第二節 戦備
「お呼びになりましたか」
「おぅ、タケか。中に入れ」
「ヒタ様、ヤマト王のお呼び出しはいかがでしたか?」
「うむ、此度、マツラ国に対して戦を始めることとなった」
「マツラ国、ですか……また、なにゆえ今?」
「サガ殿の申し出よ。マツラ国はカラ人との商の富を握っておるゆえ、これを討ちヤマトのものとする。時を同じくして、廻りの国々にヤマト王の強さを見せつけ、これを従わしめる。というのがサガ殿の心積もりじゃ」
「なるほど。されど、サガ殿にはまた別の思惑をお持ちのように感じられますが……」
「そなたもそう思うか。儂もそのようにヤマト王に申し上げた」
「ヤマト王はいかに?」
「ヤマト王も同じようにお感じのようであった」
「それでも戦を始めるので?」
「王には王のお考えがある。サガ殿の意を容れなければ、サガ殿はまた離れてしまうやもしれぬ。ここは王の懐の深さを見せ付けるためにも、サガ殿の申すことを許さねばならぬところであろう」
「そこまでしてサガ殿を……」
「今ここでサガ殿が離れてしまっては、イト国やワナ国など、ヤマトを容れるか迷うておる国々も離れていくであろう。ヤマト王が見ておられるのは、サガ殿の向こうにおるイト殿やワナ殿なのじゃ」
「危ういと思いながらも容れざるを得ない……全く、もしサガ殿が怪しげなことをお考えであらば、これほど賢くも憎らしいことは他にありますまい……」
「ただ、サガ殿がまこと心から加われば、ヤマトにとっては大きいであろう。サガ国は兵こそ少ないものの、彼の地は米がよう採れると聞いておる。また、クナ国と結んでおるとも聞くゆえ、サガ殿にヤマトとクナ国の仲を取り持ってもらうことも叶うであろう」
「それでヒタ国はこの戦に兵を出すのでありますか?」
「うむ、全て飲み込んだ上でのヤマト王の仰せである。否やはない」
「さようで……」
「そこでじゃ、そなたに頼みがある」
「ヒタの兵千をそなたに預ける。サガ殿の思惑は別にして、マツラ国に攻め入り、ヤマト王の命の下、これを討て」
「はっ。して、兵はどのように動かしましょう」
「ヤマト王、サガ殿との話し合いで、ヒタの兵のわけ方と並びは既に決まっておる。そなたには、その通りにしてもらいたい」
「まず、兵は三隊に分ける。一隊は五百とし、王の本隊の前を進む。一隊は四百五十とし、王の本隊の後ろを固める。残る五十は王の隊にあり、王のお側で王をお守りする」
「相分かりました。して、私はどの隊におりましょう」
「そなたには王本隊の守り五十の隊にあり、必ずや王をお守りすることを命ずる。加えて、千の兵の全てを率いる役を授ける。サガ兵、ヤマト兵も含め、全ての兵への目配りを忘れず、攻めるにおいても守るにおいても、能くヒタの兵を率いよ」
「ヒタ様の信に応えるべく、我が力の全てを捧げ申す」
「うむ」
「して、ヒタ様はどのように」
「儂はヤマト王の命により、残ってヒメミコをお守りする。万一の時にも、ヒメミコがおればヤマトは残るであろう」
「ヤマト王はそこまでお考えでしたか……」
「うむ。戦が始まれば、儂はヒメミコをつれてヒタに戻り、守りを固めることとする」
「そなたは足の速いものを多く手元に置いておき、万一の時にはその者らを使って儂に知らせるよう整えてくれ」
「仰せのままに」
「それと、繰り返すが、必ず王のお命をお守りするように」
「必ずや、我が命にかえて」
「されど、千もの兵をお出ししてよろしいのでしょうか? いざという時、ヒタの守りは五百ほどになりますが……」
「うむ、ヤマト王のおられるアサの地に較べれば、ヒタの地は回りを山に囲まれており、守りに易い。なんとなれば、これらの山々が盾になってくれるからのう」
「ヒタの地でただひとつ開けているのはアサにつながる地であるが、その最も狭いところに柵を築けば、五百の兵でも数日は保ちこたえるであろう。万一此度の戦に負けたとして、千の兵を出したと言うてもその全てを失うわけではなかろう? その内、戦に出て行った兵も戻れば、柵の内と外で敵を挟み撃ちにすることもできよう」
「万一の場合、そなたは速やかに儂に知らせると共に、ヤマト王をお守りしてこのヒタまでお連れするように。また、残った兵にもヒタに戻るように率いればよい。さらば、仮にマツラの地で何かあろうとも、また、立て直すことができようぞ」
「相分かりました。されど、なにゆえヒタなのであり申すか?ヤマト王をお守りしお連れするのであれば、アサにあるヤマト王の城でもよろしいかと存じますが」
「そなたの言うとおりではあるが、なにしろアサの城は守り難い。何と言うても城の廻りは田畑だらけで、囲むも攻めるも易い。囲めば水や米の尽きるを待てば良く、攻めれば守る側より多くの兵で攻めること叶う」
「そのような守り難い城に、なにゆえヤマト王はお住まいで?」
「アサの地は北のイト国と南のクナ国を結ぶ道筋と、西のサガ国と東の我がヒタ国を結ぶ道筋の交わるところにある。イト国からは西にマツラ国やツマ国につながり、海を渡ればカラ国へも通じる。ヒタ国からは東に抜ければウサ国につながり、その先の内海に出ることも叶う。つまり、ヤマト、すなわちあまたの国を結びひとつにまとめるためには、これほど相応しい地は他にないのじゃ」
「なるほど、それに較べてヒタ国は守り易い……」
「さよう、三方を山に囲まれ、更にこの城は山の上に築いてあるゆえ、守るに易い。囲むに地なく、攻めるに道なし。山の上と下で弓戦を行わば、上から射る方が矢は遠くまで届くゆえ、攻める側より早く戦を始められよう」
「矢のたねとなります竹も多く生えておりますれば、矢尽きる恐れも少のうございます」
「さよう。此度の戦、万一の時にアサの城に戻ったとしても、恐らくすぐに囲まれて落とされることであろう。常であらば、アサの城が囲まれた際にはこのヒタより援けの兵を送り、ヤマト王を囲みからお救い申し上げるところじゃが、此度は違う。ゆえに、そなたにはヒタにヤマト王をお連れしてもらいたいのじゃ。ヒタであれば、少ない兵でも守ることが叶う」
「よう分かり申しました。万一の時には必ずやヤマト王をヒタにお連れ申し上げます」
「ところで、兵には何を持たせましょうか?」
「うむ、兵にはそれぞれ赤金の手矛と木の盾、そして三日分の米を持たせよ」
「赤金の手矛と木の盾ですか」
「すまぬが、千の兵に持たせるには黒金の矛も赤金の盾も数が足りぬ。されど、王をお守りする五十の兵には赤金の盾を持たせるべし」
「相分かりました」
「それから、弓を四百張、弓一張につき矢を二十本づつ持たせよ」
「弓を四百も持って行かば、いざという時ヒタの守りが危ういのでは……」
「いや、その代わり弩は置いていってもらう。弓は軽くて持ち運びに易く、また、矢を射るに速い。ゆえに、攻め戦に向くのじゃ。果たして弩は強く、遠くまで矢を射ることが叶うが、重たい上に、矢を射るのに遅い。されど、防ぎ戦であれば柵や堀を上手く用いて攻め手を遅らせることができよう。従うて、弩は城の守りに能う叶う」
「それと、すまぬがウワハル、シタハルの兄弟はヒタに残して欲しい。二人には、別の任を命ずるつもりじゃ」
「分かりました。ところで、さきほどより万一のことばかり申しておりますが、逆に勝ち戦の時にはいかがいたしましょう?」
「此度はヤマト王自ら戦にお出になる。勝ち戦であらばマツラ殿に対しどのような扱いを行うかはヤマト王がお決めになるであろう。儂はヤマト王のお決めになることであれば、それに対して否やを申し上げるつもりはない。また、ヤマト王よりヒタが仕置きを許された事については、儂は全てそなたに委ねるであろう。そなたであれば良い仕置きをすると儂は信じておる」
「もったいないお言葉に胸が震えております」
「うむ。それでもそなたの考えに余る事柄であれば、それが急ぐものでなければ持ち帰り、儂の申すことを待て。急ぐものであれば、足の速いものを儂に寄越せ」
「分かりました。さあらずとも、常よりヒタ様には戦の様を早くお知らせするべく、計らいます」
「そうしてくれれば、報せが滞ることそれ自らが知らせにもなるであろう」
「それでは、急ぎ備えを整えますゆえ、これにて。ヒタ様もどうか御身とヒメミコ様にお心配りを」
「うむ、礼を申す。されどそなたの方がよほど危ない地に赴く。気をつけていくがよい」