第6話 公爵家へようこそ!
「いや、普通にダメだろう……」
私の前に座るカイゼル髭の紳士が、溜息交じりにつぶやいた。
そんな光景を眺めながら、私は今日までのことを回顧する――。
あの衝撃のパーティーの日から早いもので二週間が経った。
あれから私はグラッドストン家からお礼の言葉もなく約束通りの給金をもらい、それであの仕事は終わりとなった。襲撃者が誰かだとか、逃亡した残党をどうだとかは私の仕事じゃないし、知るところではないわ。
あれから事後処理がどうとかでクライド様とはそれ以来だし、新しい仕事を受ける気もなく私は借りているボロアパートメントで日がな一日ぼーっとしていた。
そのうち私は、あの日の出来事が夢なんじゃないかと思うようになっていた。
だってそうでしょ? クライド様は立派――かどうかはわからないけれど、少なくとも高位貴族の婚約者がいる身。それが私にあんな……あんな……ロ、ロマンティック――というかドストレートな求婚をなさるなんて、きっと夢に違いない。
だから私はなるべく他の事を考えて過ごしていた。
がんばってあんなに戦ったんだからもうちょっとお給金に色付けなさいよとか、せめてお礼の一言も言えないのだとか、まあ大体グラッドストン家への文句だ。
そんな生産性のない日々を過ごしていたある日のこと。
私が借りるボロ屋の前に、見たこともないほどの立派な馬車が停まっていた。
「エリカ・エリントン様でいらっしゃいますね?」
「は、はあ……」
「クライド様の命にて、お迎えにあがりました」
クロフォード公爵家のメイド長だというその女性は私に身なりを整えるようにと言うと、あれよあれよという間に私をクロフォード公爵家の王都屋敷へと誘ったのであった。以上、回想終わり。そして冒頭に戻る――。
「なぜです父上! この俺とエリカの結婚をお認めいただきたい!」
「いただけるわけないろう……」
今度こそ呆れたように、カイゼル髭の紳士――当代のクロフォード公爵閣下はがっくりと肩を落とした。
現在、この部屋にはおおむね四名いるわ。
まずは精一杯おめかしをして、緊張のまま座っている私。その隣に座る――というよりは先ほどからヒートアップして立って熱弁を振るわれるクライド様。
そして正面に座るのは、立派なカイゼル髭の紳士ことクロフォード公爵様。その隣にちょこんと座る小柄で可愛らしいお方は、クロフォード公爵夫人様だ。つまりクライド様のご両親。
以上四名により、急遽開催された『クロフォード公爵家緊急家族会議』は進行しています。
ちなみに公爵夫人はクライド様と同じくちんまりとした背丈だけど、痩身の公爵閣下は成人男性の平均値ほどだ。クライド様の背はお母様の遺伝なのね。
「話は簡単です。俺は正直言って、グローリアのことが苦手です。あの者が使用人や平民、それに下級貴族に対して横暴な振舞いをしていることは父上もご存じでしょう?」
「うむ。それはまあ存じておる」
「であれば、グラッドストン家との婚約を解消し、ここにいるエリカと結婚したいと俺は言っているのです。エリカは素晴らしい女性です。襲撃によりこちらが総崩れとなるなか、一人立ち向かった。その精神こそ貴族のあるべき姿。そのような貴い精神を彼女は持ち合わせているのです!」
クライド様が熱弁を振るう姿は小さな子が駄々っ子をこねるみたいで微笑ましく、そのうえ私のことをベタ褒めしてくれているのだから、ついニマニマしてしまう。
けれどその反対に、目の前に座る公爵様はどんどん困惑した顔になり、最初は髭をいじっていた右手も今では痛そうにこめかみのあたりを押さえている。
「クライドよ、お前の言い分はわかった。だが貴族の婚姻とは盟約であると承知しておるか?」
「ええ、まあ。たぶん」
「いやいやわかっておらんだろう……。いかにグラッドストン家の娘がアレな性格だったとしても、そんなにポンポン婚約破棄なんてできん! 子どもの約束じゃないんだぞ? お前はもう少し賢いと思っていたぞ……」
それはそうよね。お貴族様の婚姻とは家と家の結びつきにおいて極めて重要なファクターだ。婚約破棄なんて重大な過失でもない限りありえない。つまり公爵閣下のお話しはいたって正論。それくらい私でもわかる。
それが名門貴族との婚約を破棄して、どこの馬の骨とも知らぬ女と結婚したいですなんて言われたら、公爵閣下も卒倒ものでしょう。
……まあその馬の骨は私なんですけど。
「そもそも相手の方はどうなんだ? エリカ・エリントンさんと言ったね、君はクライドのことをどう思う?」
「え? あ、私ですか!? えーっと、その……」
私がクライド様のことをどう思うか。もちろん素敵な方だと思う。
だって彼に命を救われていなかったら私はあの夜会の日、魔法に貫かれてズタズタか魔錬人形に踏みつぶされてペラペラだ。
「その……素敵な殿方だと思います。ですが……」
「……ですが?」
そこで私の言葉は詰まってしまう。
「なんだ? 俺の背を気にしているのか? それなら安心しろ。成長期が遅れているだけだし、毎日牛乳を飲んでいるからな。すぐにエリカを追い越すさ」
「私に比べれば世の殿方は皆低身長ですし、背の高さは気にしませんよ」
「それならなんだ?」
「……でしたらはっきり申し上げます。一時の気の迷いで私なんかに求婚し、自らの人生を棒に振るどころか、お家にご迷惑をかけるなんて間違っています!」
きっとこれはクライド様にとって一時の気の迷いだ。たぶん戦闘の高揚感や緊張を恋心のように誤認したのでしょう。いわゆる吊り橋効果というやつだ。そんな一時の気の迷いで彼の人生やクロフォード公爵家の栄華を台無しになんてできない。
それにクライド様は素敵な男性だと思うけれど、それが結婚となると話は別だ。私はつい最近まで恋なんておとぎ話の中だけだと思っていた人間だ。好いてくれるのは嬉しいけれど、これが恋心なのかは私にもわからない。
私の言葉にクライド様も言い返せず、気まずい沈黙の空気が流れる。
五分か、十分か。永遠に思えたその沈黙を破ったのは、それまで話しを聞いているだけだった公爵夫人だった。
「クライドはエリカさんのことを愛しているのよね?」
「もちろんです母上!」
「エリカさんはどう? うちの息子のことは?」
「愛している……とかは正直よくわかりません。けれど私にはもったいない良いお方だとは思います」
それが私の正直な感想だ。
「嫌いじゃないのよね?」
「もちろんです!」
「なら話は簡単だわ。エリカさんにはこれからクライドの事を知っていただければいいのよ。それでうちの息子があなたのお眼鏡にかなわなかったら、その時はその時」
公爵夫人はそう言うと、「ね、あなた」と公爵閣下の手を握った。
「おい、シェリル……」
「いいじゃありませんの。二人は若い。きっと何があっても乗り越えられますわ。それにあなたも近頃のグラッドストン家の横暴は目に余ると仰っていたではありませんか。このままではクロフォード家まで同じ穴の狢と言われますよ」
「うーむ、でもなあ……」
公爵閣下も奥様には弱いのか、無下には否定しない。
考える。考える考える考える。
だんだんお髭をいじる手の動きが激しくなっていく。
そしてその手の動きが止まり、カッと目を見開かれた。
「よし決めた! わかったぞクライド!」
「では父上!」
「ああ、グラッドストンとのことはこの私に任せておけ。なあに、手ならいくらでもあるさ。エリカさんもそれで良いかな?」
突然話を振られて固まる。
婚姻。結婚。嫁入り。しかもお貴族様に。
正直想像できない。夢よりももっと夢だ。
けれど隣で無邪気に喜ぶクライド様のお顔を見たら、私まで嬉しくなった。
うん。たぶんきっと大丈夫だ。
「はい、よろしくお願いします」
だから私は、大きな背をなるべく丸めてぺこりと頭を下げた。
「エリカ! 父上、母上、ありがとうございます!」
「うむ。それにそろそろ才気煥発なれど体質が弱いクロフォード家に、丈夫な血をいれようと思っての」
「許可は嬉しいのですが、父上の競走馬趣味じゃないのですから……」
「高貴なる趣味よ」
まあ理由はさておき、穏便にすんで良かった……のかしら?
「ではエリカさん、励んでくれよ」
「励めってなにをですか公爵様?」
「なにを? 決まっておる。花嫁修業だ!」