第10話 高貴なる趣味①
「遠乗りに行こう」
と、初デートに誘われたのが昨晩のこと。
デ、デ、デ、デート!? デートでいいのよねこれ?
あの伝説のデートなるものでよろしいのかしら!?
殿方にエスコートされて、そして……!?
「ヒヒーン!」
と、嘶くお馬さんの前にやって来たのがついさっきだ。
私たちの前には、黒鹿毛と芦毛の二頭のお馬さん。
「これは?」
「遠乗りに行こうと言っただろう。だから馬だ」
不思議そうな顔をするクライド様に言われて気がつく。私は昨晩彼から言われた「遠乗り」なるものの意味についてまるで知らなかった。なのに浮かれていた。アホだな私。
「遠乗りとはえーっと、……つまりお馬さんに乗る?」
「そして出かける、だな」
「私お馬さんに乗った事なんてありません!」
故郷の村には農耕馬や運搬用のお馬さんはいた。けれど私は乗馬なんて嗜んだことない。いきなり乗れと言われても無理だ。
「なにも今日今から遠乗りに行こうだなんて言ってないさ」
「……? ではこのお馬さんは?」
「決まっている。レッスンスタートだ!」
☆☆☆☆☆
クライド様による突然のレッスン宣言を受けてから、私は王都近郊にある牧場で彼によるマンツーマントレーニングを受けることになった。
やっと二人きりで過ごせるなんて、ふふふ。
……そんな甘い考えは、開始五分で粉々に砕け散った。
「そうだエリカ、お前にならできる」
「は、はいぃぃぃ……!」
「大丈夫。とりわけ聞き分けの良い馬を用意した。振り落とされるなんてことはない」
「は、はいぃぃぃ……!」
私も田舎育ちだから動物の匂いとかはね、大丈夫なの。
けれどお馬さんに乗ると思ったより高い! 怖い!
「怯えるとそれが馬に伝わる。彼らは繊細な生き物だからな」
「そうなんですか」
大きな身体。強靭な肉体。けれど繊細。
自分で自分の事を繊細と言うのもなんですけど、少しシンパシーを感じちゃうかも。
クライド様の指導は丁寧で、そして的確だ。
「さあ、もう一度乗るところからやってみようか」
「はい、クライド様!」
☆☆☆☆☆
そして一週間が経ち、週末がやって来た。
私は慣れない部分の筋肉を使うことに苦戦しながらも、持ち前の体力と立派な淑女になるという根性でなんとか必要最低限レベルを習得することに成功した。
「今日もよろしくね、コクリコちゃん」
「ぶるる」
私はコクリコ号と名付けられた、白黒入り混じった毛並みを持つ芦毛のお馬さんをなでて挨拶をするとその背に乗る。この子は賢い。私がいらんことをしなければ、きっと今日は無事に終わるでしょう。
「準備はできたか、エリカ?」
「はい! 大丈夫です」
「そうか。最初はゆっくりと行くし、何かあったらすぐに伝えてくれ。それではノエル、行ってくる。留守は任せたぞ」
「はいクライド様、エリカ様。どうぞお気をつけて」
「ええ、行ってくるわノエル」
ぱからっぱからっと揺られる私の心は期待に膨らんでいた。
内ももの筋肉痛くらいなんだ。ついにやってきた二人だけのお出かけ。あれだけ熱心に教えてくれるくらいだ、きっとクライド様には何か考えがあるんだろう。静かな湖畔なんかに行ったりして、もしかしたらそれは――。
私が彼のことを好きかはまだはっきりとはわからない。けれど少なくとも、こうやって二人で穏やかな時間を過ごすことは嫌いじゃない。むしろ温かい気持ちになる。もしかしたらこれが私の知らない“恋愛感情”というやつかもしれない。
良く晴れた空、ゆっくりと雲が流れていく。肌をなでる風は心地よく、コクリコちゃんも楽しそうにあるいている。隣でいろいろと話しをしてくださるクライド様。平和だ。
「さあ、そろそろ目的地だ」
楽しい時間は早く過ぎるもので、体感時間ではあっという間にクライド様が目指していた目的地へと到着した。けれどこれで終わりだろうか? ――否、始まりだ。この場所で私は聞いたことしかないキャッキャウフフな時間を過ごし、何か淑女の階段を一つ飛ばしにして帰路につくのかもしれない。さあ、二人の楽園は何処に――。
「――って、どこよここおおおっ!?」
静かな湖畔はどこへやら。人、人、人。見渡す限り人だらけだ。
うぇあいずえでん? 二人っきりの秘密の時間はどこに?
「驚いたか?」
「そりゃ驚きまし――失礼。粗野な言葉遣いでしたわ」
「気にしなくていいさ。秘密にしていてすまない。けれどこれは父上のご采配だ」
「公爵閣下の?」
私が不思議に思っていると、遠くの方から「おーい」という呼び声が聞こえた。馬上から見れば、数人の紳士がやって来るのが見えた。先頭の一人はカイゼル髭が特徴的――クロフォード公爵閣下だ。
「よく来たなクライド、それにエリカさん。高貴なる趣味の場へ!」
「こ、こんにちは公爵閣下。ああ、馬から降りないと!」
「いやいやそのままで良い。皆さん、こちらが我が息子クライド」
「馬上より失礼いたします。クロフォード家嫡男、クライドです。本年で十七になります」
紹介されたクライド様が馬上で礼をすると、居並ぶ紳士方は「おおっ」と湧きだった。
「お久しぶりですなあ。こんなに立派にな……背は伸びとらんが立派になって」
「ご活躍の噂はかねがね。……十七? あいや、失礼」
「おお、これが魔法の才は比類なしと謳われる御嫡男! まあその……、天は二物を与えぬと言うゆえ、お気になめされぬな」
たぶん悪気はない。嫌味を言っているつもりではない。けれど出会う人は皆、彼の体格を残念がる。名家、ルックス、そして魔法の才能。もし彼があと一つの素養――体格に恵まれていたならば、いったいどれほどの英傑になったかと。
人は既に持つものよりも、いま足りないものを惜しむ存在だ――なーんて、ノエルが講義で言っていたっけ。
「そしてこちらが――エリカです。さあ皆さん、席へ行きましょう。二人は馬をつないでから来なさい」
クライド様の様にご挨拶しないといけないと思っていたけれど拍子抜けした。公爵閣下を始めとした紳士の皆様は、私たちに手を振ると行ってしまった。
「まあそうですよね。貴族ではないし挨拶は不要ですわよね」
「そうじゃない」
「……と言いますと?」
「使用人のように扱うのならば、ここで名を言う必要はない。父上は見せたかったのだ。既に噂になっている俺の新しい婚約者が、馬に乗れる程度には貴族的であるということを」
なるほど。その為に公爵閣下はクライド様に乗馬の指導をされた。
「特にここに来られていた方々は、父上の趣味の仲間だからな」
「ご趣味の?」
「そうだ。派閥ではなく、趣味の仲間である貴族や大店の商会の会頭。そういった方々に認知させるのが今回の目的だろう」
「うーんと、派閥の方々への根回しは簡単だけれど、正式なお披露目の前にそれ以外の有力者にある程度受け入れる下地をつくっておきたい――ということでよろしいでしょうか?」
「その通りだ。エリカもだいぶ貴族のあれこれがわかってきたようだな」
やった。ここノエルの講義でやったところだ!
「ところで、公爵閣下たちはどんなのご趣味を?」
お貴族様の趣味と言えばお茶と芸術品、それから楽器かしら?
「貴族たちは皆、己の力を見せるためにこれに参加する。自分の領内で育てた馬がいかに優秀かで、その領の豊かさや技術の証明になるからだ。だから野原にコースを造り、馬を走らせる。父上の言葉を借りれば、高貴なる趣味というやつだな」
「えっとつまり……?」
「競馬だ!」




