第11話 倶利伽羅峠の戦い(中編)
火牛の計は見事に成功した。
平家十万の大軍は大混乱に陥り、夜の闇の中で右往左往していた。
ガシャン! ガシャン!
すでに、義仲軍の突撃が始まっていた。
三万の軍勢が、混乱する平家軍に襲いかかる。
しかし、さすがは平家の精鋭たち。
混乱を極める状況の中でも、総大将である平維盛は冷静さを保っていた。
「皆の者、慌てるな! 今は義仲のみを狙うのだ! 後は数の力でどうとでもなる!」
維盛の号令が響く。
「精鋭部隊は私に続け! 義仲の首を取るぞ!」
平家の精鋭の中でも、特に優秀な武将百人が、維盛の周りに集結した。
戦場の混乱に惑わされることなく、整然と隊列を組んでいる。
そして、義仲とともえを狙い撃ちにしてきた。
「義仲! そこにいるのは義仲だな!」
維盛の声が響く。
「全員で囲め! 逃がすな!」
百人の精鋭武者が、義仲とともえを包囲した。
四方八方から、槍と刀が向けられる。
「くそっ! 囲まれたか!」
義仲がギリリと奥歯を噛み締める。
そんな義仲の背中に、ともえは自分の背中を押し付けた。
二人は背中合わせになり、敵を見据える。
「義仲様! ともえがここにおります!」
ともえの声は、全く恐怖を感じさせなかった。
「ともえ……」
義仲の心に、これまで感じたことのない感情が湧き上がった。
この女のために、命を懸けて戦う――
そんな想いが、胸を熱くする。
「ええい! かかれ!」
維盛の号令と共に、百人の精鋭武者が、一斉にふたりに襲いかかった。
義仲の刀が一閃する。
ザシュッ!
鋭い刃が敵の鎧を切り裂き、鮮血が夜空に舞い散る。
敵の武者が苦悶の表情を浮かべ、膝から崩れ落ちた。
ドサッ!
重い鎧の音が、戦場に響く。
だが、義仲の動きは止まらない。
稲妻のような速さで、次の敵に向かっていく。
シュタッ!
義仲の足が地面を蹴った。
その瞬間、彼の姿が一瞬にして消える。
「何処だ!?」
敵の武者が慌てて辺りを見回した時には、既に遅かった。
ザシュッ!
背後から義仲の刀が、敵の首筋を捉えていた。
鮮やかな一撃で、また一人が地に倒れる。
ドサッ!
義仲の金色の瞳が、獲物を狙う猛獣のように光っていた。
その表情には、人間を超越した何かが宿っている。
「化け物……!」
敵の武者の一人が、恐怖に震え声で叫んだ。
義仲は冷たく笑った。
そして、再び刀を構える。
バッ!
義仲が地面を蹴ると、まるで風のように三人の敵の間を駆け抜けた。
ザシュッ! ザシュッ! ザシュッ!
三つの斬撃が、ほぼ同時に敵を襲う。
人間の目では追えないほどの神速だった。
ドサッ! ドサッ! ドサッ!
三人の武者が、同時に地面に崩れ落ちた。
義仲の刀身には、敵の血が滴っている。
しかし、その刃は少しも鈍ることがない。
「次は誰だ?」
義仲の低い声が、戦場に響いた。
人ならざる者の威厳が、そこに宿る。
義仲の戦いぶりは、圧倒的だった。
一振りごとに敵が倒れ、一歩進むごとに血の海が広がっていく。
その姿は、戦場を駆ける死神のようでもあった。
美しくも恐ろしい、究極の武者の姿がそこにあった。
一方、義仲の背後では、ともえの薙刀が月光を受けて、銀色に輝きながら宙を舞う。
その軌跡は美しい弧を描き、まるで天女の羽衣が風に舞うようだ。
ヒュン!
敵の武者が槍を突き出してくる。
しかし、ともえの身体は、既にそこにない。
ひらり――
まるで桜の花びらが風に舞うように、ともえは鮮やかに身をかわした。
長い黒髪が夜風になびき、美しい鎧が月光に煌めく。
ヒュン!
反撃の薙刀が、流れるような動きで敵の脇腹を捉えた。
ザシュッ!
鋭い刃が鎧の隙間を縫って敵を斬る。
敵の武者が苦悶の声を上げて膝をついた。
しかし、ともえの動きには一瞬の迷いもない。
次の敵が既に背後から迫っている。
くるり――
ともえが振り返ると同時に、薙刀が美しい円を描いた。
ヒュルルル!
薙刀の刃が風を切る音が、戦場に響く。
その音色は、まるで笛の調べのように美しかった。
「何という技……!」
敵の武者が、思わず見とれてしまう。
その隙を、ともえは見逃さなかった。
シュタッ!
地面を蹴ったともえの身体が、舞を踊るように宙に浮く。
薙刀を頭上で回転させながら、敵に向かって降下していく。
ヒュン! ザシュッ!
上段からの一撃が、敵の兜を真っ二つに割った。
ドサッ!
敵が地面に崩れ落ちる。
ともえは着地と同時に、次の構えに移った。
その一連の動きは、まるで流れる水のように流麗だった。
薙刀の柄を両手で握り、刃を斜めに構える。
「なんと美しい……」
また別の武者が、思わずつぶやいた。
しかし、その美しさは致命的だった。
ともえの薙刀が、確実な死をもたらす。
ヒュン! ヒュン! ヒュン!
三連撃が、まるで花が咲くように敵を襲った。
それぞれの攻撃は全く異なる角度から放たれ、その全てをかわすことは不可能だ。
ザシュッ! ザシュッ! ザシュッ!
三人の敵が、ほぼ同時に倒れた。
薙刀を構え直したともえの姿は、まさに戦場に舞い降りた戦乙女。
美しくも恐ろしい、究極の女武者の姿がそこにあった。
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その頃、別の場所では、兼平と親忠が決死の戦いを繰り広げていた。
「おふたりが囲まれた! ともえ様のお命が危ない!」
親忠が、血相を変えて叫んだ。
「ああ! 急ぐぞ!」
兼平も、妹の安否を案じていた。
ふたりは、敵陣を突破してともえの元に向かおうとしていた。
しかし、敵の数が多く、なかなか前に進めない。
ガキン! ガキン!
兼平の刀が、敵の攻撃を受け止める。
その技量は、すでに歴戦の猛者の次元に達していた。
ザシュッ!
兼平の刀が、敵の武者を斬り倒した。
「親忠、お前は先に行け!」
兼平が、親忠に叫んだ。
「俺がここで敵を食い止める!」
「しかし……!」
「いいから行け! ともえを頼んだ!」
兼平の言葉に、親忠は頷いた。
「分かりました! 兼平殿もお気をつけて!」
親忠は、敵陣を駆け抜けていく。
その目標は、ただ一つ。
愛するともえを守ることだ。
ザシュッ! ザシュッ!
親忠の刀が、敵を次々と斬り倒していく。
若い武将の刀は、恋慕の力に研ぎ澄まされていた。
一方、残った兼平は、ひとりで数多の敵と相対する。
「今井兼平、ここにあり!」
兼平の名乗りが、戦場に轟いた。
「腕に覚えのある者は、かかってこい!」
兼平の周りに、敵の武者たちが群がった。
しかし、兼平は決して後退しなかった。
ガシャン! ガシャン!
激しい戦いが続く。
兼平の身体は、すでに傷だらけだ。
しかし、その心は燃えていた。
愛する妹を守るため、命を懸けて戦う。
ザシュッ!
兼平の刀が、また一人の敵を倒した。
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戦いはますます激しさを増していった。
敵の数は依然として多く、義仲とともえを取り囲む包囲網は、一向に緩む気配がない。
義仲の額には汗が滲み、呼吸が次第に荒くなってきていた。
ともえの美しい鎧も夥しい返り血にまみれ、いくつもの傷がついている。
ガシャン! ザシュッ!
義仲の刀が敵を斬り倒すが、すぐに新たな敵が現れる。
二人の体力は、確実に限界に近づいていた。
(俺は、死ぬのか――?)
その思いが脳裏を横切った時、義仲の心に、これまで感じたことのない想いが湧き上がった。
これが最後になるかも知れない。
死を前にして、義仲にはどうしても、ともえに伝えたい言葉があった。
「ともえ……!」
義仲が、剣を構えながら声をかけた。
その声には、戦場にはおよそ似つかわしくない優しさがある。
「はい、義仲様!」
ともえも、薙刀を振るいながら答える。
激しい疲労にも関わらず、ともえの声はまだ凛としていた。
「もしも……もしも俺たちが、ここで死ぬとしたら……!」
義仲の言葉に、ともえの肩がビクッと震える。
死という言葉が、急に現実味を帯びて迫ってくる。
「何でしょうか……!?」
ともえの声が、わずかに震える。
しかし、その動きは決して止まらない。
義仲は、敵の攻撃をかわしながら、心の奥底に眠る想いの軛を解いた。
「俺は! お前と出会えて良かったと! いまここで伝えたい!」
義仲の、魂の叫び。
ともえの胸が、激しく高鳴った。
涙が滲んでくるのを感じる。
「私も! 義仲様と出会えて! 幸せでした!」
ともえの告白に、義仲の心も激しく震えた。
これまで人間を見下していた自分が、ただ一人の女をこれほどまでに愛おしく思うとは。
「ともえ……よく聞け……!」
そこで、義仲の声が詰まった。
言うべき言葉があるのに、今なお足枷が邪魔をして、口に出せない。
「義仲様!?」
だが、ともえの凛々しい声が、義仲の心を後押しした。
義仲はついに、最後の軛を解き放ち、その想いを口にした。
「俺は! お前を! 愛している!!」




