霊能者主婦マリアさんの平凡な一日
結城(旧姓:本城)マリア、24歳、主婦。
家賃5万8千円の2DKのアパートの2階に、夫と、猫との3人暮らし。
夫は年上、学校の元担任で、長年の秘密裏の交際の上、昨年ゴールインした。
今日も何の変哲もない平日。
朝6時にスマホのアラームで目を覚まし、予約していた炊飯器の炊き上がりを確認する。
洗面所で手を洗い、顔を洗う。
鏡に映る青白い女の顔と一瞬目が合ったが、彼女は気にしない。
洗面の次は着替え。
衣装ダンスの引き出しに手をかけ、今日の服は何にしようかなと考えを巡らせながら開ける。
引き出しの中から血まみれの落ち武者の首がギロリとこちらを見たが、彼女は容赦なくその顔面目がけて手を突っ込み、その下にある水色のシャツを取った。
続けてパンツの引き出しを開けると猫がにゃあと鳴く。
「あら、マロンちゃんこんなところで寝ちゃダメでしょ」
彼女に声をかけられた猫のマロンは背伸びをして引き出しから飛び降り、てててとリビングの方へ走って行った。
着替えを済ませるとエプロンをつけ、台所に立つ。
洗ってコンロに置かれたままだった空の鍋の蓋を開けると、
白い塊のような霊体がボワっと膨らんで飛び出す。
彼女は顔色ひとつ変えず、左手にフライパンを持って横薙ぎに振り抜くと、霊体は霧散した。
鍋に水を入れ、フライパンでベーコンと卵を焼く。
朝食と夫の弁当を手早く準備しなければいけない。主婦の朝は忙しいのだ。
流し台の前、床下から黒い人影がじりじりとせり上がってくる。
「……ワレハ……死霊ノ……」
そこまで言いかけて床から1mくらい伸びてきた死霊のなんとかの頭に、
彼女は目玉焼きを焼きかけのフライパンを、火のついたコンロからひょいと乗せた。
ジュッ……という音とともにあっという間に床下に引っ込む。
朝食をテーブルにセッティングし、お弁当の具材を詰めている頃、
夫が起きだしてくる。時計を見ると7時だ。
「おはよう、マリア」
「おはようございます、あなた」
にこやかに朝の挨拶を交わす2人。
まだまだ新婚のほんわかした雰囲気だ。
「いやーなんか肩が痛くてさ。寝違えたかなー」
そう言う夫の右肩に、小鬼のようなものが嚙みついてぶらさがっている。
彼女はすたすたと夫に近づき、スパァンと肩のあたりの中空に平手打ちをする。
直撃を食らった小鬼はすごい勢いで吹っ飛んで行き、
壁にぶつかって顔面がまるで潰れたトマトのようにぺちゃんこになり、そのまま消滅した。
「あれ?軽くなった。痛くなくなったぞ。なんだったんだろ?」
肩を回しながらきょとんとする夫に、彼女はそのまま抱きつき、おはようのキスをねだる。
「んっ……」
「今日もかわいいね、マリア」
「ふふ……ありがとう」
2人で朝食を済ませ、身支度を済ませた夫を見送り、あとは一人で家の仕事をするだけ。
その前に、ちょっと一息。
彼女はポットからお湯を注ぎ、それを壁から浮かんでくる無念の形相をした怨霊にかけると、
もう一度お湯を注ぎ、温かい紅茶を入れた。
洗い物を洗濯機に入れ、洗面所にいた青白い顔の女も襟首をつかんで洗濯機にぶち込む。
そのまま全自動のスイッチを入れ、洗濯が終わるまでの間は部屋の掃除をする。
リビングのイスをどけると床には関節がねじ曲がった上半身だけの血まみれの霊がいたが、
彼女は掃除機のスイッチを「強」にして埃と一緒に吸い込んだ。
外は小春日和の暖かい陽気に包まれ、太陽も次第にその光を増してきた。
彼女はベランダに布団を干すと、右手に持った布団たたきでパンパンと叩く。
ベランダに群がるイタチやタヌキのような動物霊もついでに叩き落しておく。
洗濯が終わったようだ。
洗濯物を出すと、最後に青白い女の霊もぐしゃぐしゃに濡れた状態で取り出された。
彼女はベランダに洗濯物のカゴとげっそりした霊を抱えていき、
まず霊をベランダから雑にぽい捨てした後、洗濯物を丁寧に干した。
そうこうしているうちに時計は10時を回っていた。
「今日の夕飯は何がいいかしら?」
「……ワレハ……供物ヲ要求スル……」
独り言に対してさっき床下に落としたはずの死霊のなんとかが背後から返事をしたので、
顔面に裏拳をかまし、すかさず頭を掴んで床下に叩きつけた。
「あら、こんなところに汚れが」
死霊のなんとかの顔面で手荒く床をこすると、床の汚れは激落ちくんばりに綺麗になった。
死霊も激落ちくんのように削れていき、また床下に消えていった。
仕上げにきちんとウェットシートで床を拭く。
午前中のうちに買い物を済ませるため、玄関にカギをかけて出かける。
かけたはずのカギが内側からガチャっと開いたので、彼女がまたキーをさして回す。
そのやりとりが何度か繰り返されたので、彼女は一度ドアを開け、
内側に張り付いてニタニタしていた意地の悪い爺さんのような妖怪の顔面に正拳を叩きこむ。
今度は、無事にカギがかかった。
自転車にまたがり、出発。行先は近所のスーパーだ。
きちんとルールを守り、車道の左隅を走る。
交通事故に合った霊たちが無念の表情で道を塞いでくるのをお構いなしに轢き抜け、
5分ほどでスーパーに到着した。
「今夜はハンバーグにしようかしら」
「……ワレ二血肉ヲ捧ゲヨ………」
また後ろから独り言に返事をされたが、人目もあってか、彼女は見ないふりをした。
スーパーでの買い物は20分ほどで終わった。
ずっと後ろに大きな死霊がゲヨゲヨうるさくついてきたが、
レジを済ませて表に出たところで、辺りに誰もいないのを左右確認の後、
ハイキックを一閃させて駐車場の反対側まで蹴り飛ばした。
帰ってきてからのお昼は一人なので軽くパンで済ませた。
パン焼きのオーブンの中にアリ〇ッティのような小人が数人隠れていたが、
くるみパンとともに加熱したところ、声にならない悲鳴を上げながら蒸発していった。
午後は、ちょっと近所の実家へ顔を出す。
歩いて3分くらいのところにある彼女の実家では、父母と長男、彼女から見れば兄が暮らしている。
インタホンを鳴らしつつ、返事を待たず玄関のドアを開ける。
途端に背筋が凍るような殺気が彼女を襲うが、すっと受け流す。
「ただいまー。何か、とてもすごい力を感じるけれど、何かあった?」
靴を脱ぎながら声をかけると、母が出迎えてくれた。
「ああ、なんかあの子がこの間、ネットで日本刀を買ったみたいなんだけど、アレよ」
「ちょっと見てきていい?護兄さんはいるの?」
「平日だからあの子は今日も仕事だよ。部屋にあるから勝手に入っていいよ」
彼女は2階の兄の部屋へ入り、片隅に立てかけられている白鞘入りの刀を見つけた。
「これはすごいわねえ……でも、悪い霊というよりは、もっと神格に近い……?」
一通り眺めた後、リビングでお茶をすすりながら母と話す。
「あの子、あの刀の鞘とか作って、居合で使うんだって」
「兄さん、まだ居合続けてたんだ」
居合とは、「居合道」。日本刀を使った型の武道だ。
「大丈夫そうかい?あれは私にも良く分からなくてね」
「まあ……そんなに悪い感じには見えないから、大丈夫だと思うけど」
「うちの男どもはみんなニブいからね。あんたも大変でしょ」
この家系は、母と彼女以外は、全く0感なのだ。
「あ、ほらこれ、この間頼まれていたお札」
「ありがとうお母さん。さすがに今のアパートも毎日ちょっと鬱陶しくて」
彼女はアパートに戻ると、リビングの壁にある絵画をどけ、その裏にそっとお札を貼り付けた。
洗濯物をたたみ、布団を取り込み、夕飯の準備をする。
そして18時頃になると、「ただいま!」という元気な声とともに夫が帰宅した。
彼女はにっこり笑って出迎える。
「おかえりなさい、あなた。ごはんにする?お風呂にする?それとも……」
「……ワレニ供物ヲ捧ゲヨ……」
背後から聞こえた声に、ノールックで回し蹴りを食らわせた。
―――半年後。
「護さんはまだ見つからないのかい?」
夫が心配そうにマリアに尋ねる。
「ええ……もう3日になるわ。家出なんてしたことも無かったのに」
「彼の友達とかは?」
「誰に連絡を取ってみても、知らないって……護兄さんも圏外でつながらないし」
「うーん、心配だね……」
「自殺とか、考えるような兄では無いから、何か事件に巻き込まれてなければいいけれど」
……あ。
マリアの頭に半年前の記憶がよぎる。
「あの時の、あの刀……」
「どうしたんだい?」
夫が顔を覗くが、少し考え込む。
あの刀の力かもしれない……。
お兄さんは↓にいます。こちらも宜しくお願いします。
「妖刀でんでん丸と行く異世界探訪」
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