第13話 初夜
倶利伽羅峠の戦いから一夜明けた朝。
義仲軍の陣営は、勝利の余韻に包まれていた。
歴史的な大勝利を収めた武将たちの顔には、みな一様に誇らしげな笑みが浮かんでいる。
その中でも特に注目を集めているのが、義仲と巴の変化だった。
激しい戦いの中で、ふたりは愛を告白し合った。
契約結婚から始まった関係は、真の愛に昇華した。
巴を見つめる義仲の眼差しには、誰も見たことのない優しさがある。
巴もまた、義仲への想いを隠さない。
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夕刻、義仲は巴を呼んだ。
その声には、これまでとは違う、どこか艶めいた響きがあった。
「巴」
「はい、義仲様」
巴の返事も、心なしか弾んでいる。
「お前に伽を命ずる。今宵、俺の寝所に来い」
義仲の言葉に、巴の心臓が激しく跳ねた。
頬が薔薇色に染まり、瞳が潤む。
これまで義仲は、誰ひとり自分の寝所に近づけたことがなかった。
そこは、雷神としての彼の聖域だったからだ。
しかし、今夜からは違う。
「承知いたしました」
巴の声は、期待と緊張で震えていた。
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夜が更けていく。
巴は、侍女たちに手伝ってもらいながら、身支度を整えていた。
白い小袖に身を包み、髪を丁寧に結い上げる。
薄化粧を施し、ほのかに香を焚きしめた。
鏡に映る自分の姿を見つめながら、巴の心は高鳴る。
ついに、義仲と真の夫婦になる時が来たのだ。
月明かりが差し込む廊下を、巴は静かに歩く。
足音を立てないよう、そっと歩を進める。
義仲の寝所の前で、巴は深く息を吸い込んだ。
あまりの緊張に、全身が震える。
「義仲様、巴にございます」
巴の声が、静寂を破った。
「入れ」
義仲の声が、中から聞こえてきた。
巴は、そっと襖を開けた。
そこには、これまでに見たことのない、義仲の姿があった。
普段の武装を解いた義仲は、薄い夜着を身に纏っていた。
少しはだけた夜着の合わせから、男らしい、鍛え上げられた胸板が見える。
整った顔立ちに、切れ長の鋭い眼差し。
長い黒髪を後ろで軽く束ねただけの姿が、その精悍で野性的な美しさを、いっそう際立たせている。
金色の瞳が、巴を見つめてくる。
大人の余裕に満ちた眼差しには、これまでにない情熱の炎が宿っていた。
「美しいな」
その言葉に、巴の頬がさらに赤く染まる。
義仲の瞳に映る巴の姿は、美しくたおやかな乙女だった。
白い小袖が、透き通る肌を際立たせ、乙女の純潔を強調する。
艶やかな長い黒髪が肩に流れ、月光に照らされて絹のように輝く。
大きな瞳は潤み、桜色の唇が微かに震えている。
初々しい乙女の美しさが、そこにあった。
「こちらに来い」
義仲が、優しく手招きした。
巴は、恥ずかしそうに歩み寄る。
その仕草のひとつひとつが、義仲の心を揺さぶった。
義仲は、巴の手を取った。
その手は、温かく、そして力強かった。
「……怖いか?」
義仲の問いかけに、巴ははにかんで答えた。
「少しだけ……でも、義仲様となら、何も怖くはありません」
健気な巴の言葉に、義仲の心は熱くなった。
「巴」
義仲が、巴の名前を呼んだ。
愛おしさに満ちた声。
義仲は、巴の頬に手を添えた。
その手は無骨で大きく、そして意外にも優しかった。
「俺は、お前を愛している」
義仲の告白に、巴の瞳から嬉し涙が溢れた。
「私も……私も、義仲様を愛しております」
巴の返事と共に、義仲の唇が、巴の唇に重なった。
ふたりにとって、初めての口付け。
優しく、それでいて情熱的な口付け。
巴は、まさに夢見心地だった。
愛する人との口付け。
いつの世も変わらぬ、乙女にとっての永遠の憧れ。
それは想像以上に甘く、深く、巴の心と身体に染み渡る。
あまりの濃密さに、頭がくらくらする。
義仲の腕が、巴の腰を強く抱き寄せた。
巴の細い身体が、義仲の胸に押し付けられる。
ふたりは、そのまま寝具に倒れ込んだ。
月明かりが、ふたりを優しく照らす。
義仲の手が、巴の髪を撫でた。
戦場での荒々しさとは正反対の、優しさに満ちた手つき。
「お前は、美しい」
義仲が、巴の美しさに見とれてつぶやいた。
巴は、恥ずかしそうに顔を伏せる。
その仕草が、さらに義仲の内なる情熱を掻き立てた。
義仲の唇が、巴の首筋にそっと触れる。
巴の身体が、小さく跳ねた。
「義仲様……」
巴の声が、甘く、そして切なくかすれる。
義仲もまた、巴の初々しい反応の前に、理性を失いそうになっていた。
大人の余裕が、なくなってくる。
口付けの雨を降らせながら、義仲は巴の耳元で、吐息混じりに熱く囁いた。
「……これからお前を奪う。許せ、巴」
巴も、上気した頬で義仲を見上げる。
「……私の全ては、すでに義仲様のものにございますれば」
そこから先はもはや、言葉は不要だった。
ふたりの愛が、情熱的に燃え上がる。
月が西に傾くまで、尽きることなくふたりは愛し合い続けた。
明け方近くになって、ふたりはようやく眠りにつく。
義仲の腕の中で、巴は幸せそうに寝息を立てていた。
義仲もまた、愛する妻を抱いたまま、深い眠りに落ちた。
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昼過ぎに目を覚ました義仲は、兼平と親忠を呼び出した。
その顔には、満足げな笑みが浮かんでいる。
「兼平、親忠、来い」
義仲の声には、これまでにない余裕があった。
二人が義仲の前に平伏すると、義仲は巴を呼んだ。
「巴、こちらに来い」
現れた巴を前に、兼平と親忠は息を呑んだ。
よく知る彼女の美しさが、今日は全く違った色香を纏っている。
それは愛し愛された女だけが持つ、特別なものだった。
義仲は、巴の細い腰に手を回した。
その仕草は、明らかに一線を越えた関係を示していた。
「見ての通りだ」
義仲は、男の嫉妬を隠そうともしない。
「巴は、俺の妻だ。誰にも渡さん」
その宣言に、兼平は苦笑いを浮かべた。
「義仲様にも、存外子供っぽいところがおありになる」
兼平の言葉に、義仲は少し悪戯な面差しを見せた。
しかし、すぐに真剣な表情に戻る。
「兼平、親忠、よく聞け」
義仲の声が、厳しくなった。
「巴に不埒な想いを抱くことは、この俺が許さん」
義仲の警告に、兼平と親忠は、それぞれ複雑な表情を浮かべた。
兼平は、深く息を吸い込んだ。
そして、決心したように口を開いた。
「義仲様、私からお願いがあります」
「申してみよ」
「妹を……巴を、どうかよろしくお願いいたします」
兼平の言葉には、禁断の想いを断ち切る覚悟があった。
実の妹への許されぬ想いを、ついに手放す決意を固めたのだ。
「兄上……」
巴の瞳から、涙が溢れた。
愛する兄の苦悩を、誰よりも理解していたからだ。
親忠もまた、決意を固めていた。
「義仲様、私からもお願いがあります」
「何だ?」
「巴様を……巴様を、どうか幸せにしてください」
親忠の言葉には、初恋にケジメをつける、若武者の成長があった。
叶わぬ恋だったが、巴の幸せを心から望む。
親忠なりの、愛の形だった。
「親忠……」
巴の声は、感謝に満ちていた。
義仲は、ふたりの男の覚悟を受け入れた。
「分かった。巴は、俺が必ず幸せにする」
義仲の約束に、兼平と親忠は、深く頭を下げた。
こうして、長きにわたるそれぞれの複雑な思いに、決着がついた。
男たちは、それぞれの想いを胸に秘めながら、愛する女の幸せを願う。
木曾谷の空に、日の光が眩しく輝く。
新しい愛の始まりを祝福するように、温かく、希望に満ちて。




