ある少女の過去
6話目です少しバイオレンスです
二十年前、いや、三十年前だろうか。
祝日の午前から、今まさに正午に短針が動こうかという時に、人気のない山中でそれは起こった。
「や、やめてください!!」
「いいじゃねぇかよ嬢ちゃん!ここまで親切にしてくれなんだからよ、少しくらい俺にもお返しさせてくれよ!」
「そんな、ことっ…!言われても…っ!」
一人の女子高生だろうか、可愛らしい私服を着た少女とそれとは対照的に汚く、暗い衣服に身を包んだ男が、山奥で取っ組みあっている。
男は少女の両腕を掴み、少女はそれを振り払って抵抗している。
だが、少しずつ追い詰められているのは確かだった。
「ほらお姉ちゃん、すぐ終わるからさ。一発付き合ってくれりゃいいんだよ。な?俺にお返しさせてくれや。」
「だから…っ!そういうのいいですから!警察…っ人、呼びますよ!?」
「じゃ呼んでみなよぉ。『誰か〜〜っ!ここに変質者がいます〜〜っ!』ってな!」
「く…っ!」
少女はわかっていた。
この山奥に人などいない事を。
少女自身、ここがどこなのかもわからない。
友人と遊ぶ約束をし、駅までの道の途中で声をかけられた。
『迷った』というその男の格好に少し嫌な雰囲気を覚えたが、困っていそうなので男の行き先を案内してやることにしたのだ。
その結果が、これ。
山に入り、右に左にどんどんと奥に進むのを少女は不思議に思いこそすれ、ここは地元、何とかなるだろうと楽観視していた。
そして行き着いた先はその山をずいぶんと進んだ所。少女が見た事のない小さな社があった。
恐らく、男もここがどこなのか知らないのではないだろうか。
「…呼ばないのかい?それはもう諦めたってことかい?やっちゃっていいのかい?」
「そんなわけ…っ!ないじゃないですか!!は、離して…っ!離せ!!」
少女は思い切り男の金的を蹴りあげた。
「ふ…ぐ…っ!」
たまらず男は痛みに息を詰まらせ、掴んでいた手を緩める。
そして痛みの発信源に手を添えると、その場にへたれ込んだ。
「こ、のぉぉ…っっ!」
(に、逃げ……るっっ!!)
少女は男に背を向け、全力で走る。
社を横切り、もう舗装された道などない、木々の中を走る。
服は所々が裂け、もう肌を隠す意味を失っていった。
だが、走る。
木々は山を出ようとする少女を止めるように、遮るように伸ばされた枝で少女の肌を裂き、根は足をひっかけた。
構わず、走る。
(スニーカーで…っよかっ、たっ!)
まとわりついてくる草を踏みつぶすように、踏みにじるように足を思い切り地面に叩きつけ、嘲笑するようにさえずる鳥の声にブーイングの様に息を大きく吐く。
走れ、走れ、走れ
脳からの命令が頭の中を埋め尽くしていく。
走って、走って、行き着いた場所は。
木がそこだけ全くない、丸い開けた所だった。
そこに出ると少女は足を止め、不十分な体内の酸素を補充するように荒い呼吸を繰り返す。
男は見当たらない。逃げ切ったか。
呼吸が少し楽になったその時、少女は恐怖に息をつまらせた。
「見ぃぃぃつっけたぁぁぁ!!」
「ひ…っっ」
先程の男が、横から姿を現した。頭や肩に葉をつけ、服は無惨な姿へと変貌している。
恐らく自分も同じような状態になっているだろう。
いや、そんな事を気にしている暇は少女にない。
「知ってる?いや、知っててやったんだよね?男ってねー?金玉殴られるとめちゃめちゃ痛いんだよ?」
男は言いながら草むらを出て、こちらに向かってくる。
少女は眼を見開きながら後ずさりをするしか出来ない。地面に繁茂する草がその状態の少女を転ばせるのに、そう時間はかからなかった。
少女は尻をしたたか打ち付ける。
「じゃあ…嬢ちゃん。さっきのお返し、してあげる、よっっ!」
「けはっっ!!」
その隙にもう目の前まで迫っていた男は尻餅をついている彼女の腹に蹴りを見舞った。
汚いスニーカーのつま先が容赦なくめり込まれる。
少女の体は簡単に吹き飛ばされ、その体は地面に乱暴に受け止められる。
「うう…っ…」
「ギャハハハ!痛ぇか!俺はその何倍も…」
腹を抱え、うめき声を上げる少女の襟を掴むと、男は違う手で拳をつくる。
「痛かったぜ!!?」
硬い、丸い形の痛みが少女の頬に残った。
何発も、何発も。
口の中を切り口から血を流しても、顔が原型をとどめないほど腫れ上がっても、それは止まらなかった。
少女はただその丸い塊の衝撃に体を揺らす以外に、できることはなかった。
拳が止む。
ポイと捨てられるように地面に投げられた少女は声も上げず、痛みに顔を歪めることもなく、仰向けに倒れた。
「へへ…、じゃあ…。いよいよ本番だ…!」
カチャカチャと男の方から音がし、ビリビリと衣服が破れる。
風が吹き、少女の肌を撫でた。
冷たい風だった。
少女は空を見ていた。
正午過ぎの、雲が漂う、青い空を。
願うのなら、雲になりたいと思った。
いや、雲でなくてもいいとも思った。
こんな目に合わない人生を歩みたかった、と思った。
次、続きます