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黎明学園の吟遊詩人  作者: ぱとす
9/24

冷却用三角定規─────沓見の法律事務所

挿絵(By みてみん)



「それは違うでしょう。そもそも「他諸国に於いて物品の販売には財務通商省の許可が必要」と規定されている以上それは物理的な物品でなければならない訳で、保険というのはその判例から解釈すればそれに対する対価に相当する金額の支払いを意味するもので、ネットでの契約なので書類は存在しない。DCのサーバを漁るには令状が必要です。あえて販売したのはIDとパスワード、アクセス権ありきであってそんな電子的記号を物品とは解釈されません本当です入金にしても同じ事ですし万一の支払いに関しては「金の売買」なんて成立しますかちょっとまって下さい動物じゃなくて「存在」になります。メシュメントでは「木製人」も「鋼人」も「人類」あるいは「機械」または「動物」としても規定されていません当たり前でしょうただし「計測機器」として正しく認められているわけで愛玩用発条は計測としての機能を果たしていない以上物質であってグレーゾーンであることは認めますが該当する概念としては「存在」が妥当な線で。そうですか向こうは動く限り動く物質として訴えているのですねならば「木製人」「鋼人」も動く限り物質である限り「動物」として定義なされてしまう訳ですから待って下さい腐らせるほど放置した方に問題があるのですから監督省庁に責任は問われる。これは材質に変わらず赤樫であろうと黒檀であろうと楓材であろうと合板・バルサ材全てに共通するしそもそも木材は基本的に生育された年数分の一生が保証されている訳で生まれつきの材質に関する差別は法律上成立しませんが、メンテナンスとなると「全ての計測機器は一定の期間で計測機能の精度を確認しなければならない」人格定義法第九条二十八項目ですね、それに違反するとわけでですから電子は素粒子であったとしてもですな、その配列によって意味を持つ物ですからそんな詭弁を持ち込まれてもこちらはびくともしませんそうでなくとも電子情報は「大気」「土砂」「砂塵」「水」などと同じく素粒子単位では意味を持たないのですH2Oという単位になっても意味がありませんそれは例えば海とか川とかの公共的な規模になって初めて意味を持つ物でそもそもあなた原子とか電子とか中性子見たことありますか。発条の発情が引き起こしたとですね、ふんふん「存在」にヒエラルキーがあるのは確かです。親は子供の育成の義務があるように愛玩用発条に関しても同じ事ですただ木製人に発条が食い込んだことにそれが発情の結果だと主張するのは科学的精神病理的物質的量子理論的に徹底して不可能ですそんなことはガードレール事件で既に立証されていますつまり一度認められた判決がある以上我々が有利なのは火を見るより明らかで腐らせたのは手前ぇのせいだろうがってビンタ喰らわせてやれ鋼人振り回してへし折ってやれそんなもん付き合ってられっかよ三角定規の分際で人権を語るなこの野郎けつまづいただけだろ酒浴びて着ぶくれてよう合板風情に生まれた自分を笑いやがれ馬鹿野郎うあああああああああああああうるせえんだよ手前ぇらあ!!!」


沓水は三つの電話を同時に叩き切る。最後の一台は右膝で斜め上から空中を薙いで叩きつけた。本体のプラスチックが蜘蛛の巣状にひび割れる。汗にまみれ、ポマードで固めた髪の毛が幾筋か額に垂れ下がり、力無く革張りの豪勢な椅子に身体を預けるとネクタイを緩める。

20坪ほどの方形の部屋には、シャワールームとトイレ、小さなキッチンと化粧室の他には応接セットと書類が山積みになったサイドテーブルと大きな黒檀のデスク、それに秘書用のスチール製の事務机以外には何もない。後は沓水というピンストライプのスーツを着た大人びた少年と、「自由意志を持つ計測器具」だけだ。

 このメシュメントの検察局や裁判所の密集する一角の近代的なインテリジェント・ビルの中の六階のオフィス、それが「沓水法律事務所」だ。


「今週で二つ目でございます。いい加減に電話機を昇天させるほどに可愛がるのはやめて頂けませんか?」

その「自由意志を持つ計測器具」であるヘクトルが落ち着いたアルトの声を響かせた。

ヘクトルは木製の大きな三角定規の組み合わせで出来ている。頭部は卵形で、顔の造作は何もなく、ただ艶のない純粋に白い石膏だ。指は細かい三角定規と直定規がリベットや木細工によって丹念に作り込まれている。材質は石膏の頭部を除いて全てメイプル・バーズアイであり、高貴な雰囲気に包まれていた。


「ただいまのご相談の中に「三角定規の分際で」という不適切な発言がございました。訂正を強く求めます」

くわっと沓水のロンパリになった狐のような眼が見開かれ、まばらな口髭を逆立ててヘクトルにぶちまけるように唾を飛ばす。

「その通りそのまんま!いい加減手前ぇらのいざこざに付き合ってられるか!木で出来ていようと鋼で出来ていようとなんでそんな物拘るんだよ大概にしろよ定規じゃねえか実際に!俺にとっちゃどうでもいい事なんだよそんな事はどっちでもよ!それがなんだ鋼人と木製人がぶつかって木が傷ついただのビルから落ちて金属が曲がっただのと五月蠅いんだよこの野郎!法廷に出る俺なんぞただのピエロだよ機械の身体が欲しくて銀河鉄道になんか乗りたくねえぞ俺は!海賊を狩る海軍本部の法廷で弁護した方がよっぽど幸せだよあああ弁護士ってのはもっとこう神秘的でかっこよくてペリー・メイスンなのをやりてえ訳でE・S・ガードナー読んで弁護士になったってのに完全に絶望的に根源的に現実的に将来的に完っ全に間違えているわけよ俺は」

「あら、沓水様はペリー・メイスンなどよりよっぽど有能でございますよ。先日も鋼人マフィアの依頼人が実は木製人の検事で、体面を保つために捏造したことを証明して投獄したばかりじゃございませんか」

ぐ、と沓水は苦虫を噛みつぶしたように顔を歪める。


「あんなの見え見えじゃねえか!伏線ってものがねえんだよ。物事には暗喩と明喩というものがあるの!灰色の脳細胞が起動するようなロマンな事件じゃねえよ!官僚のズルを解き明かしたってだけで新聞がほざいているだけで、あんなのそこらへんに転がっている計測不能者にまかせておけばいいんだ!俺の出番はもっと高尚で世間をあっと言わせるものじゃなきゃ駄目なんだ!」

ヘクトルは指に当たる五つの三角定規を器用に連打させて目の前のノートパソコンを操る。フィンガーアクションがあんなので出来るなんて信じられないが。


「先月の被害者以外の乗客が全部犯人だと立証したときはこのメシュメントが感銘しましたわ。実は沓水様の裏の依頼であるなすりつけにも成功しましたし。清廉潔白なだけではない部分も含めて、本物の天才と言うのです」

「オリエント急行だよ! クリスティじゃねえか。俺はクイーンの方が好きなんだ! まあったくもう……ま、随分汚いことをしてしまったが、騙されやがって、ざまあみろ。けけけけけけけっ」

饒舌の限りを尽くし、怒りに身を震わせていた沓水の表情が、ほぼ普通に戻る。


「沓水法律事務所はもはやこのメシュメントの財産とも言える、今一番ホットなスターでございます。栄えある「ユニオン」の理事の一人でもあるのです。そのように小さな事は気になさらずに、事件を解決して下さいませ」

沓水の口唇が僅かに上方向に引き攣る。眼は笑みと言っても良い輝きに満ちている。


「ま、俺みたいな天才はそうそう居ないからな。でもまあ、困ったときは頼られるのも天才の宿命。求められるなら応えてやろうじゃねえか。うひひひひっ」


「勿論でございますとも。剃刀のように切れ味の鋭い推理、量子コンピュータもかくやという論理と記憶力。沓水様のような至高の天才に恵まれたメシュメントは幸せでございます。そんなお方にお仕えできるわたくしも鼻が高いというものです」

鼻は無いけれどな。


「まあ、いいか。ヘクトル、珈琲をくれ給え。エスプレッソのイタリアンでな」

「かしこまりました」

どこがどう繋がって動いているのかは複雑でちょっとしたパズルだけど、ヘクトルの動きは滑らかで優雅だ。床との接触面が鋭角の三角定規の頂点にあたり、まるでハイヒールを履いたモデルのような錯覚を受ける。


その時、沓水の引き出しの中で何かがはためく音がした。沓水は眉を寄せて引き出しを慎重に開ける。

そこには青々とした一枚の楡の葉が踊っていた。窓が開いている訳ではない。そもそもオフィスははめ殺しのガラス一面で、窓を開くことが出来ない。扇風機など無い。沓水は首を傾げた。


「たしかこれは……天羽詩音にもらった「念葉」とかいうやつか?

おそるおそる握ると、踊っていた葉がぴたりと止まる。そして葉が微かに振動して音声を発声した。


「やあ、沓水、詩音だ」

「気っ持ち悪いなあ、なんだこりゃ」

「僕は貨幣を作ったり影を自由に歩くだけが能じゃないよ。この「念葉」も作ることも出来る。これはどんな場所にある「影」でも通用する万能の通信機なんだ。伊集院のメインフレームみたいにね」

「そりゃ便利なことで」沓水が鼻で笑う。

ヘクトルが置いていったエスプレッソを一口含む。泡立ちといい、最高の一杯だと思い、その芳香に満足して頷いた。


「実は頼みがある」

「ロハじゃやらねえよ、秘書を通してくれ」

「今回はあんまり時間がないんだ。君の力を全部借りたい。秘書のヘクトルさん込みで」

「おめえ、ばっかじゃねえの?俺、メシュメント最高にして超有名な弁護士だぞ? ペリー・メイスンより有名で有能な天才を君は顎で使おうと言うのか」

「報酬は払うよ。君の出席日数でね」


沓水は凍り付いて息を飲む。


「どうやってそんなことが出来るんだ?毎日の出席はショッパチの出欠簿で、黎明学園には警備員も居るんだぞ、当直の教師も。その上セコムだ。檻の中じゃないか」

「物理的には檻の中さ、確かにね。でも、僕は「影」を自由自在に「歩く」事が出来る。これがどういう意味か、機敏な君には解るよね?」

「………そういうことか…」

「それに、とても微妙に近い「影」にも出入りできるよ。「パラレルな世界」への介入さ。「君が弁護士ではなくて普通の優等生の生活を送っている」という「影」にもね。そこには全部ショッパチ自身の書いた君が授業に出席している出欠簿もあるんだ」


「…………話を聞こうか」

沓水はネクタイを緩め、ソファに座る。

詩音は由子の事情と目的を手短に説明した。


「話はわかった、乗ってやるよ」

「ありがとう。今日の夕方の五時に「お化け会館」の前で待っている」

「わかった」

葉っぱの振動がとまり、ただの葉っぱになる。沓水はそれをスーツのポケットに入れて立ち上がった。


「ヘクトル、「ロイス・ベル」を出してくれ」



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