Risk one’s life (命を賭して)
Risk one’s life (命を賭して)
ノーサンキュー事件の翌日、只野に相談を終えた俺は歩美のアパートへと戻った。出掛けはまだ寝ていたが、果たして起きているかな? ゆっくりとドアノブを回し静かにドアを開ける。よしよし、まだ寝ているようだ。静かに足音を立てないようにベッドに近付く。
次の瞬間! 毛布が翻った! 中からアトラスヒグマが顔出す! 大変だ! 威嚇している! 冬眠中だったのを起こしてしまったようだ! どうする? 何か手立ては? 俺は急いで冷蔵庫に走ってお茶とお菓子を持ってベッドに戻った。
「これで勘弁してください!」
アトラスヒグマはベッドに腰掛け、無雑作にお茶のペットボトルをベアクローで横殴りに捕獲した、一瞬ペットボトルが鮭に見えた。みるみると水かさが減るペットボトル、ものの数秒で飲み干してしまった。だから風呂はほどほどにと言ったのに……。
アトラスヒグマはなにやら目線で催促をしているようだ、アトラスヒグマの顔芸は非常に理解し難い。こちらを鋭い眼光で睨みつけている。たぶん目が悪いからだろう、俺はテーブルの上から熊専用のメガネを取り上げアトラスヒグマに掛けてあげた。アトラスヒグマは愉悦の表情を浮かべている。よし! ご機嫌取りに成功した! 冬眠明けの熊は大そう危険だと聞く。ここは慎重に対処せねば……。
アトラスヒグマは尚もなにか要求しているようだ、なにやら口を開けている。お菓子を食べさせろと言うことか! 俺は袋からお菓子を取り出すと恐る恐る熊の口に近付けた。指まで噛まれたらどうしよう、むしろお菓子は無視して指を噛む可能性もある。たぶん栄養価の観点から見ると、指の方が冬眠明けの熊には価値が高い筈だ。
俺の心配は杞憂ですんだようだ、熊の口にお菓子を近付けると熊はお菓子だけを捕食した。
ふぅー危ないところだったぜ。アトラスヒグマはお菓子一つでご満足したようだ、むしろ食べる事が目的ではなかったように感じられる。謎の多い生態だ……。
「ちょっと、いつまで無言でニヤニヤしてるんですか」
「あ、悪い。俺ニヤニヤしていたか?」
「してましたよ! 口元が緩んでましたよ」
「うん、アトラスヒグマの貴重な生態観察してたからね。楽しいよ?」
「もー、もうちょっと可愛い動物にして下さい」
「馬鹿言うな、危険度はアトラスヒグマでも不足なくらいだ」
「何か? 良く聞こえませんでした。もう一度お願いします」
アトラスヒグマは危険な雰囲気を振りまきながら訂正を要求している。どうする?
「今度からは『ニホンカワウソ』にします」
「なかなか良いチョイスですね」
さすが動物博士だ、果たしてどの程度の知識を有しているのか皆目検討が付かない。
「お気に召して頂けましたか?」
「うむ、愛らしい動物です。1980年前後の目撃を最後に消息を絶ったと言われています」
「絶滅してしまったのですか?」
「一時は『絶滅』の分類に置かれていましたが、最終観測から50年経過していないという理由で『絶滅危惧』に分類されています」
「ほっほー。先生はどのように考えられていますか?」
「難しい質問ですね、ニホンオオカミは100年以上目撃例がありません、ニホンアシカに限っては、最終目撃地点が領有権の真っ只中なので、なんとも言えません。これら二種類に比べれば、ニホンカワウソが生存している可能性は、比較的高いのではないかと個人的には考えています」
想像を超えるマニアなのが窺える。
「ニホンカワウソにまつわる話などを少々」
「河童伝説ですね。かつて日本中に生息していたニホンカワウソは、河童の有する特徴をある程度兼ね備えています。陸上での活動も可能であり、体長は子供程度、水かきを有し、泳ぎが得意で、たまにはっちゃけて、自分より大きな獲物にもチョッカイをだします」
「先生? はっちゃけるとは方言ですか?」
「ああ、そうですね。弾けるように躍動する様といった所でしょうか、元気一杯で無茶をする感じです」
「まさしく先生ですね、ピッタリです」
留まることを知らないその無駄な行動力、弾け飛んでます!
「ニホンカワウソは肉食ですよ言葉を慎みなさい」
なんて高圧的な態度のニホンカワウソなんだ!
「失礼しました……」
「あなた方人間はニホンカワウソ犠牲の上に立っているのです。ニホンカワウソがこうなったのは人間が原因と言っても過言ではありません。カワウソ達の快適な環境を奪う事で、自分達が快適な環境を手に入れたのです。同じ生存競争をする立場として、反省しろとも謝罪しろとも言いませんが、最低限度感謝すべきだと私は思います」
「先生……ありがとうございました」
動物博士の熱意は伝わってきたよ、なんて熱い人なんだ。この人ならもしかして俺の追い求めている答えを……。
「先生! もし先生が絶滅してしまった動物達を、生き返らせることが出来る力を有していたらどうなさいますか?」
「……難しい質問です。愛着のある動物だけ生き返らせる訳にも行きません、絶滅はしたものの他の生態を脅かす危険種も居るかもしれませんからね……。ニホンカワウソも人間というダンプカーに轢き逃げされていますが、同じ原因で絶滅に瀕している種は多数に上ります。ニホンカワウソだけ特別扱いすることは……。
しかし全ての種を復活させれば確実に今現在の調和は保てない事でしょう……。種族を掛けた死闘の末に生存競争に打ち勝った種族もいる筈です。彼らの努力を私の一存で不意にすることはできません、それを軽く扱うということは、人間という種族も軽く扱う事ですからね……」
「やはり手を出すべきでは無いと……」
「そうですね。生物とは生き続けることで可能性を追い求めているのです。しかし天敵など居なくなった種族は新たな脅威に対して無防備になります。外敵の存在も必要不可欠です」
「死は永延に付きまとう外敵でもあるが、やはり必要なものだよな」
「残念ながらどうしても、そうなってしまいますね」
「それでも俺は、歩美や響に不遇の死は遂げて欲しくない、目の前で事故にあったら助けるよ。先に謝っておく」
「ふふ、私ももう少し長く貴方と一緒に居たいです。本当はずっと一緒に居たいけど、それはきっと許されません。……では昔望まれた『見殺しにしても許してくれ』っていうのはお払い箱ですね」
「んー、分からない。それに歩美は頼んでも頼まなくても……」
「大丈夫です。驕りじゃないですよ、最後まで言って大丈夫です」
「許してくれるよ」
「そうですね」
「やはり、素直に生きる事が生物としては正しい姿に感じるね」
「そうですね、響さんみたいな感じは素晴しいと思います」
「そうだな、あいつは凄い」
「まぁ、私達は同じ種族ではありますが、進化の方向性も個体差があるのでしょう」
「そうだね、人間は肉体的な進化よりも、精神的な進化に重石を置き始めているように個人的に感じている。自然は常に外敵が付きまとい、競争に次ぐ競争に明け暮れている。
人は何処へ向かおうとしているのだろう? レッドオーシャンを捨ててブルーオーシャンを求めているのかな?」
「肉体も維持しないと実現できませんから、さじ加減が難しそうですね」
「もしかしたら絶滅した動物達は自然の循環の一部となって、競争社会からの脱出に成功しているのかもしれないね」
「ふふ、個を保持する事は難しそうですけどね」
「そうだね、個を保持したままそれが出来たら……。結局、個を保持して自然の中に居る俺達の姿は理想なのかもしれないね……」
「堂々巡りですね」
「うん、個を保持して自然の一部になれたら理想だね! って言おうとしたら、それ現状に変化ない! と自ら突っ込みを入れる事になってしまったよ」
「ふふ」
「個を保持している限りは、それに抗う事は出来ないね」
「そうですね、どんな考え方やどんな行動を採っても結局我侭ですね」
「では何を信じる」
「それはやはり……」
「『自分だよね』ですね」
何でもかんでも、それを言い訳に好き放題やれば良い訳じゃ無いが、結局俺達はそうするより他無いのだろう。大切なのは世界に感謝し尊ぶ心だ。
「輝輔さんはずっと分かっていたのでしょ? 響さんに憧れるくらいなのだから」
「そうだな、確かにあいつは俺に無いものを沢山持っている、そして無作為に動くけど、何故か方向性として正しい『気』のする行動を取っているように感じる」
動物博士とベッドで並んでの対談は有意義だった様に感じる。
「そういえばノーサンキューの中の人はどうするんですか?」
「ノーサンキューの中の人は、暫く俺達と一緒に人生勉強をしてもらう」
「学習機能あるんですかね?」
「まぁ、ただの自己防衛のシステムとも考えられるけど。なんか対応が俺っぽかった」
「ふふっ、確かに輝輔さんは意地張って『遠慮するよ』とか言いそうですね」
「俺の母親の内面も覗いているんだ、そして俺、俺の中にいる歩美、響、綾乃、只野、皆を見ている。このまましばらく何かを培って貰おう」
「そして?」
「死を選んでもらう、こいつには死の概念がきっと適応される」
「私達に壊されるか、満足の行く死を選ぶかと言うことですか?」
「そうだね、俺達の考えに触れることで自身に内包される莫大な可能性を、こいつ自身がどう使うか判断させてみようと思う」
「命の意味を持たせてあげるのですか?」
「分からない、だけど勝手に作られて壊されるだけなのも悲しいものがある」
「きっと環境が良いから良い子に育ちますよ」
「――そうだと思う。こいつには厳しい事かもしれないけど、自分の死の意味、生の意味を今の段階から考えてもらうことになるね」
「本当は私達もそうすべきなのですけどね」
「死は確定されているからね、やっている人はきっと常に死の覚悟を持って生きているのだと思う。そんな人には勝てない、同じ一秒でもきっと厚みが違う」
「貴方は大丈夫です」
「俺はそんなに大そうなもんじゃない」
「私がそう思っていれば私の世界ではそうなのです」
「そうだな、自分の世界のルールは自分で決めるべきだな」
これから先何十年と続く自分の世界もいずれ終わりを遂げる。こうして考えている間にも、刻々と時は刻まれ続けて逝く。焦りと不安を拭い去り、死の覚悟を決めて歩き始めた時、その時初めて、時間が今までと違う価値を持って流れ始める筈だ。
移り行く景色もさぞや美しく見えることであろう。




