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第十二話 「嗚呼、憧れの薬物中毒の顧問探偵」

 読者諸賢におかれては僕が先生、つまり探偵の助手を務めていることはご承知のことだろう。また、その先生が英国の名探偵と米国の陸軍元帥をリスペクトしていることもご承知のことだろう。


 そんな先生について軽く紹介しておこう。


 先生の生まれは米国。父がアメリカ人で巨大な軍事企業の社長を務めている。母はごくごく普通の日本人で今は九州の片田舎で暮らしているそうだ。


 生まれてすぐに母と日本へ渡り、小学校を卒業するまでは日本で暮らしたそうだ。その後、中学・高校・大学とアメリカで過ごし、卒業後に日本へ戻ってきた。


 ドイツ系アメリカ人の父親の血を受け継いでいるとわかるのが、その髪と瞳の色だ。輝くようなブロンドの髪と、サファイアのようなブルーアイ。


 しかし、体格は母親譲りと見える。身長150センチ半ばといったところ。身体の起伏も乏しい。


 ちなみに、その身体的特徴に言及すると烈火のごとく怒り出す。以前、ちょっとした諍いの意趣返しにその点を口にしたところ、一週間も口を聞いてもらえなかった。それからは二度と触れないと心に誓った。


 今日はそんな先生の一日をご紹介しよう。


     ●


 朝、僕が事務所に向かうと、決まって先生はパジャマ姿のまま安楽椅子に座ってお気に入りのコーンパイプをふかしている。


 ちなみに、事務所は先生の家も兼ねている。


「先生、おはようございます」


「おはよう」


「今日は良い天気ですね」


「ふむ、確かにうんざりするような晴れ模様だ。たまには太陽も休むことを覚えた方がいい」


「そんなことないですよ。太陽は隠れているより、出ている方がいい。日の光を浴びると、気持ちがスッキリしますよ」


「君のその太陽への篤い信仰心はどこからやって来るのかね。農耕民としての血かね?」


「別に太陽を崇めたりはしていませんよ。ただの一般論です。それに先生にだってその農耕民の血が流れているじゃありませんか」


「……ふむ、まあどうでもいい話だ」


「先生が話を広げたんじゃないですか」


「それより、もっと面白い話はないのかね? 私を楽しませるような話は」


「先生を楽しませるような話がごろごろ転がっているようなら、この稼業そんなに苦労はしませんよ」


「ふむ、つまらん」


「そんなことより早く顔を洗って、着替えて下さい。どうせ朝ご飯もまだでしょう? その間につくっておきますから」


「……面倒くさい」


「はいはい。口より手を動かして下さい」


 僕は先生を無理やり立たせると、洗面所に連れていく。


「身だしなみを整えたらオフィスに戻ってきて下さいね」


 その間に僕は簡単な朝食をつくる。欠かせないのはゆで卵。ただし、彼女にとって大切なのは「朝食にゆで卵を食すこと」であり、ゆで卵自体にこだわりはないようだ。まったく、憧れる探偵は一人にしてほしい。


 先生が朝食を食べ終わると、僕は事務所の掃除を行う。勿論、先生の居住スペースも忘れずに。


 先生は「掃除機の音がうるさいから」と、僕が掃除機をかけていない部屋で本を読んでいる。


 掃除が終わると暇になる。


 何も起きなければ本当に暇だ。そんな時は雑務に手をつける。「アレが足りない、買っておかなくちゃ」と、雑貨や生活用品、食材の買い出しに出掛ける。買い出す物がなければ経費の計算をする。「今月は結構厳しいなぁ……出費を抑えなきゃ」と、先生に節制を促す。まあ、促したところで効果があるかは、また別の話だが。その間、先生は相変わらず読書だ。


 そして、とうとう何もやることがなくなった時、これはしょうがない。僕も自由に時間を使わせてもらっている。前回みたいに事件を書き起こす、なんていうのは稀だ。大抵、僕も読書をしている。先生は安楽椅子で分厚い本を、僕はソファで文庫本を捲る。


「君、何を読んでいるのかね」


 唐突に先生が質問してくる。僕が本を読んでいると、その書物のことを聞いてくるのは間々あることだ。


「ん? ああ、ヘミングウェイの『老人と海』です」


「ふむ、君は米文学に関心があるのかね」


「関心がある、というほど立派なものではありませんが、この『老人と海』は思い入れの深い作品なんです」


「どのようにかね?」


「昔、父に勧められた一冊なんです。学生の時にこれを読んで、以後海外文学も読むようになりました」


「ふむ、お父上はさぞ賢明な方なのだろう。子どもにその本を勧めるのだからな」


「いや、至って普通のサラリーマンですよ。大学も出ていませんし。読書家ではありましたが」


「君、見誤ってはいけないよ。君のお父上は確かに賢明だ。読書家であるというのが何よりの証拠じゃないかね。日々、書物を通じて学ぶ者は賢者だ。どこで学んだかはさして重要ではない。学び続ける意志こそが最も重要なのだよ」


「その、勿論、父のことは尊敬しています。ただ、正面切って身内を褒めるというのがどうも気恥ずかしくて」


「君、そんなくだらない恥はすぐにでも捨てた方がいいと、私は思うがね。自分と家族は誇れるものなら誇った方がいい」


「そうですか?」


「そうだとも。人生において大事なものは二つ。誇りと戦いだ。誇れるものは多い方がいい。誇りを失った者は死というゴールに向かって、ただ平坦な道を歩むのみ。なんと張り合いのないことか」


「誇りが人生を豊かにする、と?」


「その通りだよ。誇りを持つ者は決して屈しない。どんな荒波にも立ち向かうだろう。だが、誇りを失った者は立ち向かうことをしない。戦うことを諦めてしまうんだ。それは悲しいことだとは思わんかね?」


「そうかもしれません。でも、ずっと戦い続けるのは疲れてしまいそうです」


「しかし、君。そっちの方が面白そうじゃないかね?」


「それは……そうですね」


「ところで、君。何か面白いことはないかね?」


「あったら僕らはここで読書はしていないでしょう」


「その通りだ。ああ、退屈だ」


 そこで会話は終わった。


 それから僕と先生は定時まで読書を続けた。


 このようにして日々が過ぎていく。


 そう、皆様お気づきの通り、何もしていない。探偵とは暇な時は斯くも暇なのだ。事件に出会えることは、不幸ではあるが幸せでもある。それが探偵というものだ。


     ●


 では、続いて先生の別の一日を紹介しよう。


 朝、僕が事務所に出向いてから先生の朝食をつくるまでは変わらない。そこまでは何があろうと変わらない流れなのだ。


 変わらない日常に転機が訪れたことを告げるのは電話。普段ほとんど鳴ることのない事務所の電話が鳴った時、先生は目の色を変える。


「……うん……わかった」


 先生は受話器を置くと、コーンパイプを片手に安楽椅子から立ち上がった。


「君、食後の運動といこうじゃないか」


「先生、運動は不得意じゃありませんか」


「君の目は節穴かね。完璧な探偵は勿論、運動も得意とするところさ」


「じゃあ、今度一緒にテニスでもどうですか? 最近、僕テニススクールに通い始めたんですよ」


「……ん、ぅうむ…………考えておこう」


「約束ですよ」


 僕らは事件現場へと向かった。


     ●


 現場は下町にある工場だった。正確には工場の敷地内にある社長宅だ。


 ここの社長はどうやら羽振りが良いようだ。併設されている工場からは想像もできない程の豪邸である。まず建物の外観からして立派だ。庭は広く、玄関には大理石に防犯カメラ。


 見るからにお金持ちであるが故に狙われたのだろう。


「これは、先生。ご足労頂き、ありがとうございます」


 先生に挨拶をするのはこの事件の担当刑事だ。


「こちらが?」


「ええ、私どもを何度も助けて下さった先生です」


「それは頼もしい。今年に入って既に五件目。いい加減、辟易しております。申し遅れました。家主の三森隆です」


 この家の家主、つまり社長も刑事と共に先生と挨拶を交わす。


「よろしく。さて、刑事殿。現場はどこかね?」


「こちらです」


 僕らは社長の書斎に案内された。この部屋からも羽振りの良さが窺える。高そうなデスクに絵画。それと空の金庫。


「盗み、ですか。犯人の侵入経路は?」


 僕の問いに刑事が答える。


「キッチンにある窓がガラスカッターで切られていました。そこから忍び込んだのでしょう。そして、この部屋まで来て金庫の中のインゴットを持ち去ったのです」


「インゴット?」


 先生が怪訝な顔で聞き返す。


「私はお札より金の方が好みでして、金庫にはインゴットを保管していたのです。誰しも紙切れより美しい金に惹かれるのは道理でございましょう?」


「ふむ。しかし、金を保管する場所にしては不用心じゃないかね? 見たところこの部屋には防犯カメラが設置されていないようだが」


「ここは私の書斎でして、カメラがあるとどうも落ち着かなくて」


「ふむ。ところで、この部屋は禁煙かね?」


「いえ、吸って頂いて結構です」


「では、失礼」


 先生はコーンパイプに火を点けた。


「防犯カメラに犯人は映っていなかったんですか?」


「それがカメラには何も。犯人はカメラの死角を進んだようです」


「指紋や毛髪は?」


「どちらも残されてはいません。犯人は用心深い奴のようです」


 これは困ったことになった。犯人に繋がる手掛かりが何もない。


 だというのに、先生は余裕の態度でパイプを吹かしている。


「先生、ゆっくり休んでいる場合じゃありませんよ。このままじゃ、完全犯罪です」


「完全犯罪? 君は何をもってこの件が完全犯罪だと言うのかね。そもそも、完全犯罪というのは本物の天才にしかできない御業だよ、君。それこそ蜘蛛の糸を張り巡らすナポレオンのような。そこら辺の小悪党にできる所業じゃないのさ」


「でも、現実に犯人逮捕に繋がる糸口がありません」


 先生は紫煙を燻らせながら呆れたように首を振った。


「君の目は節穴か。まったく私は残念でならないよ」


「ただ休んでいただけの人に言われたくありませんよ」


「違う。休んでいたわけではない。ただ確認していただけだ」


「何を、ですか?」


「見たまえ」


 先生が咥えているパイプを指差した。


「パイプがどうかしました?」


「違う。そっちではない」


 そう言って、先生はパイプを吹かす。


「煙?……あっ」


 煙が流れている。真っ直ぐ立ち上らず、一定の方向に揺らいでいる。


「風が吹いている? でも、どこから?」


「ふむ。調べてみよう」


 先生はパイプを片手に煙を見ながら、壁に掛けられている絵画の方へ近づいていく。


「どうやらここから風が吹いているようだ」


「どうして風が?」


 僕がそう言うと、後ろで物音が。家主がよろめいてデスクに手をついたらしい。彼の顔が酷く青い。


「ふむ。ご主人、少しこの絵に触れてもよろしいか?」


「い、いけません! その絵は家宝でして……」


「犯人逮捕の為です。捜査にご協力を」


 刑事が家主の言葉を遮って絵画に手をかける。そして、絵を壁から外す。


 そこに壁はなかった。あるのは空洞。そして、眩いばかりに輝くインゴット。


「どうして、ここに金が。盗まれたのでは」


「刑事殿。先程、君は犯人を用心深いと言ったね。確かに、カメラの死角を把握し、指紋も毛髪も残していない犯人は用心深い性格だろう。少なくとも本人はそう思っているはずだ。しかし、得てしてそういう人物ほど、時に信じられないポカをやらかすものさ」


 先生は金庫の中を覗き込む。


「ふむ。やはり。見たまえ」


 僕は刑事と一緒に金庫を覗く。


「底に金が落ちていないかね?」


「あ! 確かに、先生の言う通り底に金が付着しています」


「そうだろう、君。今回、盗まれたのは金箔を貼ったイミテーションだ」


「イミテーション? 何故、偽物を金庫に?」


「ふむ。ご主人、一つお尋ねしたいのだが、もしや盗難保険に加入されておりませんか?」


 家主は顔を強張らせながら「いや……」とだけ言った。


「疑問に思っていたのだよ。何故、この部屋にだけ防犯カメラがないのか。何故、金庫なんか置いているのか。この広い屋敷に金庫なんか置けば、そこに宝があるのだと宣伝しているようなもの。違いませんか?」


 最早、家主は口を開くこともしない。


「それに、失礼だが隣にある工場と屋敷の規模が釣り合わない。それは何故か。ご主人が何か副業をなさっていると考えるのが妥当だ」


「その副業がこれですか。泥棒にイミテーションを盗ませて本物は別に隠しておく。そして、保険金を受け取る」


「今回が五件目と言ったね。随分と儲かるようだ」


 家主が床に崩れ落ちた。


 刑事がその目の前に立つ。


「三森さん。後で今回の件とは別に、あなたの副業についてお尋ねしたいことがあります。署までご同行願えますか」


 家主はがっくりと項垂れた。


     ●


「しかし、結局家に入り込んだ泥棒の手掛かりは見つかりませんでしたね」


「はあ。まったく、少しは頭を働かせるということを覚えたらどうかね」


「僕の頭はいつだってフル回転です」


「だとしたら、相当に車輪が小さいのだろう。いくら回してもゴールに辿り着かないのだから」


「いや、でも事実、手掛かりは見つからなかったじゃありませんか」


「君、犯人が盗んだのは金のイミテーションだぞ。金はそのままでは何の役にも立たない。換金する必要があるだろう」


「あ。そうか、偽物を換金しようとする奴が出てくるってことですね」


「その通りだ。網を張って該当する人物を探れば、自ずと逮捕できるだろう。まあ、そこからは警察の仕事だ。私たちは帰るとしよう」


「ありがとうございます、先生。またしても助けて頂いて。では、謝礼の方を」


「いや、結構。私は別に犯人を捕まえたわけではないのでね」


「ちょっと、先生!」


「君、何をしている。早く帰るぞ」


 僕は慌てて先生の背を追う。


 まったく、この人はいつもこうだ。


     ●


 さて、これで先生の一日の紹介は終わりだ。


 基本的に外出するのは何か事件が起きた時だけ。それ以外は家に引きこもっているのが常だ。


 まあ、捜査の依頼を受けても事件を解決したら即座に帰ってくるのでほとんど家にいるのだが。


 では、最後に珍しく先生が外出した休日の一コマを記して終わろうと思う。


     ●

 

 僕と先生はテニスコートへ赴いた。


 出不精の先生もたまには身体を動かさないと不健康だろうという僕の計らいだ。


 最初は嫌がっていた先生だが、僕の「探偵は運動も得意なのでは」という言葉でようやく重い腰を上げた。


 しかし、僕は先生を連れ出したことを早くも後悔することになる。


 まず、ラケットを持っては「重い」と申し上げる。勿論、そんなはずはない。本の方が余程重いはずだ。


 ラリーをしてみようとボールを打てば、「ひゃあ」と言いながらボールから逃げる始末。競技を間違えていやしないだろうか。


 極めつけはサーブを打とうとしてボールを顔面に、ラケットを自分の腿にぶつけた時だ。まさかここまで器用に失敗するとは思わなかった。


 先生は涙目になりながら「もう帰るっ! 帰るったら帰る!」と地団太を踏んだ。


 どうやら先生が憧れる名探偵には、まだまだ程遠いようだ。


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