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メインバーへようこそ ~ひきこもりニートと愉快な仲間たち☆~  作者: まる。
第1章 Aperitif(アペリティフ)
5/12

4杯目:初出勤

「お母さん」

「んー?」


 お母さんは、パソコンに向かって今日撮影してきた画像を確認している。普段は同じマンションの下の階に桑山さんがスタジオ兼事務所を構えていてそこで仕事をしているが、自宅でやれる仕事は持ち帰ってやるようにしている様だ。多分それは、ずっと家にいる私の為。桑山さんはと言うと、私達家族を助けるために元々住んでいた家を私達に提供し、日本にいる時は事務所に寝泊まりしていた。

 働こうと思い始めてから色んな事が見えてきた。私は沢山の人達に守られて来たんだと今更ながら実感した。


「明日から働くことになったから」

「――。……えっ!?」


 作業していた手を止め、後ろに立つ私を振り返る。冗談で言っているんじゃないとわかると立ち上がって私の両腕を掴んだ。


「どうしたの? 急にそんな」

「私もいい加減働かないとって思って。こないだ面接行ったとこからさっき電話があって雇ってくれるって」


 急に何を言い出すんだと言いたげに、キョロキョロと目を泳がせている。暫くの沈黙のあと、お母さんはハッとした表情を見せた。


「……もしかして、この間桑山さんと話してたの聞いてた?」


 何も言わず俯くと、小さく頷いた。


「……まっ、――ち、違うから! ああー、もう、桑山さんってば!」


 お母さんは腰に手を置き、もう一方の手で額を覆っている。きっと私を追い詰めてしまったと思い込んでいるのだろう、どうすればいいのかと困っている様子がうかがえた。


「いいの! 桑山さんのせいでもお母さんのせいでもないから」


 確かに、きっかけは二人の話を立ち聞きしたことによるものだ。だが、そのおかげで既に色々な経験が出来たのだし、実際働き始めたらもっと未知の世界に触れることが出来るだろう。大変な事はわかってはいるが、楽しい事もきっと――あるはず。


『大丈夫ですか?』

「……。――っ!」


 そう、思った瞬間、あの時の男性がパッと蘇ってきて、みるみる顔が熱くなった。


「でもね――」

「わ、私、自分で決めたの。ちゃんと働いて誰にも心配かけないようにしたいの」

「央……」


 お母さんは複雑な表情を浮かべていたが、しばらく考えたのちにぎゅっと抱きしめてくれた。


「?」

「わかった。大変だとは思うけど、一生懸命頑張るのよ? お母さんも応援するから」

「うん、ありがとう!」


 顔は見えないが、お母さんの声が心なしか震えていた。

 きっと初めての事だらけでどうしていいかわからなくなるだろう。不安で一杯だったが、それ以上にわくわくした感情も少なからずある。明日の為に早目にベッドに入ったものの、その夜は緊張で中々眠れなかった。




 □■


「じゃあロッカーの中に制服が入ってるから。着替えが済んだらまた事務所に来てくださいね」

「は、はははいっ」


 人当たりの良さそうな総務の女性に案内され、ロッカーの鍵を受けとる。言われた通り、名前が書かれたロッカーを見つけると恐る恐る扉を開けた。


 ・

 ・

 ・

 ・

 ・


「あっ、あの」

「ああ、芳野さん。着替え終わった?」

「は、はい。や……、てか、これ、み、みみみ短くて、その……」


 用意されていた制服は、ウイングカラーの白いシャツに黒のベスト。それと、物心ついた頃には一度も穿いた記憶の無い、黒いタイトスカートだった。


「えー、全然大丈夫よー。芳野さんはスラッとしてるから凄くお似合いよ?」

「ス、スラッ!? ……い、いや、でも、せ、せめてズボンを――」


 こんな格好生まれて初めてしたというのにお似合いなわけがない。お世辞を本気にしては駄目だと、なんとか別の制服を用意して欲しいと懇願した。


「あー、ごめんねー。女性はスカートって決まっているのよ」

「ええ……」


 仕事を覚える前から既に挫折感を味わってしまう。一度も働いたことが無いのに、やはりいきなり接客業、しかもこんな高級ホテルで働くなんて無理がありすぎる。やっぱり辞めると言おう、言わなければと口をモゴモゴしていると、面接を担当してくれた野神課長が現れた。


「おっ! いいじゃん! 良く似合ってるよ」

「いや、……その、実は――」

「んじゃあ早速現場案内するから。着いといでー」

「ああ……」


 そもそも、他人と会話する事が苦手な私だと、辞めると言うのも一苦労だ。どうしよう、早く言わなきゃと思うものの、どうにもタイミングが掴めない。廊下を歩く途中、意を決して声をかけようとするもののすれ違う人が皆、野神課長と挨拶を交わしていて、全く話す機会を与えて貰えなかった。


「まずー、ここが従業員専用のエレベーターね。二機しかないから昼時は早目に行動しないと中々乗れないから、遅刻しない様気を付けてよ。――あ、でもレフィーノだから最悪階段で行けるか。――? あーい、お疲れさーん」

「「「お疲れ様っす!」」」

「レ、フィ……?」


 ゾロゾロとエレベーターから降りてきた面々と二言三言挨拶を交わし、ここで働く人達のコミュニケーション能力の高さに驚いた。本当にこんなところでやっていけるのかと、不安で押し潰されそうになっていた。


「えーっと、二階っと」

「あのぅ」

「ん?」

「わたっ、私はどこで……働くんでしょうか?」


 こんな制服が用意されているのだから、客室清掃や洗い場では無さそうだ。レストラン部門とは聞いているが一体何料理だろうと、頑張って質問してみた。

 だが、私の質問に対し、野神課長は目を丸くしている。エレベーターが到着すると同時に「参ったな」と呟いたのを私は聞き逃さなかった。


「柳マネージャーから何も聞いてない?」

「え? あ、はい……?」


 照明の点いてない薄暗い廊下を進み、鉄の扉を開けた所でベルベットのカーテンが現れた。


「ちょおー……っと、特殊な職種だけど。まぁでも皆いい子達ばかりだから大丈夫。頑張って!」

「は、はぁ……?」


 そう言いながら野神課長はカーテンを開けると、そこには雑誌やテレビでしか見たことの無いきらびやかな世界が広がっていた。




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