第11話 高貴なる趣味②
幾頭ものお馬さんが力強く大地を蹴って走る。
わっと歓声が巻き起こって、先頭でゴールした騎手が応えるように右手を挙げた。
「やった! また勝ったぞ!」
「ははは、今回もクロフォード閣下の馬は強いですなあ」
ここは観覧席の貴賓室。お馬さんを応援しているというよりも、お馬さんを所有し走らせているいわゆる馬主の席だ。並ぶのはいずれも貴族や豪商を始めとした経済的に豊かな方たち。私とクライド様は、その端にちょこんと腰かけて観戦している。
「クロフォード家は良い馬をたくさんお持ちですのね」
「父上の競馬にかける入れ込みは強いからな。血統の研究はもちろん、海外に自ら買い付けに行くほどだ」
「まあ、そんなに」
よく走るお馬さんの子どもの値段を教えてもらって絶句した。故郷の村だと、ひとつの家族が一年――いえ、贅沢しなければ数年間暮らせるほどだった。なるほど、これが高貴なる趣味。
「エリカさん、楽しんでおるかね?」
「こ、公爵閣下。ええ、初めての経験ですが、こんなに熱気のあるものだとは知りもしませんでしたわ」
「まさしく! 私たちは力を誇るため、そして領民たちの娯楽になりまさに一石二鳥! 馬は良い。馬は良いぞ。はっはっは!」
公爵閣下はテンション爆上げ絶好調。カイゼル髭をなでるスピードが当社比二倍だ。
とんでもなくお金が動く遊びだけれど、それはつまり牧場の方が潤うということですし、これが経済活動ということかしらね? 経済なんて、つい最近ノエルに教えてもらうまで気にしたことありませんでしたけど。
「グローリアは臭いと馬場に近寄りすらしなかったからな。エリカが乗馬を覚えたのが嬉しいんだろう」
そうクライド様が耳打ちしてくれた。
なるほど。私は故郷で農耕馬と触れあったり、隊商の護衛で荷を引く馬とも触れ合ってきたから、乗れはしなくても苦手な要素なんてなかった。
「次は本日のメインレースだ! む? セルウェイ伯爵はどちらかな?」
「なんでもメインレースだけ参加される方をお出迎えに行くと仰っていましたよ」
セルウェイ伯爵はこの領の領主で、本日の主催だ。
その彼の所在を公爵が問いかけると、近くにいた別の貴族がそう答えた。
「はて、どなたか飛び入りかな?」
「それはワシの事ですよ、クロフォード公爵」
「ドラモンド公……!」
セルウェイ伯爵に連れられて貴賓室へと入ってきたのは、杖をついた禿頭の貴族――ドラモンド公爵。その名に私は聞き覚えがある。ノエルから特にこの人物の名は覚えておくように言われたからだ。
横に座っていたクライド様も、少し身を硬くした。
ドラモンド公爵はクロフォード家と対立する派閥の首魁だ。
だから覚えるように言われたし、気をつけるようにとも言われた。
「ドラモンド公がお越しになるというのは意外でしたな、セルウェイ伯」
「い、いえその……」
対立する人物が突然来訪したクロフォード閣下は、セルウェイ伯を問いただす。そりゃそうでしょうね。わざわざ仲の悪い人物を引き合わせてなにごとだと思うわ。
「私がセルウェイ伯爵にドラモンド公をご紹介したのですよ」
と、ドラモンド公の後ろから入ってきた人物がセルウェイ伯の代わりに答えた。
その人物を私は以前見たことがある。
グローリア様に挨拶をしていたアビントン商会の会頭だ。
「アビントン君、君がか?」
「ええ。我が商会はセルウェイ伯にも多く貢献させていただいておりましてな。本日の興行もご援助させていただいております。して、その話をドラモンド公へしたら、えらく興味をもたれましてな。こうやって飛び入りを依頼した次第です」
なるほどねえ。つまり多くの貴族の例に漏れず、セルウェイ伯もアビントン商会から借款をしていると。その弱みをつかれて、なんらかの理由で参戦したいドラモンド公をこの競馬にねじ込んだわけね。
「観衆や騎手への差し入れを当商会で用意させていただきました」
「というわけで、飛び入りで悪いが邪魔させてもらいますぞ、クロフォード公」
「い、いえ……歓迎しますドラモンド公……」
クライヴ・クロフォード公爵はいかにも歓迎します(歓迎してない)というオーラを出すと、先ほどまでとは異なり中央から離れた私たちの側に座った。ドラモンド公から離れたわね。
「クライド様、その……」
「エリカが気にすることではないさ。奴らもこの場でどうこうするようなバカじゃないだろう」
それもそうね。お貴族様のあれこれをド素人の私が気にしてもしょうがないですし、今日はクライド様との時間を楽しみましょう。次がメインレースでしたわね?
と、気分を切り替えたところで、また新たなる来訪者が貴賓室を訪れた。
息を切らし入ってきたのはクロフォード家の老執事で、公爵閣下を見つけると慌てて近づき、なにやら耳打ちする。それを聞いた公爵閣下の顔が、みるみる青く染まっていく。
「そんなバカな!」
「じ、事実です……」
明らかに何か問題が発生している。同じく察したクライド様が問いかけた。
「父上、いかがなされたのです?」
「当家の騎手が……」
「騎手が?」
「皆、腹を下して寝込んだ!」
は?
「父上、仰っている意味がわかりませんが」
「そのままの意味だ。今日も勝ち星を重ねていた我が領選りすぐりの騎手たちが、一人残らず腹を下して寝込んだ」
何か悪い物でも食べたのかしら?
食べた……? あっ!
私と同じ考えに思い至ったのか、公爵閣下はアビントン氏の方を見る。
「騎手が腹を下した? それはお気の毒に」
「――!」
明らかに怪しい、けれど証拠はない。どちらかというとアビントン氏の横に座る、さも愉快そうなものを見る目でクライヴ様を見ているドラモンド公が怪しい。
きっとドラモンド公はクライヴ様の愛する競馬で勝つことによって、クライヴ様を辱めたい――ないし力を見せつけたい。その為にアビントン商会に協力させて、勝利を盤石にするために小細工を?
「その……、クライヴ様。他家から騎手を借りることはできないのですか?」
「できる。だが……」
その後に続く言葉に察しがついた。セルウェイ伯がアビントン商会に屈していた以上、この場にいる誰が真に味方かわからない。こうやって攻撃がしかけられている以上、既にメインレースはただの娯楽ではなく、絶対に勝たなければならない戦いへと変容している。容易に他家の騎手に頼るわけにはいかない。
「クロフォード公、代わりの騎手を手配されないのかな? このままでは不戦敗ですぞ?」
挑発するように、ドラモンド公が問いかける。
「そちらの見慣れぬ使用人がそうですかな?」
わ、私……? 無理無理無理。単なる挑発だとわかっているけれど、私には絶対に無理です。なにせビギナー。乗馬初心者。でもさっきの執事さんはお年を召されているし、他にお馬さんに乗れると言ったら――。
「ドラモンド公、この女性は俺の大切な女性です。断じて使用人などではありません。訂正していただこう」
私の隣に座っていたクライド様が立ち上がった。
その真紅の瞳でドラモンド公を見据える。
「……ほう、君は?」
「申し遅れました。クロフォード公爵が嫡男、クライドです」
「で、ワシに謝罪しろと言うたか?」
「ええ、いかにも」
クライド様の言葉は静かだけれど、明らかに怒気を含んでいる。
けれどドラモンド公は、そんなこと意に介さず一笑に付す。
「ハハ。勘違いだった、すまん。これで良いか?」
「良くありません。頭すら下げてはいないではありませんか」
「言いおるのお。お主の要求通り謝罪はした。そのうえでこのワシに頭を下げさせたいと言うのなら、そうじゃな……クロフォード家がメインレースで勝てばそうしてやろう」
バカにしている。こちらがレースに出られない前提でドラモンド公は話しをしている。
私は「もういいですから」とクライド様の袖を引っ張るけれど、彼が引き下がることはなかった。
「わかりました」
「ほう、わかった? しかし騎手は何処かな? やはりそこの巨女が乗るのかな?」
「いいえ。クロフォード家の騎手は――この俺だ!」




