中編
久しぶりの人間の相手に疲れたのか眠気が儂を襲う。
だが話せる相手がいるのも悪くない。
今まではすぐ殺して食べていたから話すこと自体あまりなかった。
あったとしても昔、村のやつらと生け贄の約束を取り付けた時だけだ。
おっと、そういえば千代が育つまで生け贄を待ってやるということ言わないといけないな。
儂はこれからの生活について考えなが眠りにつくことにした。
それから八年の時が経ち、千代は思った通り健やかに成長し、喰いごたえがありそうに育った。
ちなみに服は千代が窮屈と言ったら村に行き取りに行くことにしている。
ただ予想外だったのが、千代は物凄く美しく育った事だ。
この身に生まれて、儂が人間などにその手の興味を持った事はない。
だが、事実儂は千代に対して見惚れているのは間違いない。
まるで濡れガラスのような長く艶やかな黒髪、陶磁のような美しい肌、顔の幼さが残るも男性なら必ず魅惑されるであろう体型は儂といえど劣情を抱きかねない程ものだ。
儂の腰程までしかなかった小娘が今では儂と変わらぬ身長になっていた。
「鬼人様!ぼたん鍋の準備ができましたよ!」
「そう大きな声をあげずともそちらにいくわい」
儂は木の上にあるねぐらから声を掛ける千代のもとに木の枝を足場代わりに移動する。
「おぉ、美味そうな匂いだな」
「ありがとうございます。鬼人様が猪と山の幸を採ってきてもらえたので作ることができました!」
花のような笑みを見せる千代は嬉しそうに答える。
「そうかそうか。どれひとつ味を確かめるとしよう」
そういって千代に言われて作った箸を使って一口食べる。
うむ、旨い。
最初は経験が少ないため、料理ができなかった千代だったが、回数を重ね試行錯誤していくうちにあっという間に上手になっていた。
「旨いぞ。千代、よくやったな」
そういって千代の頭に手を置く。
「それは良かったです!」
千代は顔を赤らめ、両手で頬を包む。
儂に褒められることがそんなに嬉しいことなのだろうか。
「お主も食べよ。一人で食べても面白くないからの」
「はい!」
千代は嬉しそうに答えるが儂の頭に自分の言った言葉が引っ掛かった。
『一人で食べても面白くない』
儂は今まで生きていて一人だった。
同じ鬼達と会うこともあったがそれは縄張り争いのようなものでともに食事や生活することがない。
知能がない雑魚は互いを食い合うし、高位の存在になれば互いを警戒し友好関係など築けない。
ましてや餌である人間などとそのような関係になるなど本来あり得ない事だ。
鬼というのは本来そのような存在なのだ。
だから……だからこそなのか千代との生活を知った儂はこんなことが言えるのであろう。
他者と共にいるということがこれほど心地よい事であったとは思わなかった。
それを感じると同時にあることを思うことも多くなった。
『このままでいいのか?』
千代は元々儂の食料として渡された生け贄だ。
あれほど無垢な魂と喰いごたえがある体ならこの待った年月を補ってもあまりあるほどの力が手に入るだろう。
それに儂と千代では種族が違う。
いくら共にいようとも儂と違い千代はこれから年老いていき、いずれまた儂はまた一人になる。
千代も自分が喰われないために頑張っているだけで儂と共にいたいとは思ってはいない筈だ……。
そして、それ以降儂の中でその悩みが膨らみ続けていた。
千代を見て食ってしまわぬように何度も山の獣達を食い漁り無理矢理腹を満たして食わぬようにした。
だが、今まで人を喰ってきた儂には人の味が恋しくなってしまう。
以前までなら同じ年数食べなかったとしてもこんなことにはならなかったのだが、儂が千代を食べてはいけないものと認識することでより意識してしまい欲求が刺激されているようだ。
そんなある日の夜、家の中で壁にもたれるように座って寝ようとしている儂に千代が話しかけてきた。
「鬼人様……起きてますでしょうか?」
「……なんだ?」
儂は目を開けて、布団の上に正座している千代を見る。
「あの……私はなにかしてしまったのでしょうか?」
不安そうな顔をして千代はこちらを見る。
暗くてわからぬが、声の感じからして震えているようだ。
「なにもない。さっさと寝ろ」
冷たくあしらうように言うが、どうやら千代は納得していないらしく、儂に近付く。
「いえ、そんなことはないです!じゃなければ何故鬼人様は最近私と距離を置くのですか!」
声に力が入り、夜の森の中に千代の声が響く。
「私は……私は貴方様の生け贄にも出稚にも相応しくはない卑しい女です。ですが私は貴方様の為に出来ることなら何でもしたいのです。どうか私の至らぬ点があれば教えてください!」
千代にとっては喰われないためにも儂に気に入られるように必死なのだろう。
そう思った儂には千代の言葉がひどく苛ついた。
儂がどれだけお前を喰ってしまいたいと思ったか知らないでよくそんなことは言ったことか。
「黙れ!」
儂は千代を押し倒し、馬乗りになり逃げられないように両手を押さえつけた。
「あまり近寄るでない!今の儂はお前を喰ってしまいたいと思っておるのだぞ!なのに儂の気を知らずに言いおって!」
すると家の窓から先程まで曇って見えなかった月明かりが儂と千代を照らす。
その月明かりによって照らされた千代の顔、瞳からは今にもこぼれそうな大粒の涙が溜まっていた。
食われる恐怖で泣いたのだろうか少し考えるがもうそんなことどうでもいい。
儂はただこの目の前にいる女を食べてしまいたい。
食えば溢れんばかりの力が手に入れられる。
空腹は満たされ飢餓感から解放される。
そんなこと考えばかりが頭のなかを埋めつくし、儂の食欲に火をつける。
「鬼人様……」
千代は黒曜石のようなその綺麗な目で儂を見る。
あぁ、そんな目で見ないでくれ。
そんな目で見られたら儂はきっと後悔してしまう。
「いいですよ。それを貴方様が望むなら……」
儂には千代のいう言葉の意味が分からなかった。
死にたくなかったのではないのか?
だから儂の役に立とうとして殺されまいとしていなかったのか?
冷静さを失った儂の頭の中はそんなことばかりで埋め尽くされていた。
「鬼人様……私は、貴方様が望むならこの命喜んで捧げます。役に立てない私など貴方様の側にいる資格などありませんから……」
「何故だ……何故だ!死ぬのだぞ!嫌ではないのか!?」
「はい、わかっています……鬼人様、出会ったときのこと覚えていらっしゃいますか?」
「あぁ」
色々なことに頭の中がぐるぐると回るようで思考の整理がつかない。
それでも儂は千代の言葉に耳を傾け答える。
「私は目が見えなくなったことで迷惑を掛けてしまいました。父と母……目が見えなくなり役に立たない私を愛してくれましたが二人が死んで一人なってから村のみんなが私のことを口々に穀潰し、忌み子など罵声を浴びせられるようになり、そしてあの日……私は鬼人様への生贄となりました」
今でも覚えている。
小さく痩せこけた体。
目には布を被せられ祈るように手を組んでいたあの頃を今でも昨日のように思い出せる。
「最初は……怖かったです。問答無用に殺され食べられるのだろうと思っていましたから……ですが鬼人様は私に光をくれました!目を治してくださり、その恩返しをしたいと私に生きる目的をくださいました。例えそれが最終的に私を食べる為のこととしても……なにもない私に目的をくれたんです!その時から私は決めたのです。鬼人様の側で生き、鬼人様の為に死ぬと!」
千代の目には強い意思が宿っている。
覚悟を決めた者の眼だ。
儂はこの目に弱い。
儂の中のなにかを締め付けるかのような錯覚にさえ陥ってしまうからだ。
「さぁ!鬼人様!どうぞ私をお好きになさったください!私は感謝をすれど恨むなんて事はあり得ません!私を食べるなら食べてください!」
強い目をしながら声を発する千代に儂は気圧された。
たかが人間に何故そんなことを言ってのける胆力があるのか儂にはわからない。
何故儂はこの娘の言うことに気圧されているのかもわからない。
疑問に頭が回らず、目の前にいる千代を見つめていると千代は儂の顎を両手で持つと自らの肩口に添えるようにする。
食欲をそそる甘い匂い、歯を立てれば血が吹き出すであろう薄く白い肌。
儂は遂に欲に負け、噛みつく。
噛み口からは血が溢れだして儂の喉を潤していく。
あぁ、美味しい。
まるで今まで食べてきた人間が腐っていたとも思えるほど新鮮で栄養が全身を駆け巡るのがわかる。
「く、あぁ……もう我慢しないでください……貴方といれたことは私の……幸せです。……鬼人様、どうか幸せに」
千代が儂の頭を抱えるかのように抱き締めた。
そして語られる言葉に全身雷に打たれたかのような衝撃を受けた。
痛いだろうに怖いだろうに儂の幸せを願う彼女に儂は噛み付いてたところから口を離す。
「鬼人……様?」
突然食べることをやめた事に千代は傷口を手で押さえてこちらを見る。
「やめじゃ」
「えっ?やはり私などでは……」
「違うわい」
儂は呆然としている千代の額を指でピンっと弾く。
少し痛そうであるが別にそれ以上の事はなさそうである。
「なぁ、千代。儂は長い間人を食べてきた。お主が思うより遥か多くな。儂にとって人間など餌で食欲を満たす者としか思ってなかった。だがな、儂はお前といることに心地よさを感じている。だから喰いたくなかった……だが我慢すればより儂はお主を食いたいと思ってしまった」
「……」
「なんだろうな。お主が今言った『幸せになってほしい』という言葉、あれは儂にとっては初めてだった。ただ捕食者である儂に言う言葉ではないはずなのにお主はそれを言い切った」
儂が求めていたものこれなのだろうか。
他者との繋がり。
弱い人間は何故集まるのかを理解できなかったわしには無縁だと思っておった。
だが、千代の言葉で理解した。
人は弱いからこそ他者と繋がり、互いを支えあうことで種を増やしてきたのだ。
個である儂などの人外はその対極に位置している。
強さを得るため他者を喰らい、踏みにじり個を確立していくのだ。