4話 ヒーロー行きつけの店
ある暑い初夏の昼下り。
耀は近所の喫茶店スノードロップに来ていた。
いわゆる昭和レトロと呼ばれる、ノスタルジックな雰囲気漂う店である。
耀はドアにかけられたCLOSEDの看板を確認した上で店内に入った。
「マスター、こんにちはー!」
「いらっしゃい、耀。カウンターでいいか?」
耀にマスターと呼ばれた、30代半ばほどの黒縁メガネの男は、自身が居るカウンターの方に耀を誘導した。
何か飲むかと聞かれ、耀はいつものと答えた。
マスターは慣れた手付きで濃いめのコーヒーを淹れ、氷の入ったグラスに注いでいく。それを冷やしたミルクで割り、最後に練乳をたっぷりと入れた。
「どうぞ」
耀は嬉しそうにグラスを受け取ると、ぐっと呷った。
「これだよこれ、オリジナルカフェオレ練乳増し!この優しい甘さ、深い香り!やっぱりマスターは天才だ」
「ありがとな。ってか、今日は定休日だからマスターじゃなくていいんだけど」
マスターこと、澄原鋼治は爽やかな笑みを浮かべた。
大人の男の余裕が伝わるぜ、と耀は少々羨望の眼差しで彼を見てしまう。
耀よりも数センチ高い身長に、甘いマスク。爽やかな短髪も黒縁メガネも伝統的なカフェ店員の服装もすべてが似合うと耀は絶賛している。
「就活が忙しい中すまない。今日はたらふく食べてけよ」
「本当に助かる!試作品をタダで食べさせてもらえるなんて、ありがたすぎる」
普段、ヒーロー活動が忙しすぎてバイトをする暇もない耀にとって、新作料理の試食は最高以外の何物でもなかった。
「生活やばいときに臨時で多めに雇ってくれるのも本当に感謝してる」
「ははっ、俺って最高だろ?イケメンだし」
「中身は世話好き中年だけどな」
「出禁にするぞ」
「訂正します、渋くて最高にカッコイイお兄サマです」
「よろしい」
二人は同時に吹き出した。
鋼治は料理の仕上げのために厨房に入っていった。厨房からはカウンター席が見えるようになっており、二人はさっきと変わらず会話を続けた。
"新作はカレーか。美味そう"
耀は漂うスパイスの香りに期待を膨らませた。
鋼治の作る料理はどれも人気があり、新作を心待ちにしている客も多い。
「お前がこっちに来てもう6年以上経ったのか」
鋼治はカレーの入った小鍋をかき混ぜながら徐ろに言葉を発した。
「高校生になってからだからそうだな。ってことは、鋼治さんとの付き合いも6年ってことか。長えな」
「お前も大変だったな。よく頑張ってる」
「素直に褒められると、ちょっと気持ち悪い」
耀はそう返しながらも、口元の緩みを隠し切ることができなかった。
「お前さ、最近ちゃんと食ってるか?カップ麺ばっかりじゃないだろうな?鉄平の方も心配だけど」
お前ちょっとやつれたんじゃないか、と鋼治は心配そうに言った。
「夏バテ気味だけどちゃんと食べてる。コンビニ弁当とか、スーパーの惣菜も。ちなみに鉄平は元気だ。むしろ、この前スカ○プしたときは少しふっくらしてたくらい」
鉄平というのは耀の親友であり、鋼治の弟である。
耀の返事に、鋼治は小さくため息をついた。
「体は大切にしろよ?お前が体調崩したら、俺、じいちゃんに顔向けできない。孫と同じくらいに可愛がってたのに」
「いやいや。銀之助じいちゃんは、自己管理できてない耀がわるいんじゃろが!って俺に飛び蹴りを入れるだろ。多分」
「あぁ、、、俺にも一発入れてきそうだな」
「それはあるかも」
耀と鋼治は同時に吹き出した。
耀にとって、鋼治は兄のような存在であり、スノードロップは第二の家のようなものである。
耀は訳あって幼い頃から東北の方にある祖父母の家に住んでおり、高校進学のために東京にやってきた。高校では寮生活であり、その時同室だった親友の祖父母の家がここ、喫茶スノードロップなのである。何度かお邪魔しているうちに家族のような付き合いになっていった。特に、当時店を切り盛りしていた祖父銀之助が鉄平とともに耀のことを可愛がってくれた。それと同じくらい耀のことを気にかけてくれたのが鉄平の兄の鋼治であった。鋼治は当時、都心の方にある一般企業に勤めており、よく鉄平と耀をドライブに誘ってくれた。
ちなみに、鉄平は彼の実家から近い関西地方の大学に進学したため、あまりこちらには来れていない。
耀達が大学に進学する頃、鋼治が銀之助からスノードロップを継いだという経緯がある。
そんな第二の祖父は、昨年の冬に亡くなってしまった。
自身の祖父母もその少し前に亡くしていた耀にとって、銀乃介は家族も同然の存在だったため、耀の悲しみは大きいものだった。
◇
出てきたのは、耀の予想通りカレーとサラダのセットだった。
スノードロップは名前こそは喫茶店だけれど、飲食店営業許可を取ってるため、いわゆる"カフェ飯"なるものも提供できる。
いただきまーす!と、耀はスプーンでカレーを掬って食べた。
「美味い!」
スパイスが効いていながらも、どこか甘く懐かしい味に、ホロホロのチキン。耀はそこらへんの飲食店に負けないクオリティーだと絶賛した。
食べ進めていくうちに、耀は徐ろに口を開いた。
「カレー、めっちゃ美味い。俺はすごく好き。ただ、少し油が多いかも。俺みたいな20代男だと最高だけど、鋼治さんのこと狙いに来てる20代〜30代のお姉様方からすると少し重いかも。あと、サラダのドレッシングのオニオンが効きすぎてて、お姉様たちは気にするんじゃないか」
普段のスノードロップは連日若い女性客で賑わっている。その理由が独身の鋼治であることは明白だった。
「なるほど。さすが耀、意外と繊細なんだよな」
「意外とって」
「お前なんでそんなに舌が肥えてるんだよ」
「わかんねぇ。そんなに良いもの食べてきたわけじゃないんだけどな。まぁ、天性の才能ってやつかな」
耀は格好をつけてさっと前髪を払った。
「はいはい」
鋼治は苦笑いを浮かべたのだった。
その後、耀はいくつかのアドバイスをし、鋼治はそれを素直に受け入れメモを取っていった。
実は、一つ前の新作だったオムライスも耀のアドバイスで改善されており、今では看板メニューとなっている。
試食を終えた頃、鋼治も自分のコーヒーを淹れて耀の隣に座った。
話のネタは耀の就活失敗談や恋愛事情について。途中からは鉄平の話題になり、二人の持つ情報をすり合わせた。彼が少しふっくらした理由は、彼女と同棲を始め、手作りの料理を食べているからという結論が出た。
「お前もそろそろ恋人の一人や二人連れてこいよ。店員価格でサービスしてやるぞ」
「ふん。鋼治さんに紹介したら乗り換えられそうで怖いからパス。絶対会わせねぇ」
「器の小さいやつだ」
「うるせー」
二人はまた笑い合った。
「お前、記憶はどうなってる?」
鋼治の眼鏡の奥の瞳には心配の色が浮かんでいた。
耀はそれを知ってか知らずか、全然、と答えた。
「相変わらず曖昧かな。過労による記憶の混乱とか、どんだけ大学の勉強で追い詰められてるんだか」
耀はニカッと笑った。
耀には、記憶が曖昧になっている期間がある。大学1年の1月ごろから半年間のことは部分的にあまり思い出せないのだ。大切な何かを忘れている気がして仕方がないけれど、耀にはどうしても思い出せない。
事情を知っているベマによると、度重なるドールとの闘いで疲弊してしまったことが原因らしい。
そんなことはもちろん鋼治には言えないので、大学生活が忙しすぎたということになっている。
「そうか。無理すんなよ。来週、"検診"だからな」
「ありがとう、鋼治さん。また来る」
「あぁ、気をつけてな」
耀は笑顔で手を振り、ドアを開けて店を出た。