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黎明学園の吟遊詩人  作者: ぱとす
2/24

黎明学園の朝礼────罵倒と猜疑に満ちたスケッチ

挿絵(By みてみん)



「んだからうちの生徒には手ぇ出してないって!」

「久仁子、淳子、やよい、恵令……えっと、あと誰だっけ」

淡々と指を数えるのは小太りで、髭をたくわえた男。貫禄十分。名を照井という。リーバイスのオーバーオールが奇妙に似合う。愛称は「村長」。学級委員でもないのに誰からも頼りにされるのはその生まれ持った血筋か。彼の祖父と祖母こそがこの「黎明学園」の創立者であるのだから。

その前でおどおどとし、瞳を泳がせているのはちょっといい男。甘いマスクと引き締まった身体はテニスウェアに包まれ、清涼感が漂う。名は伊集院。


「リップサービスまで勘定に入れんな!女は蝶よ花よと褒めるのが男のマナーだろ!」伊集院は喚く。

「ほう。「君は寝顔が可愛い。朝のコーヒーを二人で飲もう」というのもリップサービスなのかい」と照井。

「そりゃあ、「春眠暁を覚えず」だよ。いい季節だしね」瞳はますます泳ぎまくる。「木陰にいて風に吹かれているだけで眠くなるのも仕方ないじゃん」

「ほう。アオカンまでやりますか」照井の目つきはいよいよ厳しく。

「お前ね、伊集院。全校生徒になんて呼ばれているか知ってる?」照井は髭をつまみながら天井を睨みながら言った。

「そりゃ、俺テニス部の部長だし、下級生からは「素敵な先輩」だろ。同級では「頼りになる男」上級生からは「可愛い後輩」じゃん。人望あるんだよ? 俺」

「……「歩く性犯罪」「肉の狩人」「性の求道者」「女体研究家」…………あと何があったかな?」

まるでケンシロウを見下ろすラオウのごとく。生まれついての風格が照井には備わっていた。


伊集院は瞬間冷凍された彫像と化した。その愛嬌を醸し出すために敢えて必要もない伊達眼鏡を片手で押し上げて照井を見つめる。


「冗談だとしても笑えねえよ!俺ってそんなに黒いキャラかよ。爽やかな好青年だろ?めっちゃ陽の光を浴びる輝ける好青年に何を抜かす!」


明らかに高校生とは程遠い外見を持つ照井は、ゆくゆくは学園の運営を任される重要人物だが、基本はやたらと腰の低い柔和な生徒だ。しかし今日は容赦がなかった。


「……炭より黒い泥炭キャラだろ、墨汁くん「伊集院」を改めて「伊汁院」かな」


私立黎明学園は初等部、中等部、高等部の4・4・4制という奇妙な制度で出来上がっている。

照井も伊集院も10年1組だが、照井は初等部からの生徒であり、伊集院は中学は公立で高等部の二年目にあたる10年生への転入組だ。


「他の高校からも苦情が来てるんだよ。お前の所が飼ってるんだろってなあ。お前のすることは後片付けが大変なんだよ」照井は容赦なく伊集院を指さした。

この「後片付けが大変なんだよ」は照井の口癖になっている。事実、彼は立場上生まれついての優秀なトラブルシューターとして知られている。


伊集院は周囲を見回す。生まれついて「女たらし」の才覚が鋭く空気を読んだ。

焦燥に駆られた彼は、タブレット端末をスリープから叩き起こす。これで少しは話題を勘違いすることを祈る。

ちなみに黎明学園は女子が全体の三分の二を占める上に、他の学校に比べて圧倒的にレベルが高い。結果的に伊集院にとっては他校は勿論、学内も「狩り場」の一つになっている。黒い噂は出来るだけ避けたい。


「な、な、照井。大きい声はまずいって。ここも一応教育機関なんだし」伊集院は声をひそめつつ、文字列をタブレットに高速に叩き込む。(後で学食でアイスクリーム奢るからここは黙っててくれええええm(__)m)

そのタブレットを見た照井は鼻の穴を広げて大声を放った。「そんのお!教育機関の可憐な女子生徒をっ!ただのカフェだと偽ってえっ。カップルきっ」

伊集院は素早く照井の口を髭ごと鷲掴みにして黙らせた。テニスで鍛えたグリップだけには自信がある。




「おはよう。朝から二人で漫才? 面白かったら次のライブのトークに使うから聞かせてよ」


現れたのはひと言で言えば天使。


小柄でスレンダーな身体にフィットした白いマイクロミニのニット・ワンピースは、細い腰のくびれを強調し、白いオーバーニーソックスがカモシカのようにしなやかな脚を包んでいる。短めの肩に揺れる巻き毛はピンクとラベンダーのメッシュが入っている。小柄だけど顔が小さく、その分瞳がびっくりするほど大きい。

「美しい」と「コケティッシュ」が織り混ざった可憐な印象。

薄めの碧眼がますます人間離れを加速させている。マイクロミニからは十二星宮のケンタウロスや白鳥がプリントされたショーツがちらちら見え隠れするが、猥雑な感じが全くせず、むしろ可愛く感じさせてしまうのが彼女の奇跡だ。

まさに羽根を付けるだけで天界に羽ばたきそうな少女。金と銀の粒子を撒き散らしているその姿は、見る者全てを魅了して止むことはない。実際に新宿なんかを歩けばちょっとした惨事を引き起こすハイスペックな美貌だ。学校の上履きだけが奇妙に浮いていた。


「いやいや、由子。ぜんっぜん笑い話なんてないからっ」

伊集院は広げた手を小刻みに振って否定する。何しろ由子はインディーズではそこそこに知られた人気バンド「廻天百眼」のボーカリストだ。どこかのコンサートで無駄に危険な暴露をされてはたまらない。

「…………確かに笑い話じゃないよ、ないけどね、俺には。でも知らない人間にとって「危険な性獣」は俺としては放置できんのよ」照井が頭を掻いた。

「違うじゃねえかよ!違うじゃねえかよ!それじゃ全員それじゃねえかよ!俺別に外に出してねえし」

「………………中出し?」由子が微笑む。

「歩く成啓?吉祥寺の北の大学の付属高校だっけ?ご近所さんだけど。あそこ馬鹿が多くて。特に安倍とかいうの」

「そ、そうだよ!成啓に俺の知り合いが居て、そいつが困った奴でな、その話なんだよ!」

伊集院は危機から脱出した心の安堵を露わにして、由子に笑いかけつつタブレットでパタパタと汗ばんだ顔を扇ぐ。


「その成啓からもクレームが来ているんだけどな。これ以上の他校の女生徒に対する狼藉は俺としては見過ごす訳にはいかんのだ」

けたたましい伊集院と醒めた照井を前にして、由子は窓硝子の横の机に座り、あろう事か片足を机に乗せた。

「ぶっ。由子手前ぇなんてかっこしてんだよ!見えてんだろうが!いろいろ丸見えだろうがそれ!」

「………「それ」って何よ。具体的に説明して欲しいわね、優等生の伊集院君」由子は醒めた視線を送る。

「おま、ショッパチに感化されてんだろ、今時安保闘争するなよ!日本はアメリカの言うこと聞いてればいいの。原発も基地もアメリカさんの物なの!……それよりお前、足下ろせ!もっと肉付きのいいやつなら別だけどな」


由子はにやりと笑い、一度さらに高く持ち上げて十二星宮のキャラクターの数を増やしてから上履きを床に下ろした。(丸見えだよ、皺のひとつひとつまでぴったりフィットだよどうにもならねえよ)伊集院の心の呟きは誰にも聞こえなかった。


由子はふと二階の教室の窓から校庭を見下ろした。

普段ろくに掃除をしないから曇っている窓を掌で拭う。黎明学園は生徒に自治権を持たせるために生徒会というものはなく「自治会」と言う制度で自らを律している…………事にはなっているが、その分掃除や当番などという物がルーズになりやすいのだ。



「あいつ…自治会長じゃん」



由子が視線を向けた先の校庭では、長身の髪を長く切りそろえた女生徒が何か他の生徒に指図しているようだ。

この距離からでもそのお嬢様のオーラを発散させた際だった美しさが見て取れる。作られた美貌では到達できない生まれついての気品。しかしこの距離でさえその高慢としか言いようのない雰囲気が伝わって来る。


「三浦先輩だろ。三浦の爺ちゃんは俺の爺ちゃんとも付き合いあるぜ」照井が肩をすくめて指さす。

「あのクズ女と?頭腐るわよ?自分を女王様として君臨し、上級生だろうと教師だろうと上から目線。大したものよねえ?」由子がその凛々しい眼を顰めた。

「前から由子は先輩が気にくわないみたいなんだよなあ」照井が呆れたように言う。

「あったり前よ。あの女、音楽室でクラシックと校歌以外の物は演奏も視聴も許さないってたのよ。超ハラ立つ骨董品の埃被った置物の時代遅れのブラウン管女っ!ちり紙と交換だって出来ないわよ」眉を寄せて怒りを表しても美しさは損なうどころか増す。その骨が存在しないような体つきと顔立ちが凄絶な粒子を発散する。


「先輩、美人じゃんか。和風だけどそそるよ」

伊集院が淫靡な微笑みを浮かべる。彼のストライクゾーンは広い。


「そそるな!」照井が大きな手を机に叩きつけた。

「そういった一つ一つがだな、お前の発情機関の回転数を上げている事に気付けよ」

「俺、蒸気やガソリンで動いている機械じゃねえぞ」

「ああ、始末に負えない白い粘液だろうが伊集院の場合」

「コンデンスミルク?」あくまであっけらかんとした由子。

「そ、そうだよ! 俺コンデンスミルク大好きで夏には氷に大量にぶちまけてがぶがぶ飲んじゃうもんね」

「出しているのはお前自身だろう」と照井。

「いーかげんにしないかっ! それダウト! 下品だろ貶めるなよこの俺を!」

「お前がほとんど一人で貶めているじゃないか。せめて一週間に一度ぐらいにしろよ。一日に二回三回という度し難い過剰な遊びは禁止する」再びラオウと化した照井は傲然と伊集院を見下ろした。

「俺の倦怠期はまだ20年は先だよ!」

「じゃあ20年ほど時間を遡ってくれ」照井と伊集院の間に限りなく滑稽で険悪な空気が流れる。

「タイムマシンって、HG・ウェルズだっけ?古いねえ」

由子はあくまで何事にも淡泊であることを証明すると、二人の男は下を向いて絶望的にため息をついた。由子に限り、何故か浮いた話は聞いたことがない。

まあ、「女性的な」特徴に限りなく恵まれていないせいもあるが。




「おはよう、同士諸君。全員自分のセクトに戻るように。テリトリーへの侵入及び占拠の恐れがある場合はあらかじめ理論武装し対抗手段を考慮しておくように」

両耳の横にある白髪をなでつけた、強度の眼鏡をかけた中年男が教室に入ってきた。

着崩したスーツが痛々しいのはその実に痛い人生経験からだろうか。

高橋昭八、生物学教師にして黎明学園10年1組の担任でもある。愛称は「ショッパチ」。本名が「高橋昭八」だから。ちなみに彼は昭和八年生まれである。親の顔が見て見たい物だ。

帝国大学の学生時代、過激派の副委員長で鳴らした経験なのか、言葉遣いがいちいち革命的に偏向する。


「これより定時集会を行う。まずはそれぞれの存在の有無を確認しよう。あー、レゾンデートルが明らかな者はその旨自己証明を展開せよ」


黒い出席簿を舌で濡らした指で捲ったとき、窓際の空間から滲むように灰褐色のマントが翻った。漆黒の髪と瞳が光る。現代人とは思えない風体とその女性的ともいえる風貌と宝石のような左目が光を帯びている。


「……あいかわらず土俵際の魔術師だな。そういう闘士が昔にも居たものだ。天羽詩音」眼鏡の奥の眼が光った。

「僕は時間にはわりと厳しいんですけどね?」水晶のようによく響くハニーボイス。帽子を取り、マントを外して旧米海軍のぶかぶかのシャツだけになると、かえって華奢な体つきが目立つ。首が折れそうに細く、瞳と口唇が光り輝いた。多分裸体は由子よりはるかに女性的だろう。クラスの男子は思わず生唾を飲み込む。


ショッパチは特に気にせずに出欠をとり続ける。


「ふあい」「あ~」「ういっす」「はい! おはようございます!」黎明学園は個性を尊重するので、生徒達のテンションに極端な波がある。高橋昭八は慣れたもので、特に気にしても居ないようだ。


「沓水は………相変わらず忙しいか。留年へのカウントダウンはいよいよヒューストンに近づきつつある。誰か会ったらその旨を伝えてくれ」

照井と由子が心持ち背筋を伸ばし、詩音はさりげなく漆黒の闇にシリウスを浮かべた左目を教師に流す。窓の外は青々とした木々が風に揺れ、黎明学園の一日が始まろうとしていた。



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