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彼の者に教師たる資格なし

 また始まったよ。


 クラスみんなの顔に、そんな表情が浮かんだ。

「なあ北条、お前この間の授業ちゃんと聞いてたか?」

 現代文の授業中、担当の吉川先生が突然そんなことを言い出したからだ。

 この吉川先生、しばしば授業中に小テストなんてつまらんものを実施する。

 それはいい。まあギリギリ許す。……ギリギリだけどな。

 よくないのは、生徒がテスト用紙と取っ組んでいる間に、その日提出させた宿題にざっと目を通して、内容について必ず誰か一人を吊し上げるという悪いクセを持っていることだ。

 思わずソフトな表現をしたが、こちらは多感たかんな盛りの高校生だ。クラスみんなの前で自分の弱点をさらされるなんて屈辱、クセなんてカワイラシイ言葉じゃとても済ませられない。

 早い話が、クラス中が吉川先生のことを「性格のねじ曲がったクソ野郎」だと評価していた。もちろんオレ自身も含めて。

 運悪く本日の生けにえに選ばれた北条ほうじょうが、テスト用紙から面倒くさそうに顔を上げ、わずかに肩にかかる長さの髪をかき上げる。

 普段でさえ、視線が合っただけで相手がビクッと萎縮いしゅくするほどの鋭い目が、まさに吉川先生を射抜いぬかんばかりに見据えていた。


 北条ほうじょう……、ひめナンとか。

 下の名前は何だったか。

 ………………………………忘れた。


 同じクラスになって一ヶ月半たつが、こいつとはろくすっぽ話をしたことがない。もっと言えば、北条が他の誰かと話してるのもろくすっぽ見たことがない。

「どこをどう解釈したら、筆者の意図をこんなふうに読み取れるんだ?」

 神経を逆なでする吉川先生の粘着質な言葉にも、北条はじっと押し黙ったままだ。

 だがまあ、それがただ一つの正解だろう。権力者の横暴なんて、黙ってやり過ごす以外にどんな対処法があるというのか。

 ところがこの唯一無二のはずの対処法が逆効果だったとみえて、相手の沈黙を屈服か服従と受け取った吉川先生がさらに畳み掛けた。

「問題文を適当に読み飛ばしたとしか思えんな。こんな簡単な文章すら理解できないなんて、お前本当に日本育ちか?」

 うん。吉川先生の評価を「性格のねじ曲がった、掛け値なしにサディスティックなクソ野郎」に訂正しよう。もし戦国時代とかに生まれてたら、弱った敵に笑いながらトドメ刺して回るタイプだったんだろうな。

 生徒達はみな一様いちように顔をこわばらせて視線を伏せている。例外はただ一人。吉川先生を無表情に見つめ返す北条だけ。

「先生」

 静まり返った教室に、北条のりんとした声が響く。

 こっちはアレだ。命乞いをしたりせずに、いさぎよく自決の道を選ぶとらわれの姫君のイメージ。

 吉川先生が右の眉をヒョイと吊り上げることで北条の呼び掛けに応じた。

「私の宿題の内容、ちゃんと見てくれてますか?」

 生徒達の何人かが、顔を上げずに目だけを北条に向ける。吉川先生に対する挑戦の気配を、今のセリフに感じ取ったらしい。

 挑戦の気配を感じ取ったのは生徒達だけじゃない。そんなこと吉川先生のこめかみがピクリと引きるのを見るまでもなく分かる。

 だって北条のヤツ、さっきのセリフと同時に目付きがあからさまに挑戦的になった。どうやらいさぎよく自決するつもりはさらさらないみたいだ。

 これは後になって考えたことだが、もし吉川先生がもう少し鋭い人だったら、北条の目には挑戦だけでなく、嘲笑ちょうしょうの色も同時に浮かんでいたことに気づいたんだろうか。

「内容を見もせずに今の質問が出ると思うか、北条?」

 吉川先生の声が低くなる。

 その不穏ふおんな雰囲気に、今まで顔を伏せていた生徒達も次々と顔を上げ始めた。

 九割は怯えた顔。残りはどこか期待の込もったような顔に見える。その期待は、単にこれから起こるドラマに対する期待か、それとも暴君に立ち向かう者が現れたことへの期待なのか。

「でも先生、前回の私の宿題に『B』をつけましたよね?」

 北条が吉川先生とは逆に、心底しんそこ楽しげな明るい声で応じた。

「なにぃ?」

 吉川先生が、手にした北条のノートを面倒くさげにめくり始める。

 思うんだけど、授業中に生徒の前で面倒くさそうな顔する教師ってどうなのさ? もしこっちがそんな顔したら、問答無用で血祭りにあげやがるクセに。

「確かにB評価をつけてるな。それがどうした?」

 吉川先生はいつも生徒が提出した宿題に、A~Dの四段階評価を赤ペンで記入して返却する。Bなら中の上。まあまあイイんじゃねえの、というところである。ちなみにオレはC(“もうちょい頑張れ”)D(“出直してこい”)しか取ったことはない。

「その内容で、なぜB評価がつくのか教えていただけませんか」

 北条の質問に、吉川先生がフンッと見下したような笑いを漏らした。

「Aがつかなかったのが不満か」

「……逆ですよ、先生」

 吉川先生が怪訝けげんそうに顔をしかめる。

 まあ、不本意だがその吉川先生の気持ちは分からないじゃない。オレにも北条の意図することがまったく理解できないから。

 どうやら北条は、評価が不当に低い、という不服を申し立てる気ではないらしい。それどころかむしろ逆の主張をするという。

「なんなら私の前回の宿題、声に出して読み上げてもらっても構いませんけど」

 恐えな、コイツ。教師相手にまったく引く気なしだ。

 もちろん吉川先生の方もまったく引く気はないらしく、苛立いらだたしげな目を手にしたノートに落とした。

「……『この肉体と精神の関わりについて述べた論説文における筆者の立場は……』」

 クラス中が固唾かたずを飲んでことの成り行きを見守るなか、吉川先生による北条の宿題読み上げが始まった。

 おいおい、マジかよ。今日の授業、なんか変な方向に進んでるぞ。

 読み上げられる北条の宿題の内容は、オレには当たりさわりのない、無事無難なもののように思える。もっとも、CかDしか取ったことがないオレの判断にどれほど信用が置けるかははなはだ疑問なんだが。

「『……つまり精神が肉体に影響を及ぼすという現象には、ある一定の条件が必要であると述べているのである』……」

 吉川先生がそこで朗読を区切った。行が変わったかなにかしたんだろう。

 ところが、この息継ぎのためのわずかな空白と思っていた沈黙が、いくら待っても終わらない。出された宿題の分量を考えれば読まれた文章はまだ少なすぎるし、内容の区切れも中途半端でとても終わりとは思えない。

 不審に思って吉川先生に目をやると、なぜか眉をひそめてノートをにらんだまま押し黙っている。

「先生、続きをお願いします」

 北条の感情を込めない無機質な声。

 オレを含めた他の生徒達は何が起きているのか分からず、北条と吉川先生の間で視線を往復させていた。

「北条。お前これ……」

 怒りと困惑が半々といった感じの言葉に、吉川先生がそれ以上朗読を続ける意思がないのを見て取ると、北条は椅子から立ち上がって教壇に歩み寄る。そして吉川先生の手から素早くノートを奪い取って生徒達の側にクルリと向き直った。

「おい、北条!」

 焦りの色を隠せない吉川先生を優雅に無視して、北条はみずから宿題の朗読を再開した。

「……『ところで、家庭でチャーハンを作ると、中華料理店みたいにパラパラになりませんよね。でも、お家でも手軽にパラパラのチャーハンを食べたいと思いませんか?』……」

 おい、何でいきなり文章がフレンドリーになってんだ。

 あと、いったい誰に話し掛けてる?

 ……いやいや、違うだろ。ツッコミどころはソコじゃないだろ。しっかりしろ、オレ。

 何なんだ? なぜ「肉体と精神の関わりについて述べた論説文」が、何の脈絡もなく「パラパラチャーハンの話」に切り変わるんだ?

「……『まずはご飯をとき卵にからめましょう。ご飯が冷たい場合はレンジでチンしておくのがコツですよ!』……」

「ですよ!」じゃねえ!

 なんてノリノリなんだ、コイツ。

 さっきまで無表情だったのとはうって変わって、まるでテレビのお料理コーナーに出てくるアシスタント並みのいい笑顔だ。

 北条の朗読が滔々(とうとう)と続く中、生徒達はみな呆気あっけにとられて目を点にしている。オレの斜め前の大垣なんか口をあんぐりと開けてるもんだから、まるでアゴが外れたみたいに見えて一瞬本気で心配したじゃねえか。

「……『フライパンは煙が立つくらいまでよく熱しておきましょう。ご飯を入れたらなるべく手早く炒めるようにします。お米を切るようにしながら時々フライパンを返して下さい』」

 北条の声自体は明るい調子なのに、教室の緊張感は刻一刻と増していく。それはきっと吉川先生の顔が、日焼け止めを忘れた五月の釣り人みたいに真っ赤になっていくことと無関係じゃない。

「……おい」

 次第に高まる緊張感に耐えられなくなったオレのか細い神経が、自分の意思とは関係なく勝手に口を開いた。

 北条がピタリと朗読をやめてジロリとオレをにらむ。ホント恐えな、コイツ。

「やめろよ。昼休み前にそんなもの聞かされると、腹の虫が鳴ってしょうがないだろ」

 北条が豆鉄砲を喰らったハトみたいな顔になった。いや、豆鉄砲喰らったハトを実際に見たコトがあるわけじゃないんだが。

「プッ」

 窓際の後ろの方で誰かが吹き出す。それをきっかけに忍び笑いの連鎖が始まった。

 それは床にいたライターオイルに火をつけたみたいにあっという間に広がり、やがて遠慮のない普通の笑いとなり、ついには爆笑の渦にまでエスカレートした。

「ホントだよ、北条。オレなんか今日、朝飯抜いちゃったからマジ拷問だよ、ソレ」

「北条さん、そのレシピって本当? その作り方でチャーハンパラパラになんの?」

「オレ、チャーハンよりオムライスの方がよかったな……」

 みんなの笑い声の中、北条がオレを見て不敵ににっと笑い、それから再び教壇の吉川先生に向き直った。

「そういうことです、先生」

 北条が話し始めると、教室のざわめきが次第に治まっていく。クラスの中には、まだ北条の意図を理解できていないヤツがいくらかいるのだ。

 だけどオレにはうっすらとだが分かっていた。北条がなんでこんな突飛なことをやらかしたのか。

「こんな内容の宿題、B評価どころか職員室に呼び出し間違いなしですよね、普通」

 吉川先生は顔を真っ赤にしたまま何も答えない。

 かたや北条は顔いっぱいに勝ち誇った笑みをたたえ、大袈裟な身振りで髪をかき上げた。

「ここでもう一度さっきの質問です。この内容で、なぜB評価がつくのか教えていただけませんか」

 誰かが小さく「あ」と口にする。ようやくクラス全員が北条の目論もくろみに気付いたのだ。

「生徒の宿題を適当に読み飛ばしているとしか思えませんね。もしくはこんな簡単な文章すら理解できないんですか? 先生、本当に日本育ちですか?」

 あ。掛け値なしのサディスト、もう一人発見。

 教室にまた忍び笑いの波が再発する。

 だが今度の忍び笑いは、さっきまでとは明らかに違う。それには嘲弄ちょうろう侮蔑ぶべつの匂いが確かに含まれていた。




 北条ほうじょう姫華ひめか


 そうですか。姫ナンとかさんの名前、本当は「姫華ひめか」だったんですか。

「ナンと」が余計だったな。ゴメンよ。

 放課後の誰もいなくなった教室。

 今日の大立回りを演じたあの女子生徒が気になったオレは、教室の後ろ側の壁に貼り出された歴史のレポートの氏名欄を見つめながらそんなことを考えていた。

 もちろん「顔はカワイイよな、アイツ」とか「背が小っちゃいクセにムネがでかかったな」とか、そういう理由で気になったワケじゃない。

 いくら理不尽で、性格がねじ曲がってて、サディスティックなクソ野郎だからと言っても、仮にも教師である相手をああまで徹底的に痛めつける。その冷徹さと恐いもの知らずな不敵さが、オレにはなぜかひどく気にかかったのだ。いやホントに。

 人気ひとけがなくシンと静まり返った廊下を、足音が一つ近付いてくる。

 てっきりこの教室の前を通り過ぎて階段の方に向かうと思っていたのだが、予想に反して扉の前で足音が止まった。

 思わず目を向けると、静かに開いた扉の向こうに現れた北条と目が合った。

 オレがまだ残っていると思わなかったのか、北条がちょっと意外そうな顔をする。

「あら、南屋みなみや君じゃない」

南野みなみのだ。南野みなみの智治(ともはる)

 コノヤロウ。他人ひとの名前を自信タップリに間違えやがった。

「ごめんなさい。でも気を悪くしないでね、私が名前をうろ覚えなのって、南田みなみだ君だけじゃないから」

「お前、絶対ワザとやってるだろ、それ」

 北条が何も言わずに口元だけで笑って見せる。目が笑ってないから、逆に凄みがあって恐え。

「さっきのツッコミ、タイミングも内容も絶妙だったわね。お陰で私の仕掛けも効果倍増だったし、お礼を言っておくわ」

「別にお前のためにやったワケじゃねえよ。あの変な『一触即発』って雰囲気が我慢できなかったダケだ」

 北条が、今度は目も一緒に笑う。

「分かるわ。見るからに小心者っぽいものね、あなた」

「お前に比べりゃ誰だって小心者だろうよ」

 まったく、あんなバカげた寸劇を堂々とやってのけるような鋼鉄の心臓の持ち主に「小心者」呼ばわりされたからって、いちいち腹をたてる気にもなりゃあしない。

「どうしたんだよこんな時間に。さっきの『アレ』で職員室に呼び出しでも喰らったか?」

「別にそれでも構わなかったんだけどね。そうすれば他の先生達の前でもう一度『アレ』をできたし。……ちょっと忘れ物をしたから取りに戻っただけよ」

 言われて気付いた。吉川先生にしてみれば、これ以上北条に関わっても自分のダメージを増やすことにしかならない。少なくともこの件に関しては。

 こいつ、そこまで計算ずくで吉川先生に罠を仕掛けたんだ。

「なあ。前の分の宿題にあんな仕掛けしてたってことは、その時から今日の騒ぎを狙ってたってコトか?」

 北条が氷のような目でオレを見つめながら、静かな声で答える。

「そうよ。とは言っても『狙ってた』ワケじゃないけど。ここ一月ひとつきちょっとでアイツのやり口は分かってたし、私に矛先ほこさきが向いた時の保険をかけてたの」

 イヤな保険だ。万一の時の支払人は、保険会社じゃなくて加害者本人ってワケか。もし自分に悪意を向けたら、否応なく相手にその対価を支払わせるという巧妙な構図。

「気付いてた? 吉川先生、小テスト中に私達の宿題を一人当たり四十秒くらいで採点するのよ。時々窓の外を見てアクビしながら」

 北条がそう言いながら自分の席からノートを取り出し、まだ真新しいカバンにそっとしまった。

「ちょっと見てればわかるけど、採点の基準は最初の五~六行とページの埋まり具合だけ。だからあんな内容にBを付けちゃうのよね。生徒に一時間以上も掛かる宿題を出すクセに採点はあんないい加減だなんて、教師失格だと思わない?」

 恐い。この女、本当に恐い。

 いくら顔がカワイくても、どんなにムネが大きくても、こんな女と関わるのはご免こうむりたい。

 忘れ物のノートを収めたカバンを肩に掛けると、北条はスタスタと扉に向かって歩いていく。そして廊下に出たところでこちらを振り向くと、例の氷のような微笑を浮かべた。


「じゃあまた明日ね、南崎みなみざき君」

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