第19話 灰色の感情①
「クライド様、こちらのお菓子はいかがですか?」
「悪いが必要ない」
とある夜会。視線の先にはいつものようにご令嬢をあしらうクライド様。
私という婚約者がいても、狙ってくる令嬢がいるのに変わりないわ。ましてや彼はグローリア様との婚約を破棄したという前科がある。だから「まだチャンスはある」と衆目憚らず寄って来るご令嬢は多い。
「クライド様の魔法、一度目にしたいものですわ」
「そうか。だが見世物ではないのでな」
いつもの彼。興味ない相手にはそっけない、クライド・クロフォードその人だ。
「エリカ、今日のドレスも可愛いぞ。そういう明るい色も君には似合うんだな」
「ありがとうございますクライド様」
「そうだ。俺の魔法で夜空に炎の華を咲かせてみせよう。エリカ、君の姿からインスピレーションを得たんだ。その花束、ぜひ受け取ってほしい」
「まあ! 楽しみですクライド様!」
私の向けてくれる表情と、他の方たちに向ける表情は明らかに違う。
だからきっと私は、彼にとって特別な存在だと信じることができる。
「クライド様、お茶でございます」
「すまない、手間をかけるな」
「いえいえ。そんなことはございません」
ところ変わってクロフォード公爵邸。
公爵夫妻のご教育の賜物か、屋敷の使用人への態度はいくらか柔らかい。
けれどそれは彼が常々口にしている、人の上に立つ者の矜持の表れだ。だから婚約者である私や、実の母であるシェリル・クロフォード公爵夫人に対してのように、はじけるような笑顔や大切な家族に対する愛情を向けるまでのものではないわ。だけど、一つだけ例外がある――。
「ノエル、聞いてくれ! また新しい魔法を習得したんだ! これでエリカは喜んでくれるだろうか?」
「まことに素晴らしき成果かと。きっとエリカ様も喜んでくださると存じ上げます」
たった一つの例外。それは――メイド長ノエルに向ける表情だ。
ここしばらく密かに観察して確信した。クライド様は、唯一ノエルに対してだけは私に向ける笑みと似た――もしかしたら同一の笑みを浮かべている。
それイコール浮気ということではないわ。なにせ話の内容はというと、どれも私に関する事ばかり。「エリカは楽しんでくれるだろうか?」や「エリカは喜んでくれるだろうか?」みたいな相談とその結果報告よ。
――けれど、油断はできない。
誰かが話していたのを聞いたことがある。女は恋が成就してからを楽しむけれど、男は恋が成就するまでを楽しむ。つまり、女の場合は良いなと思った人と結ばれてあれこれする思い出作りが好きだけど、男の場合は良いなと思った人を攻略するのが好きだってこと。つまり攻略した後は興味なし。次の女の子にゴーだ。
だから困る。すごく困る。クライド様は今のところ私を特別だと思ってくれているけれど、それがいつノエルに移り変わるかわからない。それが男の本能だからだ。
もちろんクライド様は次期公爵という大貴族であるし、妾の一人二人いても問題ないのだけれど、それを私が快く許せるかは別の問題よ。それに妾ばかり愛して正妻を遠ざけるお貴族様の話なんて、わざわざ例を挙げるまでもなくありふれているわ。
「はあ~、これって嫉妬なのかしらね……?」
「間違いなく嫉妬だね」
「そうか……」
そんなこんなで私は、メリンダ相手に愚痴っていた。
今の私の感情を色で表現するのなら灰色だ。決して晴れない曇り空の色。
それはどんよりと重く、胃のあたりにのしかかっている気がする。
「嫉妬だなんて、嫌な女になったものね私も……」
でもしょうがないじゃない。ノエルは私から見てとても素敵な女性だ。
マナーや礼儀作法は私に教えていたのだから当然格上だし、振舞いは上品だ。知的で冷静でそのうえ美人。完全無欠と言っていいんじゃないかしら。
「殿方はああいう年上の女性にコロっとおとされるって言うものねえ……」
「気にしすぎじゃないの? 第一、それを言うなら年下の女にコロっとおとされるとも言うからね」
「はあ~、メリンダは当事者じゃないからそうのんきに言えるのよ……。私が勝てる要素と言ったら……馬に乗れるくらいじゃない?」
「そう言えば他のメイドが、ノエル様は乗馬も達者と言っていたような……」
「それほんと!?」
「ほんと」
ま、まあそうよね。あれだけできるメイドさんなら馬に乗れても当然だわ。わ、私にはまだ戦闘力があるし! あ、あと魔法!
「そう言えば他の衛兵が、その昔公爵夫人を襲おうとした暴漢をノエルさんが見事に魔法で鎮圧したと言っていたような……」
「それってまじ?」
「おおまじ」
おかしい。我が家のメイド長のスペックが高すぎる。
か、勝てる要素が見当たらない……。
「気にすんなって。あんたにはまだその立派な体格があるじゃないのよ。大丈夫。身長なら負ける要素はない」
「クライド様は別に、背が高い女が好きってわけじゃないと思うんだけどなあ……?」
はっきり言って私がクライド様の立場の場合、ノエルと私だったらノエルを選ぶ。そのくらい負けている自覚がある。圧倒的な戦力差だ。
肩を並べて戦い、身分差を覆すためにレッスンをがんばり、競馬場では魂の奥底から彼を応援した。そして婚約会見でのダンス。私と彼との思い出は、濃密で濃厚なものだと思っている。
けれど私とクライド様が出会ってからの時間なんて、ほんのわずかなものだ。それ以前に彼とノエルの間で何があったかなんて私は知りっこない。
だからその思い出の数や濃さでも負けているかもしれない。彼の中の心のアルバムの優先順位は今は私が上でも、ふとしたきっかけでそれがノエルに置き換わるかもしれない。
「ああもう、頭がぐるぐるするわ! ちょっと気晴らしに散歩に行きましょう。メリンダ、護衛よろしく」
「はいはいお嬢様」
しょせん私は恋愛ビギナー。生まれてこの方、私を異性として好ましく思ってくれたのはクライド様だけだ。だから普通がどうなのかわからない。こういう時どうしていいかわからないのだ。
私を覆う灰色の感情。
それが少しでも晴れることを願って、私は華やかな王都の街へと足を運んだ。
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