第12話 高貴なる趣味③
外国では一からコースを造るところもあるけれど、元々の地形を活かして杭を立て、それをコースとするのが本来だ――というのは、私と同じく固唾を飲んで見守るクロフォード公爵談だ。
『無茶だクライド! 確かにお前は乗馬の腕は良いが、レースに出たことなんてないじゃないか!』
『しかし父上、俺が出なければ誰が出ると言うのです? 一体誰がクロフォード家の名誉を守ると言うのですか?』
『……っ!』
私も無茶だと思う。けれどクライド様は、戦うことを選ばれた。
グリーンのターフに立つ彼をじっと見つめる。
緊張は……そこまでしていないみたい。片手に鞭を握り、静かに呼吸を整えている。
『心配するな。エリカの為にも勝つさ。お前に勝利を捧げよう』
そう仰った彼を、私は止めることができなかった。
ドラモンド公が嫌な笑みを浮かべようが彼は立ち向かう。
私に説いた貴族のなんたるかを証明するために。
「クロフォード公、ご子息はレースに出るのが初めてとか。だがご安心なされよ、ワシがアビントンに言いつけて治療薬を備えさせておるでの」
「ご心配痛み入りますドラモンド公。しかし公は我が愚息の治療よりも、自らの謝罪に備える方がよろしいのでは?」
「……ッ! その言葉、必ず後悔することになるぞ。よく覚えておけ」
さすがクライヴ・クロフォード様。ドラモンド公にも負けていないわ!
顔をしかめてしわくちゃになった禿頭の後ろ姿に、私は心の中で舌を出す。
「クロフォード様、クライド様は大丈夫ですよね?」
「……そう信じよう」
公爵様はそう短く答えると、聞こえるか聞こえないかくらいの声で「頼むぞ」とつぶやいた。きっとそこには二つの意味がある。
ひとつは「頼むから勝ってくれ」の意味で間違いないでしょう。そしてもうひとつはきっと、「頼むから無事に帰って来てくれ」の意味。そして私も特に後者が強い同じ想いだ。
「いよいよ始まりますな」
貴賓席のどなたかが言った。
音楽隊によるファンファーレが鳴り響き、各馬がスタート地点へと向かう。
事前に公爵閣下に説明を受けたところによると、コースは馬蹄型――つまりUの字を右に傾けた形で左回り。スタートからややカーブしながら直線を進み、二つのコーナーを回る。そして最後に私たちがいるスタンド前の直線を駆け抜けてゴールだ。
(クライド様……!)
祈りながら見つめる先で、スタート係の旗が振るわれ一斉にスタートした。
「出遅れた!?」
クライヴ様が叫ぶ。見ればクライド様は全馬三十頭の最後方に位置している。
やっぱり無理……いえ、クライド様の闘志はここからでもわかるくらい、まだ満ち溢れているわ。きっと大丈夫。
「おおっ……!」
歓声が巻き起こる。私の想いが通じたように、クライド様が乗るクロフォード領秘蔵の名馬――ソレイユ号はすいすいと前へ上がっていく。あっという間に前から六番手だ。さすがはクライド様。好位置について最初のコーナーだわ!
「――!? 公爵様、クライド様が!」
馬上で大きく揺れた。なんとか落馬は免れたけれど、少し後退してしまう。
「ああ、きっと土だな」
「……土ですか?」
「そうだ。競走馬は実に時速七十キロものスピードで走る。当然それらに蹴り上げられる土は砲丸のような威力よ。きっとそれが身体に直撃したのだ」
「そんな! クライド様は大丈夫なので?」
「……わからん。しかしクライドは魔法戦に長けておる。魔法を避ける要領で、上手く避けたと信じたい」
競走馬の速度は七十キロ。それから振り落とされればただではすまないわ。それに後続のお馬さんに踏まれてしまうかも。実際それで引退――最悪命を落としてしまう方も多いという話だ。心配だ。
「案ずるな。クライドも立て直し、先頭集団を捉えておる」
公爵様の仰るとおり上手く立て直したクライド様はコーナーを突き抜け、先頭集団を捉える位置まで上がってきた。対してドラモンド公の馬は……いた。先頭から三番手の位置。前目にすいすいと走っているわ。けれどこの位置からなら逆転できるはず。
第二コーナーへと吸い込まれていた各馬が、直線に向けて体勢をとる。
クライド様が駆るソレイユ号も、準備万端と躍り出た――あ!
「周りの馬に包まれて……偶然? いえ、これは……!」
前へ出ようとしたソレイユ号の前方に、別の馬が立ちふさがった。そして外側から包み込むように、数頭の馬が隊列を組む。嫌な事にぴったりと後ろからも二頭。完全に包まれてしまったわ。
「あれは……ハーギン卿、オルニー氏、ランサム男爵夫人、セクストン卿、それからエヴァット卿の馬!」
公爵様は叫びながら、貴賓室をキッと見る。すると気まずそうに何人かが瞳を逸らした。きっといま公爵様が仰った方たちだ。
「公爵様、どういうことですか?」
「包囲網だ。ハーギン卿らはいずれもアビントン商会に多額の借銭をしている身。オルニー氏の商会は先日、ドラモンド公の口利きで魚の輸出利権を得たという話だ。つまり――」
つまり、全部あの禿げオヤジの差し金ってわけね。
一発……一発だけなら殴ってもかまわないかしら? え? ダメ? ですよねー。
そんなことを考えている間にも、ソレイユ号とドラモンド公の馬との差はぐんぐん開いていく。そして今、先頭に躍り出たのは他でもないドラモンド公の馬だ。
「なんとか抜け出て……ああ! マークがきつい!」
「大丈夫だ。包囲網を敷かれていると言っても、即席のものだ。必ずほころびはあるはず」
そうか、ほころび。馬一頭分抜けられる隙間。――あった! ソレイユ号の右前方! でもそれにクライド様が気づくか……気づいた!
「包囲網を抜けた!」
まるで稲妻のように、数頭の間を縫って力強く前へでる。
大丈夫。クライド様は負けない。きっと大丈夫。
「フン、中々やりおるわ。だが体力を消耗し、距離をロスした状態で追いつくかな?」
余裕の態度でドラモンド公が宣言する。決してこちらを向いていないが、間違いなく私たちに聞かせるように言った。つくづく嫌味な禿げオヤジだ。
けれどそれは事実でもある。ソレイユ号はぐんぐん追い上げて五番手。しかもこれから最後の急坂。対するドラモンド公の馬は、坂の半ば先頭をひた走りゴールまで間近だ。
「行けクライド!」
ここまでくれば気力の勝負だ。クライド様は真紅の瞳を輝かせて鞭を振るい、ソレイユ号は坂もいとわずに加速していく。四番手、三番手、――来た、二番手!
クライド様は頑張っている。全身全霊燃やし尽くして戦っている。それはクロフォード家のためであり、私のためだ。彼は一人で戦う私を助けてくれた。だから私も助けないといけない。
「クライド様ああああああああああッ!!!!!」
だから私は全身全霊で叫ぶ。私も全身全霊燃やし尽くして叫ぶ。
私が大きいのは身体だけじゃないわ。出そうと思えば声もデカい。
貴賓席に並ぶお歴々がギョッとした目で注目する。けれどそんなの関係ない。
ここで応援しなきゃ女が廃る――いえ、私は私が許せない。
だから魂を込めて、渾身の力で叫ぶ。
彼は戦っている。だから私も戦う。
あとゴールまで100メートル。50メートル。10メートル。そして――。
☆☆☆☆☆
「クライド様!」
戻ってきた彼に、私は思わず抱き着く。身長差があるから素敵な名シーン……というわけにはいかないかもしれない。けれどそれだけ想いが溢れた。
「その……すまないエリカ。少し苦しい……」
「ああ、すみませんクライド様!」
せっかく無事に戻って来られたのに抱きつぶしちゃう!?
私は慌ててクライド様を離す。
「ハハ、だが嫌ではない」
「わわっ!?」
今度は逆にクライド様から抱き着かれる。
冷静になると皆さんの前だし恥ずかしい。けれど嫌じゃない。
ひとしきりお互いの温かさを確認すると、自然とクライド様は手をお離しになった。
「さてドラモンド公、ハナ差決着ですが勝ちは勝ちです。約束を果たしてもらいましょうか?」
勝負は一馬身の差もつかなかった。クビ差――いえ、ほんの数センチ差のハナ差決着。そしてそれを制したのはクライド様とソレイユ号だ。
「くっ……! すまん、非礼を詫びよう」
「貴族の謝罪がそれでいいと?」
「ぐぬぬ……! 我がドラモンドの家名と女神様の名にかけて、貴女を侮辱したことを謝罪する。……これで良いか?」
「俺にではなく彼女に聞くべきでしょう」
「小童が……良いか!?」
「え、ええ。はい……」
まさか本当に謝られるとは思わなかった。禿頭のドラモンド公は、それはもう見事に私に頭を下げると、「帰らせていただく!」とプンプンして帰って行かれた。慌ててアビントン氏もその後を追う。
「しかしまあ、我が息子はまさにソレイユの名の通りだったね」
「ソレイユ……太陽の意味でしたっけ?」
ノエルからは外国語の講義も受けている。
たしかソレイユは太陽の意味だったはずだ。
「正解……と言いたいが、少し違う。私の馬は全て花の名からとっておる。かの国では通常その花をトゥルヌソルと言うが、フルール・ド・ソレイユ――太陽の花とも言うのだ」
「太陽の花……。それでその花は?」
「ひまわりだよ。そしてひまわりの花言葉は――おっと、みなまで言うのは野暮だな。とにかく勝利は君のおかげさ」
公爵閣下はそこまで言うと、ウインクをして他の貴族の方の所へ行ってしまった。
ひまわりの花言葉。確かそれは――、
「――『あなただけを見つめる』」
「エリカ、さあ俺達も帰ろうか」
私がぼそりとつぶやいたのと同時に、クライド様から声をかけられた。
聞かれていたのかな? 聞かれてないのかな?
「宣言通り、お前に勝利を捧げさせてもらった」
真相はわからない。けれど一つだけ言えるのは、私はこの真紅の瞳を持つ小さな貴公子様に愛されているということ――かな?
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明日から新展開です




