幕間 竜也と婆っちゃ
今回の話には信吾は出て来ません
その街は竜也にとって、ほんの少し前までは縁もゆかりもない場所であった。何しろ四月までは。、名前さえ知らなかったのだ。
芸能人である竜也はコンサートやロケで様々な場所を訪れる。
だから下調べをする事はあっても、着いて感慨に耽る事はない。忙しい日々を送る彼には、そんな余裕すらないと言った方が正確なのかもしれない。
(ここが信吾君の育った街か。なんか、それっぽいな)
しかし、今日のロケ地についた瞬間、竜也は嬉しそうに微笑んだのだ。今日のロケ地は、高校に入って出来た親友が育った街でなのである。
信吾は芸能人であるユウを特別扱いせず、相取竜也個人として見てくれる稀有な友人だ。
まだ付き合いの短い友人ではあるが、彼の育った街というだけで、竜也の胸には不思議な感慨が湧いてきていたのだ。
「この後、弘前公園で町の説明を撮って、その後にりんご畑に移動。そして収穫をしてもらい、農家の人との絡みも撮りますので、時間は一時間半を予定しております」
竜也はスタッフの説明に耳を傾けながら、車窓から外を眺めた。
(二人とも何しているのかな?徹はビジネス。信吾君は料理をしながら、秋吉さんと何を話そうか悩んでいるんだろうな)
親友二人も今頃一生懸命仕事をしているだろう。それが竜也には妙に心強く感じられたのであった。
◇
初めて訪れた街なので当然知り合いはいない。しかし、不思議な事に竜也は一人の女性に既視感を抱いていたのだ。
「今日はテレビが来る日だったんだね。それなら私はむこうで作業しているよ」
人の良さそうな中年女性は、そう言うとリンゴを入れる手籠を持って歩き出した。
「出来ればユウと皆様が話をしている所を撮影したいんですが」
スタッフの一人が女性に声を掛ける。現役アイドルを見てテンションを上げる姿を撮影したいのだ。
「こんな婆を映せば視聴率が下がりますよ……あんた、汗かいているじゃない。ほら、ジュース飲みな」
女性はそう言うと手籠に入っているスポーツドリンクをスタッフに押し付けてくる。その顔からは純粋な親切心が滲み出ていた。
どこか。友人に似ている。竜也はそう思った。
お人好しで、自分の事をより他人を優先してしまう。何しろ女性の手籠には、飲み物が一本しか入っていないのだ。
それを初めてあったスタッフにあげようとしているのだ。
(こっちの人って、みんなあんな感じなのかな?)
その姿に竜也は東京にいる親友を思い出していた。
「ちゃんと飲み物を持って来ているので大丈夫ですって。テレビに出たら、東京にいるお孫さんが喜ぶと思いますよ」
家族、特に孫が喜ぶ。これは撮影スタッフが良く使う常套文句である。
「良く孫が東京にいるって分かったね。ヨシザトってレストランなんだ。今度行ってもらえる?ジュースの一杯位サービスさせるよ。流石にレストランにジュースは持って行けないでしょ?」
なおもお節介を焼こうとする女性を見て、やっぱりそうだったんだと竜也は笑う。
(信吾君のあの性格はお婆さんの影響が大きいんだな)
竜也はなんだか嬉しくなり、女性とスタッフの間に割り込む。
「俺……僕、お孫さんと同じクラスなんですよ。初めまして、相取竜也って言います。いつも信吾君にはお世話になっています」
竜也が、そう言うと女性は心底嬉しそうに笑ったのだ。それはアイドルへの笑顔ではなく、孫の友人に向ける暖かな笑顔であった。
「あんたが信吾の言っていた竜也君かい?信吾が高校に入って、凄い友達が二人も出来たんだって自慢していたんだよ。そうかい、そうかい……信吾と仲良くなってくれてありがとうね」
信吾の祖母はそう言うと、竜也の手を掴んで頭を下げる。いつもならスタッフが止めるのだが、皆躊躇していた。
一つは竜也が嫌がっていない事。もう一つは、竜也と信吾の親友の存在である。何しろこの番組のスポンサーは、マーチャントグループなのである。
「僕の方こそ、いつも信吾君に助けられているんですよ。がっぱら餅とキエフ美味しかったです」
竜也が信吾と知り合って、約半年。その間の信吾は沢山の料理を作ってくれた。
何より信吾が作ってくれた料理は竜也に様々な縁をもたらしてくれたのだ。
友人との何気ない会話、ゆっくりと休める時間、誇れる友人……そして恋心。
「キエフはともかくがっぱら餅なんて田舎料理、口に合わなかったでしょ?でも、信吾に貴方みたいな凄い友達が出来て嬉しいよ。ありがとうね。さて、それなら撮影に協力しないと、カメラマンさん美人に撮っておくれよ」
信吾の祖母はカメラマンを見ながら悪戯っぽい笑顔で笑った。
「お願いします。そうだ!信吾君の小さい頃の話を聞かせてくれますか?」
信吾の祖母は暖かな笑顔で頷き、孫の昔話を聞かせた。
氷の上を歩こうとして、池に落ちた事。怖い話を聞くと、一人で寝れなくなり布団に入ってきた事。寂しくなると、裏の畑で泣いていた事。自分の肩を優しく揉んでくれた事。
どれもありふれた話であるが、竜也はその日一日心が温かった。




