売国王と呼ばれた男
2021.05.01 脱字を訂正
女王であった母が病死し即位したナータンは、婚約者を呼び出し婚約破棄を言い渡した。
「オ、オリーヴィア。お、お前との婚約は、破棄だ!」
ナータンは気弱で、王には向いていない。
彼は、幼い頃から、優秀な妹と比較されていた。
偉大な母が妹を跡継ぎにするのではないかと怯え、有能な婚約者に気後れし、妹には見下されていると感じていた。
一時期は、全ての女が自分を馬鹿にしていると思い込んでいた。
「理由をお聞かせくださいませ」
「す、好きな人が……い、いる。か、彼女以外とは、けっ、結婚したくない!」
王になって権力を手にして尚、オリーヴィアと話すのが怖い。
「ピーア・ノイマンさんでしたわね?」
オリーヴィアは、柱の陰からナータンを見守っている八歳の少女を見ながらそう言った。
「そ、そうだ!」
ピーアと出会ったナータンは、女性相手に初めて心の安らぎを覚えた。
彼女といると、自分を好きになれた。
「ですが、彼女は」
「ピ、ピーアを悪く言うのは、ゆ、許さないぞ!」
ナータンは、初めてオリーヴィアを睨んだ。
しかし、怖くて直ぐに目を逸らす。
「お、お前の父親、ノルデンヴァルト公爵が、ふ、不正を働いているとの告発があった! さ、宰相を解任する! ち、父親共々、王都を去れえ!」
「告発者は、信用出来る人なのですか?」
「と、当然だっ! ノイマン伯爵は、ピーアの、ち、父親だからな!」
ピーアは、ノイマン伯爵の婚外子だった。
数ヶ月前に正妻が亡くなったので、ピーアの母と再婚している。
ノルデンヴァルト公爵とノイマン伯爵の仲が悪い事は、有名である。
そして、ノイマン伯爵には良くない噂が多かった。
その事は、勿論ナータンも知っており、ピーアに惚れた彼は、ノイマン伯爵の悪い噂はノルデンヴァルト公爵の工作によるものと決め付けていた。
「解りました。残念です。陛下」
オリーヴィアは頭を下げると、大人しく去って行った。
◇
それから、十年後。
カルトライヒ王国は、急激に衰退していた。
ノルデンヴァルト公爵の後釜に座ったノイマン伯爵が、他国を優遇し・自国を衰退させる政策ばかり打ち進めて来たからである。
ノイマン伯爵と彼の賛同者達だけは、利益を得られる仕組みにしていた。
因みに他国とは、ピーアの母の母国である。
妹は嫁ぎ・母は亡くなり・オリーヴィアとの婚約を破棄し、精神が解放されたナータンは、ノイマン伯爵に政治を任せ、自由を満喫していた。
国を統べる重い責任から逃れたかったのだ。
ナータンは、ピーアの父だからとノイマン伯爵を妄信していた。
だから、法案や予算案等の書類が上がって来ても、良く読まずに裁可していた。
そして、諫言する忠臣を遠ざけ・甘言する奸臣を重用した。
諫言を、自分の全てを否定するものだと感じたからだ。
「陛下! ノルデンヴァルト公爵領が独立を宣言し、ヴェステンラントと手を組んで、王都に向かい進軍しています!」
「な、何だと?!」
ヴェステンラントは、ナータンの妹が嫁いだ国だった。
「進軍経路の各領主は、一戦も交えず通過させている模様です!」
「な、何故だ?!」
愕然とするナータンに、不安げなピーアが寄り添う。
「更に、それを耳にした王都の住民が、城に押しかけ暴れております!」
ナータンは、最早言葉も無い。
「どうか、お逃げください!」
「い、言われなくとも!」
「国王は何処だ~!?」
「見付け次第、殺せ!」
思っていたよりも近い暴徒の声を聞きながら、隠し通路へと逃げ込む。
城を守るべき兵士の多くが、職務を放棄しているのだ。
「ナータン様。私達、助かりますよね? お父様達は、無事でしょうか?」
「だ、大丈夫だ。この抜け道は、王族しか知らない」
「お久し振りですね。お兄様」
恐怖に支配されたナータンは、声の主を振り返った。
紛う事無き妹が、上半身に鎧を身に着けて立っている。
勿論、独りではない。
「残念ですわ。こんな形で帰って来る事になるなんて」
「ナータン様!」
ピーアがナータンにしがみ付くと、腰が引けていた彼は妻を受け止めきれずに倒れた。
「陛下!」
近衛兵が、二人を助け起こす。
「おおお、お前が、お、夫を唆して我が国を、う、奪いに来たのか!?」
恐怖で上手く喋れないナータンに、妹は冷ややかな目を向けていた。
「お兄様。売国奴を重用して国を滅茶苦茶にするのは、楽しかった?」
「ば、売国奴? 誰の事だ?」
「ノイマン伯爵に決まっているではありませんか」
「ピーアの父を、ぶ、侮辱するなっ!」
ナータンは怒るが、妹に怖がる素振りは見られない。
やはり、見下されていると、劣等感を覚えた。
「た、大国カルトライヒの王が、こ、怖くないのか!?」
「売国奴に蝕まれ凋落した国の、何処が怖いのです?」
そう言うと、妹はナータンに剣を向けた。
「捕らえなさい」
命令を受けたウェステンラント兵達が、近衛達を切り伏せ、ナータンとピーアを拘束する。
「貴方達は公開処刑します。民の多くがそれを望んでいるでしょう」
「た、民に恨まれる覚えは無い!」
「私達が、何をしたって言うんですか!?」
「何もしなかったからよ。ノイマン伯爵の民を苦しめる政策を止めなかった。関心を向けなかった。王族としてするべき事をしなかった」
「おおお、お前に何が解る!」
怒りで上擦った声で、ナータンは怒鳴った。
「解っていたら言わないとでもお思い?」
変わらず冷ややかな妹に、ナータンは恐怖を思い出した。
しかし、反省して自らの責任を認められるほど、ナータンは強く無かった。
「あ、あの……。嘘ですよね? 兄妹なんだから、処刑なんてしませんよね?」
ピーアは、希望を込めて尋ねる。
「兄妹の情で許して良いほど、国王の責任は小さくないわ」
「……わ、私、死にたくないです! 許してください!」
本気と知って、ピーアは涙目で命乞いをした。
「ノイマン伯爵の政策の所為で亡くなった人達も、死にたくなかったでしょうね」
「し、知らなかったんです! 本当です!」
「ノイマン伯爵一人の命で許せるほど、国は安くないのよ」
こんな事になるんなら、ナータンに近付くんじゃなかったと、ピーアは、オリーヴィアからナータンを奪った事を後悔した。
◇
後日、二人はノイマン伯爵夫妻と共に、民衆の罵倒を受けながら処刑された。
オリーヴィアは、父と共にそれを見届けていた。
「ナータン様がピーアさんと出会わなかったら、こんな事にはならなかったのでしょうね」
「いいや。ノイマンに任せきりにしたのが悪かったのだよ」
ナータンは気弱で、王には向いていなかった。
王国の舵取りをする重圧に、向き合う事が出来なかった。
ピーアを愛して得た勇気と安心は、国王の責務に耐えられる程には足りなかった。
それでも、彼に、王を辞めると言う発想は無かった。
国王である事が、彼の僅かな自信の源であった。
だが、ノイマン伯爵が売国奴で無かったならば、問題無かったかもしれない。
オリーヴィアは彼が売国奴と知っていたが、ナータンは信じないだろうと言わずに別れた事を後悔していた。
あの時言っていれば、ナータンが処刑された事を自業自得と割り切れたのに、と。
「さて。帰るぞ、オリーヴィア」
「はい」
オリーヴィアは、胸中でナータンにサヨナラを告げ、父と共に立ち去った。