訓練法を習得していた。それを教えたのは、やはりバンクレットだった。
そう、レスタトが特別教師としての才が劣っていた訳ではない。特別なのはバンクレット・ギュスタンだったのだ。
天は、彼に二物を与えた。優れた魔法制御の才能と、他人の魔力に対する観察眼だ。
バンクレットはそれを活かして螺旋訓練法を習得した自身の経験を、魔力量や適性の異なる生徒達に巧みに落とし込む事が出来るのだ。
魔力量や魔法の腕、研究発表等を重視する魔道士ギルドでは埋もれてしまう天才。それがバンクレットだった。
(バンクレットの協力があれば、ギルバート君の指導も上手くいく。そのはずだ)
レスタトは王命で指導を命じられた生徒、ルーセント辺境伯家の養子となった少年の姿を思い浮かべる。
バンクレットなら彼をうまく教えられるはずだ。
ギルバートはきっと伸びるだろう。貴族家の中でも特に武力を求められるルーセント辺境伯家の、有望な跡取り候補に成長するのは間違いない。
今日会ったバンクレットが弟子にとった彼女のように。
「本部長殿、今日登録したギュスタン氏の弟子の名前を覚えておいてください。将来、きっとその名が王国中に轟くことでしょう」
十歳にもまだなっていないだろう少女が、既に螺旋訓練法を習得しているなんて凄まじい才能だ。レスタトの宮廷魔道士就任の最年少記録も、十数年後には塗り替えられているかもしれない。
「あなたがそこまで言うとは。分かりました、記憶にとどめておきましょう」
「ええ、きっと驚きますよ」
口先だけだ。後から確認するつもりもないな。そう本心を見抜きつつも、レスタトも本部長に話を合わせて、ギルドを後にすることにした。
(そう言えば、バンクレットは何故弟子に少年の格好をさせていたのだろうか? 何か訳アリなのか?)
彼女はレスタトに声をかけられた時に緊張からだろう、とっさに淑女の礼をしようとしていた。だから、彼女もバンクレットの他の生徒達と同じ貴族令嬢だと思ったのだが……。
(そこまでしているということは、相当込み入ったわけがあるのだろう。それとなく……いや、何かあったら力になるとはっきり言っておこう)
登録する際に異性装をしてはいけないという規定はない。だから、宮廷魔道士という立場にあるレスタトは追及しない。ただ、ギルバートの件で世話になるのだから何かあったら味方をすると伝えるに留めることにした。
魔道士ギルドに登録を済ませ、書類上バンクレットの正式な弟子となったレオディーナを待っていたのはより高度な魔法の授業だった。
「私の弟子となった君は、私の監督下であれば様々な魔法を教わることが出来る。とはいえ、攻撃魔法を教える予定はない」
「うん、パパとママから聞いてるわ」
攻撃魔法を教えない。レオディーナは両親とバンクレットの方針に異論はなかった。今の生活に必要ないし、攻撃魔法の練習ができる程家の裏庭は広くなかったからだ。
「その代わりに強化魔法や付与魔法の内、生活魔法の延長線上にある魔法をいくつか。そして錬金術を君に教えよう」
強化魔法とは、主に自分や他者の身体能力を強化する魔法。付与魔法は、物品に様々な魔法的効果を与える魔法だ。
そして、錬金術はそれらの魔法を永続的に付与し魔道具や霊薬を創り出す技術のことを指す。
「パウル殿からも『期待している』と言われているので、励むように」
どうやら、パウルが考えているレオディーナの魔法を活用したビジネスには、彼女が錬金術を習得することが必要不可欠なようだ。
「うん、頑張る。あたしたちの安定した生活のために!」
「その間も、螺旋訓練法は続けるように」
「……そっちの方が大変かも」
最近はいつまでも体内の魔力を循環させ続けられるようになったレオディーナだったが、他のことに集中している間はそうもいかない。
「螺旋訓練法はやればやるほど効果を出せる。最終的には、寝ている間も常に螺旋訓練法を続けられるようになることが目標だ」
「寝ている間も!? そんなこと出来るの!?」
「出来る。私がその証拠だ」
「先生って、やっぱり凄い。あの宮廷魔道士の人にも、あたしみたいに教えたの?」
「はっはっは、君にはあいつよりも効率的で丁寧に教えているよ」
バンクレットは色々な意味で教え甲斐がある生徒であるレオディーナに、自分が持てるすべての技を惜しみなく教授すると決めていた。
(レオディーナ嬢、パウル殿やアルベルト殿の期待や思惑を遥かに超え、魔道士としての高みに至るといい。それが君の人生を生きる力になり……私のためになるのだ!)
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