第六節 急襲
「恐れながら申し上げます。サガ殿の兵の進みが、思うたよりも早いようでございます」
「ほう、詳しく申せ、タケ」
「されば、我が兵には常にサガ殿の兵、ヤマト王の兵の進み具合を見定め報せるように申し付けてありますところ……」
「うむ、そなたとヒタ殿の心配りには礼を申す」
「ありがたき幸せ。さて、そのサガ殿の兵でありますが、谷あいに入りましてより後、常よりもその進むが早く、ほとんど駆け足に近いようであります」
「それは、少しでも早く谷あいを抜けるのが要と、サガ殿の申していた通りのことではあるまいか」
「仰せの通りにあります。されど、後から続く第二隊、ヤマト王の兵との間が開きすぎるようでは、却って危のうございます。常であらば、後の兵の進みと合わせながら往くところでありましょう。されどただ今のサガ殿の兵には、何やら別のお考えがあるように……」
「確かに、サガ殿ともあろうものが、後の兵を顧みずに進むとは解せぬのぅ。して、そなたの見立てはいかに?」
「ヤマト王、臣は他の方を謗るようなまねはするなと、常々主より教えられておりますれば、何の証もなく我が考えを申し上げるのは憚られます。どうぞお察し頂けますよう」
「そなたの清い心、相分かった。されば儂が替わりに申すゆえ、そなたの考えと較べよ」
「恐れ入り申す」
「まず、儂には二つの見立てがある」
「サガ兵の進みを早くすることでこれに慌てて追いすがろうと後のヤマト兵が急きたてれば、更に後の兵との間はひらくであろう。さすれば、我が三千の兵は五百づつの小兵の集まりと化し、敵の攻めに対して弱くなるのが理。小兵となった我が兵を、一つづつ順に攻めるのが敵の心つもりである。これが第一の見立てじゃ」
「そして、第二の見立ては、サガ兵が谷あいを抜けたところでマツラ兵と合わさり、谷あいから抜ける我が兵を、その出口にて逆に囲む心積もりというものである」
「いずれも、既にサガ殿は儂らを裏切り、裏でマツラ殿と通じていた際の見込みじゃが、確かにサガ兵の動きは、もしそのような心積もりをサガ殿が持っているとするならば、理に適ったものであるのぅ」
「恐れ入り奉ります。されど、証がございませぬゆえ、ただ今何か申し上げることは……」
「うむ、そなたの申すとおりじゃ。して、タケには何か考えがあろう」
「はっ、さらば、お許しを頂きまして、ヤマト王に二つお願い申し上げます」
「よい、申せ」
「一つは、ヤマト兵の各隊にお命じになりまして、兵の進みを緩くし、隊と隊との間を詰めるようにして頂きとう」
「うむ、そなたの申すよう計らおう。ヒタ兵の方はどうか?」
「恐れながら、既にそのように各隊には命じており申す」
「さすがヒタ殿が儂の側に遣わした者じゃ、そなたもヒタ殿と同じく我が知であるな」
「もったいないお言葉、痛み入ります。して二つ目でございますが、我が主にただ今のあり様を報せるに当たり、ヤマト王からも報せをお出し頂きとう」
「それは構わぬが、どういうことじゃ。少し詳しく申せ」
「まず、臣から送るのみならず、ヤマト王よりも報せを送って頂きますれば、我が主にも、ことの重みがより伝わりましょう」
「確かに、そなたの遣いに合わせて儂からも報せを送れば、それだけヒタ殿には伝わるものもあろう」
「更には、ヤマト王におかれても臣と同じお考えであることを、より正しく主に伝えることにもなり申そう」
「そなたの申す通りじゃ」
「また、我が主からヤマト王にお伝えしたい事柄がある場合、我が遣いより王の遣いの方が、主も申し上げやすかろうと存じます」
「ヒタ殿から儂に伝えたいこととは、例えばどのようなことじゃ?」
「ヤマト王には一度兵をお戻し頂く、あるいは、主が参るまで進むのをお待ち頂く……」
「なるほど、それはそなたの遣いから儂には、いくらヒタ殿からの言伝とは言え、申しにくかろうな」
「仰せの通りであります。その点、王の遣いであれば、主も腹のうちを申し上げやすかろうと存じます」
「わかった」
「それと、あまり考えたくないことではありますが……」
「よい、申せ」
「はっ、されば、サガ殿が既に動き始めておる時には、遣いが妨げられることもありましょう。されど、いくつかに分けて遣いを出しておけば、そのいづれかが主の元にたどり着き主に知らせることが叶います。更には全ての知らせが着かなければ、そのこと自体が主に変を知らせることになりましょう」
「そなたの考えの深きこと、見事である。儂はそなたの申す通りに致すこととしよう」
「されば、速やかにお手配のほどを」
「うむ」
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「タケ様、タケ様はいずこに」
「おぅっ、ここだ」
「タケ様、大事にございます」
「ヤマト王の前である、慌てず落ち着いて申せ」
「されば、谷を抜けたサガ兵は、マツラ殿の兵と合わさり谷の出口を封じ、逆にこちらに攻め込んで参り申した」
「なにっ」
「されば、ヤマト王の兵五百のうち、その半数ほどが谷を出たところで三方より囲まれましたゆえ、ヤマト王の兵は大いにもつれており申す」
「また、その後にあるヒタ兵とは間が開き申し、これを助けることができないでおり申す。ただ今はヒタ兵が急ぎヤマト兵のもとに駆けておりますが、いま少し時がかかるようにあり申す」
「ヤマト王、お聞きの通りであり申す」
「遅かったか……」
「はっ、口惜しいことではあり申すが……」
「うむ、してどう計らう」
「まず、マツラ殿の兵の数が分かり申さぬ。されど、谷の出口を三方より囲まれているのにあらば、それを突き破るのは難かろうと考え申す。ゆえに、こちらから更に進むのは危うかろうと。されば、ここはひとたび退き、守りを固めるがよろしかろうか、と」
「そうじゃな。とは申せ、退くことも難しかろう」
「されば、申し訳ございませぬが、まずはヒタ兵を下がらせ申す。ヤマト王の兵を置き去りにする形になり忍びないのですが、まずはヤマト王の守りを固めることが先かと」
「うむ、仕方あるまい」
「本隊はこのままこの地に留まり、ヒタ兵が戻りましたらこれと合わせ、守りを固め申す。谷あいの細い道筋なれば、敵も総がかりでは攻めてこれますまい。幸いヒタ兵には弓を多く持たせておりますゆえ、ヤマト兵が退くのをお援けすることも叶いましょう。兵が落ち着いたところで頃合をみて、進むなり退くなり改めて計らいましょう」
「うむ」
「兵が落ち着けば、敵の数や戦い方も分かりましょう。恐らく数ではこちらが勝っておりますゆえ、力押しで攻めるも、別筋より兵を敵の後ろに送り込んでこれを惑わすも、こちらの意のままにあり申そう」
「そうじゃっ、今頃はワナ殿も攻め込んでくれておることじゃろうし、これと時を合わせれば、逆にこちらから挟み撃ちにすることも叶うであろう」
「そのことでありますが、申し上げにくいことに……」
「構わぬ」
「ワナ殿がマツラ国に攻め込むためには、イト国を通るより道がありませぬ。その道を通ることについてイト殿と話しておられたのは……」
「サガ殿か……さればイト殿はマツラ殿につき、ワナ殿が進むのを妨げておる、と申すか」
「恐れながら、その見込みは高うございます。いずれにせよ、落ち着きますれば八方に物見を出し、改めて戦の具合を確かめましょう」
「それと、念のため、殿のヤマト兵には谷あいのアサ側の出口まで退き、そこを固めて頂きます。万一の時には王にお戻り頂くことも見込みに入れておかなければなりませぬゆえ。また、第五隊のヒタ兵は本隊に合します。進むにせよ退くにせよ、王の守りを固めよとの主の命ならば、王にはお許しを頂きたく」
「うむ、許す。今やそなたはヒタに次ぐ我が知。そなたの申すことを我が命としよう」
「それでは急ぎお手配頂きますよう……」
「どけ、どけぇ~、道を開けろぉ!」
「大変だぁ、大変であります!」
「何事じゃ、騒がしい」
「恐れながら、ヤマト王に申し上げます」
「サガ殿が裏切り、逆に攻めてきたことにあらば、既にタケ殿の手の者から話は聞いたわい。既にこの後の手配について謀り終えておるゆえ、落ち着いて申せ」
「はっヤマト王、されば、敵が後から攻めて参りました」
「何、後じゃと? どういうことじゃ? タケ、そなたには分かるか?」
「いえ、ヤマト王、恐れながら……まずは遣いの方の申すことをお聞きあそばされよ」
「うむ、わかった。詳しく申せ」
「されば、敵が谷あいの道筋の、アサ側の出口から攻め込んで参りました」
「されど、どのようにしてそのようなことが叶うたのじゃ? そこは先ほど儂らが通ったところじゃ。その際には、敵などおらなんだであろう」
「遣いの方よ、敵の数と得物を教えて下さらぬか」
「ヤマト王、こちらの方は……」
「よい、我が友ヒタ殿の臣にして我が知、タケである。この者の問いは我が問いとして、隠すことなくこれに応えよ」
「承り申した。それではタケ様、お応え申し上げる。敵の数はおよそ三百。されど、みな黒金の剣を持っており申す。そして何より、見たことのない大きな、そう、鹿のような四つ脚の獣に跨りましております。その獣は走るに早く、我が兵が開くにも集うにも、能くその隙をつき、こちらに攻めて参ります。こちらは散り散りになりながらも、道筋の狭いことのみを利として何とか防いでおりますが、何しろ敵は黒金の剣を持っておるゆえ、こちらの矛や盾では適いませず、兵は次々と倒れております」
「遣いの方、敵は倭国の言葉を喋っておったであろうか」
「いぇ、何やら分からない言葉を喋っており申した」
「そうであったか……」
「タケよ、どういうことじゃ?」
「恐らく、敵はカラ国の兵にありましょう。マツラ殿は予めカラ兵を容れておったものと思われまする。みなが黒金の剣を持っていること、そして何より、遣いの方も聞いたことのない言葉で話していることがその証」
「四つ脚の獣とは?」
「我が主より話に聞いたことがあります。カラ国ならびにその向こうにありますアヤ国では、馬などと称する四つ脚の獣に跨り戦を行うと。馬は一日千里を走り、その疾きこと風の如し、と聞き及びます」
「そのような獣を使えば、兵の進むも早くなるが理じゃな」
「仰せの通り。恐らく敵はこちらが谷あいに入るころを見込んで、サガ国を通って後から我が兵を攻めたのであり申そう。馬であれば、そのような速さを要とする謀も叶いましょう」
「ふむ、やはりサガ殿は始めから……」
「恐れながら、マツラ殿とはお示し合わせの上で……」
「そういえば、ワナ殿が此度の戦に加わると儂が申した時のサガ殿の慌てよう……今にすればゆえあってのことじゃったのであろう。今思い出しても笑えるわい。恐らく、慌ててイト殿に持ちかけたのであろうのう……」
「サガ殿はヤマトに加わる風を装い、此度の戦を申し出る。自らは先駆けと称し、実は先にマツラ殿の兵と合わさることで、逆にこちらに攻め込んでカラ兵とで挟み撃ちにする。新たに加わったサガ殿のお申し出を断りにくいヤマト王のお気持ちを、うまく用いた謀にあり申す……」
「口惜しいが、その通りであろう。まこと、ヒタ殿には悪いことをした。ヒタ殿よりは、此度の戦を考え直すよう言われたものじゃが、そなたの申す通り、サガ殿の申し出を断れなかった。全ては儂の誤り。そなたにも儂の誤りにつき合わせてしまい、詫びを申す……」
「もったいなきお言葉、我が主もヤマト王のお言葉に胸が震える想いにありましょう。されど、まずは守りを固めることをお考えくださいませ。こうなれば、ヤマト王を何とかヒタの地にお連れするのが臣の役目。必ずや王をお守り申し上げますゆえ、まずは安んじてお任せあれ」
「頼もしいことじゃ。して、どうする?」
「敵は馬兵とは申しても数は三百。まともにぶつかれば、利はまだ数で勝る我らにあり申す。まずは第五隊のヒタ兵がただ今ある地を元とし、ここに全ての兵を集めます。ヒタ兵四百五十の持つ矛を地に立てて逆茂木とし、馬の駆けるを妨げれば、こちらの弓兵も力を得ましょう。敵も長く馬に跨り攻め込んできたのであれば、そのうち疲れもみえるはず。敵の疲れるを待ち、本隊五百五十を中にして、残る全ての兵で力押しすれば、必ずやこれを突き破ることも疑いなし。ひとたび敵兵を突き破らば、逆に谷あいの出口をこちらから封じることで、追い討ちを妨ぐことも叶いましょう。多くの兵を失うことにはなり申すが、どうぞお許し頂きますよう」
「うむ、仕方あるまい。兵の率い方は全てそなたに任せる」
「あとは山に入りつつ、ヒタの地を目指してお退き頂きます」
「うむ、サガ殿にはヒタ殿をアサに残してあると申してあるゆえ、サガ殿は儂らがアサに退くと思うておられるであろう。されど、ひとたび追い討ちを防げたとしても、いずれは多くの兵を失うであろう。アサの城は落ちたも同然じゃな……」
「アサに残る兵には申し訳ありませぬが……」
「されど、サガ殿がアサを攻めている間、時が稼げる。その隙に儂らはヒタに入るというわけじゃな」
「仰せの通りにあり申す。ヤマト王があらせられ、我が主がおりますれば、ひとたび失った城であっても、再び取り戻すは易く叶い申す。されば、まずはヒタまで参りましょう。ヒタまでの道は人目につかぬところを行きますゆえ、少しく時もかかり、また、険しい道ではありますが、どうぞお許しあれ」
「それは構わぬ。されど、ヒタは守りに堅いとは言え、さすがにマツラ殿、サガ殿、イト殿の兵にカラ兵まで合わせて攻め込まれれば、ヒタの地といえども守るに難くはないか?」
「はっ、仰せの通りにあります。されどヒタの地については、我が主にもお考えがございましょう。それゆえ、主は先にヒメミコ様をお連れしてヒタの守りを固めているものと思われます。どうぞヤマト王には、まずここより退くことのみをお考え遊ばされますよう」
「そうじゃな、ヒタ殿にはヒタ殿の考えがおありであろう。まずはヒタまでの道、儂の命、そなたに預けることとしよう」
「恐れ多いお言葉、王の信に応えるべく、臣が命にかえもて必ず」