35話 網に掛かった獲物
「灰児さ~ん、どこッスか~? 町田で~す。」
省吾を捕らえた廃ビルのホールに間の抜けた声が響く。真夜中のビルを照らす明かりは月の光だけ。社会の闇が蠢くにはいい時間だ。
「ここだ。」
オイルライターで煙草に火を付けながら、位置を知らせてやる。
「そんな暗がりに佇まないでくださいよ。俺は気が小さいんスから。」
「気が小さいなら足を突っ込むのはヤメとけ。命に関わる話だぞ?」
「主任の残した手がかり、傀儡の王の正体が入ったUSBメモリを解析すればいいんですよね? バッチ任せて下さい!こう見えてもコネはあるんス!」
町田はベジタリアンらしい細身の体で胸を張った。
「いや、USBメモリは破損している。修復が可能かどうかも分からない。」
「え!? じゃあなんで俺を呼び出したんスか? あ、修復と解析を依頼する必要があるから…」
「違う。新しい手がかりが必要だからだ。そして手がかりは……もう手に入ったよ。」
俺の言葉を聞き、町田の顔付きが一変した。どこか頼りなげなお調子者の顔ではない、冷酷さと狡猾さを兼ね備えた、裏切り者の顔へと……
「……参ったなぁ。なんでバレたんです?」
「白河に襲撃された夜、俺と澪の飲んでいた居酒屋を知っていたのは、送り届けたおまえだけだ。それだけならスマートフォンの盗聴で位置表示を読み取っていたとも考えられたんだが……決定的だったのはペントハウスに火を点けたからだよ。あのペントハウスに招待した人間の中で、あそこが俺の住居ではないと知らなかったのも、おまえだけだからな。」
「……罠だったのか。クソが!袴田の奴、俺を信用しちゃいなかったんだな!」
憎々しげに吐き捨てる町田。そうさ、澪はおまえを信用してはいなかった。
「オマケに偽物まで掴まされたな? 得意顔でUSBメモリを王に献上したはいいが、中身は手抜き料理のレシピだった、と。おい、町田。俺はおまえみたいな間抜け野郎を見た事がない。思い切り笑ってもいいか?」
許可を得る前に耳障りな大声で笑ってやる。無人のビルにエコーのかかった笑い声が響き、間抜けな裏切り者を四方から嘲笑した。
「笑うな!目の前で、無様に、相棒を殺されたおまえだって大間抜けだろうが!」
怒鳴りながらポケットに手を入れようとする町田に警告しておく。
「そこまでだ。仲間を呼ぼうってんだろうがそうはいかん。仲間を呼ぼうとしたって事は、言われた通りに一人で来たんだな? 手に入れ損ねたUSBメモリを間抜けが渡してくれるっていうから、喜び勇んでやって来たって訳だ。自分の正体がバレているとも知らずに、な?」
「………」
「無影の王には心底同情するよ。おまえみたいな間抜けを重用したお陰で、命取りになるんだからな。」
「……ミスを取り返せば済む話だ。どのみちおまえを生かしておく訳にはいかないんだからな。スカーフェイス!殺るぞ!」
町田と俺は同時に武装化し、対峙した。町田は封鎖区での作戦時は短槍を持ち、部分鎧を纏っていたが、今は長槍に全身鎧、本来の姿を取っている。二度ばかり見た、ノミ野郎の姿だ。
踏み込んで斬りつけてみたが、ノミ野郎こと町田は自慢の脚力で跳躍しつつ斬撃を躱し、ホールの柱を蹴って高速移動、俺の周囲を跳び回る。……かなり速いな。
「レベルの低い連中に合わせて弱いフリをするのは大変だったぜ!風見のバカにはお説教をされるしよぉ!」
柱を蹴った反動で速度を増してからのヒット&アウェイ、自分の特性を活かした戦法だな。
「オラオラ!ご自慢の絶対領域とやらを使ってみろよぉ!足が止まるかもしれないぜぇ?」
「基礎能力特化型のおまえに使う意味があるのか?」
「ビンゴ!俺様は基礎能力特化型、さらに脚力に特化した凄腕様さ!最速の脚を持つ俺様には空間を斬り裂く技も通用しねえ!範囲攻撃だろうが避け切ってみせるぜぇ!」
高速の影が左右に往復し、通過の度に浅手が増える。……基礎能力特化型とはいえ、長所である脚力に注力している分、パワーはさほどでもないようだな。
「なるほど。次元斬の存在を知っているという事は、腐肉の王との戦いを観察していたんだな? そうなると疑問が湧いてくる。あの戦いを見ていたなら、白河では俺に勝てないとわかっていたはずだ。無影の王は何がしたかったんだ?」
「知るかよ!第一、それを知る必要もねえ!テメエはここで、この俺様に殺されるんだからな!」
迫る魔槍を跳ね上げ、返しの一撃を見舞うが、繰り出した刃が捉えたのは町田の残像だけだった。
「さっきから俺様俺様と五月蝿い奴だ。おまえの一人称は"僕ちゃん"じゃなかったか?」
「死ぬまで減らず口を叩いてろ!俺の動きについてこれねえノロマが!俺様の正体に気付いていながら、柱の立ち並ぶホールを戦場に選ぶとか、肝心なトコが抜けてやがるぜ!だから間抜け野郎だってんだよ!」
「柱を斬り倒せば済む話だ。第一、狭い部屋で待ち構えていれば、いくらおまえがバカでも、正体が露見している可能性を疑っただろう。だから、わざとおあつらえ向きの場所で待ってやったんだよ。」
これだけ高速移動を繰り返しても町田の息は乱れていない。スタミナにも自信があるようだな。
「だが全力を出した俺様は予想以上に速かった。澪だの冥だのに"最強の宿主"とおだて上げられ、その気になっていたんだろうが、自信過剰はよくないぜ? 柱を全部斬り倒す前に、テメエの首が斬り落とされてらぁ!」
町田は魔槍の穂先を変化させ、刃の部分を長くする。澪のように串刺しにするのは無理だと判断し、手足か首を斬り落とす戦術に切り替えたか。
「ああ。自信過剰はよくない。俺もそう思うよ。そしてそれは……おまえにも言える事だな!」
力点を脚に集中、全速で町田の後を追う!空中で町田に追いつき、剣戟を数度交えた。互いに着地したが、町田の様子に先程までの余裕はない。肩口から流れる血を手で抑え、少し荒くなった息を整えるのが精一杯のようだ。
「テ、テメエ……」
「どうした、僕ちゃん? アドバンテージが吹っ飛んで余裕がなくなったか? 速さでは分があると思っていたのに、残念だったな。」
速さは互角でも、それ以外の要素は全て俺が上回る。おまえに勝ち目などない。
町田は死力を振るって俺を引き離そうと跳躍を続けたが、その後にピタリとついてやった。
さあ、どうする? このままだとジリ貧だぞ?
「……参ったぜ。テメエは想像以上の化け物だった。始末は王に任せるとするさ!」
よし、そうこないとな。場所の誘導も完璧、後は…
「そんじゃな、オッサン!……なにぃ!!」
手近な窓にダイブした町田の体には蜘蛛の巣のようにネットが絡みついていた。
即座に後を追って外に飛び出し、蜘蛛の巣にかかった獲物の脚を両断する。
「カーゴ用ネット、税込みで4200円だ。通販って便利だよな。午前中に注文したのに、午後にはもうお届けだ。おっと、正確に言えば即配料金800円を加えて5000円がお値段になる。」
「脚が!俺の脚がぁ~~!!」
俺は魔剣を地面に刺し、切断した両脚を掴んで窓からビルの中に放り投げる。これで文字通り、逃げ足はなくなった訳だ。
「重量物の固定にも使えますってキャッチコピーに偽りナシ。いい買い物だったよ。」
「ビルに入る前にこんな仕掛けはなかった!なかったのに!」
網に絡まったまま、喚く町田に、親切な俺は答えを教えてやる。
「ああ。入る前には仕掛けはなかったな。なら答えは簡単、"入ってから仕掛けた"だろ? なんの為におまえを跳ね回らせ、時間を稼いでたと思ったんだ?」
「クソが!覚えてろ!テメエ覚えてろよ!」
「典型的な負け犬の台詞、ありがとう。スカーフェイス、おまえは宿主選びを失敗したな?」
「……少し後悔を始めたところだ。もう少し有能だと思っていたのだが……」
町田に宿る無口な影の初めての台詞は慨嘆だった。それでも宿主の傷口を塞ごうとする姿を黙って見守る。町田に死なれては困るという利害は一致、だが傷が塞がれば話は別だ。俺は黙って見ているがノーラはそうではない。傷口が塞がると同時にチャージの終わった次元斬を使い、魔剣ノーラは魔槍スカーフェイスを両断した。
「スカーフェイスがどのぐらいの時間で自己再生出来るのか知らんが、数時間は無理だろう。町田、楽しい尋問タイムの時間だぞ? 場合によっては拷問にもなるが、悪く思うな。」
「ふん!どんな拷問にかけようが、俺様の口を割らせるなんて無理無理。テメエは無影の王に殺されるのをガタガタ震えながら待ってればいいんだ!」
「そうかもしれんがチャレンジはしてみないとな。裏切り者様1名、別室にご案内、だ。」
思い切り殴りつけて町田を失神させ、拘束袋に放り込んでから肩に担ぐ。裏切り者は絡め取った。後は口を割らせるだけ、町田もそう思っているだろう。
フフッ、口を割らせる、か。……町田、おまえにそう思わせておけば、俺の勝ちなんだぞ?




