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幼子叱るな……

 一般的に高校生という世代は成長期にあたる。

 背が伸びる。体重が増える。デカくなる。

 従って、昼の弁当から夕食までの間も何らかの栄養補給が必要だ。その場所も方法も人それぞれだろうが、オレのお気に入りは喫茶「B・ドッグ」でハムとチーズのホットサンドを食べることだった。

 ホットサンドがうまいのもそうだが、この喫茶店、個人経営なのがまたいい。外食産業に押し寄せるチェーン展開の波に真っ向から立ち向かっている。

 学校から駅に向かうメイン通りから一本奥に入った「知る人ぞ知る」立地のため、スツール四つのカウンターと三つのボックス席が全部埋まっているのは見たコトがない。経営しているのは気のよさそうな年配の夫婦だ。

 その日、オレはカウンターの一番出入口から遠い席でホットサンドを頬張っていた。

 いつもの席でいつものメニュー。

 うん、常連っぽくてカッコよくね?

 オレの真後ろのボックス席には、お母さんと三歳くらいの男の子。この時間帯にはわりとよく見るから、きっと近所に住んでるんだろう。

 その隣のボックスには三十がらみのサラリーマン。こっちは初めて見るので、おそらく偶然この店を見つけた営業回りさんか何かと推測。運のいいことで。

 普段はマスターの趣味らしいジャズがゆったり流れているだけの静かな店内だが、今日はいつもと違って少しにぎやかだった。オレの後ろの席の男の子が、なにやらご機嫌ナナメでグズっていたからだ。

「やだやだやだぁ! 『ぷれな』行くのお! 行きたい~!!!」

 ああ、プレナか。

 どうやらこの坊や、駅前の商業施設である「プレナ」に行きたくてゴネているらしい。あそこには小さな子供向けのゲームコーナーがあるから、きっとそこがお目当てなのに違いない。

 分かる。分かるぞその気持ち。この近隣で生まれ育ったヤツなら誰もが通る道だ!

 いや、オレは聞き分けのいい子だったから、行きたくても我慢したけどね。ホントホント、うんホント。

 常連サービスの一環らしい、注文していないコーヒーをオレの前に置くついでに、マスターの奥さんが坊やの頭を撫でてなだめる。

 それをきっかけにちょっと落ち着く坊や。だがあきらめがつかないのか、しばらくするとアピール再開だ。

「ねえ、ママぁ……」

 うお。こやつの上目使い攻撃ヤバい。オレが親父オヤジなら即陥落(かんらく)してる。子供を甘やかすダメ親父おやじになる自分の未来が見えるぜ。

「だから今日は無理って言ってるじゃない、きょうちゃん。これからお夕飯の買い物しなくちゃならないんだから」

 お母さんの口調がちょっと厳しくなる。母は強し。そして恐し。

「やあだぁ! 行きたい行きたい~~~!!!」

 お、ついに噴火だ。坊やが声の限りに泣き始めた。

 マスター夫婦もオレも思わず苦笑い。マスターとオレなんか、目が合って思わず二人して吹いちゃったよ。

 どこかで聞いたことだが、小さな子供の泣き声っていうのは、もともと大人が気になる周波数をしてるんだそうな。そうやって今自分には大人のケアが必要であるとアピールする。自然が与えた種族維持のための知恵だ。

 だが店内でただ一人、苦笑いをしてない人物がいた。いや、もちろん困った顔のお母さんは除いての話だ。

 お母さんと坊やの隣のボックスに座る営業サラリーマン。見ればこめかみの辺りがピクピクしていらっしゃる。

 そして気づいたことがもう一つ。

 いつの間にか最後のボックス席が埋まっている。サラリーマンと背中合わせに座る若い女。

 しかもよく見れば、着ているのはうちの学校の制服だ。オレに背中を向けているせいで表情は読み取れない。

「うわあぁ~ん!」

 とうとう坊やが席を立ってうろつき始めた。目をつぶって泣きじゃくっているせいで、スツールに座ったオレの脚にポスン、と衝突する。

 おっと。京ちゃんとやら、もっと固いものにぶつからなくてよかったな。

「あ、すいませ……」

 お母さんが腰を浮かせながら言いかけた瞬間、店内に破鐘われがねのような怒鳴り声が響き渡った。


「うるさいっっっ!!!」


 営業サラリーマンが真っ赤な顔で坊やをにらみ付けている。

 京ちゃんとやらがヒクッと泣き止んで、店内がしんと静まり返った。聞こえるのは静かなジャズの曲だけ。

 オレはとっさに自分の足元の京ちゃんを抱き上げ、自分の膝の上に座らせた。

 膝に京ちゃんのおびえがフルフルと伝わってくる。


 コノヤロウ、こんな小さな子供をおびえさせやがって。


 しっかりと京ちゃんの体を両腕で抱き締めながら、オレはじっとサラリーマンをにらむ。

 サラリーマンの方も引っ込みがつかないような顔をしながら睨み返してくるが、やがてフンッ、と鼻息荒く席を立った。

 よかった。取り敢えずこれで手打ちみたいだ。

「余計なトラブルは避けられるなら避けろ」がオレのモットーだからな。だいたいが「トラブル」なんてモノ自体、オレにとっては既に余計な存在だ。

 

 と、こ、ろ、が、だ。


 上着片手にレジに向かうサラリーマンを見送るオレは、あるとんでもない光景を目にした。

 うちの学校の制服を来た女子生徒が、サラリーマンの尻ポケットからスルリと財布を抜き取ったのだ。

 うおおぉぉぉぉぉい! それってス……、ス……!!!

 呆気あっけにとられるオレが見守るなか、女子生徒は財布を左手に持ち換えて肩越しに自分の背後へ。財布は背もたれを滑り落ちて、さっきまでサラリーマンが座っていた席の座面にナイスオンだ。ピンそば一メートルのバーディーチャンス!

 あまりに鮮やかな一連の動作に、サラリーマン本人はおろか、オレ以外の誰も今の出来事に気づいていない。

 かたやレジで支払いをしようとするサラリーマンは、尻ポケットに手をあてて怪訝けげんそうな顔をしている。

 そりゃそうだ。そんなところに財布ないから。

「あ? あれ、あれ?」

 しきりに自分の体をあちこちまさぐる哀れなサラリーマン。しまいには手にした上着のポケットも全て探るがもちろん空振り。

 繰り返すがそりゃそうだ。そんなところに財布ないから。

 店中の視線を一身に浴びながら、サラリーマンが奇怪なパントマイムを披露する。そしてついには、パントマイムがパントマイムでなくなった。

「ない! 俺の財布がなあぁぁぁーーーーーーーい!!!」

 最後にもう一度言う。そりゃそうだ。そんなところに財布、な、い、か、らぁ~~~~~!!!

 サラリーマンの顔は真っ青。唇がワナワナ震えている。

 悲壮だ。あまりに悲壮な姿だ。

 誰か舞台の照明落として、彼にスポット当ててやってくれ。

「うるさいなぁ」

 財布を抜き取った女子生徒が、ボソッと吐き捨てるように言う。

「その子より、あなたの方がずっとうるさいですよ」

 なんか……この声、どこかで聞き覚えが。

「いい大人がそんなに取り乱して。みっともないと思わないんですか、オジサン?」

 さらにこの非情かつ冷徹な仕打ち。

 …………まさかコイツ。

 「な! な……! なんっ…………!!?」

 営業サラリーマン、何か言いかけるが動揺のあまり言葉にならない。

 だめだなこれは。タオル投入のタイミングだ。

「あの……」

 冷や汗を流すサラリーマンに声をかけるが、キッとばかりににらまれる。

 おい、そんな顔すんなよ。オレ、あんたのセコンドだぜ?

 同時にサラリーマンの財布を抜き取った女子生徒もこちらを振り返る。

 ……やっぱりお前か。北条、……姫、…………

「そのソファの上にあるの、あなたの財布じゃないですか?」

 オレはサラリーマンが座っていたボックス席を指差した。

 我ながら白々(しらじら)しいが、本当のことはとても言えない。

「…………え?」

 オレの言葉に慌てて席に駆け戻ったサラリーマンが、ソファの上に横たわる財布を発見した。

「あ、あったあぁぁぁ~~~!!!」

 サラリーマンが雄叫びをあげる。

 さながら、数十年くらい生き別れになっていた家族との再会みたいな喜びようだ。

「だからうるさいですよ。勝手に財布落として、勝手に騒いで。いい迷惑です。さっさとお金払って出て行って下さい」

 北条が再会の喜びに水を差す。

 サラリーマンが北条をにらむが、さっきからの流れ上何も言い返せない。結局そそくさと支払いを済ませ、そのまま店をおとなしく出ていった。

「お前かよ、北条」

 サラリーマンが出て行くなり、オレは北条にそう声を掛けた。

 だが北条はそれに答えず、半分気が抜けたようになっているお母さんに話し掛ける。

「あの、よかったら私が坊やをプレナに連れて行きますよ」

「……え?」

 お母さん、今のショックが響いて北条の言葉が頭にしみないらしい。

「お買い物するお店を教えてもらえれば、三十分くらい坊やを遊ばせてから連れて行きます」

 なるほど。ここからプレナまでは歩いても五、六分くらい。お母さんの買い物の場所がこの近くなら、それは充分可能なプランだ。

 だがしかし。

「い、いえそんな。悪いですよ、そんなご迷惑掛けちゃ」

 やっと北条の申し出を理解したお母さんが、あたふたと返事した。

「別に迷惑じゃないですよ。ね、京ちゃんもその方がイイでしょ?」

 北条がオレの膝の上の坊やに笑い掛けた。

 イイのか? それはイイのか?

 こんな冷酷非情な女に子供を預ける?

 それって、猫にハムスターのお守りさせるようなもんじゃないんだろうか。

「うん! 行きたーい!」

 京ちゃん。恐いもの知らずだな、キミ。

 ことの成り行きに溜め息をついたオレを、京ちゃんが膝の上から見上げる。

「ねえ、お兄ちゃんも一緒にいこ?」

「へえ?」 

 思わず間抜けな声が口から出た。

「あら、あなたいたの?」

 ここに至って、北条が心底意外そうな声で言いやがる。

「何だよ。置物か何かと思ったか?」

「そうね、置物にしてもあんまり趣味が悪いから、入った時に思わず別の店かと勘違いしちゃったわ」

 ニヤリと笑う北条。

 ホント、掛け値なしにイヤなヤツだぜ、コイツ。

「まあ、京ちゃんのご指名なんだから、観念してお供をしたら? 南原みなみはらくん」


 おい。だからそれワザとだろ? 絶対。

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