ジュリアの密かな夜の楽しみ 16
その日は夕食前にお風呂の釜へ薪をくべた。燃えやすいものから、燃えるのに時間がかかるものへ、順々に火が移る様に積み上げて火を点けておく。
そのまま夕食の支度に取り掛かる。と、言っても、下ごしらえは済んでいるんだ。私は近くの木偶に声をかける。
「冷蔵室から卵のサラダを一つ出してここへ置く」
アンジュさんのお陰で、木偶は私の言う通りに動いてくれる。お陰で魔法の掛かった冷蔵室や冷凍室も気軽に使えて、すっごく助かってる。
調味液に漬けて置いたお肉をローストして、茹でたジャガイモを温める。ソースも温めておく。パンは午前中に焼いたのが残ってるし、ええと、あとは? そうだ。デザート。今日のデザートはメレンゲとミルクで作ったシャーベット。
最近は季節も進んで暑い日も増えたからね。サンドイッチを作った時に準備して、夕飯の仕込みしながら、チョコチョコと掻き混ぜておいたの。冷凍室万歳な感じ。
「ジュリア。そろそろ坊ちゃん達が降りて来るよ」
「はーい」
よし、用意は万端!
お出しするのはサラダからね。
飲み物は水に少し柑橘果汁を混ぜたもの。
シャインさんも、ノワール様もお酒は殆ど召し上がらない。なんでも、魔法の精度が落ちちゃうんだって。魔法っていうのも微妙なものなんだな。
「ご馳走様、ジュリア。美味しい食事だったよ」
甘いもの好きのシャインさんは、シャーベットを嬉しそうに食べてくれた。
美味しそうに食べてもらえると、作ったかいがあるよね。
食事が終わる頃には、湯船のお湯も良い加減で沸いてるはず。熱ければ水で埋めればいいし。
「あ、シャインさん。今夜はお風呂を沸かしています」
食堂を出る彼に声をかけると、一瞬動きを止めた。
……あれ?
シャインさんは、何度も瞬きしてから困ったように笑った。
「分かった。ありがと」
今夜はお風呂って気分じゃなかったかな?
仕方ないけど。
沸かしちゃったし。
夕食の片付けを終えて、私もお風呂を使わせて頂く。
モンテール家のお風呂はゴージャス。
湯船も広いし、一つの石をくり抜いて作ってあるんだよね。
もう岩だよ、岩!
そう言えば今日は間一髪だった。
シャインさんが受け止めてくれなかったら、この岩に頭をぶつけてたな。
「怪我で済まないって言われたけど、本当にそう。頭かち割れそうだよね」
ちょっと、恥ずかしかったけど。
有り難かったな。
少し緩くなっちゃったけど、肩まで疲れるお風呂って最高。
「ふぃー」
今日は不思議な一日だったな。
まさか、シャインさんがピクニックに連れてってくれるとは思わなかった。
「綺麗な湖だったな」
——と。
シャインさんが頬に触れたのを思い出す。
思い出すと……心臓辺りがキュッと締め付けられる気がした。
陽に透けるような少し癖のある髪や、淡い、淡い湖と同じようなシャインさんの目。いつもなら、整った顔に揶揄うような笑みを浮かべるのに。今日は、何だか、少し違った。
恥ずかしくなった私は湯船に顔を半分だけ潜らせる。
勘違いしそうな台詞を言うんだもん。
私じゃなかったら、絶対に勘違いしてる。
「プハッ!」
湯船から顔を出して、大きく息を吸い込んだ。
だって、私はあの仕草を知ってるからさ。
体の弱かった母が、まだ、少しは元気だった頃。
よく、ああして私の頬へ手を添えた。
そして決まって——。
「え? いや、違う。違うから」
決まって——愛してるわって言うんだけど。
違うよね。
そういう意味じゃないよね?
幼い私に母がしてくれた仕草と一緒なんだから。
「……子供扱いってことかな?」
まあ、そうだよね。
私は湯船の中の自分の体を見つめる。
女性というには、すこーし貧弱だよね。
ストンとしてるっていうか。
出るとこ出てないっていうか。
「ご飯、けっこう食べてるんだけどな」
☆
部屋に戻って髪を拭いて、オイルを擦り込む。
そのまま一本三つ編みにしておく。
顔や首や爪にも塗っとく。
少しは見目がよくなりますように。
モンテール家の二人は、ハッキリ言って綺麗すぎだからね。
ルーランだって、絶世の美少年だしなぁ。
三人とも肌は綺麗だし、睫毛は長いし、髪はサラサラだし。
女の子としての自信みたいの、粉々な感じだもん。
「……環境がねぇ」
ため息ついたって仕方ないけど。
「ナイン家は男がゴッツイからなぁ」
見るからに男な父と兄に挟まれて育ったからさ。
何もしなくたって、女の子に見えてたしねえ。
「ま、いいけどね。さてと」
早いもので、モンテール家に雇われて、三ヶ月以上が過ぎてる。使いづらいメイドだろうに、雇い続けてくれてるモンテール家に感謝だわ。
私は鍵の掛かる物入れの底から、ノワール様とシャインさんに頂いた封筒を取り出す。顔がニヤけるのが自分でも分かるよ。
——だって。
これは私が稼いだお金なんだもん。
初めてお給金を頂いた時の感動は忘れられない!
封筒の中身をそっと数えて、胸に当ててウットリしてしまう。
三つの封筒はメイドとしてのお給金。
一つはシャインさんからの特別手当。
「ふふふ」
自分で稼ぎ出したお金。
愛しい。
「使っちゃダメだけどね」
私は封筒にキスして、もう一度、物入れの底へ丁寧に仕舞い込んだ。
頂いてから毎晩のようにキスしてるなんて、誰にも言えない。
でも、嬉しいんだもん。
こうやって少しづつ貯めていけば、私の老後も安心だよね。ナイン家に帰れなくたって、お嫁に行けなくったって、自分で自分を養ってみせるんだ。
ぜったい、ぜーったいに、お父様に頭を下げたりしない!