恋バナと過去
昼は、兄ちゃんが教えてくれた料理に決定。メインはそれにするとして……。
「兄ちゃん、他に食べたい物ある?雪華さんは何にしよ」
二人には世話になっているから、たまにはお礼をしたい。
「随分と積極的になったな。うーん、キャンプしばりじゃなくても良いのか?」
兄ちゃんが驚いている。まだ二ヶ月だけど、ブロッサムに入学して僕は変われた……いや、皆に会えて変われたんだ。
「うん、レパートリーも増えたし……ないなら、適当に作るけど」
頭の中でメニューを組み立てていく。出来れば冷蔵庫の物は、あまり使わない様にしよう。
雪華さんも献立を考えているだろうし。
「あー、リクエストって訳じゃねえが、これ使えるか?雪華がガーデニングにはまっているんだけど、どうしてもな。ここまで大きいと俺も、使い方知らないし」
兄ちゃんが冷蔵庫から取り出したのは、大きなキュウリ。いわゆるお化けキュウリだ。
「一日取らないと、直ぐに大きくなるもんね」
近所の人からたまにもらうから、使い方は分かっている。口直し用の副菜が出来るな。
「後はズッキーニでなんか作ってもらえるか?」
これも雪華さんが植えているそうだ。雪華さんは昔とった杵柄を活かし、店や河童橋をアピールする為に、ブログをやっているそうだ。その一環としてグリーンカーテンをしているとの事。
「分かった。それじゃ、買い出しに行って来るよ」
残りのメニューは店で決めます。
◇
いつもは槌の音が鳴り響く工房も、今日はしんと静まり返っていた。
「ごちゃごちゃしていて、ごめんね。まずは座って」
雪華の言う通り、工房は手狭で色々な物が雑然と置かれていた。雪華の顔はどこか険しく、自然と実も緊張していた。
「いえ、それでお話と言うのは……バドミントンの事ですか?」
実の顔が少しだけ陰る。自分と雪華の共通点はバドミントン位しかない。そしてそれは実にとって、触れて欲しくない話題でもある。
「貴女もバドミントンしていたの?……でも、今日聞きたいのは、そっちじゃなくて信ちゃんの事」
雪華の表情が少しだけ、和らぐ。
高校生の時、雪華はバドミントンで全国大会に出た事がある。類まれなルックスもあり、一時有名人となった。
そんな時、地域のイベントで小学校にバドミントンを教えにいった事がある。実は彼女に憧れて、バドミントンを始めたのだ。
もちろん、高校でもバドミントン部に入るつもりであった。
「はい、私は雪華さんに憧れてバドミントン部を始めたので……それより、信吾君の事ですよね。心配しなくても、学校ではいつも笑顔ですよ。悪い虫は私が追い払っていますし」
実の答えを聞いた雪華は、鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべた。
「私が聞きたかったのは、そっちじゃないんだけどな……信ちゃんを狙う悪い虫なんているの?」
雪華が聞きたかったのは、実の信吾に対する気持ちである。もし、遊びで付き合っているなら、きっちり叱るつもりだったのだ。
「いるんです!家庭科部の部長が勧誘の為に、色仕掛けをしてくるんですよ!信吾君の料理の腕しか見ていない癖に」
実にとって今一番のライバルは家庭科部の部長であった。部長にその気はないかも知れないが、思わせぶりな態度を取って来るので許せないのだ。
「あー、信ちゃん鈍感だからなー……つまり貴女は料理の腕以外も見てくれているのかな?」
雪華の表情が和らぎ、小悪魔な笑みを浮かべる。今の彼女にとって実は可愛い弟分をたぶらかす悪女から、からかい甲斐のある玩具にランクアップ。
「それは……その……信吾君は優しいし、真面目ですし。仕事をしている時は大人びて格好良いのに、料理の話をしている時は子供みたいに無邪気で……あの笑顔は反則だと思います」
そんな雪華の気持ちを知ってか知らずか惚気で返す実。ここにいるのが祭や陽菜だったら『またか』と呆れていたてであろう。
「分かるー。うちのも、あんないかつい顔している癖に、良い鋼とか手に入ると子供みたいにはしゃぐの」
しかし、雪華は惚気で返したのだ。そこから二人は恋バナで盛り上がった。
「あの……宝長さんから、なんて告白されたんですか?」
今実の一番の関心事は告白。ある事情から、信吾に告白する事をためらっている実であったが、もし信吾から告白されたら即オッケーするつもりでいる。
雪華はケーブルテレビ時代美人リポーターとして、有名であった。そんな彼女をどうやって、あの不器用な青年が口説いたのか聞いてみたかったのだ。
「ふふーん。実は私から告白したんだ。あいつ変なところで初心だからさ、押して押しまくったの」
二人は知らない。義斗が一人ドアの向こうで気まずそうにしている事を。ちなみに義斗は初心だったから、告白しなかった訳ではない。
(信吾も、あの頃の俺みたいな気持ちなんだろうな)
駆け出し鍛冶職人である自分と人気レポーターでもある雪華。どう考えても、釣り合いがとれないと思い込み、恋心に蓋をしていたのだ。
そんな義斗だから、弟分の恋にお節介を焼きたくなるである。
◇
卵を白身と黄身に分ける。白身を泡だて、そこに塩を混ぜていく。
「信ちゃん、何作ってくれるの?」
雪華さんが料理を覗き込んでくる。その後ろには秋吉さん。いつの間にか、凄く仲良くなっていました。
「鯛の塩釜焼きです。兄ちゃんに塩釜焼を勧められたんですけど、良い鯛があったので」
養殖物で、そんなに大きくないけど新鮮そのもの。水で戻しておいて昆布で鯛をくるんでいく。それをさっきの塩で包みオーブンへ。
「凄い!こんな大きいキュウリあるんだ」
秋吉さん、雪華さんが気まずそうな顔しています。キュウリって一日でとんでもなく大きくなるんだよね。
「うん。使い勝手が良いから、僕は割と好きだよ」
お化けキュウリの皮をピーラーで剥く。次にお化けキュウリを半分に切る。スプーンでワタをこそげていく。それを薄切りにして塩を揉み込んでいく。
少ししたら絞って、半分は甘酢漬けに、もう半分は胡麻マヨネーズで和える。甘酢の方にはシラス、胡麻マヨネーズはツナ缶と和えていく。
「海老?信吾これ何に使うんだ?」
僕が買ってきたのは、小ぶりな海老。それは荒く刻んで片栗粉をまぶしていく。
「ズッキーニのはさみ揚げを作ろうと思って。ズッキーニは油と相性が良いんだよね」
今回は兄ちゃんの家にある食材には極力手を付けない様にしている……他人の家の冷蔵庫を開けるの抵抗があるんです。
「信ちゃん、長芋も使ってもらえるかな?もらったんだけど、二人だと食べきれないくて」
長芋か……これで卵黄を無駄にしなくて済む。
「美味しそうな長芋だね」
今回のメニューは和の料理が多い。それなら……。
長芋を必要な分だけ切り分ける。それを二つに分けて、片方を千切りにしておく。卵黄を白だしで溶く。
残りはさいのめにして、澄まし汁の具として使う。
「お前、手際が良くなったな。キュウリうまっ!?……でも、林間合宿で自炊って珍しいな」
賄いは他の作業と並行しながら、作る。迷っていたら、タイムオーバーになるのです。手際というより、自信ついて迷いが減ったんだと思う。
「聞いた話だと昔は自炊遠足もあって、似た内容だから一つにまとめたそうです」
秋吉さんが兄ちゃんの問い掛けに答える……ブロッサムは行事が多い方らしい。中には数年で消えた行事もあるそうだ。
「途中でスーパーに寄って買い出しするんだってさ」
調味料は各自持ち込みだそうだ。混雑を避ける為にクラスで違うスーパーに行くらしいけど、イケメンサークルに続いてイケメン大名行列が出来るんだろうか?
◇
出来上がった料理をテーブルに並べていく。
「鯛の塩釜妬き、長芋の澄まし汁、キュウリの和え物二種・ズッキーニのはさみ揚げ・長芋の千切り卵黄掛けです……なんか居酒屋のメニューみたいだね」
塩釜焼きは、ほぼ初挑戦だけど、なんとかうまく出来た。
「信ちゃん、さらに腕上げたね。これなら将来安泰じゃん」
雪華さんは舌が肥えているから、素直に嬉しい。でも……。
「まだまだだよ。僕は経営には全然携わっていないし。接客も上手じゃない。父さんや爺ちゃんの厳しさは愛情なんだって、最近分かってきたんだ」
僕はまだ高校生で、半人前だ。でも、お客さんは店の事情なんて知らなくて当然。今のうちに成長しておく必要がある。
賄いもそうだけど、僕の料理は無償または原価のみだから評価されている。早く利益を出せる料理を作らないと。
「澄まし汁、美味いな。キュウリやズッキーニは、俺でも作れる料理にしてくれた……信吾、ちょっと待ってろ」
兄ちゃんは、そう言うと席を立って行った。あの鍛冶一筋の兄ちゃんが料理しているんだ……でも、それが結婚するって事なのかも知れない。
(付き合ってからが大事か……)
兄ちゃんのアドバイスが改めて心に染みてくる。
「本当に素直じゃないんだから……信ちゃん、ちょっと付き合ってあげてね」
そう言って溜息をつく雪華さんだけど、その目は凄く優しい。
「待たせたな。これ、やるよ。遅くなったけど、入学祝いだ」
兄ちゃんが持ってきたのは、出刃包丁。しかも店で売ると確実に五万はするやつだ。
「良いの?」
正直、喉から手が出るほど欲しい。でも、分不相応と言ううか……。
「お前の腕があがったら、やるつもりだったんだよ。それに長の真ん中の線が長いだろ。売り物にならねえのさ。彫金ミスったんだよ」
確かに真ん中の線が不思議な位長くなっている。
「信ちゃん、もらってあげて。誰かさんが少しでも長く使ってもらえる様にって、わざとやったんだから」
からかうような口調だけど、雪華さんの顔はどこか誇らしげだ。
(いつか僕も秋吉さんと、こんな風になりたいな)
その為にはもっと頑張らないと。
◇
信吾達が帰った後、義斗と雪華は二人でお茶を飲んでいた。
「信吾のやつ、腕を上げたな……秋吉さん、どうだった?脈はありそうか?」
既婚者とはいえ、義斗は女性の機微に疎い。駄目なら駄目で、それとなく信吾に忠告するつもりでいた。
「そこは大丈夫……でも、あの子どこかで見た事あるんだよね」
雪華から見ても脈しかないのだが、まだ背中を押すのは時期尚早だと思っている。
「レポーター時代に会っていたんじゃないか?前に区大会の取材に行っていただろ?」
確かに取材には行っていたが、どこか腑に落ちない様子の雪華。
「思い出したっ!実ちゃん、ダブルス組んでいたの。その子が事件に巻き込まれて、怪我したんだ。確か実ちゃんに幼馴染みがいて、その子のファンが暴走したって」
雪華はそう言うと、知り合いに電話をかけた。電話をしながら、雪華の顔が青ざめていく。
詳細を聞いた義斗は深い溜息を漏らした。




