第7話 淑女たるもの①
花嫁修業。
それは結婚をする前に、結婚後に必要な家事や所作を身につけることを言う。
決して肉体を鍛える意味の修行ではなく、山に籠ることなど断じてない。
も、もちろん私はきちんと前者の意味で受け取っていましたとも。山に行こうとしてクライド様に止められた……なんてことはないわ。ほ、ほんとよ!?
――ともかく。クロフォード家の新たなる花嫁(候補)となったからには、私は修行しなくてはならない。そして貴族の花嫁修業とは、平民のそれとは格段に違うはずだ。がんばるぞー、おー!
そんな気合に満ち溢れた私は花嫁修業をつむため、クロフォード公爵家王都屋敷の離れに住むこととなった。
基本的に食事や日常生活は本邸のクライド様たちとは別。この決定にクライド様は大いにゴネになられたけど、そこは線引き。
なにせ私は公爵様の決定で花嫁(候補)に決まったものの、まだ単なる平民。公爵夫妻と共に暮らすのは結婚後というのが妥当な判断でしょうね。なにより私は、公爵夫妻と食事を共にしたりするための最低限のマナーを知らない。せめてハリボテ令嬢ほどはないとね。
「おはようございますエリカ様。私は当家にてメイド長を仰せつかっております、ノエルと申します。以後お見知りおきを」
「あ、はい。おはようございますノエルさん」
ピシピシ。そんな擬音語ピッタリに頭を下げたのは、私を迎えにきた紺色の髪で美人のメイド長さんだ。歳は私とそこまで離れていないように感じるけれど、なんというか貫禄が違う。
「“さん”は結構ですエリカ様。私は使用人、エリカ様はクライド様の婚約者であらせられますので」
「で、でも私はただの平民で……」
「それでもです。私を呼び捨てにされるのも、マナーと思っていただければ」
「わ、わかりま……わかったわ、ノエル」
よろしい、とノエルがうなずく。
ううっ、偉ぶるというのは苦手だ。
なにせ私はこの大きななるべく背を縮こませるように生きてきたのだから。
「本来はそれなりに家格のある方を講師としてお呼びするのがしかるべき手はずですが、なにぶんエリカ様は貴族的マナーの基本のキすら身につけられておりません」
まったくその通りで。
「ですので、僭越ながら私がまずは基本のキから教えてさしあげようかと存じます」
「はい、よろしくお願いします」
クロフォード公爵閣下からもそのように聞いているわ。
ノエルがいかに信頼のおける人物かもね。
なにせクライド様の婚約破棄と、その後釜に平民出身の私が据えられることはまだ極秘中の極秘。最低限の根回しが済むまで表沙汰にはできない。それは私が母屋ではなく離れに住む理由の一つでもあるわ。
「そう言えばノエルさ……ノエル。花嫁修業の前に一つ聞きたいことがあるのだけれど」
「なんでしょうかエリカ様」
「今朝私の部屋の前に、ピンク色のキレイなお花が置かれていたわ。あれは何の花なの?」
どなたが、とは問わない。
だってそんな素敵な事をする人は、十中八九クライド様だからだ。
「あれはスイートピーでございますお嬢様」
「スイートピー?」
「はい。その花の形が蝶の舞うように見えることから、門出を祝う意味合いが込められております。今日はエリカ様の新たなる門出と言える日。それを祝すべく、さる殿方がご用意されたのでしょう」
さる殿方――まあクライド様で間違いないのでしょうけれど、それをあえてノエルは言わない。言わぬが花というやつだ。花だけに。
それにしても綺麗な花だった。朝あの花を見ると、緊張しきりだった心もいくらか和らいだ。それを見越しての事なら、さすがクライド様と言うべきね。
「それにしてもお花にそんな意味が……」
「花言葉というものは、いくつも種類がございます。エリカ様にも学んでいただかねばなりません。淑女たるもの、込められた想いに気づかねばならぬのです」
ううっ……、お花なんて無縁の生活を送ってきたから先が思いやられるわ。
「でもまず……」
「でもまず?」
「お着替えしましょうか。話しはそれからです」
☆☆☆☆☆
私ほど規格外の身長でなくとも、背の高い女性というのはそれだけで服の選択肢が大きく減る。ショッピングに行けば平均的な女性がいくつもの選択肢の中から服を選ぶ中、長身な女性は数少ない自分に合うサイズからなるべく可愛らしい服を発掘するという、まるで違う作業を行わなければいけない。
今日私が着ていた服も、そんな涙ぐましい努力の末に手に入れ愛用していた一着だったけれど、それもノエルに言わせてみれば「貴族としていささか不適格」な代物だそうだ。
というわけで私は瞬時に身ぐるみを剥がれて、クロフォード家御用達だという仕立屋さんがサイズを測定。多少――いえ、かなり規格外な私のサイズに驚愕した仕立屋さんも、「腕が成ります」と謎のやる気をだされて、僅か一時間後には一着の素敵なドレスが出来上がった。ほとんど一から縫製したことを考えると、魔法を使用したと言ってもとても速い仕事だ。
「思った通りよくお似合いですよエリカ様。やはり上背があると映えますね。いかがですか?」
「こ、こんな素敵なドレス生まれてはじめて……!」
ノエルに褒められたのが嬉しくて、調子にのってくるくると回ってしまう。
するとしつこすぎない程度にフリルの入れられたラベンダー色のドレスが、ふんわりとたなびく。生地の良さと仕立ての良さを感じる。
まるで自分がお姫様かなにかになったみたいだ。
武骨な鎧を着こんでいた二週間前の自分に言っても、きっと信じないでしょうね。
「晩までにもう数着。週末には残りも仕立て上がるでしょう」
「こんな素敵なドレスをそんなに!? 私には贅沢すぎます……すぎるわ!」
「贅沢ということはありませんよエリカ様。むしろ少ないくらいです。季節に合わせて増やしていきませんとね」
な、なんという贅沢。
数着を着まわしていた私があっという間におしゃれマスターだ。
「さあ、お召し物もしっかりとしたことですし、レッスンを始めましょう。まずは基本的な所作から」
「は、はい!」
☆☆☆☆☆
「――ふう。今日はここまでにしましょうか。お疲れさまでした、エリカ様」
「あ、ありがとうございました」
夕刻。日が沈み始めたころに私の花嫁修業一日目は終わった。
ノエルの指導はそれはもう厳しく、的確なものだったわ。
お貴族様って指先の一つ一つに至るまで気を抜けないお立場だったのね……。いくつもの激戦をくぐり抜けて体力には自信のあった私が、もう一日目から全身ビリビリの筋肉痛だ。こんな訓練をあのグローリア様も……ないか。
「帰ったぞ。エリカはいるか?」
「はい。エリカ様ならこちらにおられます」
暮らしているのは離れだけど、今日は採寸もあったので母屋での指導だった。
玄関の扉が開く音と共にクライド様の声が聞こえ、ノエルが返事をすると足音がこちらへ向かってくる。お役目を終えて帰ってこられたのだ。
「――エリカ!」
「お帰りなさいませクライド様」
現れたクライド様に、私は今日のレッスンで習った挨拶を試してみる。
横でノエルが頷いているあたり、及第点はとれたみたいだ。
「お前は使用人ではないからな。そんなに堅苦しい挨拶はいい。それよりもその格好――」
クライド様は、その真紅の瞳で私の姿をまじまじとご覧になる。
「奥様のお申しつけにより、私が手配させていただきました」
「そうか。エリカ!」
「は、はい!」
「すっごく可愛いと思う。よく似合っている」
「あ、ありがとうございます!」
ノエルに褒められたのとまた違い、家族以外の殿方に服を褒められるのなんて比喩表現でもなく生まれて初めてだ。夕焼けに照らされるのではなく、顔が赤くなるのがわかる。
「その……疲れていると思うが、少し話しをしないか? 夕食はまだ一緒にとれない決まりだからな。話したいことがいっぱいあるんだ」
「喜んで。私もクライド様のお話をお聞きしたいですわ」
「そ、そうか! では手を」
彼からすると上の方に差し出された手に、私はそっと自分の手を重ねる。
大変な事はたくさんあるかもしれない。けれども乗り越えて行ける。
根拠はないけれど、そんな気がした初日だった。