Breakthrough(躍進)
Breakthrough(躍進)
「――です」
床が冷たい……、頭がガンガンする。感覚があるってことは死ぬことは回避出来たってことか。止血はしたものの少し不安だっただけに安堵した。きつい事を言った上に病院搬送の手伝いまでさせて、琴梨には何か、今度違った形でお礼だけでもして置こう。
「駄目です! 目を開けてください」
――そうか……。可能性の低い方が起きたか……。良かったな、琴梨。
「うるさいから、黙って治療してくれ」
「――――はい」
まだ物凄く痛かった。右足が激痛という感覚でしか、存在するのが分からない、取り敢えず痛い。もう少し意識を失っていても良かったと後悔する。
「うぅ……」
なんか唸ってる。右手にポタポタ水が落ちてくる。ぬるい。
「死にゃしねーよ。お前だって分かってるんだろ」
「ほっといたら死んでました」
それは当たり前だと思うんだ。
第一お前が来なければ今頃おれは元気ピンピンだったはずだ。
「なんですぐ救急車呼ばなかった」
「貴方が取って来いと言ったんです。それにデバイスを付けたら、もう光ってました」
「そうか……。よかったな」
「……はい」
琴梨は肩を震わせながら必死に治療していた。電気も付けず。冷蔵庫の明かりと、琴梨のインスタンスの光しか光源は無く。あたりは不思議な雰囲気に包まれていた。
「鼻水が右手に落ちてくるんだけど」
涙と思われたそれには鼻水も若干混じっていた。
「ふふっ、こんな状態でも減らず口は変わらないんですね」
スンスンと鼻水をすりあげながら琴梨は少し笑ってそういった。
「あとどれ位かかりそう?」
「3分で治して見せます」
「了解」
琴梨と話している最中も痛みは徐々に治まってきていた。床は血の海で、こんな状況なのに掃除の心配をしてしまった。服も血だらけパンツなんて血でベチョベチョだ。
「琴梨さんはジロジロ見てやらしーですね」
どうしても言っておきたかった。
「五月蝿いです。足首の穴に指捻じ込みますよ」
物凄くリアリティ溢れる返答が返ってきた。もう痛いのは勘弁だ、トラウマになりそうな痛みだった。
「どうしてこんな酷い怪我を負ったんですか?」
「あー、転んだ」
「……そですか」
今回ばかりは自分のミスだ、その上運が悪かった。いや、確かに射出角度の比率的には運は悪いが、最悪の結果を考えれば運は良かった方か。もう少し気をつけないと、あんな死に方では許されない、頼まれ事がある。
「どうですか? 傷はふさがっているはずです。状態も安定しています」
物思いに耽っている間に両足の穴は消えて無くなっていた。
「右足動かないぞ?」
「当たり前です! 幾らなんでも、そんなに早く今まで身体に無かった細胞を、自由に動かせるとは思えません。だからインスタンス治療でもリハビリ期間があるんじゃないですか! 新品なんだから若干勝手が違います」
「そうか、じゃあ一応治っているんだな。琴梨ありがとう。後は俺でやっとくから、明日になったら何かしらの形でお礼はする」
血まみれのパンツと血の海。とりあえず着替えて床をどうにかしたい。これじゃ殺害現場だ。
「何馬鹿なこと言ってるんですか! ほっとくなんて出来るわけ無いでしょ!」
お前が何を馬鹿なことを言ってるんだ、ベッドに血はつけたくない! 俺はパンツ交換したいんだよ! 介抱する気か? 嫌だよ!
「あの、お嬢さん……」
「何ですか?」
琴梨はお嬢さんと呼ばれたのがとても嬉しかったようで、満面の笑みを浮かべて応対してくれた。
「パンツ着替えたいんだけど? 出て行ってくれないかな?」
「知ってますよ」
満面の笑みの琴梨は只管にっこり笑ったままだった。
「どうしたら帰ってくれる?」
「貴方が清潔な服装でベッドに横になり、床の血の掃除を終えたら帰ります」
今気付いたが琴梨も血まみれだった。
『鮮血を浴びた満面の笑顔のアトラスヒグマ』
少し想像し難い物であるが、我が眼前にそれは存在していた。
「じゃあ、こうしない? 琴梨も血まみれだし。取り敢えず琴梨も自室に戻って着替えてこようか? その間に俺は這ってでも着替えるからさ? 琴梨が着替え終わって、ここに戻るまでがタイムリミット。俺の着替えが終わってなかったら大人しく琴梨に従う」
琴梨は少しだけ考え、自分に有利過ぎると判断したのか確認まで取ってきた。
「本当にその条件でいいですか? 着替え終わっていても、着替えた服に血が付いていたら失敗と判断しますよ?」
「それで構わないよ」
大丈夫だ。間に合うはずだ。コレは我が貞操のピンチ母さんも許してくれる。最悪全てを無かった事にする。
「わかりました、では。ヨーイ・ドン!! です」
琴梨は真剣だった。全力で俺の前から消え去った。さっきデバイスを取りに行った後ろ姿よりも、さらに速いような気がした。あいつは勝負事に目が無いのか?
俺も指輪を解放する。琴梨が治療しているから5秒と掛からずに完全再現を終える。オリジナルを甘く見てもらっては困る。仮想データを元にした復元の類では無いのだよ。
立ち上がった俺は台所で手を洗い。その手でタンスから服を取り出すと、その場でパンツを脱ぎ捨てた!! そして風呂へと走り!! お湯が出るまで待つこと無く冷水を浴びる! 30秒程度で血を洗い流し、すぐさま脱衣所に戻り身体を拭き、着替えを終えた!! あとは血を踏まぬようにゆっくりベッドへと向い、そこに腰掛けた。
結果は圧勝だった。琴梨が現れたのはそれから1分近く後のことであった。彼女はベッドに座っている俺を繁々と眺めた後、不思議そうに部屋中を歩き回っていた。
「どうやったんです?」
「只野直伝の気合」
「へー」
苦笑いともなんとも取れないような引き攣った笑いを浮かべた彼女は、そう言ってソファーに腰掛けた。床の血は放置だ。
「あの……床、片付けてくれないのですか?」
「ご自分で片付ければいいじゃないですか、足跡が残ってますよ」
拗ねたように琴梨はそう言い放った。
「ああ、短時間だけ気合で立てただけなので……」
「タンスから洗面所にいたっては歩幅が歩いてる歩幅じゃないですよ?」
「はは……なんとか走れました」
「じゃあなんとか掃除できますよね?」
「……はい」
「掃除して見せて下さいよ」
琴梨は何やら怒っているようだった。
「じゃあ、あの……琴梨さんがお帰りになりましたら……」
「見せて下さいよ、立てる所を」
俺は諦めて、盛大に立ち上がった。そのままソファーに座っている琴梨の手を握り、強引に引き上げて立たせた。
「なっ、大丈夫だろ? 治療は完璧だ。帰ってくれ」
手を強引に引いた時、驚いたと言うよりも恐怖に近い表情を見せた琴梨は、しばらく俺の前で下を向いたまま立ち尽くしていた。
「一緒に掃除しましょう」
琴梨はそういったのを最後に、無言で掃除を始めた。酷く機嫌が悪い様子で今にも雑巾を投げ散らかしそうな勢いだった。あまりにも機嫌が悪かったため、帰れとも言えず、渋々俺も一緒になって掃除を終らせた。
掃除には一時間近くを要した。台所に広がった血溜まりと、壁に飛び散った血。さらに誰かが動き回ったせいで、タンスや洗面台に続く床は、乾いた落ち難い血痕となり。脱ぎ散らかしたパンツは、テーブルの下に敷いたカーペットに染みを作っていた。
結局、裾と袖を捲くっていたものの、手足は血だらけになり再び風呂場で洗う事になった。その間も琴梨は終始無言で、気まずい雰囲気が流れ、ワイドショーの殺害現場の様な光景が輪を掛けてシュールな物となっていた。
「悪かったよ」
掃除が終った後、俺はベッドに、琴梨はやはりソファーに腰掛けていた。
琴梨にしてみれば災難だ。夜中に叫び声で起こされて、駆けつけた先は血の海。さらに死に掛けの俺から、怒鳴られるようにインスタンスを取りに行かされ。服を血で汚しながら必死に治療をしても、患者は悪態を治さない。その上、たぶん何が原因なのか察しは付いているだろうが、俺が原因を話さない。介抱をしようとするも拒まれ。少し目を離した隙に、理解不能の超回復を発揮した男は走り回っている。
何一つ俺は説明をせず、琴梨はただ引っ張りまわされただけだ。
「ふんっ! 嫌です、許せません」
膨れっ面で横を向く琴梨に掛ける言葉は用意できず。二度目の謝罪をする。
「すまなかった」
その言葉を聞いた彼女は今度はこちらを睨み返して来た。
「どれだけ心配してると思ってるんですか!! いい加減にしてください!!」
とても琴梨とは思えない大きな声で感情を爆発されるように彼女は言った。怒りながら彼女は涙をボロボロとこぼし始めた。
「ポケットに響のサイコロが残っていた。驚かせてすまない」
「そんな事分かってます!! そんな事を聞いてるんじゃないんですよ!!」
俺には『そんな事』以外を説明する言葉は見つけ切れなかった。
「引っ張りまわして悪かった。もう大丈夫だから……」
――パァン!!
琴梨はソファーから立ち上がり。涙を流したまま、俺の頬に目一杯の平手打ちをした。
世界が狙える右の平手打ちだった。一瞬意識が飛びかけた。左の頬はジンジンと痛み、衝撃を逃がすため、俺の顔はパソコンの画面を捉える事になった。
人に叩かれるのも久しぶりだな。まぁ、俺が琴梨にとった態度に比べたら、大した痛みでは無いのだろう。動揺はしていた、だが俺は平静を装い横に動かされた視界を再び琴梨の方へと戻した。
――どれくらい経ったのだろう。一分? いや二分かな?
俺が真っ直ぐに戻した視界は、直後に真っ直ぐ縦に動かされ、俺の視界は今度は天井を捕らえる事になる。俺の胸に倒れこむようにヘッドバットをお見舞いした琴梨は、そのまま動こうとはしなかった。琴梨の重みを感じながら動くことも出来ず。俺は両手を頭の下で組み、天井を見つめていた。どこで間違ったのか自分では良く分からなかった。
「……お願いがあります」
一頻り泣いた琴梨は額を俺の胸に押し当てたままそう呟いた。
「内容による」
俺もまた天井を見ながら返事をする。
「傷を治したお礼をしてもらいます、嫌とは言わせません」
上手い断り方を考え付くことが出来なかったら、また琴梨に酷いことを言うはめになるな。天井を見つめながらそう考えていた。
「内容による」
今度はどんな難易度の高い要求なのだろう。どうすればいいのだろう。
琴梨は額を胸から離し、顔をこちらに向けた様だ。顎が胸に食い込んで痛い。
「……貴方のことを教えてください」
予定通りの言葉だった。ずっと前から予定していた質問だった。ずっと考えてはいたが答えを用意することが出来ていない質問でもあった。恐らく響に言われても戸惑ったであろう事は容易に想像できた。
「……何故?」
何故そんなことを聞く必要がある?
「私は貴方に感謝しています」
感謝ね……、勘違いしてるだけじゃないのか?
「もしインスタンスのことを言ってい――」
「インスタンスのことを言っている訳じゃありません。それに貴方が今私に言おうとしたことは大体想像が付きます。どうせ『俺が言ったのは切っ掛けに過ぎない』とかそういうことです。確かにインスタンスが使えるようになったのは、私自身の自発的な変化なのでしょうよ。……ですが。それでも私は貴方に感謝しています。それにインスタンスの事だけじゃありません」
琴梨はエスパーになった。大体あっていた、琴梨から見たら分かりやすいらしい。『分かっててなお感謝するの? その意味が分からないよ』と言うか迷ったが。たぶん怒られるだろうし別に分からなくも無いから止めた。考えるがなかなか上手い返しが出てこない。
もう、駄目かも。
「むしろ聞きますよ。なんで貴方はそんなに自分のことを隠したがるのですか」
何度目かの質問だが、これまた返しが難しい。迷惑掛けたくないと言えば、私を見くびらないで下さいと返って来るだろうし。別に隠してないよと言えば嘘になる。嘘だと気付いてるのでまた怒る。
繰り返しだ、スッパリと冷たくあしらったのに、数時間後には脚まで治してもらっている始末。だいたい迷惑掛けたくないと言うのすら厳密に言うと嘘になる。困った。
「琴梨……。答えられない。応対できないじゃなくて答えられない」
これは本心だ、答える事が出来ない。
「出来ます! 考えてください。無理でもいいから私を納得させて下さい。貴方なら嘘で塗り固めても、私を騙し切ることくらいは可能な筈です」
嘘でもいいから納得させろとは……。
「そうか、俺が悪いんだな。隠すならもっとキチンと隠せ、悪に徹しろって事かな。俺が中途半端に他人に優しくしたりするのが悪いのか」
俺は弱い、嫌われ者を演じきれず心のどこかで理解して欲しいと思っている所がある。
いや、それすらも本当は間違っている。
「響さんだって気付いてるはずです。それに貴方は悪人を演じることは出来ても、悪人にはなれません。大体別に悪人を演じてるつもりも無いでしょう。少し遠ざけようとしてるくらいです。もっと言えば、厳密には人は皆自分の事しか考えていません」
そりゃそうだ、皆そうだ。『好きです』なんて告白すらも、自分の意思を相手に『伝えたい』『知ってもらいたい』ってエゴに過ぎない。
「じゃあ俺はどうすれば良いのさ? 自分を貫くことと、琴梨の質問に答える事は相反するから合理的に処理することが出来ない」
「何とかしてください」
これは困った、俺はまだそれを考えている途中だ。
「うーん、もう一つ聞くけど。俺がそこまでする必要性がある? 具体的に言うと琴梨に色々と話す必要性がある? 責任がある?」
これを言ったらたぶん御仕舞いだ。いくら琴梨でもこれは手詰まりを起こす。
「ないです。その必要性も、責任も、貴方にはありません。自分と私を天秤に掛けて自分の方が重かったら。きっと貴方は言わないでしょう」
「矛盾してるよ、さっき人は自分のことしか考えてないって言ったじゃないか」
気が参ってきた。琴梨と根比べするのは大変な労力が必要だな。
「頭が混乱してきました。休戦を所望します」
これには流石に『ははっ』っと笑ってしまった。相手の方が泣いたり笑ったり怒ったりして疲労が蓄積されているようだ。それに走ったからね。
「俺もシンドイから賛成する」
「ふふっ」
そういって俺は天井から目を離して琴梨の顔を見た。就寝中に起こされてコンタクトを外していたのだろう、今日はメガネだった。そして顎がさらに胸に食い込んで痛かった。
「琴梨さ、顎が食い込んでるんだけど」
琴梨は顎の話は無視して会話を続けた、明日はきっとアオタンが出来ているだろう。
「デートみたいですね」
「俺は彼女作らないよ」
「本当にデリカシー無いですねぇ。私にだって選ぶ権利があります」
琴梨はとても記憶力が良い様だった。そこまでしか俺は覚えていなかった。
「パス一」
「パスは二回までですよ? うわー。酷い。なんですかそれ」
「それ間違ってるはず、確かそれは響がどうこう言った後だった気がする……」
二人とも余り記憶力は良くなかったらしい。
「じゃ止めましょう。何か考えてください」
休憩中も消耗させようと言う琴梨の策略のような気がしてきた。琴梨はこのタイミングで、自分の顎と俺の胸の間に、自分の両手を敷く事によって俺の苦痛を和らげてくれた。
「琴梨? 俺も一応男だぞ?」
「別に? 貴方なら構いませんよ?」
「はぁ……。動く気は無いって事か」
「まぁ。あまり動きたくはないですねぇ」
俺は左手で毛布をとって寒そうな琴梨に粗雑に掛けた。
「あのさ、どうすれば琴梨は……満足しないな」
「そうなんですか?」
「たぶんね……」
「そろそろ再度開戦しますか?」
「あー? 何時だと思ってるんだよ。それにどこまで話したか覚えてないよ」
時計は深夜の二時二十分、頃合だし興もそがれた。また今度にしてもらおう。琴梨の機嫌も治まってきたようだし帰宅を促しても怒られないだろうと思った。
「じゃあ、お願いがあります」
「無理だよ。難易度が高すぎるもん。聞いても明日ね明日、そろそろ帰ろうか?」
「いやです。お願いは、『貴方が私に何か一つ望んで下さい』と言う物です」
簡単すぎる頼みごとだった。
「無い」
琴梨はこの返答を予定していたのか返しの言葉も用意していたようだった。
「だからこそお願いなんです。捻出して下さい」
一気にハードルが跳ね上がった。と思ったが簡単に解決した。
「あ、帰って」
どうだ! 参ったか!! 帰れ!! ははは、策に溺れたな!
「いやです、却下します」
「おい、おかしいだろ! 何でも良いんじゃないのかよ!」
「何でもいいですよ? でも必ず望みを叶えるとは言っていません」
あの手この手を使って来るな。
「響みたいに変に思ってても気にしないで接してくれ。もしくは接してくれなくて良い」
「それもお断りです」
「あーもう、お前我侭だなぁ」
「言葉は選ぶべきです、そういう時は素直と言って下さい」
「はいはい」
分かった……、分かったよ琴梨……。俺の負けだ。
「まだですかー?」
「――いつか俺が、琴梨を見殺しにするかもしれない、その時に許してくれ」
「……わかりました」
「あっさりだな」
「貴方が見殺しにする状況。即ち、助ける方法が無い。もしくは助ける方法はあっても実現が困難。どちらにしてもですが、私より貴方の方が辛そうです。だから別にいいです。気に病む必要はありません。私はその苦しみを少しだけ知っています」
「そうか、――ありがとう」
これで、琴梨の頼み事は終った。
「それは……。響さんでも見殺しにするんですか?」
「そうだ」
「只野先生でも?」
「そうだ」
「ご自分のご両親でも?」
「――――そうだ」
「自分に関わる人全てですか?」
「分からない……」
琴梨はまた顔を伏せている。今度は自分の手の甲に額を押し当ててるようだ。
「私は貴方にとても酷いことを言ってたみたいですね」
んー心当たりがあり過ぎて……。
「俺と響のことをオオナガレトビケラって言ったこと?」
あれは幼虫の姿がフラッシュバックしてくる精神攻撃だった。
「違います。天秤の話の時です。『貴方も私と同じ状況だったら、きっと分からないですよ』みたいなことを言いました。貴方はずっとそれを繰り返して来てたのに……。無神経でした、自分が特別な悩みを抱えてると思ってました」
「琴梨は想像力豊かだなぁ……。第一見殺しにする状況なんて早々に発生しないよ」
琴梨は、しばらくは顔を伏したままだったが、おもむろに顔を上げると意を決したように話し始めた。
「指輪が光ってました」
「何の話?」
「私が駆け付けた時の話です。すぐに光は消えましたが」
「ごめん、あの時は意識がほとんど無くて良く覚えてないよ」
「床に凄い量の出血があって、大動脈もしくは大静脈のどちらか、あるいは両方出血していると思われたのに。綺麗に繋がったままでした」
「普通の血管からでもかなり出血するんじゃない?」
「声がしてからの時間を考えるとあり得ません。それに大動脈周辺はズタボロで骨まで砕け散っているのに、血管だけ綺麗に繋がっていました。あんな状態にどうやったらなるのか想像すら出来ません。向こうの景色が見えるのに血管は無傷なんですよ?」
「俺は医学的な知識はあまり無いからなんとも言えないけど、実際にそうなっていたんだからさ、上手く血管だけサイコロが避けたんじゃないの?」
「だから、それではあの量の出血は発生しません。ナンセンスな言葉ですが『絶対』です。あの量の出血を伴うからには大きな血管からの出血が必要です」
「んー。俺にはわからない」
「後ですね。貴方は首筋の後ろにも軽いものですが怪我をしていました。
貴方はまったく気付いている様子がありませんでしたし、引っかいた程度の物で、止血するまでも無く血が止まっていたので、私も手を掛けませんでした。
嘘です、本当は後でバンソーコーでも可愛く張ってやろうと思ってワザと放置しました」
「…………それで?」
「その傷がです。私が着替えのため自室に戻っている間に、綺麗さっぱりですよ。小さいとは言っても、画鋲か何かで引っかいた程度はありました。傷もしっかりと、このメガネで確認しましたよ? ササクレを強引に引っ張った感じの裂傷が3㎝程度はありました。輝輔さんは地球外生命体か何かなんですか? 走れるようになっていたのもそうです自然回復ではあり得ません。輝輔さんの胸の上でドサクサに紛れて解析しましたが新品の細胞では無くなっていました。もっというとインスタンス所持者で例えGだろうと自己復元は禁則処理で不可能です。納得の行く説明を所望します。フザケタ回答だったらぶっ飛ばします。UMAだと言い触らします」
…………まいった、追い詰められた。ぶっ飛ばすは本当として、言い触らすは琴梨の性格上あり得ない。ここは覚悟してぶっ飛ばされるしかないのか……。しかしフザケタ回答すら思い付けないほど難しい状態だ……。手品です、とかで良いかな? んー。
――もう、やめるか。
「時間何時だ?」
「もぅ。携帯どこ置いているんですか。――もう少しで深夜3時になります」
「そうか、明日は日曜日だから明日にしないか?」
「今日がいいです。言い訳を考える時間を与える事になります」
別に画策する気はなかったが、もしかしたら明日になったら気が変わっていたかもしれない。そう思うと琴梨の判断は適切なような気がしてきた。俺よりも俺のことを知っているんじゃないか? まぁしかし、もう話そうと思っていた。色々考えたが本当はどうでも良かった。
「そうか、姿勢がきついから横になっていいか?」
「添い寝しても構いませんか?」
「ソファーでごゆっくり寛いで下さい」
俺は琴梨をどかして、うつ伏せで横になった。琴梨はメガネをテーブルに置くと、毛布を俺に掛けてくれた。そしてその中に潜り込んで込んできた。
俺は話が長くなるから、どこから話すか少し考えていた。
「俺の母親の旧姓はマリー・ロア・ランドールと言う」
全ての始まりはここからだろう。
「オリジナル開発に携わった3人の一人ですね。主要人物だと思ってましたが名前から察するに開発トップでしたか」
「そうだ、LOAとは父の会社内で母達研究者が集まって作った開発プロジェクトだ、それが大本となって国連で開発することとなる。LOAとは精霊と言う意味で付けられた物ではなく、プロジェクトネームであり母のミドルネームだ。日本では目立つ名前だし問題もあったから、俺は日本国籍取得と同時に捨てた」
それでも素性を隠す事は出来ないだろうが……。
「十年前にオリジナルを開発した母達は、完成から二日後には三人とも『人が扱って良い代物では無い』と意見を一致させていた。しかし開発に携わった膨大な人たちの努力と、莫大な費用に何かしらの形で報いようと話し合い。現存するインスタンスの原型を作る事になる。作られたインスタンスデバイスはオリジナルの能力をほんの一部分だけ引き継いだ程度の物で、その引き継いだ能力すらも大幅に下方修正され、さらにリミッターと禁則処理を設けた物であった。厳密に言えばオリジナルは似て非なる物だ」
「オリジナルはどんなものなんですか?」
「インスタンスは本人の思考などの影響を受けるだろ? 物凄くわかりやすく、簡単に説明するとオリジナルはイメージを実現する能力を有してる。そして一番の違いは対価が必要無い。通常のインスタンスは本人の精神的なエネルギーを使用するけど、オリジナルは対価となるエネルギーすらも自分自身で生成する。ルール無視どころじゃない、ルールその物が無い」
「じゃあ……。私があの時駆け付けなかったら……?」
「うん、10秒遅く来てくれるだけでも完全に元通りだったね、掃除の必要も無かった」
「それは要らぬお節介を……うう」
琴梨の小芝居はやはり変化が乏しかった。
「まぁまぁ、琴梨のインスタンスが使えるようになったんだし、俺は嬉しかったよ」
「言葉に困ります」
どう困るのか俺には分からなかったが、琴梨は濁すように話題を振った。
「その指輪がオリジナルなんですよね? 何故輝輔さんが持つ事になったのですか? これは、想像するに聞くべきでは無いのかもしれません。なので話したく無かったら結構です。はい」
「それは少し後で話す、まだ途中だ」
「はい」
「オリジナルを使いレプリカを作った三人はオリジナルを破壊することを決意する。しかし、母さんは『ウィリアムが頑丈に作りすぎた』と愚痴を溢していたが、簡単に壊せるような物では無かった。慣性無効化など言うに及ばず、オリジナルがオリジナル自身の力を使って自己を防御していた。母さんは指輪の周囲の時間が止まっていると言っても過言ではないと言っていた。完成した瞬間から、防衛プログラムがスタンドアローンで動いているので、どうしようも無いとも言っていた」
「捨てるとかは?」
「この指輪の性質上、生物だったら使えてしまう可能性がある。魚でも虫でも可能性があるようだし、使ってみた感想だと草や木でも発動してしまうかもしれない。無意識下でも願えば発動するから、俺は『俺が死なない限りは宣言をして発動する』とルールを設けてる。インスタンスと同じで、オーナーの意思は指輪の意思だからそれで大丈夫みたい。ただ、さっきみたいな不慮の事故で死んだ場合は判らない。オーナーを生かすか、それとも他のオーナーを探すか……。前例が無いので判断が付かない」
「誰でも使えるなら金魚触れないじゃないですか」
「現在の所有者は俺であり。指輪もそれを認めている」
「なにかテストでもあるんですか?」
「うーん、俺が貰ったのも一度だけだし良く分からないけど、たぶん前任オーナーが新オーナーを選んで渡せば、分身である指輪も納得するんじゃない? だからオーナー不在状況にならない限りは俺以外が使用することも無いみたい。あとこれは憶測なんだけど、もしかしたらこいつは実体が存在しない可能性もある」
「壊すのも隠すのも無理じゃないですか」
「だから悩んでる」
「残りの二個は破壊されたって聞きましたが?」
「壊した。オリジナルにある禁則処理はたった一つ、自己への自己を要いた能力干渉の禁止。つまり別な指輪を使えば破壊することが可能だった。壊すという表現が適切なのかも判断出来ない。母さんとは会話する時間が短かすぎたし。とりあえず『壊して』と頼まれてる。俺の考えでは指輪の実在性を無くしたと思ってる。
三人は母さんの指輪で二つを壊し、二人が囮となり母さんが本物を持って逃げた。ロジオンはすぐに捕まったようだけどね。囮の人は形状やシステムなどの情報を脳から消して逃亡しているから、簡単には情報は漏れないと思うが……」
「形状が指輪という事実は探してる人は知らないのですか?」
「父の話だと知っている人物は限られているそうだ、研究員などの大半はオリジナルを使って携る記憶を消している。人生に影響が出ない範囲での話しだけどね。オリジナルが存在した事実は知っているが、口や絵で表現しようとしても、欠如してるから恐らく表現出来ない筈だ。記憶の残された人は聡明な人で信頼しても大丈夫だと聞いてる。つまり父のような味方も少しいるらしい」
「何年間逃げ続けたのですか?」
「俺の前に現れたのが六年前だから四年間かな」
「輝輔さんは六年逃げてるじゃないですか」
「……母さんが見つからないからね。ここからは長くなる」
「ふふっ、今までもそこそこ長かったですよ?」
「俺はマザコンだからね、母の話は長くなる」
「男は大体そうです」
「はは」
それから俺は母が目の前に現れた時のこと、それから今までのことを少しテンポを落としてポツポツと話続けた。話し終わるころには外は明るくなり始めていた。
『俺は寝ていたから大丈夫だけど、琴梨は辛かっただろう?』と最後に聞いたら。『貴方が冷たくあしらってくれたお陰で不貞寝してましたよ』と軽く皮肉を言われた。
琴梨は途中で泣き出してしまっていた、自分の事ながら思わず俺も色々なことを思い出して貰い泣きしそうだった。人を絶対に生かす事が出来るという事は、何もしなければ絶対に殺す事になる。そこに生がある限りそれはいつか必ずそうなるのだ。
生かす基準と殺す基準は恐らくずっと判断が付かない。
母親は、俺の生かす基準に果てしなく重い分銅となって圧し掛かり。命を扱うことの難しさを教えてくれている。俺には判断できそうもない。
全ての人が満足の行く死を迎えられる事は素晴らしい事なのかもしれない、だけどそこにも必ず、それによって失われている物がある。そんな気がする。
日々、掌から零れ落ち続ける命を見つめながら、答えを探し求めている。
「俺眠いから寝る」
「鍵かけていいですか?」
「ああ、響が勘違いしたら俺が困る。いや、話終ったんだから帰れよ」
「いやです!」
いずれ零れてゆく――。




