第9話 淑女たるもの③
「いや、普通にダメだろう……」
いつか見た光景と同じように、カイゼル髭が立派な当代のクロフォード公爵閣下は溜息交じりにつぶやいた。
「ですが父上、遅いか早いかの話です」
「クライドよ、お前本当にこの前の話を理解していたか? 婚約破棄は重大な問題ゆえ、根回しが肝要と話したであろう」
「当然理解しております父上。ですが一度は婚約者の立場で会った相手。相対したうえで謀るなど人の道理に反します」
なるほど。つまりクライド様は、グローリア様をいたずらに弄びたくはなかったと。私の中で薄っすらと引っかかっていた、婚約者を捨てるという行為自体は悪いと思っているんだ。
それはそれとして、グラッドストン家の横暴な振舞いは頭にきていたと。一見クールに見えるけれど、中身は結構熱いお人なんだな。そう言えば私を助けてくれたのもそんなノリだったっけ。
「しかしなあクライド……」
「それに」
「それに?」
「それに、最愛のエリカの前で彼女が新たなる婚約者であることを否定できましょうか、いやできない。俺の心は既に彼女だけのものです」
「本能に生きすぎだろう……」
熱い言葉のうえにさりげなく手を握られ、私はリンゴの様に顔を赤くする。
シェリル様は微笑ましそうにしてらっしゃるけれど、公爵閣下は頭が痛そうだ。
ごめんなさい。私があの時お止めすれば――できないわね。うん。
だってあの時の私は、グローリア様の登場に慌てていただけだもの。
「父上、申し訳なくは思っております。されど」
「あなた……」
「シェリルまで……ええいわかった! このクライヴ・クロフォード、家族とした約束は決して曲げはせん! この私に任せておれ!」
第二回クロフォード公爵家緊急家族会議は、公爵閣下の力強い宣言とともに幕を閉じた。
☆☆☆☆☆
「一つだけよろしいでしょうか、クライド様」
話し合いのあと気になることがあった私は、思い切ってクライド様に訊ねることにした。
「なんだ、エリカ?」
「そもそもクロフォード公爵家は、なぜグラッドストン侯爵家と婚約を結んだのですか?」
公爵閣下もクライド様も、口をそろえてグラッドストン家は横暴だと言う。そしてそんな家と婚姻関係を結ぶことは、クロフォード家の名を貶めると。でもそれならなんでそもそも婚約関係になったんだろう?
「貴族の婚約というのもは、当人が物心つくかつかない頃に家同士が結ぶものであるということはいいか?」
「はい。そういった政略結婚が多いことは存じ上げております」
「そういった事情から夫婦仲は良くないことが多い。もちろん俺の両親のような例外もいるがな。俺とてグローリアの性格だけをあげつらって婚約を破棄したわけではないのだ。肝心なのは時間差だ」
「時間差?」
……ってなんだろう?
「エリカ、我がクロフォード家の男子は、身体が弱く生まれてくるのを知っているか?」
そういえばそのような事を公爵閣下が仰っていたような気がするわね。たしか……「それにそろそろ才気煥発なれど体質が弱いクロフォード家に、丈夫な血をいれよう」とかなんとか。
「父上もその例外ではなくてな。当時――俺がまだ幼少だった頃、父上は重い病をわずらっていたのだ。もし父上が果てれば、家督はまだ幼い俺に受け継がれる。一族そろって病弱ゆえに、後見となれる有力な者もいない。その頃ちょうどある貴族から婚約の申し入れがあった。それがグラッドストン家だ」
私はそこらのお貴族様事情に明るくない。なにせほんの少し前まで単なる平民だったのだ。ノエルから現在の貴族事情について叩き込まれている最中ですけど、さすがに過去までは……。クライド様はそんな私に配慮されて、わかりやすくゆっくりと話してくださる。
「まだ当時のグラッドストン家には、横暴なんて評判はついていなかった。猫を被っていたのかどうなのか。ともかく、かの家が婚約に熱心だったこと、派閥の事情、そしてグローリアと俺の年齢が同じだったことで、婚約を急いだ父上はグラッドストンからきていた婚約の申し入れを受けたんだ」
「なるほど。それでご婚約を」
「そうだ。そしてそれからだった。有力貴族である我が家と婚約を結んだグラッドストン家は、だんだんと横暴な振舞いをするようになっていった。そんな環境で育ったグローリアもあの有様だ。何度か注意はしたんだがな」
クライド様はそう言うと、遠い目をされた。
彼は彼なりに現状を変えようとしていた。けれど――。
「それだけ聞くと、私の存在はグローリア様に対する当てつけの様な気がしますけれど? 他の貴族子女の方で良かったのではないですか?」
「馬鹿な事を言うな! エリカ、俺はお前と結婚するためなら全てを捨ててもよかったんだ!」
いきなり身を乗り出したクライド様に、ぐわっと両肩を掴まれる。力は……それほど強くない。いえ、クライド様的には力強くされているのかもしれないけれど、私との質量の差があるからね……とか冷静に考えている暇じゃなわ!? うわーっ! 近い! 真紅の瞳がまるで私を焼き焦がすかのように輝いていらっしゃるッ!?
「他の誰でもない、エリカだから良いんだ。だから婚約を破棄する決断もした。それが誠意だからな」
「その……何度もお聞きしますがこんな私のどこがいいので?」
「“こんな”なんて自分を卑下するな! 何度だって言ってやる。お前は可愛らしく、そして気高い。人は命の危機にあってこそ真なる行動を示す。お前は自らの身を犠牲にして、脅威に立ち向かった!」
「それはお仕事でして……」
「それでもだ。燃えるパーティー会場で舞うように華麗に、英傑の様に勇ましく戦うお前の姿を見て、これが貴族の在り方だと痛感した。そして気がついた。これこそが可憐さだと。お前こそが俺の理想だと」
この半月ほどで確信したことが一つだけある。
たぶんクライド様は、本当に本心から私の事が好きだという事だ。
はっきり言って私は、異性を好きになるという感情が正しく理解できない。なぜならば今までの私にとっての異性とは、故郷でいじわるをしてくる悪ガキの記憶が色濃いからだ。
だから恋なんてわからない。わかりっこない。
けれど思う。きっとクライド様は私の事が好きだ。
少なくとも大切に思ってくださっている。
彼が言うように私が可憐だとか、世間一般で言う美人だとかは思わない。
でも私の何かが彼を引きつけているのだ。だから私も、少なくともその想いはわかっているという事を、言葉に出さなければならない。
「……わ、わかりました」
たった六文字。それだけなのに死ぬほど恥ずかしい。
自分が愛されていると表現するのが、こんなに恥ずかしいなんて。
「そうか、わかってくれたか。……あ、肩をつかんでしまってすまない。痛かったか?」
「い、いえ。大丈夫です」
クライド様的には思わず力いっぱい握ってしまったのかもしれない。けれど私にはノーダメだ。その……、私と彼には質量の差がありますからね……。
「良かった。これからも何か不満や疑念があれば言ってほしい。ただでさえ慣れない環境にいるのだからな」
「ありがとうございます。お優しいのですね、クライド様は」
「当然のことだ。俺は出かけなければならない。それじゃあまたな」
……と、なにかしっとりとしたものが私のおでこに触れた。
最後に「今はまだここに」と仰りさっと華麗に立ち去るクライド様。
残された私、そして隣にノエル。
「ね、ねえノエル。ひとつ訊ねてもよろしいかしら?」
「なんなりとエリカ様」
「その……私いま、クライド様からキ、キ、キ……キスされちゃったりしたのかしら?」
「ええ、おでこにチュっと。クライド様も中々いじらしいものですね。唇をお奪いになれるムードはございましたのに」
「唇!?」
殿方からおでこにキスをされるのも初めてなのに、唇なんて!?
「お嫌ではないのなら、殿方がそういう方向に持っていくのを雰囲気でアシストするのも、淑女たるものの嗜みですよ」
「は、はあ……」
なんというか恋愛弱者の私には色々とレベルが高い。でも――。
「少なくとも、クライド様の隣に立つのに恥ずかしくない淑女にはなりたい……かも。彼も多くのことを決断した結果、私を選んでくれたのだし」
「その意気でございます、エリカ様」
淑女たるもの。淑女たるものだ。
田舎っぽいデカ女にサヨナラを。ウェルカムちょっと大きめな淑女。
さあ、レッスンがんばりましょうか!
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