第三節 招待
「ヒメミコ!」
「ヒタ殿。お話は聞きました……」
「すまぬな、ヒメミコ。儂はそなたとの誓いを果たせなんだ」
「いや、ヒタ殿が詫びることでもないであろ。父上がお決めになったことゆえ……」
「さようではあるが、ヒメミコに誓ったのは儂じゃ。申し訳ない」
「それより、戦ともならばヒタ殿もお出でになるのでありましょう? どうぞお気をつけ遊ばされますよう」
「そう、そのことじゃが、儂は残ることになった。父王の命により、儂はヒメミコのお側におり、そなたをお守りせよ、とのことよ」
「まぁ、それは嬉しいこと。されど、それほど危ないのであろか、此度の戦は」
「いや、ヒメミコが案ずるほどではあるまい。ただ、アサからも多くの兵が出るゆえヒメミコもちと寂しくもなろう、とのヤマト王の仰せじゃ」
「妾はヒタ殿が側にいてくだされば、少しも寂しいことはありませぬ」
「いやいや、ヒメミコのそのような言いよう、儂としては何とも嬉しいのじゃが、父王がお聞きになったら、それこそ寂しくお感じになるであろうのぅ」
「よい気味じゃ。妾の意を用いず兵を起こすのじゃ。少しくらい父上を寂しがらせて差し上げなければ……」
「はっはっはっ、これはこれは……」
「じゃが、まことに戦はよろしいのか?」
「兵は足りておるどころか、マツラ殿を討つには多いくらいじゃ。また、今のところマツラ殿に付くという国もない。此度の戦はヒメミコが案ずるところではあるまいよ」
「そうであればよいのじゃが」
「ところで、先に申しておったことでもあるが、この際ヒメミコにはヒタにお越しいただくというのはどうであろうか?」
「この頃であると、ヒタの山々は色づき始め、それはそれは美しく彩られることじゃ。ヒメミコは山々の全てが燃え盛るばかりに色づく様をご覧になったことがあるかな?」
「いや、アサの地でも木々が色づくのは知っておるが、山々の全てとは見たこともない」
「そうであろう。モミジの葉が落ち、まるで真っ赤な敷物を並べたかのような地を歩くのも悪くはないであろう。また、山に入れば鹿を射ち、これを食すのもよかろう。父王の兵がお出になったら、儂らも山々を歩きながらヒタに参ろうではないか」
「まことヒタ殿は妾を連れて行ってくださるのか?」
「おうとも。まこと、ヒメミコを我が城にお招き申し上げよう。ヒタの城は山ノ上にあるゆえ、アサの城とは違い眺めもまたよい。モミジを踏み分け鹿と出会い、眺めを楽しむというのもオツなものであろうが。いかがかな?」
「ヒタ殿が連れて行って下さるのであれば妾はどこでも嬉しう思うが、わけてもヒタ殿のお城とあらば、妾の胸のうちは嬉しうて嬉しうて、震えがとまりませぬ。きっと連れて行ってくださるのじゃな?」
「先の誓いは果たせなんだからのぅ。此度は必ず」
「真っ赤な敷物のようなモミジであるか……今から楽しみなことじゃのう。そうじゃ、鹿は何と鳴くのであろか」
「そうじゃのぅ……それはヒメミコが己で聴かれることよ。モミジの色も鹿の声も、全てはヒメミコのものじゃ」
「うむ、楽しみにしておる」
「とは言え、父王に申し上げもせずにお連れする訳にもいくまいが……」
「そうであれば、父上には妾からお話し申し上げる。ヒタ殿はしばらくおるのであろ?」
「さよう、此度の兵が出るのを見届けてから、ヒメミコをお連れしてヒタに帰ることと相いたそう」
「さらば妾から父上には申し上げておく。父上もきっとお許しくださることであろ」
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「父上っ!」
「なんじゃヒメミコ。儂に何か用か?」
「父上が戦にいらっしゃる間、ヒタ殿が妾をヒタ国に連れて行ってくださるそうじゃ」
「ほぅ、ヒタ国に?またそなたがヒタ殿にわがままを申したのではあるまいか?」
「そうではない。ヒタ殿は先の誓いを守れなかった代わりに、妾にヒタのモミジを見せてくれると言うておった」
「先の誓い?」
「此度の戦のことじゃ。妾が戦を望まぬゆえヒタ殿は、戦をせずともよいよう父上に申してくれる、と誓ってくれた」
「儂もヒタ殿から、今は戦をすべき時ではないという申し出を聞いたぞ。まこと、ヒタ殿は誓いを果たしてくれておるではないか。何ゆえ誓いの代わりなぞと言うのじゃ?」
「妾が言うたのではない。ヒタ殿が申されたのじゃ。妾もヒタ殿にあまり差し障るようなことはしとうない。されど……ヒタ殿が連れて行ってくださると申すものゆえ……」
「はっはっはっ、よいよい、相分かった。ヒメミコがあまりに剥きになって申すものじゃから、ちと楽しうてのぅ」
「もう……父上はお人が悪い」
「いやいや……されど、そなたがそこまで嬉しそうに申すと、儂も少しは寂しうてのぅ」
「ヒタ殿の意を容れず戦を始める父上が悪いのじゃ」
「まぁ、そう申すな。ヒタ殿には儂からも詫びておいた。されど、時により兵を起こさねばならぬこともある、ということじゃ。そなたにはまだ分からぬかも知れぬが、国をまとめるというのはそういうことよ」
「父上はカラ国にある元の倭人の地を取り戻すおつもりであろか?」
「ヒタ殿が申しておったか?」
「倭国の国々をまとめる、というお考えは父上より聞いておったが、倭人の富と地を倭人の手に取り戻す、という父上のお気持ちは知らなんだ」
「うむ、いずれそなたには話そうと思っておったが……そなたはいくつになったかのう?」
「十四になります、お忘れでありますか?」
「いやいや、されど、そうか、もう十四にもなるか……そう言えば、そなたも少しづつ、亡き母に似てきたのぅ……そろそろ、そなたに申しておくべきこともあろうが、まずは此度の戦よ。マツラ殿を制した後、きっとゆっくり話そうぞ」
「はい、父上。父上のお考えやお気持ち、それに……母上のこともお聞かせくださいまし」
「ヒタ殿のことも……か?」
「もうっ、全く父上ったらお人が悪い」
「うむ、それまではヒタ殿の城にやっかいになっているがよい。きっと良い報せをもって、この父がそなたを迎えに行ってやるぞよ」
「分かりました。父上も戦場にあってお身にお気をつけ遊ばされよ」
「そなたも健やかで」
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「ヒメミコのこと、ヤマト王へはヒメミコからお話しされるのでよかったので?」
「うむ、まぁ、儂から話すよりも良いであろう? 王はそのようにお考えにはならぬであろうが、回りの者から見れば、儂が千の兵に替わりヒメミコを質にとったようにも映るであろう。されどまぁ、ヒメミコのお希みという形であれば、少しは丸く収まるであろう」
「私には、ヤマト王には端からヒメミコをヒタにお連れしてもらいたい、というお考えであったように思われ申すが」
「まぁ、確かにそのようなお考えもおありであったろう。とは言え、儂から改めてヒメミコを連れて行くと申せば、ヤマト王もあまり気持ちよく思われないでもあろう?」
「それはそうでありましょうなぁ」
「さればこそ、よ。まぁ、ヒタの方が守りが堅いことはヤマト王もよくお分かりのこと。王には心安んじて戦に当たってもらいたいからのぅ。そのためにもタケ、そなたの働きこそ要。よろしう頼むぞ」
「よう分かりました」
「ところで、ウワハル、シタハルの二人はどうか?」
「はい、ヒタ様の申されるよう、既に手はずは整えております」
「そうか、助かる。そなたもウワハル、シタハルがおれば、兵を率いるのも楽になったであろうに、まことすまぬな」
「何を申されますか、ヒタ様。まずはお身とヒメミコが第一。兵のことはお気になさいませぬように」
「うむ、それでは良い報せを楽しみに待っておる。よろしく兵を率いてくれ」