第十四話 「とらぬ狸の」
僕たちのファーストコンタクトは最悪だったと言わざるをえない。
なにせ犬好きの僕の前に猫娘が現れたのだから。
これが猫娘ではなく犬娘だったら、最悪は回避できただろう。むしろ最高まであったかもしれない。
だが、現実は非情である。僕の前に現れたのはよりによって嫌いな動物である猫の妖怪、猫娘のミケ。
彼女に泊めてくれと頼まれたが、一考の価値もなかった。
僕はすぐさま警察に電話をして、彼女を引き取ってもらった。
「ねぇ、お腹が空いたの~」
これが犬娘であったなら、僕は迷わず泊めただろう。まあ、犬娘なんて妖怪が存在するかは知らないけど。
「ねぇ、お腹が空いたの~」
斯くして僕の家の平和は保たれた。猫娘と同居なんてとんでもない。
「ねぇ、お腹が空いたって言ってるの! 無視しないで!」
「うるさい! 耳元で叫ぶな!」
というのは、一昨日の話。
今、僕の部屋にはなぜだか猫娘のミケが我が物顔で居座っている。
「冷蔵庫に牛乳が入っているから、それでも飲んでいろ!」
挙句、お腹が空いたから食い物をよこせとせがんでくる始末だ。
「そこら辺の猫と一緒にしないでほしいの。ミケが「お腹が空いてる」って言った時には、マグロでも差し出すのが常識だと思うな」
「そんな常識は知らない。贅沢言うと、外に放り出すぞ」
僕がそう言うと、ミケはニヤニヤしながら顔を近づけてきた。
「あれれ~、そんなこと言っていいのかにゃ? 英二こそ、外に放り出されちゃうよ」
「…………」
僕は無言でサバ缶を手にすると、それをミケに投げた。
「これ、マグロじゃなくてサバなの」
「家にはそれしかない」
「えぇ~~……まあ、しょうがないね」
ミケは渋々といった感じでサバ缶を食す。
溜め息を吐くと同時に、どっと疲れが押し寄せてきた。
なぜ、こんなことになってしまったのか。
それを語るには、まず一昨日の顛末、そして昨日の出来事を語らねばなるまい。
●
一昨日、僕がバイトから帰ってくるとアパートの前に見知らぬ少女がいた。ミケだ。
彼女は悪い人間(僕からしたら良い人間)から追われていたらしく、僕の家に泊めてくれと頼んできた。
勿論、そんなのは嫌なので、僕は警察に電話をして彼女を引き取ってもらった。
警察がいなくなったのを確認した僕は部屋に戻り、シャワーを浴びて、いつもと変わらない快適な睡眠を取ることができた。
事件が起きたのは翌朝。
僕はいつもと変わらない快適な目覚めを得ることができなかった。
なんだか部屋の外が騒々しいのだ。
何事かと思い扉を開けると、そこにいたのは数十匹の猫の大群。彼女らが一斉に鳴くものだから、うるさいことこの上ない。
次第にアパートの住人たちも何事かと集まり、やがて大家もやって来た。
僕の部屋の前で鳴き続ける猫の大群を前に、大家は僕に疑いの目を向けてきた。餌付けでもしたのではないか、と。
当然、否定したが、大家は信じてくれない。
そんな時、必死に釈明する僕の目に一匹の猫が映った。先頭で鳴き続ける三毛猫だ。なんだか彼女の耳に見覚えがあるような気がしたのだ。
思い出したのは、昨夜遭遇したミケと名乗った猫娘。
僕がその三毛猫を見ると、彼女が笑った気がした。
このままでは埒が明かないと、僕は「わかりました。僕が何とかします!」と宣言した。
すると、猫たちは一斉に鳴くのを止めて四散した。
呆気に取られてその光景を見守る僕と大家とアパートの住人たち。
その後、大家から「今後同じようなことが起きれば、アパートから出ていってもらう」と言い渡された。
その一時間後。部屋のチャイムが鳴った。
扉を開けると、そこにいたのはニヤニヤ笑う昨夜の少女。
「何とかしてもらいに来たの」
僕は涙を流して彼女を家にあげたのであった。
●
以上が昨日までの出来事である。
それからミケは僕の家に我が物顔で居座っている。
「それ食ったら出ていけよ。一晩って話だったからな」
「それは無理なの」
「無理じゃない。約束が違うだろうが」
「約束を最初に破ったのはそっちなの! 一晩泊めてくれるって言ったのに、警察を呼んだのは!」
「どこに泊めるかまでは約束していなかったからな。僕の家でも警察でも変わりないだろう。第一、この安アパートより警察の方が断然安全じゃないか」
「それじゃ詐欺なの! あれから警官の目を盗んで脱出するのにどれだけ苦労したと思ってるの」
「それは僕の知ったことじゃない。とにかく、それ食ったらさっさと出ていけよ」
僕はそう言うと、自分のブランチをつくり始める。
「…………あーあ、ここを追い出されたら行く所がないにゃ~」
「…………」
「また、知ってる人の所へみんなでお願いしに行くしかないにゃ~」
「…………おい」
僕は目玉焼きをつくっているフライパン片手にミケを見る。
「だって、しょうがないにゃ~。誰かさんが薄情だから」
「その語尾の「にゃ~」ってやつ止めろ。イラっとするから」
「そんなのミケの知ったことじゃないにゃ~」
「…………」
僕は完成した目玉焼きをトーストの上に乗せて、マヨネーズをかける。ブランチの完成だ。
「それ美味しそうなの! ミケのは?」
「お前はサバ缶食べただろうが」
「ミケもそれが食べたいの」
「やらん! トーストも卵も猫には毒だ」
「ミケは猫じゃなくて、猫娘なの」
「同じようなものだろう?」
「全然、違うの!」
僕は構わずトーストを食す。引っ掻いてこようとするミケから逃げながら。やっぱり猫じゃないか。
●
「実際、お前をこの家に住まわすのは無理だ。現実的な問題がある」
「何なの?」
「金だ。二人で暮らすだけの生活費を僕は捻出できない。ただでさえ一人で暮らすのが精一杯の貧乏学生だからな」
「ふ~ん、つまりミケがお金を稼いでくれば、一緒に住んでもいいってことなの」
「いや、それとこれとは話が別だが……」
「それなら、何にも問題はないの。ミケに任せるの!」
「何か当てがあるのか?」
「悪さをする妖怪を捕まえればいいの」
「は?」
「悪さをする妖怪を悪い人間のもとへ連れていけば、お金が手に入るの」
「え~と、つまり、だ。一昨日、お前を追っていた人間のもとへ悪い妖怪を連れていけば、金が手に入るのか?」
「そういうことなの」
「はぁ。でも、お前にそんなことできるのか? 妖怪って言っても、そんなに強そうには見えないが」
「あっ、今ミケのことバカにした!」
「馬鹿にしたつもりはないが。ただの疑問だ」
「ミケは本気を出すと、超強いんだから」
「そうか。じゃ、まあ、頑張ってくれ」
「任せるの!」
そう言って、ミケは家を出て行った。
僕は扉にチェーンロックをかけて、日曜という貴重な休日を満喫した。
●
深夜三時過ぎ。
扉をドンドンと叩く音に目が覚める。
「うるさいな。どこのどいつだ」
僕は扉の覗き穴を覗き込む。ミケの怒った顔がドアップで現れた。
チェーンロックをかけたまま扉を開ける。
「どうした?」
「「どうした?」じゃ、ないの! 早く扉を開けて!」
「しっ! 静かに。ご近所迷惑だろうが」
「そう思うなら早く扉を開けるの!」
「わかった、わかった。しょうがないなぁ」
僕が渋々ロックを外すと同時に、怒鳴りながらミケが部屋に入ってきた。
「ヒドいの! ミケが帰ってくるのに鍵をかけるなんて!」
「しょうがないだろうが。お前がいつ戻ってくるかなんてわからないからな」
「だとしても、チェーンロックまでかけてたのはどういうことなの!」
「そういうことだ」
「わかんない!」
「ぅ……」
なんだ。今何か変な声がしたような……
「あ、忘れてたの」
そう言ってミケが手に持っていたものを床に置いた。いや、ものではない。正確には、生き物。
「タヌキ?」
「そうなの。この化け狸が人間を追いかけ回して遊んでたから、捕まえてやったの」
気を失っていたタヌキが、パチリと目を開けた。僕と目が合う。次いで、ミケと。
次の瞬間、タヌキは物凄い勢いで起き上がり、手と頭を床に擦りつけた。土下座である。タヌキも土下座するのか。
「もっ、申し訳ございませんでした!」
タヌキは泣きながら謝罪の言葉を口にする。タヌキも泣くのか。いや、化け狸と言っていたから、普通のタヌキではないのだろうが。
「出来心だったのです! つい魔が差して人間をからかってしまいました! どうか、どうかお許しを」
「ということらしいぞ。どうする、このタヌキさんを」
「どうしてコイツにはさん付けなの」
「誰かさんと違って言葉遣いが丁寧だから。イラっとさせられないし」
「……コイツを悪い人間の所へ連れていくにゃ~。そうすればお金が手に入るからにゃ~」
「お前は金の為に仲間の命を捨てるのか! なんて薄情な奴だ」
「英二にそれだけは言われたくないの! 第一、コイツは仲間でもなんでもない!」
「……あの、一つよろしいでしょうか?」
タヌキさんが恐る恐る挙手する。
「お金にお困りなら、私に一つ当てがございます。少々、お時間を頂ければすぐにご用意致します」
「逃げるつもりなの?」
「滅相もございません。必ず戻ってくるとお約束致します」
「わかったの。じゃあ、それを持ってきて」
「すぐに!」
タヌキさんは脱兎のごとく駆け出していった。いや、脱狸か。そして、本当に十分もしないうちに再び部屋に戻って来た。アタッシュケースを引きずりながら。
「何だ、これ?」
僕はケースを持ち上げようとしたが、失敗した。あやうく腰を痛めるところだった。
「おっ、重い!」
「そう?」
ミケは軽々とケースを持ち上げた。タヌキさんも軽々と引きずっていたし、妖怪は力持ちなのかもしれない。
いや、そんなことはどうでもいい。気になるのはケースの中身だ。一体、何が入っているのやら。
タヌキさんが強引にケースを開ける。
現れたのは眩いばかりの金。ケースの中には輝くインゴットが大量に入っていた。
「「…………」」
僕とミケは口を開けてそれを眺めた。いや、本当に言葉が出ない。
「どうか、これでお許しを! もう、二度と人間をからかうのは止めると誓いますので!」
ミケは無言のままこくりこくりと頷いた。
「ありがとうございます!」
喜色満面のタヌキさんは何度もお礼を言いながら、部屋から出て行った。
●
タヌキさんの去った部屋はしんと静まりかえっていた。
僕とミケは互いに無言のまま光り輝く金を眺めていた。
「お、おい、これ……」
僕が口を開くと、ミケはアタッシュケースの上に覆いかぶさった。
「これは、ミケの!」
「ま、待て、待て。お、落ち着け! こんな得体の知れない金、使えると思っているのか?」
「その辺は大丈夫にゃ。お金を洗うのが得意な友達がいるから」
「そ、そうか。なら、問題はないな」
「そうにゃ」
「……いや、待て。それは不味くないか。誰のものかもわからないのに」
「これは、もうミケのもの。だって、あの化け狸から貰ったにゃ」
「そ、そうか。貰ったなら、それはお前のものだな」
「そうにゃ」
「…………一つ、提案がある」
「何かにゃ?」
「その金を使って、もっと良い家に引っ越そう。猫のお前じゃ賃貸契約なんてできないだろう? それを代わりに僕がしよう。どうだ? 魅力的じゃないか?」
「ん~、どうしよっかにゃ~」
「よし、わかった。家事も任せろ。お前の身の回りの世話は何だってしてやる」
「ん~」
「必要とあれば、いつだって何だってしてやる。僕の主人は、お前だ」
「契約成立にゃ」
「よろしく、ご主人」
僕らは互いに堅い握手を交わした。そして、隣の金に目を遣る。思わず笑いがこぼれてきた。
「ヤバいな、大金持ちだぞ!」
「毎日、マグロ食べられる?」
「食え食え! 毎日と言わず、三食マグロでも大丈夫だ!」
「回ってないお寿司屋行ける?」
「行け行け! 毎日回ってないお寿司が食べられるぞ!」
「じゃあ、高級フレンチ食べながら高いワインで乾杯できる?」
「おお、なんか急に趣向が変わったな。できるぞ! 何度でも!」
「ヤバいにゃ。テンションあがってきたの!」
「ヤバいな。僕も、だ。わらしべ長者なんか目じゃないぞ! タヌキが金に一発で化けたんだからな!」
「こんなに美味い話は他にないの!」
「どうする、お祝いでもするか? 勿論、僕の奢りだ」
「いいの?」
「当然だ」
それから僕らはスーパーに向かって、ありったけのご飯とお菓子とお酒を買った。
そして、太陽が真上に昇りきるまで騒いで、事切れるように眠った。
●
それから数日後、ミケがインゴットを換金する為、お金を洗うのが得意だという友達のもとへ向かった。
これから光り輝く生活が僕らを待っているのだ。
楽しみで仕方ない。
●
「た、ただいま……」
「おかえり! どうだった? いつまでに換金は終わりそうだ?」
ミケは無言で友達のもとへ持っていったはずのアタッシュケースを見せる。
「あれ、それ持って帰ってきてよかったのか?」
「…………偽物だったの」
「…………は?」
「この金、本物じゃなくて偽物だったの。価値はないって、返されたの」
「…………」
ミケはケースからインゴットを一つ取り出すと、それを僕に見せる。表面の金箔が剥がれた無残な姿のインゴットであった。
「た、狸に化かされちゃったの。さ、流石は化け狸なの!」
僕は膝から崩れ落ちた。