2.
帰宅後、項は風呂場へと直行した。
シャワーを浴びながら先程体験した出来事を思い起こす。
……あれは一体、何だったんだ。キツネが姿を消した後、あの強烈な臭いも体調の不良も嘘のようになくなったんだよなぁ。
まるで夢でも見ていたのではないかとさえ思えてくるのだ。
『狐につつまれる』とは、こういう事を言うのだろうか。
夕食時、両親に狐に遭遇した話をしたのだが、「なにを言っているの。こんなところにキツネさんがいるわけないでしょう」「そうだぞ、項。夢でも見てたんじゃないのか」と、まるで取り合ってもらえなかった。
当然だ。僕だって、他の人から同じ話をされていたら「ありえない」と一蹴していただろう。
でも、そのありえない遭遇は、確かに、現実にあった事なのだ。だけど、僕の周りにはこのような話の出来る人物はいない。学校でも話さない方がいいだろう。真面目に話を聞いてくれるどころか笑われてしまうに決まっている。
両親には体調が悪くなった話だけをしても良かったのだが、「病院に行け」とだけ言われて終わっていた気がする。
体は今は特に何ともない。寧ろ以前より体が軽くなったような気もするが、たぶん気のせいだろう。念の為、今日は大事を取って早めに就寝する事にしよう。
――その深夜。
項は、何かに胸を押さえつけられるような息苦しさで目を覚ました。そして、至近距離で黄褐色の鋭い釣り目と目が合った。恐怖のあまり大声で叫んだ。が、声は出なかった。体も動かない。当然だ。項の体には大狐が覆いかぶさっており、その両前脚が、項を押さえ付ける様に胸の上に乗せられていたのだ。
コイツは、昨日、道で遭遇した狐だ。僕に付いてきたのか? だけど、どこから入ってきた?
項は視線だけを動かし部屋のドアと窓を確認したが、両方ともきちんと閉められていた。
これで確定だな。壁でもすり抜けて入ったのだろう。普通の狐ではなかったというわけだ。
正体は妖狐か、それとも神に近しい存在の方か?……今、襲われているこの状況からみても善狐である可能性は低いだろう。毛色も善狐のどの特徴にも当てはまらない。
野狐かなぁ。あいつらは相当タチが悪いっていうからなぁ。僕、死ぬのかな。たいした人生じゃなかったかな。まぁ、いまさら後悔もなんもないんだけど……死ぬなら、なるべく痛くない方法がいいな。後、最後になるけど、お父さん、お母さん、先立つ不幸をお許しください。
項は、覚悟を決めると再び目を閉じた。
『コラッ、人間!! 二度寝するでない!!』
項は、突然の声に驚いて目を開けると、再び間近で合う視線を前に目をパチクリとさせる。
「…ッ!お、驚いた、キツネが喋った!?いや、頭の中に直接伝わっているのか?」
『こっちが驚いたわ! この状況で二度寝するやつ、おる?』
ノリの良い狐さんだな。別に二度寝のつもりではないのだけど、只、恐怖のあまり狐さんの想像の斜め上行っちゃっただけで……まぁいいや。話が出来るとわかったら妙に落ち着いてきた。後、悪い狐さんではないのかも?
「…え、えっと、話せるって事は、もちろん今の状況について説明してくれるんだよねッ!」
『そうだのう……あの時の我は、ちいとばかし注意を怠っておった。そう、あれは不幸な事故だったのだ。スマン、許してくれるか?』
「…え!?何の話かわからないんだけど。それに、許すも何も、まだ肝心な中身について話してくれてないよね?」
この後、狐さんが話してくれた内容は実に衝撃的だった。
あの時、食事を終えて上機嫌だった狐さんは、周囲への警戒を怠り僕と遭遇してしまったのだそうだ。その結果、強烈な臭い…もとい、狐さんの妖気に当てられた僕の心臓が限界を迎えてしまい大量の血を吐いた。
その時、咄嗟に狐さんが僕の心臓を治してくれて、僕は一命をとりとめることが出来た。が、妖力を使い過ぎた狐さんは実体化すらできなくなり、止むなく僕に憑りついた。妖力が回復する間、行動を共にさせてほしいとの事。
……なるほど。確かに僕の心臓にトドメを刺したのは狐さんかもしれないけど、それは出会い頭の事故の様な物だ。その後に僕を見捨てることなく、たくさんの妖力を消費してまで治療をして僕の命を救ってくれたのも狐さんなのだ。その事にとても感謝をしているし、僕としては狐さんの妖力が回復するまでの間、憑いててもらっても構わないと思っている。
ちなみに、狐さんに出会わなければ僕の心臓は、後半年くらいは持っていたとの事。もともと長くは生きられなかった事実を知り、それはそれで複雑な心境である。
そして、僕が胃の中のものをぶちまけたと思い込んでいたのは、僕の精神にかかる負担を軽減する為に狐さんが見せていた幻覚らしい。
あの大量の嘔吐物が全て血液だったら、あの時の僕は平静を保てただろうか。狐さんの配慮にも感謝だ。なんか感謝してばかりだな。
感謝の気持ちと、いつまでも憑いてて良いと伝えると、狐さんはすごく喜んでくれた……が、その後すぐ説教された。出会ったばかりの狐を簡単に信用してしまう僕の事が心配になってきたとか。心外だな。そんな良い狐さんだから信用したんだけどな。
……心配なので憑いている間、僕を守護してくれるらしい。
「じゃあ、狐さん、これから宜しく!……ちなみに呼んでほしい名前とかって、ある?」
『真名は無暗に他の者に教えるものではないし、呼ばれたい名前も特にないな。狐さんで良いのではないか?……では、我からも宜しく頼むぞ、項ッ!』
こうして、一人と一匹の奇妙な関係が始まったのだった。
プロローグ的な話なので長くなっても一話で良かったのですが……。
次回は、コウが部活『歴史探索部』に引っ張られる話になります。