ノワールの憂鬱 12
魔法省へ向かう途中でシャインとジュリアと別れて、私は少し溜息をつく。
本当に彼女を巻き込んでいいんだろうか。
現在のケイデンス王国は、幸いにして隣国と関係が良好だ。
今現在、戦が起こる心配はない。
軍としての職務は、国の治安維持だ。
地方へ行けば魔物の討伐もあるが、王都にいるのなら、そこまでの危険はない。
ただ——。
懸念は王宮内にある。
跡目争いが熾烈化しているのが問題だ。
王の体調が優れないのが原因だが、心疾患を治せる程の薬医も魔法医も今の王国には存在していない。たぶん、隣国にもいないだろうが——。
魔法大国と言った所で、魔法自体が万能ではない。
致し方ない。
そんな政治的な内紛に、あの娘を巻き込むのに気がひける。
……まあ、大丈夫だろう。
シャインはあれでも注意深い男だ。
彼女を側付きで雇いたいと言った時も、キチンとした理由を提示して来た。
ジュリア嬢を魔法兵団へ誘いたい。
それが弟が提示した理由だ。
——魔法解除ができる兵士が何人いると思ってます?
確かに、彼女の持つ特色は魔法兵団に欲しいものだ。
特にシャインと組めば、彼女は強力な武器になり得る。
魔法兵団は軍部でも特殊な部隊で、魔法に特化した者しか入れない。
人数も少なく、精査した上で入隊を打診する。
そういう意味でも、彼女を近くで見たいのだとシャインは言っていた。
見た限り、ジュリア・フローラ・ナインは、申し分ない資質を持っている。
人見知りせず、状況への適応能力が高く、何より前に出過ぎない。
魔法解除の能力は抜群だ。
彼女がモンテール家に来た時、門に触れただけで、私とシャイン、それにルーランとで施した強力な結界を解除してしまった。本人は解除した事すら気づいていなかったが——。
「………それに」
魔法省の執務室に入って、上着を脱ぎながら思う。
あの娘は周りを明るくする。
シャインは特殊な能力のせいでリラックスするのが苦手なはずだが、彼女が来てから表情も穏やかだし、体調も良いようだ。彼女がきめ細かく世話をしてくれているからだ。
何よりルーランが彼女の話をしていた。
しかも、笑顔で。
ルーランは生育環境から人見知りが激しく、人間不信気味だったのにな。
——ジュリアさん、惑星奇談を読んだことあるって。あれを読んでる人に会ったのは、ノワールさんについで二人目。しかも、月の隊長の話が一番好きだって、僕と同じなんだよね。
年相応の少年らしい表情で、嬉しそうに誰かの事を話すのは初めて見た。
彼の情操の為にも、彼女にはずっとモンテール家で働いて欲しい。
パスカルの手が塞がってる時、彼女が煎れてくれるコーヒーは美味しいしな。
たまに夕食に出てくる彼女が考案したデザートも、とても美味しい。
料理上手な良い妻になれる。
………。
ノックの音と共に、文官の青年が顔を出す。
「ノワール長官。先日の討伐隊の書類が揃っていました」
「ああ、ご苦労。そこに置いてくれ」
「はい。あと——」
「なんだ?」
彼が説明する暇もなく、その後ろからナイン大隊長が現れた。
「お邪魔するよ、モンテール長官」
「如何しましたか、ナイン大隊長」
大柄で豪放磊落。物質に関与する魔法が得意で剣の腕が立つ。
絵に描いたような武官だ。
「いや、娘はちゃんとやってるかと思いまして」
「期待以上の働きをしていますよ」
「そうなんですか?」
「はい。優れたお嬢さんです」
赤鬼と呼ばれる大隊長は、少し目尻を下げた。
「それなら良かった。粗相を繰り返して、嫌われてやしないかと思ったんですが」
「大隊長。彼女は大変に優秀なメイドです。能力を過小評価しては可哀想ですよ」
その赤鬼がモジモジと身を揺するのは、見ている側を困惑させる。
「で、女性としてはどうですか?」
「……どういう?」
「嫁にもらってやくれませんかね?」
「ナイン男爵。そういう話はお嬢さん抜きでするものではない」
「いや、しかし」
困った人だな。
「はっきり申し上げて、ジュリア嬢は愛らしいし、賢い。素敵な娘さんですよ」
「それでしたら」
「ですが、私とは年齢が離れています。お嬢さんの方が嫌がるでしょう」
「嫌なんて言わせませんよ」
「それでは断るしかありません」
「えええ」
どうして、そんなに嫁に出したがるのか。
男親というのは、娘を嫁に出すのを嫌がるものだと聞いていたが。
「彼女には、相応の男性に嫁いで幸せになって頂きたいですからね」
「しかしですよ、そもそも、求婚者がいない」
「皆、彼女を知らないだけでしょう」
「……本人が嫌がって、そういう場に出て行かんのです」
それはそうだろうな。
品評会みたいな場所でパートナーが決まるわけがない。
そうは言っても、気の進まない見合いを押し付けられて、困っているジュリアを見るのはいい気がしないな。
「ナイン男爵。心配なさらずとも、モンテール家で彼女の面倒をみます」
「……え? それは、どういう?」
「嫁ぐと嫁がずとに関わらず。一生を保証します」
ナイン男爵がアングリと口を開けてしまった。
まあ、突飛な申し出だとは思うが。
「ここだけの話ですが、彼女には魔法兵団へ、入隊を考えてもらおうと思っていますので」
「魔法兵団? あの娘は魔法が使えませんが?」
「魔法解除は立派な魔法ですよ」
「いや、しかし、娘ですし」
「女性の兵隊も存在します。むろん、危険任務につけたりはしませんが、全く危険がないわけでもない。ですので、我がモンテール家で、彼女の一生を保証させて頂きたいのです」
彼は困惑の滲んだ顔で私を見つめた。
「……魔法省長官の貴方が仰るなら、ジュリアの体質が役に立つのでしょうが。これだけは心に留めて下さい」
「なんでしょう?」
「私は、娘の嫁入り姿が見たいんですよ」
「善処します」
「よろしくお願いします」
彼はフゥッと息を吐き、なぜか肩を落として部屋を出て行った。
気づいてもらえなかったな。
迂遠ではあっても、求婚したつもりだったんだが——。
まあ、いい。
私が求婚したと知れたら、シャインに恨まれるだろうからな。