ある男と首無し女の話
打楔墓場の内部にはそこらの迷宮とは比べ物にならないほど多くの死体が転がっている。比較的新しいもの、干からびてミイラになったもの、白骨化したもの……過去から現在までのありとあらゆる冒険者たちの成れの果ては後続の冒険者に大抵身ぐるみを剥がれており、その無惨な姿には尊厳など微塵も感じられない。
俺はそれら人だったものの中でも特にそれらしいものを調べていく。ランプがあるとはいえ洞窟の暗闇の中だ、確認のために魔法を唱えて死体に問いかけては無反応をもらって次の候補死体を調べるというこの作業の効率はあまり良くなかったが探し物をするにはこうするしかない。
作業を開始して何時間が経っただろうか。打楔墓場の丁度半分くらいまで降りてきたところでまた一体の候補死体を発見した。死体に近づき、ランプで照らして様子を確認する。
比較的若い女で身体の腐敗はあまり進んでいないように見える。洞窟の壁にもたれ掛かるようにして座らされているその死体には重たい武器を振り回していたような筋肉はついておらず、そもそも冒険者になってから日が浅かったのか脂肪は少しついている。そしてやはり装備品はすべて奪い去られていたが道具の入ったポーチは手つかずのままなようだ。
なにより、この死体には頭部が無い。
「たぶんこれだな……」
長い作業からようやく解放されるかと考えておもわず独り言が出てしまった。だがすぐに本番はこれからだと気合いを入れ直し、確認のための魔法を唱える。
「応答せよ。01045420430」
トットットッ……通信魔法が相手の意識に接続を試みている待機音が鳴り出した。これは俺の頭の中だけに聞こえている音で、もし15秒待ってもこの音のまま、つまり相手の意識に接続できなかったら素直に次へ行くことにしている。
そろそろ15秒。またハズレか、と落胆し通信を切って立ち去ろうとしたその時だった。
通信魔法が接続に成功し、待機音がプルルルルルという音に変わった。応答待ちの音だ。こうなると相手が拒否しない限り鳴り続け、応答と同時に鳴り止み通話が可能となる。
俺は少し緊張しながら応答を待った。もし応答したなら、おそらくその瞬間にとんでもない光景を目にすることになるからだ。にわかに信じがたいが、この迷宮内ではそういうことになっているらしい。むしろそう聞いたから俺はここまで来たのだ。
ガチッ、という音が鳴った。相手が応答したのだ。
『も、もしもし……』
「俺だ。助けに来た」
『アルス……アルスなの?』
「おや、覚えていてくれたか。嬉しいね」
『……』
そういうこと、とはどういうことなのか。
こういうことだ。
通信が沈黙したその瞬間、目の前の首無し死体は突然動き出してこちらに飛びかかってきた。俺はそれを避けたりなどせずきっちり受け止める。胴の辺りに抱きついた首無し死体改め首無し女の嗚咽する背中を優しく撫でながら、話は本当だったんだなと実感した。
「おいおい、泣くのはいいがとりあえず今は状況整理だ。俺のことは覚えているみたいだが、頭の無いお前が他の記憶を落っことしていないか確かめるためにいくつか質問するぞ、いいな?」
『……うん。いいよ』
「お前の名前は?」
『ラニア。ラニア・ソラバリエタ』
「好きな食べ物と嫌いな食べ物は?」
『果物は好き。辛いのは嫌い』
「じゃあ最新の体重を教えて」
『いくら久しぶりでも怒るよ』
「大丈夫みたいだな」
とにかくこれでこの首無し女がラニアだという確認がとれた。どっと疲れたがこれからが本番である。俺の目的は彼女を無事に正常な姿に戻すことなのだから。
『あの、その……ごめんね。迷惑かけて』
謝るラニアはばつが悪そうだ。顔がなくても雰囲気で分かるものなんだなと変なところで感心して流しそうになったが、ここはきちんと言っておかなければならないだろう。こんな状況になった原因は間違いなくラニア本人にある。
「俺はいいんだよ、勝手に助けに来てるんだから。でも打楔墓場は危険すぎるから絶対に入るなって言われてたの忘れてたのか?それにまさか一人で入ってきた訳じゃないんだろ、仲間は?」
『うう、ごめんなさい……』
頭がないので表情を直接確認することはできないが、ラニアはひどく反省しているようだった。
最も、それを責め立ててようにも時が経ちすぎているわけだが。
「しっかしなんというか、綺麗に切り落とされてるな、お前の首。これ断面はどうなってるんだ?照らしても真っ黒でなにも見えなし触っている筈なのになんの感触も無い」
『ちょっと!やめてよなんか恥ずかしいし』
ラニアがわちゃわちゃと手を振り回して応戦してきたのであわてて手を引っ込めた。触られるのは嫌だったようだが自分でも不思議になったのか、恐る恐るといった感じで彼女自身の頭がくっついていた場所をつつくラニア。その振る舞いは非常に人間らしいのに頭が無いので悪い冗談のような絵面だ。
ともあれ彼女が生きていて理性を保っていることは分かった。あとは無事に外へ連れ出したいわけだがこの状態じゃ流石に無理だ。頭を取り戻す必用がある。首無しで生きているだなんて外じゃ晒し者間違いなしだからというのもあるが、視聴覚及び言語を奪われた人間が文明社会で生きていくことは非常に困難を伴うであろうという現実的な懸念があるからだ。
「ラニア、お前の首を刈ったのはここの主、すなわち斬首の死神ってことでいいのか?」
『うん。でも突然のことだったから本当にそうかは分からないんだけど……』
「ま、頭なしで生きているってことはそうなんだろう。立てるか?」
『アルスが手をつないでくれればたぶん』
すこし気恥ずかしそうに言うラニアの手をとり、ぐいと引っ張る。途端、彼女の身体中からバキバキッと音が鳴った。
「そ、その、頭をなくしてからずっと動いていなかったから……」
きっと顔は赤くなっているのだろう。気にするな、とだけフォローする。
「じゃあ行くか」
『えっ、どこに?』
「ダンジョンの奥だ。お前の頭を返してもらえるか、死神さんにちょいと交渉をしてこよう」
『き、危険だよ!もっと人を呼んだ方が……』
「皆が俺みたいに、首がないお前を見ても平気なわけじゃないからな」
ラニアは息をのむように沈黙した。少しきつい言い方になってしまったかもしれないが、事実だし、事態は彼女自身のせいなのだから受け入れてもらうしかない。
「なに、大丈夫さ。そのために武器も持ってきた。生きる屍だろうがスケルトンだろうが、これで一撃殴って終わり。心配はいらんよ」
もちろん、彼女へ過剰な反省を強いるわけでも自己嫌悪をしてほしいわけでもない。メイスを軽く彼女の手に触れさせ、きちんとしたものを持ってきていると理解させた。
『……アルス、ちょっと変わったよね』
「そうか?確かに髪は昨日よりちょっと伸びたかもしれんが、まあ頭が無くなったお前に比べれば微々たるもんさ」
『もー!私だって反省しているんだからいちいちからかわないでよぉ』
「すまんすまん。じゃ、行こうか」
少し言い過ぎたようだ。拗ねてしまったラニアの手を引き、暗いダンジョンの奥へと歩を進める。
『ねえ、アルス。今日は何日なの?私がここに居る間にどれくらい経った?』
「ああ、今日はだな」
俺はあらかじめ用意しておいた言い方で答える。
「贈り物の日だ」
打楔墓場のダンジョンとしての特異性はその『不死性』にある。
ダンジョン内のモンスターは完全に倒すことはできず、いくら倒しても時間が経てば復活する。それは無敵という意味ではなく、死が魂の開放を意味しないということだ。
ここで倒れた冒険者やそのパートナーたる猛獣は斬首の死神に魂を囚われ、永久にダンジョンの衛兵となる。骨になっても生前の技術、判断力はそのままであり、ダンジョンの危険度は時間が経てば経つほど増していく。
という触れ込みだったのだが。
「ラニア、怪我はしてないか?」
『う、うん。でも何がどうなっているの?どうして……』
後ろからゆらりと骸が立ち上がった。しかし緩慢な動きのそれのわき腹にメイスを一撃叩き込むと、くの字に曲がって倒れこみ動かなくなった。
『どうしてこんなにモンスターが弱いの?今も一体倒したんでしょ』
目に見えないが、周りでモンスターが次々倒されていることくらいは分かるらしい。驚きのあまり声も出ない、そんな雰囲気のラニアはそもそも声が出ないが、どうにか声を絞り出すように問うてきた。
「あー、あれだ。この武器はちょっと特別な加工をしてあってだな。魂のない身体を打つと動きを拘束することができる。やつらが不死でも、そんなのは関係ないってわけだ」
『い、いつの間にそんな技術が』
「結構苦労したんだぜ。昨日開発されたばかりで俺しか持ってない。これで今のお前を叩けばガチガチに縛ることが出来るぞ」
『冗談だよね?』
「もちろん。さぁどんどん進むぞ。倒れた骨どもに躓かないよう気を付けてくれ」
口で注意しつつ、朽ちた骨やらさびた鎧やらを適当に蹴散らしながら進む。
洞窟というより、廃墟を進んでいるような気分だった。
「止まれ」
進んできた部屋より一回り大きい部屋。その奥の扉の前に座していた鎧は威圧しながら立ち上がった。
「貴様は何者だ。兵どもがわが主に見えることはできんと契約したはずだが」
巨大な剣を持ち、静かに構える鎧。
門番だ。
「ラニア、そこで静かにしていろよ」
『う、うん』
ラニアを瓦礫の陰に隠し、メイスを構えて門番に相対する。
「やあ門番さん。俺はあんたらの配下の兵士じゃない、あんたの主に用事があって来た人間だよ」
「……来客、なるほど。ここまで辿り着くものなどずいぶんと久しい。ならば我が主に見えんとすることがどういうことか、理解しているな?」
「ああ、始めようぜ。その錆びた剣ごと自信満々な心をへし折ってやるよ」
大剣の攻撃範囲は脅威だ。だが懐に飛び込み、素早く攪乱すれば斬られることはない。
振られる剣をかいくぐりながらメイスで一撃離脱を意識し、門番の後ろに回り込みながら一発一発叩き込む。
「……なるほど、その速度に追いつけんとは我もなまったものだ。だが我が剣の錆は斬った者の数。貴様の如き若輩に遅れはとらん」
突然門番の剣筋が鋭くなった。先読みしたうえで急所を的確に狙った切断攻撃をおもわずメイスで受けてしまい、弾き飛ばされた。
みるみるうちに押し返され、ついに転んでしりもちをついてしまった。錆びた剣がこちらへ向けられる。
「……ちょっと、こまったな」
「客人よ、ひさびさに楽しかったぞ。だが、我の主命は何時までも変わらん。ここに在る限り、主の安息を守るが我が主命だ」
死ぬがよい。
もう終わったかと思った、その時だった。
メイスが門番の左腕を思い切り叩き、そして破壊した。続けざまにわき腹へ重い一撃が叩き込まれ、錆びた鎧がばらばらに砕け散る。
『アルスッ』
「ラニア!?お前どうして……」
『メイスがたまたまこっちに飛んできたから、拾って振り回して……それより大丈夫!?』
「ああ、俺は大丈夫だ。ありがとう」
ちら、と砕かれた門番に目をやる。鎧なので表情は分からないが、苦笑しているようだった。
「成程、貴様一人ではなかったのか。しかも……我には見えぬわけだ。その者は……」
「門番さん、これでお前の主には会えるんだな」
「よかろう。久々の客人だ。我が主に、無礼を働けば、お前の魂、永久に、呪って……」
門番は沈黙した。
「さあ、行こうかラニア。首を返してもらおう」
『……うん』
ラニアの手を引き、扉を開ける。
いよいよ首斬りの死神の部屋だ。
玉座があった。
そこに座すは、首斬りの死神。
―――その骸だった。
「ああ、そうか。もう終わっていたか」
予測されていたことではあった。だが、これではあまりにもあっけない。
『アルス?』
「ラニア、首斬りの死神は死んでいたよ。お前の首は……多分それだろ」
朽ち果てた玉座の横に、場違いにきれいな女の頭がある。
だがそれは触れたら消えてしまいそうなほど、おぼろげで、頼りない輪郭しかなかった。
『……やっぱりそっか』
ラニアはあきらめたように言う。
『ここまでありがとう。“アルス”をしてくれた人』
「バレてたかぁ」
『アルスは戦うのがとっても下手なのよ。それに、私と話すときはいつも必死に思いやってくれたし。イヤミや皮肉なんて言わなかったわ』
マジか。ちょっと詰めが甘かったらしい。
「……ま、仕事だったんでね。一応言っておくが、アルスは生きているぜ。爺さんだけどな。俺はそのアルス爺さんから、お前を救ってやってくれと頼まれたんだ。だけどその頭、取り戻したらお前はたぶん消えちまう」
『いいえ、いいの。私は元はといえばとっくに死んでいるもの。さ、“アルス”。頭を頂戴?』
俺はラニアの首の上に頭をのせてやった。たちまち、表情を見る間もなく、その身体は灰となって崩れ落ちた。
「……さて、それでラニアさんは金庫の鍵を持っているんだったっけ?それが報酬って言ってたが、これか。そして?」
灰の中を探ると鍵と、小さな箱が見つかった。
中身は紅い宝石と、手紙。それは過去のものだが、何を意味しているかはすぐにわかる。
今日は、贈り物の日。
ラニアさんのそれをアルス爺さんに渡して追加報酬を得るべく、俺はかつて打楔墓場と呼ばれた朽ちた洞窟を後にした。
(テーマ:嘘)