シャインの休日2 15
水色のワンピースを着たジュリアは、いつもより幼く見えた。
藤で編まれた帽子のせいもあるかな。
可愛らしい小花が、ワンピースと同じ水色のリボンに飾られてる。
「帽子可愛いね」
「夏向きは一つしか持ってなくて。少し子供っぽいですよね?」
「いや。よく似合うよ」
すっかり日差しも強くなったな。
僕も日差しよけに黒眼鏡を掛け直す。
彼女がうちに来たのは、まだ早春の頃だったのに。
「アンジュさんに笑われました。シャインさんがピクニックって似合わないって」
「似合わないのは認めるけど、笑う事ないよな」
「ですよね」
どうせ、勘ぐって楽しんでるんだろうけど。
確かに我ながら奇妙な行動だけどね。
——でも。
「どこへ行くんですか?」
期待の滲んだ目で、楽しそうに聞いてくるジュリアを見てたら。
こういうのもいいんじゃないかって思える。
「素敵な場所。さて、ジュリア嬢は馬は平気かな?」
「自分でも乗りますよ。でも……乗馬するなら、キュロットにすれば良かったかな」
「いいよ。僕が乗せてくから」
サイロンに馬を出してもらうと、彼は心底驚いた顔で言った。
「シャイン様がピクニックですか?」
「お前まで驚くかな」
「いやぁ、進んで日に当たる姿が想像できませんで」
「人を幽鬼みたいに言わないで欲しいな」
僕の馬は艶々と輝く良い毛並みを保ってる。
「マダラの体調は良さそうだな。さすがサイロン」
「ありがとうございます。まあ、もともとコイツは良い馬ですからね」
振り返ってジュリアを呼ぶと、彼女は嬉しそうに小走りで寄って来た。
「コイツはマダラっていうんだ」
「灰色と白のマダラだからですか?」
「そうだよ」
「お利口そう」
マダラはジュリアに鼻先を撫でてもらって、機嫌良さそうに鼻を鳴らした。
「ジュリアさんを連れてくんですか。二人乗りの鞍に変えましょうか?」
「いや、大丈夫だろ。そこまで遠出はしないから」
バスケットを抱えたジュリアを先に馬に乗せ、僕は後ろに乗って手綱を握る。
「じゃ、行ってくるよ」
「お二人ともお気をつけて」
乗馬自体が久しぶりだったから、走り出しはゆっくりだ。
それでも、ジュリアは嬉しそうに僕を振り返った。
「馬に乗るの久しぶりです。気持ちいい」
「それは良かった。少し急ごうか。お腹が空いて来た」
モンテール家の周りには、梨の果樹園が広がっている。農家に委託して管理してもらっているけど、モンテール家の敷地だ。僕に気づいた農夫が帽子を取って挨拶してくれた。
そのまま果樹園を抜ければ、狩りもできる雑木林が広がってる。
そうは言っても、大型の動物はいないけどね。
僕は小川が流れ込む湖の側へマダラを止めた。
けっこう気に入ってる場所なんだ。
「うわぁ。湖。こんな所があるんですね」
「素敵な場所だろ?」
「はい。すごく!」
その日の湖は、空を映して雲の流れを捉え、本当に綺麗だった。
「気に入っててね。時々だけど、ここへ来るんだ」
彼女を下ろして、マダラを柔らかな草が生えていそうな場所へ繋ぐ。
移動すれば湖から水が飲める場所だ。
ジュリアは木陰に布を広げ、持ってきたランプで湯を沸かし出した。
「そんなのまで持って来たの?」
「はい。お茶は煎れたてが美味しいですから。サンドイッチ、急いで作ったので味に自信はありませんがどうぞ」
僕は差し出されたタマゴサンドを摘む。
お腹はペコペコだ。
「美味しいよ。さすがジュリア」
「シャインさんは、褒めるの上手ですよね」
「本当だってば。君も食べてみな」
摘んだサンドイッチを一口食べた彼女は小さく笑う。
「ん。まぁまぁですね」
「ジュリアの判定は厳しいんだな」
「師匠が厳しかったんです。あ、そうだ。シャインさん、コーヒーはお嫌いですか?」
「嫌いってことはないけど、苦いしね」
バスケットから缶を取り出すと、ジュリアが僕を伺う様に見る。
「試してみませんか? 私、最近とっても気に入ってる飲み方があるんです」
「ふぅん? お勧め?」
「お勧めです!」
「じゃあ、飲んでみようかな」
ジュリアはカップにフィルターと豆をセットして、湧いた湯を持つと膝立ちになった。そのまま、高い位置から狙いを定めて湯を落とす。
「面白い煎れ方するんだね」
「この方がお湯が細く落ちるので、あ、見て下さい。泡が出てるでしょ?」
「そうだね。けっこうな泡だ」
ゆっくりと位置をズラしながら、彼女は真剣にお湯を落とす。
「その泡が大事なんです。泡を壊さないように入れるのがコツ」
「へぇえ」
辺りに香ばしい香りが広がる頃、彼女は煎れたてのコーヒーを持って悪戯そうに笑った。
「そして、これです」
「マシュマロ?」
「甘苦いコーヒーですよ。どうぞ」
彼女に渡されたカップからは、マシュマロの姿は消えていた。
砂糖を入れてかき回され、茶色になったコーヒーは甘い香りがする。
一口飲んで、僕は笑ってしまった。
「はは、こんなの飲んだことない」
「けっこう、美味しいですよね?」
「そうだな。これなら、コーヒーもいける。こんな煎れ方をどこで覚えたんだい?」
「本です」
「君は本当に本が好きだね?」
彼女はコーヒーを飲みながら、目を細めて微笑む。
「体質的に、あまり出歩けなかったので」
「出歩けないような能力でもないよね?」
「小さい頃は、何にでも触ってみたいでしょ? そこら辺りの魔法を手当たり次第に解除して、すっごく怒られました」
「子供に、それは厳しいな」
たぶん、魔法解除だけじゃないんだろうけど。
彼女には治癒魔法も回復魔法も効かないから、怪我なんかさせたくなかったんだろう。そこらの子供みたいに保護魔法をかけることもできないしな。
「シャインさん」
「ん? なに?」
「気分を悪くしたらごめんなさい。シャインさんの妖精眼って、どんな風に見えるんですか?」
「ナメクジの跡」
「へ?」
僕は甘い香りのほろ苦いコーヒーを啜る。
「雨上がりに見かけるカタツムリが通った跡とか、ナメクジが這った跡があるだろ? ああいう感じに見えるんだよ」
「魔法の跡が?」
「そう。その術式もね。それでね、その色は一つ一つ違うんだ。魔法を使った人間からも、同じ色の跡が見えるね」
「……不思議ですね」
「ああ。でも、僕からしたら」
黒眼鏡を外し、息を少し吸い込んで、湖と空と彼女を見る。
「こんなふうに、魔法の軌跡が一筋もない世界の方が不思議だね」
ジュリアは吊られる様に湖と空を見た。
「今は見えないんですね」
「ああ。だから黒眼鏡もいらない。まあ、黒眼鏡かけてても、うっすら見えるんだけどね」
「そうかぁ」
何かを意図した訳じゃない。
ただ——気づけば、僕の手は彼女の頬に触れていた。
「君がモンテール家に来てくれて、すごく助かってる。君が思うよりずっとね」
彼女は少し赤くなって、困ったように目を瞬かせた。
「……ずっと、僕の世話だけをして欲しいくらいだよ」
滑り出た自分の言葉に自分で戸惑って、彼女の頬から手をどけた。
——これじゃ、プロポーズみたいじゃないか。
ジュリアは少し首を傾げてから。
「それも良いですね」
そう言った。
心臓がドクンと跳ねて、息を飲んでしまう。
「ええと、それって……」
「モンテール家で一生働けるなら、独り立ちの心配もなくなるし」
彼女は首を竦めて微笑む。
……はは。
言葉通りに受け取ったわけだね。