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第8話 淑女たるもの②

 私が花嫁修業に明け暮れ始めてから半月ほどが経った。

 そんなある日のこと、クロフォード公爵夫人ことシェリル・クロフォード様からティータイムに誘われた。私が「一緒に食事をとってはいけないのでは?」と問いかけると、奥様は「ティータイムは別でしょ」と悪戯っぽく微笑まれた。



 ☆☆☆☆☆



 春の日差しが差し込むガーデンはポカポカと心地よく、まさに絶好のティータイム日和と言えるでしょう。お茶もお菓子もどれも私にはもったいない最高級なものが並べられ、完全に公爵家の優雅な昼下がりだ。


 ただ惜しむらくは、私はノエルから学んだ作法を守るのに精いっぱいなうえガチガチに緊張していて、お茶もお菓子もまったく味を感じない。残念。


「――でね、あの子は普段無愛想なんだけれど、エリカちゃんの前だとすごく表情が明るいの」

「そういうものなんですか?」


 クライド様は私に会うと「可愛い」「もっと話をしたい」と言ってくれるし、不愛想というイメージはまるでない。けれどまあ思い返してみれば、初めてお見かけした時の彼はムスッとした感じで、小柄なのにやけに迫力ある表情を浮かべていた気がする。


「私に似たのか、クライドはまるで背が伸びなかった。きっと辛いことも沢山あったと思うわ。けれどそんな事はちっとも表にださず、あの子は努力を続けてきた。そうやってあの子は同世代では一番と言われるほどの魔法の実力を身につけた。自慢の息子よ」


 私は背が大きくて沢山苦労をしてきたから、小柄で可愛らしい子に対して憧れがあった。けれどそれはないものねだり、隣の芝は青く見えるというやつね。

 青空を――というよりもこれまでの過去を見るように語る奥様の瞳は、クライド様に対する負い目の様なものが感じられる。


「だからね、私は嬉しいの」

「嬉しい……ですか奥様?」

「そう。クライドったら私たちに心配はかけまいとしているのか、わがままを言わずに育ったものだから、突然あなたを連れて来て『結婚したい』なんて言うと思わなかったわ。やっとわがままを言ってくれたってね」


 楽しそうにコロコロと笑う奥様は愛らしく、とてもクライド様のような大きな子どもがいるように見えないわ。その小柄な体形とあいまってまるで幼女の様にすら見えると言ってもいいわ。この方も美魔女のくくりでいいのかしら?


「それからエリカちゃん、あなたに一つだけ注文があります」

「な、なんでしょうか奥様!?」

「その奥様という呼び名はやめてちょうだい。あなたは使用人ではなく、これから家族になる子なのだから。もちろん当家では使用人も家族同然だと思っているけれど、あなたはまた別」


 注文と言われて焦ったけれど、呼び名のお話しか。

 でも私はまだ平民感覚が全然抜けていないし、なんならこうやって高位のお貴族様と話しているのが夢なんじゃないかといまだに思う。どうお呼びするのが正解なんだろう?


「その……、でしたら何とお呼びしたら?」

「そうねえ……。お義母様(かあさま)……というのはまだ早いかしら? だったら……、シェリルと名前で呼んでくれればいいわ」

「わかりました。ではシェリル様と」

「うーん、今はそれで良しとしましょう。あなたにお義母様と呼んでもらえる日を楽しみにしているわ。いたらぬ息子だけどよろしくね、エリカちゃん」


 いつの間にか私の呼び名はエリカさんからエリカちゃんへと変わっていた。

 たぶんそれはシェリル様からの信頼の証なんだろう。

 彼女をお義母さんと呼ぶようになる……なんて実感はまだ全然湧かない。

 けれどクライド様も公爵夫妻も、そしてノエルを始めとしたクロフォード家の人々は皆、大きすぎる私の身長を悪し様に言わない。そんな彼らに少しくらい応えられたらなと思った。



 ☆☆☆☆☆



「よろしいですかエリカ様。今回は奥様たってのお望みでしたので許可いたしましたが、エリカ様はまだまだ貴族として未熟の中の未熟。生まれたての小鹿よりも危うい足元です。さあ、レッスンを頑張りましょう」

「はい!」


 シェリル様とのティータイムを終えた私は、さっそくレッスンを再開だ。

 ノエルの言う通り、私はまだハリボテ令嬢ですらない。先ほどのティータイムも、あわあわしながら「はい」「そうですね」といった相づちを打つだけだった。

 淑女たるもの、いついかなる時でも可憐に、知的に、そして優雅に……なーんて、ちょっと前までド平民だった私が考えているのが自分でもびっくりだわ。


「では始めましょう。ティータイムに誘われた際は――ん?」


 ノエルの言葉がとまる。なぜならば、玄関の方からドンドンと勢いよくノックする音が聞こえ、次いで使用人の皆さんの「困ります」「ご約束は?」といった困惑の声が聞こえてきたからだ。


「なにかしら?」

「私にも何とも……確認してまいります」


 そう言ってノエルは、何事が起きたのかを確かめるために玄関へと向かおうとする。

 私はというと、不意の襲撃者に備えて壁にかけてあった飾り剣へと手が自然に伸びていた。ここ数年荒事の中で生活してきたのだ。そう簡単に習慣は抜けない。


 ノエルがまさに部屋を出ようとしたその時だった。

 彼女が手をかけようとしたドアノブが回り、逆に何者かが入ってくる。

 周囲にはその人物を止めようとしているメイドさんたち。

 闖入者はそんなこと意に介さず、ずいずいと不躾に入って来た。


 その人物を私は見たことがある。

 けれどまさかここで、こんなタイミングで再会するとは思わなかった。

 彼女は部屋をぐるりと見渡して目的の人物が見当たらなことを確認すると、腰に手を当て景気よく高笑いをした。


「オーホッホッホッ! グローリアが来たと今すぐクライド様にお伝えなさいな。……あら? そこのデカ女はもしかして……当家の警備に雇われていた下々じゃありませんこと?」


 意外そうな顔をした来訪者。

 彼女――豪奢な金髪を縦ロールにした、グローリア・グラッドストンだ。


「お、お久しぶりですグローリア様。エリカ・エリントンです」

「ふーん。ま、名前なんてどうでもいいのよ。なんでドレスを着ているのかわからないけれど、今度はクロフォード家に雇われたという話でしょ? 下賤な身分の者は大変ねえ」


 ……相変わらず格下の相手には容赦ない人だなあ。

 いつか後ろから刺されるわよ? ……あ、ついこの間襲撃されたばかりでしたね。

 というかそれから守ってあげたのは私だし。


「ノエルだったかしら? 早くクライド様に伝えなさいな。愛しの婚約者が会いにきたってね。ああ、クライド様ったら私に会えなくて寂しくて泣いているんじゃないかしら?」


 私の横にサササと戻ってきたノエルに対して、グローリア様はそんな事をのたまう。

 ……あれ? 婚約者?


(ねえノエル、グローリア様はまだ例の件を聞いていないの? それとも私が盛大なドッキリをしかけられているだけ?)

(前者でございますエリカ様。ゆえに私たちは対応に苦慮しております)


 小声で問いかけると、そんな返事が返ってくる。

 なるほど。クロフォード公爵様は根回しを十分にしてから婚約破棄を申し出ようとしているので、まだ彼女の婚約は有効と。そしてグローリア様がまだ婚約者である以上、破棄の件を一介の使用人にすぎないノエルたちは伝えることができず、扱いに困る――ということね。


 シェリル様はあの後お出かけになられたし、公爵閣下は朝からご公務。クライド様もなにやら用事があるとかでしたし、どうしたらいいのかしら?


 そんな調子で頭を悩ましていたら、タイミングよくと言うべきかしら。ちょうどお帰りになられたクライド様が現れた。


「クライド様! もう、どちらにいらしてましたの? 愛しのグローリアは首を長くして待ていましたわ」

「む……? グローリア? なぜここに?」


 帰ってくるなり抱き着いてきたグローリア様に対して、クライド様はむすっと怪訝な顔を浮かべる。


「まあご挨拶ですわ。婚約者の家が襲撃されたというのに、お見舞いも一回きり。グローリアは悲しいですわ」

「……婚約者?」

「ええ、愛する婚約者の顔をお忘れですか?」

「グラッドストン家との婚約は破棄する意向だ。つまりグローリア、お前はもう俺の婚約者ではない。聞いていないのか?」

「え?」

「え?」


 言っちゃった。根回しとはいったい……。


「そ、そ、そ、それってどういう意味ですの!?」

「そのままの意味だが。そしてあそこにいるエリカが、俺の新しい婚約者だ」


 わっふ!? 完全に一般観劇者枠と化していたところ急に話を振られて驚くわ!?

 とりあえずドレスの裾を軽く持ち上げて、習ったばかりの挨拶をしておく。


「え!? だ、だ、だって、あの子はただの下賤な身分の女ですよ!?」

「それでもだ。そして民草のことを下賤だなんだと軽んじるのは良くないぞ。前にも言ったよな? 民あってこその俺達貴族だ。そういうところをお前はわかっていない。だから婚約を破棄させてもらった」

「じ、実家に帰らせていただきます……」

「おう、気をつけてな」


 そう言葉をかけたのはクライド様の優しさかしら?

 グローリア様はまるで酸欠の魚のように口をパクパクさせて固まっていたけれど、やがて手足をそろって動かすギクシャクした動きで帰路につかれた。


 ……公爵閣下の算段とだいぶ違うと思うのだけれど、大丈夫かしら?


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