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第一章 第五節 「理と逆理の輪舞」



 それは“戦闘”と呼ぶには、あまりにも抽象的で、

 “衝突”と呼ぶには、あまりに根源的な現象だった。


 ──存在と存在が、概念の位相で交わる。


 因果湖リンクレイク

 そこは未来と現在が重なり、世界の律動が視覚化される場。

 本来は絶対的な静寂の中、ただ未来だけが流れていた空間。


 だが今、その湖面は真っ二つに裂かれていた。


 片や、漆黒の王・レイヴン=ヴァル=ノクト。

 契約の書を手に持ち、七重の“理”を再定義する支配者。

 世界の構造そのものを命令によって操作する、絶対の存在。


 片や、名もなき少女・フィリア。

 理に属さず、記録されず、観測すら困難な“逆理の体現者”。

 世界のすべてに異議を唱える、“存在の否定”。


 二人が相対した瞬間、因果は意味を失った。


 



 「君は、どこから来た?」


 レイヴンの問いに、フィリアは首を傾げる。


 「それを訊いてどうするの?」


 「存在を定義するには、因果を知る必要がある」


 「私には“始まり”がないの。終わりもたぶん、ないわ」


 彼女の言葉は、事実だった。

 フィリアは生まれたわけでも、召喚されたわけでもない。

 ただ、“存在しなければならなかった”という理由で、ここにいた。


 それは、レイヴンにとって最も忌むべき矛盾だった。


 「ならば、私は君を定義する。“理”に従わぬなら、“理”によって縛るまで」


 契約の書が開かれ、漆黒の頁が光を帯びた。


 「第一律──存在定義。

  対象の構成素子を解析、空間定位、質量計測、魂構造を記述開始」


 世界が反応する。

 因果湖の水面が書物のようにめくられ、フィリアという存在の情報を取得しようとする。


 ──しかし、何も現れなかった。


 頁は、空白のまま。


 「……計測不能」


 レイヴンの眉が微かに動いた。


 「君は、本当に“理”の外にいるのか」


 「だから言ったでしょう。私は、“名を持たぬもの”だって」


 



 静かに、フィリアが一歩踏み出す。


 その足が地を踏むたび、空間の織り目が崩れる。

 まるで、誰かが布を引き裂いているかのように、律動がずれ、光が歪み、時が跳ねる。


 「ならばこちらも、“定義を拒む方法”を使おう」


 レイヴンが次の頁を開いた。


 「第三律──存在削除。対象不明。

  座標干渉、重複排除、帰納分解、意味層崩壊──」


 言葉が終わる前に、空間が砕けた。


 だが、砕けたのはフィリアではない。


 世界だった。


 契約の書が放った命令は、対象を定義できず、そのエネルギーは空間全体を“破壊”してしまった。


 因果湖の一部が裂け、未来を示していた水面が黒く染まっていく。


 「存在できないものを排除するのは、論理の基本でしょう?」


 「その通りだ。だからこそ、“存在できない君”は──」


 レイヴンが叫ぶ前に、フィリアが指を振った。


 「でもね、私は“存在している”。矛盾してるでしょ?」


 その瞬間、レイヴンの背後に出現した“何か”が、彼を刺そうとした。


 それは“概念の影”。

 フィリアが生み出す逆理の残像。

 記録されず、定義されず、観測すらできないが、確かに“効果”だけを残す干渉体。


 レイヴンはすぐさま反応した。

 契約の書・第六章──因果律再配置を起動。

 次の瞬間、攻撃の原因となった事象そのものを“なかったこと”に書き換えた。


 だが、それはほんの一瞬の猶予にすぎなかった。


 



 「……君の力は、“記述の否定”だ。契約の書が成立しない。

  ならば、書を使わず、私自身が“君の概念”に干渉するしかない」


 フィリアは驚いたように目を丸くした。


 「自分でやるの? 王なのに?」


 「王だからこそ、自らが動く」


 レイヴンは一歩前へ進み、己の肉体から“法の剣”を生み出す。

 それは記述された剣ではない。

 “契約の書に頼らず、理を具現化する”という、彼自身の意志の結晶だった。


 「面白い……あなた、自分で定義された存在じゃなくなろうとしてる」


 「君が理を破るというなら、私は理を超える。

  そしてその上で──君を、定義する」


 剣が振るわれた。

 フィリアは一歩も動かず、それを視線で迎える。


 世界が、真っ二つに裂ける。


 



 だが、その刃はフィリアを斬らなかった。

 届く寸前、空間が彼女を“ズラした”のだ。

 これは移動でも、回避でもない。“存在の位相”を一時的に異なる次元へ滑らせるという現象だった。


 フィリアは言う。


 「あなたの剣は、理に属している限り、私に届かないの」


 レイヴンは舌打ちし、左手をかざす。

 因果律再定位、空間固定、存在強制再定義。


 フィリアの“ずれ”を補足し、存在を引き戻す術式が展開される。


 次の瞬間──


 世界が、震えた。


 



 《契約の書》の第七頁が自動で開いた。

 それは、“王の手によらず”開かれる唯一の頁。


 「……これは……強制、解放?」


 フィリアが微笑む。


 「“理の外”にある私と、“理の主”であるあなたがぶつかれば……そりゃ、そうなるよね」


 契約の書から放たれる光が、空間全体を包み込んだ。

 それは《律の解凍》──一時的に契約された法を無効化し、“根源の原型”に戻す現象。


 理と逆理が衝突し、矛盾の臨界点に達した結果、世界そのものが初期化されようとしていた。


 



 レイヴンは空を見上げた。

 そこには、かつて彼が封印した“神の視線”が戻りつつあった。


 「こんなことが……許されるのか」


 だが、フィリアは首を振る。


 「私は“許されないこと”をするために生まれたの。

  あなたが完璧を作ったから、私は“不完全”としてここに来た」


 「矛盾が、君を産んだ……?」


 「うん。“完璧すぎた”世界が、自ら生み出した不具合。

  あなたは、きれいすぎたのよ。何もかも、正しすぎたの」


 レイヴンは、初めて理解する。


 この少女──フィリアこそが、彼の創った“完全世界”が生み出した自浄のバグだったのだ。


 



 そして、世界は揺れ続ける。


 これは終わりではない。始まりでもない。


 理と逆理が混ざり合い、新たな定義が生まれようとしていた。


 それは王の物語でも、少女の物語でもない。

 “世界そのもの”が選び取った、第三の物語の胎動だった。

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